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学生の頃、たまたま中島みゆきさんの「ひとり上手」という曲のシングルを借りました。買ったのではなかったと思います。たまたまみんなで絵を描いていて、シングルだから何回もリピートしなきゃいけなかったけれど、絵を描いて、みんなでハナウタ歌って、ふざけ合って、しみじみして、何度も聞いて、初めて中島みゆきさんを好きになれて、勝手に自分の持ち歌にして、宴会の度に、カラオケで歌わなきゃいけない時に、歌ってきました。
何の絵を描いていたんだろう。忘れてしまいました。何かの課題だったと思うんだけど、課題となった時点で興味は失われて、イヤイヤで描いているから、もうやる気のない絵だったんでしょう。やる気があっても、たいした絵は描けないけれど、みんなで描いてたなんて、かわいらしいオッチョコチョイさです。下宿の四畳半の中で、描いていましたね。そうだ、最近彼からメール来ないな。彼も忙しいし、節目に来ていますからね。ああ、人生は、どんどん過ぎていきます。
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「ひとり上手」は、みゆきさんの中では、それほど有名な曲ではなかったけれど、二番のところで「雨のように愛して、あの人と私は流れて」という文句は、ビックリするところがあって、カラオケなんかでは、その驚きを知らんぷりして歌うんですけど、そういう愛もあるものかと、そんな言葉を生み出したみゆきさんに全く頭が上がらないところではありました。
もう、オッチャンの私は、「ひとり上手」を歌う場面がなくなりました。誰も私の歌なんか期待してないし、本人も変に引っ込み思案になってしまっているし、老人会に入って、昼間っから公民館でやるカラオケサークルでも入らないと、歌えないのかもしれない。まあ、そういうのに入るより、男子合唱団にでも入りたいなあ。カラオケはそれこそ「ひとり上手(へた)」で、みんなウンザリすることでしょう。
男子合唱団って、近所にないかなぁ。いや、遠くてもいいけど、なかったら、友人を誘って、そういうのを場所を借りてやりたいです。テレビで見ていて、うらやましかった。人のつながりも生まれそうでした。
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そんなボヤキを書くために四時起きしたのではありませんでした。
今日、香港では選挙は行われるのでしょうか。北京の党本部はどう見ているんだろう。
中国は、一国二制度、どころではありません。すべてにおいて一党独裁で政治はやっていくと思っていることでしょう。
国民は党の指導のままに動けばよい。民主的な選挙なんて、いいわけがない。民意を反映なんて、あり得るわけがない。国民なんて、「由(よ)らしむべし。知らしむべからず」とあるように、大切なことは伝えないで(大切なことを伝えると、みんな浮足立つし、不平不満を言うだろうから)、党の指導の下で、経済発展・技術革新を成し遂げ、世界に冠たる中国というのを実現していく。
西洋かぶれした香港の若者たち、彼ら・彼女らは、自分たちの意志で、政治は動くとか思っているのかもしれないが、そんなのは甘い。そんな政治ごっこは、許されるべきではない。政治を議論すること自体が無駄なことだ。ただ不安をあおり、民衆をヒステリックにさせ、方向性を見失わせ、実は民衆を不仕合わせにしている。
だから、そういう衝動的な若者たちは、徹底的に抑えつけなければいけないし、結局は無意味で、何も生まれないということを証明してみせる必要がある。1989年の天安門事件というものがあった。あれも、何も生み出さず、ただ犠牲者が出ただけであった。その情熱を、経済発展と我が国が栄誉ある位置に着くために傾ければいいのである。
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何度もデジャブのように見てきたお隣の国の動きです。若者たちは、きっと挫折させられるでしょう。命を落としてしまう人も続くことでしょう。
あの香港がこんなことになっているのに、私は何もしないで、ボンヤリと見つめるだけです。
でも、どうしたら、中国を変えられるのか、私には時間が必要と思うしかありません。または、避難してくる若者たちを日本で受け入れて、中国本土が変わるように、日本で活動してもらうとか、今、中国はどうなっているのか、こちらから見てもらえるようにしていかなくてはならないのかな。
ということは、彼らと何かでつながれないかな。大阪にいるお金持ち風の中国の人たちに話しかけたらいいのかな。難しいなあ。
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世の中はいつも変わっているから、頑固者だけが悲しい思いをする。
頑固者は、世の中の流れについていけないし、世の中は移り変わっていくものだから、適当にそれに合わせなければいけない。
確かにその通りです。でも、みんな、それぞれに頑固であるツボは違うんだから、どこかで流れから取り残される場面だってあるでしょう。
取り残されて、「何だ、つまらない」とか、「腹立つー」とつぶやけば、また、流れについて行けるかもしれないし、そんなに焦る必要はない。
変わらないものを何かにたとえて、その度崩れちゃ、そいつのせいにする。
みんなある程度の変化は認めているのです。でも、変化は怖いし、イライラするものだから、つい心の支えを求めてしまう。でも、たいてい誰か、何か、よそのモノを頼りにしてみても、そういうのも変化していくので、「何だ、アイツは」と怒り、不信を叫んでしまうけど、それは仕方のないことで、変わらないものって、自分の中にしかないのかもしれない。
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だから、傷つけないで欲しい。傷つかないで欲しい。みんなで街を練り歩くのは楽しいし、みんなと一体になれる。それは中国共産党よりも確かなものだと思う。
それだけを感じたら、うまくかわして、彼ら・彼女らにしたたかに生きてもらえたらと思う。権力に押しつぶされてはいけなくて、従うフリをして、世の中を見続けてもらえたらと思う。
いつか、権力は自分自身の醜さから、自壊していくはずです。それには長い時間が必要です。革命が起きても、また同じように自壊していくでしょう。一人の人生の時間ではそれは起こらないかもしれないけど、いつか必ず起こるはずです。それまではみんなとシュプレヒコールして、雨傘さして、街を歩く。ケガしないようにする。誰かを絶対に傷つけないようにする。
そういうふうにして、やり過ごしてもらえたらと思います。続報を見ていこうと思います。
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* 引用の歌は、中島みゆきさんの「世情」という曲で、1978年の4枚目のアルバム「愛していると云ってくれ」に入っているんだそうです。1981年の3月に、ドラマの「金八先生」で使われてしまって、「何だか、イヤな使われ方しているな」と、違和感がありました。
でも、それも昔のことで、誰もそんなのがあったなんて、憶えていないし、知らないでしょう。校内暴力がテーマだったこの時には、うちの母だって、「金八先生」は見なくなってたんじゃないかな。何だかイヤだったんです。まあ、ドラマ嫌いの私ですから、何とも言えないな。