渚ゆう子さんという歌手がいました。ウィキペディアで見てみたら、大阪の人でした。それで、お母さんが沖縄の人だそうで、最初はハワイアンを歌ってたんだとか……。その関係でベンチャーズさんが来日して、たまたま「京都慕情」みたいな曲を作ったら、彼女も自然にそのカバー曲を出すことになった!
当時から、京都の人というイメージはありませんでした。でも、どういうわけか京都の歌をうたっていた。うちの母は、気に入ったのか鼻歌で歌っていました。まあまあ好きだったtかのなぁ。うちの母は京都には縁のない人で、コテコテのカゴシマ人ですから、憧れとして歌ってた。いや、歌いたいから歌っていました。
NHKで「京都人の密かな愉しみ」(2015~2017)版で、武田カオリさんという人が番組の最後に「京都慕情」のカバーしていた。コテコテの渚ゆう子版からすると、かなりアッサリしていて、私は曲の良さに感心したものでした。そして、自分の昔も照らしてくれるようで、懐かしいような、哀しいような不思議な気分を味わいました。
音楽の入った歌って、不思議です。タイムスリップしたり、とことん感情を高ぶらせたり、気分を落ち着かせたり、シンミリさせたり。琴線に触れると、何かあれこれ感じてしまう。
番組は、出演者のみなさんの関東風の関西弁で、そこが気になるばかりで、本上まなみさんが出てた回だけは、見てて安定感抜群で、「さすが関西人!」と思って見てましたっけ。常盤貴子さんは神奈川の人だけど、なかなか頑張ってしゃべってた。中身よりもセリフが気になるなんて、番組としては少し辛いですけど、まあまあ楽しかったんでした。
ああ、京都かぁ。ボクはあまり縁がありませんでした。歌で聞いてても、どこのことなのやら、何が京都で、どうしたらそれらを感じられるのか。
阪急ではあまり感じなかった。めったに乗らなかったし。京阪は、京都という感じはしたけど、発展性がなかった。金閣寺には、小三か小四の頃に一度だけ行ったけれど、そんなに感動したわけではなかった。でも、母の日か何かで金閣寺の絵を水彩で描いて、それをプレゼントして、その絵はいまも実家に飾られていて、あれはどういうわけか京都だった。
遠くの町なんだろうな。そこに人が住んでいるのは知ってるけれど、自分のフィールドではなくて、たまにフラフラ遊びに行くだけでした。
仲代達矢さんが六波羅にツルピカで清盛としているのか(1972年の大河)、それと同じように緒形拳さんがアサドリとして庶民の暮らしをしているのか。
そんなことはないよね。あれはテレビの中だけの話だったんだ。京都の大学にも行きたかったけれど、あまり縁はありませんでした。
せいぜい、奥さん連れて、美術館めぐりとか、古本市に行くとか、そんな程度なんでしょう。また、いつか行きたいです。
「京都慕情」の歌は、京都の人との気持ちのもつれをあれこれと歌ってたけど、ボクにはそんなあれこれするものはなくて、ただ通り過ぎるだけです。
まあ、通り過ぎることができるだけで、それもしあわせと思わなくては! 今では行こうと思っても、向こうから「来るな」と言われてしまうんですから。