甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

闇を突き抜ける電車のユメ

2019年10月19日 05時32分20秒 | 鉄道のこと

 お酒が入っていたせいか、落ち着いて何かをするということができなかった。だから、本も読めなかった。外を見るのもいい加減でした。夜の闇が広がっているだけでした。

 それなのに、ブログは不思議とできました。何しろ、ついさっきまで数十年ぶりに中学の同級生たちと一緒だったから、その時の気持ちをとにかく残しておかなくては! という気持ちになってボソボソとガラケーで打ち込みました。

 いや、スマホに変えたって、たぶん、ボソボソ書きは同じかもしれない。まだ、パソコンのひらがな打ちの方が自分の気持ちの速度に寄り添って書けている気がします。とはいえ、私の気持ちといったって、あまり大したことは思ってないし、言えていない。

 何にも進歩も深みもないままにオッサンになってしまって、ションボリする気持ちだけをたくさん抱えてしまっています。



 とにかく、電車の中でずーっとブログを書いていました。そしたら、大和八木、桜井、長谷寺、どんどん奈良の山の中に入っていきます。早く送信しないと、トンネルになってしまう。その前に書き終えなきゃと、それなりになったところで送信しました。たくさん書いたつもりになっていた。

 それで、家に帰って打ち込んだのを見てみたら、ものすごくわずかなことしか書けてないし、いつもながらのペラペラの内容でした。ああ、私はそういうことしか書けていない。

 まあ、仕方がない。そういうものと諦めましょう。たまにヒットできるかどうかの人なのです。二割くらいのヒット、あるんだろうか。

 三重県に入って名張、伊賀神戸(いがかんべ)と停車しました。そうしたら、何だかホッとする自分がいて、家族がいるから三重県でホッとするのか、三重県が好きになってホッとしたのか、たぶん、家族や仕事や仲間がいるから、少しホッとするものがあったのでしょう。

 闇の向こうを見ようとしてみます。でも、三重県の町々は、明かりもないし、建物も暗いし、何にも見えなくて、空にきれいなお月さんがあるのに、町をちっとも照らしてくれてなかった。

 窓ガラスには、お昼まで実家で見ていた父の写真によく似た疲れたオッサンがいました。眉毛をあげてみたり、頭をさわってみたりしている。そんなことをしても、私は私なんだけど、父の面影は消えません。

 それで、前に座っている人を見たら、長い髪ときれいな口もと、目鼻立ちもスッキリしている。でも、スマホでゴルフなのか、野球なのかよくわからないゲームをしていた。若い人なんでしょう。

 ひまつぶしのゲームに興じる横顔のきれいな女の子がいた。彼女は紺のセーターで、スラリとした手指を持っている。確か、彼女が私の前に座った時、まあまあきれいな子だなとは思ったけれど、こんなにきれいな横顔と、きれいな指をしてたのかと、今さらながらに驚きました。

 それからしばらくして自分の降りる駅になり、彼女は降りない様子だったので、たぶん、もっと先まで行ったんでしょう。伊勢のお嬢さんだったのか。

 そう、三重県の女の子は、整った美人さんみたいな人がたまにいます。水野美紀さんとか、楠田枝里子さんとか、加藤紀子さんとか、磯野貴理子さんとか。もちろん、私には関係なくて、そういうきれいなお姉さんたちを遠目に見るだけです。

 私は、オッチャンなのに、高校生みたいな気分で電車に乗ってたんだな。何をやっているんだか。


 二十代の前後、旅をしたら、誰か知らない子と出会いが広がる、などという夢を抱いていたものでした。

 でも、現実の旅は、ギクシャクしているし、鉄道での旅だから、その町との接点も小さいし、風景はそれなりに見えるけれども、人との出会いは限定的なものだし、こちらが飛び込んでいかない限り、出会いは生まれないものでした。

 そんな簡単なことに気づかず、フラフラすることもあった。

 ただ、大学に入り、日本全国に知り合いができて、どこの町も、あの子が住んでた町だとか、あの子の学校はあんなだったのだとか、知り合いの住んでいた空気を味わうことができるようになりました。

 その人がそこにいなくても、その町はすべて知り合いを通して感じるようになりました。この夏訪れた新潟の弥彦神社とか、瀬波温泉、新潟といえば、大酒飲みの、お話好きでラッパ吹きのあの人。山形の酒田市といえば、同じ下宿だった彼女。彼女にはこの夏二日間町の案内をしてもらったりしました。

 オッチャンになった今の旅は、風景よりも誰かを求めているところが多い。

 誰かとは、同級生でもいいし、芭蕉さんとか、柚月裕子さんとか、有名な人でもいい。柚月裕子さんなら、さらに広がって、「盤上の向日葵」で刑事コンビが証拠の品のルーツを求める旅をしていましたし、たまたま犯人にされてしまった異端の将棋プロの人も、島根から長野、東北、埼玉と旅をしていました。

 そういうのを追いかけることもできます。いや、むしろ、今の旅って、若者のアニメの聖地巡礼と同じように、自分の好きな世界を現実に求めて、そこに行ってみる、ということが進んでいる気がします。

 ポケモンゴーとかもそうでした。現実と二次元の世界を混ぜ合わせる作業でした。実は二つの世界はつながっていなくて、ただの仕掛けなんだけど、それをつながったように錯覚をしてしまえる自分がいて、そういう自分を楽しむ旅がある。


 電車の中で私の目の前にいた指のきれいな、クールな感じの紺のセーターの女の子は、現実にそこにいたのです。でも、現実のものではなくて、私の中で勝手に美化されていて、ものすごくキレイな女の人になってしまっていた(本当にそうだったのかもしれないけど)。

 私は、そういうキレイな女の人が前にいた、その横顔がステキだったと、川端康成さんの「雪国」の気分で満足していた。だから、現実の彼女はもう必要なくて、降りる時にはサッサと電車を降りて、振り向きもせずに帰って来られた。

 若い時なら、現実の彼女を確認したいと思ったはずだけど、それはもう必要なかった。


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