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甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

先生のハナウタ 中思42

2019年11月19日 22時31分30秒 | 中国の思想家のことば

 子路さんのハナウタには、ピシャリと「そんなことではダメだ」とおっしゃられた先生は、ご自身はどんな歌をうたっておられたんでしょう。

 子かん編の一番最後にこういうのがありました。先ずは、岩波文庫版で見てみます。
 
 唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)として其(そ)れ反(はん)せり。
豈(あ)に爾(なんじ)を思(おも)わざらんや。
室(しつ)是(こ)れ遠(とお)ければなり。

 唐棣(にわざくら)の花、ひらひらかえる。
お前恋しと思わぬでないが、
家がそれ遠すぎて。

 孔子先生は、楽器もされるし、歌もうたう。独唱だけではなくて、合唱する時も、みんなのハーモニーを大切にする歌い方を工夫されたということでした。

 どんなことを歌うのか、その歌詞が気になるところでした。

 孔子さんたちの必読書「詩経」は、古代のいろいろな詩が載っているそうで、みんなが教養としてそれを学んでいます。この詩はそこに載っていない作品なんだそうです。

 例によって、たいした内容がそこに書かれているとは思えない。

 ただ、ひらひら落ちる花びらを見ていて、あなたが恋しいなどと思ってしまう。けれども、二人の距離が離れすぎていて、どうにもならないものがある。でも、あいかわらず恋しい、そういう内容のようです。



 子(し)の曰(い)わく、未(いま)だこれを思(おも)わざるなり。夫(そ)れ何(なん)の遠(とお)きことかこれ有(あ)らん。  

 先生は[この歌について]言われた。「思いつめていないのだ。まあ、本当に思いつめさえすれば、何の遠いことがあるものか。」

 というふうに言われたそうです。

 岩波文庫も、わりと頑張って雰囲気を出そうと努力しているみたいです。



 下村湖人さんはどんなふうに訳しておられるんでしょう。

 民謡にこういうのがある。
  ゆすらうめの木
  花咲きゃ招く、
  ひらりひらりと
  
色よく招く。
  招きゃこの胸
  こがれるばかり、
  道が遠くて
  行かりゃせぬ。
 先師はこの民謡をきいていわれた。――
「まだ思いようが足りないね。なあに、遠いことがあるものか」

* 私は孔子が「ほれて通えば千里も一里」という日本の民謡を知っていたら、とそれが惜しくてならない。

 漢文の三行の詩を、下村先生は八行に書いておられます。こんな詩になって、好きな人は遠いから、結ばれることはない、という悲観的な内容になっていました。

 でも、先生は、そうではなくて、恋しい気持ちがあったら、とことん遠くても突き進んでみなさい。それが恋しい自分を素直に表現することではないのか。自分に忠実に生きてみよ! と励ましてくださっている。

 そうか。強い思いをもって、恋しい人にぶつかりなさい。花がひらひらおちる自然の摂理の中で、人が人恋しく思うのは当たり前のことで、どんなに遠くても、自らの気持ちを優先させなさい、ということでした。


 恋しかったら、恋しい彼女にどこまでも行ってみなさい! 

 孔子先生がそんなことをおっしゃったなんて、何だか不思議です。本当にこれ、「論語」なんだろうか? そう思って抜き書きしました。

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