
テレビを見ていました。
北海道の斜里川。知床半島につながる斜里岳の伏流水が湧き出て、それが55km旅をしてオホーツク海に流れ込むということでした。
水温がずっと12度くらいだそうで、とても冷たいそうです。だから、生きられるサカナはヤマメとあと二種類くらいだそうです。
上流に暮らすヤマメは、上に行けば行くほど落ちてくる虫も多いという話で、同じ年に生まれたサカナにとっても、位置取りが大切で、上に縄張りを持てたサカナだけがどんどん肥え太ることになってしまうそうです。
そうなると、同級生とはいっても、どんどん体格差ができて、淀みに育ち損ねた小さいサカナが取り残されてしまいます。そうこうするうちに歳月は過ぎて、小さいままのサカナたちは、仕方なく海に出るために、河口あたりで銀色に光る体に変化し、エラやヒレなど、海で暮らす体に変化してしまいます。
小さい体のヤマメたちは集団で海へ飛び出してしまう。それから何年かして、巨大化できたサカナだけが、ふるさとの川に戻り、自分たちが生まれた上流をめざしていく。ヤマメの三倍くらいの大きさになったサクラマスは、実は川では敗北者として、追い出されていったヤマメたちの生き残りでした。
サクラマスになれたものはほんの一部であり、海で生きていくうちに、命を落としたヤマメたちもいたことでしょう。
でも、とにかくふるさとに帰ってきた!
とはいうものの、川には、滝があったり、いろいろと苦労をして、卵を産むのに最適な場所で、最適な相手を見つけて、子孫を残す作業をして、それからすぐに死んでしまいます。
故郷に凱旋したときには、すでに死ぬことが決まっていて、子孫を残したと確認したら、死んでしまうなんて、生き物のさだめとはいえ、何ともかなしいものがありました。
生き物は、自分が暮らすのに最適な場所を求めて、あちらこちら旅をするものである。
旅の終わりは、ふるさとに帰り、そして、死んでいくものである。
ただのサカナの話ではなくて、人間も同じように生きていくものなのだと思いました。

ヤマメは今朝のテレビでした。カニは昨日のテレビだったかな。
場所はどこだったか。そう、房総半島の東側、太平洋に面した夷隅町の夷隅川の河口でした。そこに二つの潟湖があって、当然潮の干満の影響を受け、満ちたり引いたりしている。潮が引いた時、それこそカニたちの天国で、一斉にお食事をしているようでした。
大きなカニと小さなカニ。小さいカニはコメツキガニというそうです。ずっと砂粒を食べ続け、いらないものは団子にしてきれいに出していて、カニのまわりにたくさんの小さな団子ができていました。
気が向いたら、女の子に手を出すし、食欲と性欲と自己保存のために懸命に生きていました。しばらくしたら潮は満ちてくるし、トリたちに食べられないようにしながら、ひたすら身のまわりで活動していました。
ああ、ここにも生き物の営みがあります。カニたちは広い海がすぐそばにあるのに、そんなことは一切考えないで、ひたすら目の前の砂と危険とパートナーとに向き合うだけです。川を旅してみたいとか、海とはなんだ。この水はどこから来るんだ。そんなことは考えない。
生き物は、ひたすら地元にこだわり、そこでずっと住み続けるものもいる。
これは人間も同じで、広い世界というものがあると聞くが、それは自分とは関係ないし、ただ目の前のことだけをコツコツこなしていく。それが自分の有り様なのだと、考えもしないで、ただ打ち込むこと。そういうのもありなのです。
生きる場所を求めて、旅する生き物と、ひたすら生まれた場所で生きようとする生き物。
自分はどっちなんだろう。その中間みたいなものかな。時々旅して、たいていは地元でヒーコラ言っています。
そんなつまらないことを考えました。いつも適当なペイントでお恥ずかしい。