甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

わたしのなりたかったもの? 大人の世界

2020年08月05日 01時36分07秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 小さい頃、野球選手(これはなかったかな?)とか、博士とか、お笑いタレントとか、落語家とか、何かになりたいとは思ってたのかのなぁ? 言葉にはしてたと思うけど、今にしてみれば自信がありません。

 小学校卒業する時、ピーターパンだったから、大人になりたくないと思ってたのか。中学に入るとボウズ頭になるみたいだけど、そんなのイヤだ! なんて、大きくなるのを拒否する気持ちがありましたね。何にもなりたくなかった! もっとあれこれなりたいものを列挙してたらよかったのに。

 私が見たオトナの世界。60年代後半、日曜の7時からタケダアワー(ウルトラシリーズ)、7時半から不二家の時間(藤子不二雄漫画など)が終わって、8時からは「泣いたたまるか」(TBS)で、主役の渥美清さんから、演技ではなく、歌のメッセージをもらってた気がするんです。

 テレビは8時を過ぎたら見てはいけないきまりになっていました。それでも、私は自分でオトナの世界を歌から作り上げていたのでしょうか。8時から後で見ていいのは金曜日の「ザ・ガードマン」だけじゃなかったかな。あれは、家族みんなで見ていたような気がします。その流れからすると、土曜日だったかの「キーハンター」は見てはいけない方だったような気がする。でも、そのうちOKになったかな。いや、なかなかお許しが出なかったというのか、母が千葉真一さんとか、好きではなかったというだけの理由かな……?

 大人の世界を教えてくれた「泣いてたまるか」って、どんな主題歌でしたっけ? 

 ♬空が泣いたら雨になる、山が泣くときゃ水が出る(ちかごろずっと山は泣いてますね。空も泣いてるんだ。)

 という感じで始まって、最後の「泣いてたまるかよー、オーオー」と歌われるのを聞いて、何だかオトナって、しんどい世界なんだというのをうっすらと思ってたような気がします。

 小学校の4年生くらいかな。当時好きだったのは、クレージーキャッツでした。たったの三ケ月「ドカン一発」(1968.10~1969.1)というドラマがあったみたいで、これでクレージーキッャツが大好きになりました。

 映画でも、よくクレージーのみなさんがやってた会社を舞台にした劇でしたけど、映画は植木等さんが「パーッいってみよう」という形でしたけど、こちらはハナ肇さんが社長で、他のメンバーが社員だったそうです。ということは、グルーブそのものを劇にしたみたいで、何も憶えてないけど、「おもしろい」世界に見えました。

 ああいう仲間がいる会社に入り、ボクみたいな者でもおもしろおかしくやれそうな、当時はそんなことは思わなかっただろうけど、魅力的な世界があったのは確かでした。何人かの中まで面白おかしくやる、というのはボクの理想だったのかもしれません。

 それからしばらくしたら、「ゲバゲバ90分」(日テレ?)という番組もできたから、世の中を楽しく生きようよという人たちの存在は頼もしかった気がします。

 中学に入るということは、決まりがあったり、いろいろとシンドイことだけど、その先には、何かおもしろいことを爆発させてもいい世界があるような、ないような、とにかく希望は見えて来そうでした。具体的なプランは何もなかったけれど。



 小学校、中学校、高校とずっとクレージーキャッツ的なものにあこがれていた時代がありました。

 植木等さんは三重県出身の方でした。お父さんはお寺の住職さんで、植木さんはお父さんのこと本に書いておられて、その父上は植木さんと同じような型破りな人ではありました。でも、植木さんは根はものすごく真面目な人なのに、画面の中ではオチャラケた人を演じなくてはいけませんでした。現実と虚像とのギャップ、しんどいこともあったでしょうね。でも、仕事だから、ちゃんと演じ分けておられたのでしょう。

 ボクは、基本は真面目になりたい人でしたけど、根本がグータラでいい加減なので、とても植木等さん的なお笑いをまわりの人に提供できてなかったと思うんですけど、せめて桜井センリさんくらいになれてなかったかな?

 そして、今は、バンドは解散して、それぞれが自分たちの持ち場で、自分なりの生き方を求めて、細々と暮らしているというところでしょうか。もちろん、コロナにビクピクしながら、自分の体にガタがきてるのをごまかしつつやっているというところかな。



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