
今年は、いつもより紅葉を意識しました。昨年の晩秋よりはじめたブログに、下手くそ写真を載せようと思ったからです。でも、たいした写真は撮れず、その後ろの青い空を見上げたり、不思議な雲の形にびっくりしたり、じっくりと紅葉に向き合うことができてなかったのかもしれません。
木の前に三脚を立て、じっと何かを待っているオジサンたちをたまに見かけます。少しだけ気になって、何を撮ろうとしているのか、何を待っているのか、よくわからないまま、その疑問をぶつけることもせず、変なオジサンだなで片付けて、無関心を装う時があります。
あれは、きっと何かのこだわりがあって、光や風の具合などをじっと待っておられたのかもしれないです。知りたければ、訊けばいいのです。でも、私は訊かなくて、ただ、そばを通り過ぎるだけでした。
だから、いい写真がとれないのかもしれません。いつもでたとこ勝負だし、構図も関係なく、光も関係なく、とりあえず撮るだけですから……。人に聞こうとしないのが私の悪いところです。いつも独善的で、独りよがりです。このままでは将来が不安です。もっと人に訊けるオトナにならなくちゃ!
……芸濃町の小学校のいちょうでした。
……滋賀県立近代美術館の西洋カエデでした。葉っぱが大きかった。
……落ち葉もきれいでした。
……まだ紅葉しきっていないカエデのみどりを道行く人たちは見上げていました。
……今月初めの日曜日、三重県の高校駅伝の大会沿道の赤い実でした。
……最近注目している公孫樹の木です。もう1つ注目している大きな木がありますが、これはまだ黄葉が始まったばかりです。来週くらいがピークかもしれないので、来週撮りに行きましょう。
……大阪の実家の近所にある公園の野良猫と落ち葉です。
……何という木なのか、とにかく虫食いがおもしろいので撮りました。
……多気町の丹生大師前の桜はすでに裸ん坊でした。
……同じく丹生大師の門をくぐった先の紅葉を白黒で撮りました。
……同じ多気町内で見つけた栗の木の紅葉でした。
振り返ってみると、奈良にも、大阪の万博公園にも行きましたが、これぞ紅葉という写真を撮っていませんでした。向き合ってなかったんですね。それなりに感動して見ていたはずなのに、これを写真に取り込むのだという意欲がなかった。
★ 12月もあと少しだけチャンスがあると思うので、素敵な紅葉写真を撮ろうと思います。
さて、昨日は、ちょっと事情があって、小さな生き物たちを撮ったものを載せようとしていました。でも、グーさんからメールが来ていたので、それをそのまま利用して、すぐ寝てしまいました。
だから、今日改めて書いておきます。

妻がオケラをつかまえて持って来ました。早速私は写真に撮って、久しぶりに見たオケラくんを空の水槽に入れて、観察してみました。小学校の頃、土管の転がった市営住宅の裏庭で、石ころをひっくり返すとよく見つかりました。大きな石の下にはオケラの迷宮があって、その迷路をウロチョロするオケラくんには感心したものでした。だから、見つけたらそれでおしまいで、とにかくつかまえて、おなかのプニョプニョしている感触を味わい、逃がしてあげるのです。
というのも、すべての石ころの下にいるわけではないので、だれがどんな大きなヤツを見つけるのか、そこに競技性があったのでしよう。特に鑑賞するほどの虫ではないので、見つけて触って、少し自慢して、顔のかわいらしさを感じたら、それでおしまい。かわいらしい遊びでした。それで、ウチは、奥さんのお花畑を荒らす乱暴者かもしれないけれど、せっかくウチの庭に生きている虫だから、そのままその辺に放してしまいました。
まあ、せいぜい鳴き声を聞かせてくれたら、多少の悪さは許してあげようというところでしょうか。

クマゼミが西日本のセミだというのは最近知りました。夏には「ああ、クマゼミが鳴いている」と聞き分けられたのに、もう秋の私は、何がクマゼミやら、アブラゼミやら忘れてしまいました。またシーズンになれば、思い出せるかもしれないけれど、もう少し虫たちの鳴き声にも敏感になりたいです。どんな鳴き声だったやら……。
この写真は、西日本の最東端の静岡県の岳南鉄道を旅したときにみつけた、すごくゆっくりした動かないクマゼミでした。たぶん、もう鳴き疲れて元気がなかったのかもしれません。富士山は見えないけれど、ゆったりとした、それほど観光地というのではないけれど、しんみりと観光した十数キロの私鉄でした。
今となっては、いい思い出だし、寒いシーズンに、今度は泊まりで遊びに行きたいところです。もうクマゼミはいないだろうけど、焼きそば食べたり、浅間神社にお参りしたりしてみたいです。この冬の18切符で行ってみましょうかね。

大きなアオムシくんでした。毛虫は殺虫剤や、下に落として踏みつぶすとかするんですが、アオムシ君にはウチは寛容で、山椒の木も食べ尽くされ、ジューンベリーも食べられ、レモンは実をつけたことがなく十年ほど経ちますが、これも食べさせたりしています。
別にチョウを育てたいのではなくて、ただの放任主義なだけですけど、虫にやさしい庭になっています。このアオムシくんも立派な蝶になってくれたかな。恩返ししてくれてもいいのだけれど、無理ですね。いや、この姿を見せてもらえるだけで、十分有り難いのかもしれない。
というわけで、夏の虫に関する無駄書きでした。失礼しました。
木の前に三脚を立て、じっと何かを待っているオジサンたちをたまに見かけます。少しだけ気になって、何を撮ろうとしているのか、何を待っているのか、よくわからないまま、その疑問をぶつけることもせず、変なオジサンだなで片付けて、無関心を装う時があります。
あれは、きっと何かのこだわりがあって、光や風の具合などをじっと待っておられたのかもしれないです。知りたければ、訊けばいいのです。でも、私は訊かなくて、ただ、そばを通り過ぎるだけでした。
だから、いい写真がとれないのかもしれません。いつもでたとこ勝負だし、構図も関係なく、光も関係なく、とりあえず撮るだけですから……。人に聞こうとしないのが私の悪いところです。いつも独善的で、独りよがりです。このままでは将来が不安です。もっと人に訊けるオトナにならなくちゃ!











振り返ってみると、奈良にも、大阪の万博公園にも行きましたが、これぞ紅葉という写真を撮っていませんでした。向き合ってなかったんですね。それなりに感動して見ていたはずなのに、これを写真に取り込むのだという意欲がなかった。
★ 12月もあと少しだけチャンスがあると思うので、素敵な紅葉写真を撮ろうと思います。
さて、昨日は、ちょっと事情があって、小さな生き物たちを撮ったものを載せようとしていました。でも、グーさんからメールが来ていたので、それをそのまま利用して、すぐ寝てしまいました。
だから、今日改めて書いておきます。

妻がオケラをつかまえて持って来ました。早速私は写真に撮って、久しぶりに見たオケラくんを空の水槽に入れて、観察してみました。小学校の頃、土管の転がった市営住宅の裏庭で、石ころをひっくり返すとよく見つかりました。大きな石の下にはオケラの迷宮があって、その迷路をウロチョロするオケラくんには感心したものでした。だから、見つけたらそれでおしまいで、とにかくつかまえて、おなかのプニョプニョしている感触を味わい、逃がしてあげるのです。
というのも、すべての石ころの下にいるわけではないので、だれがどんな大きなヤツを見つけるのか、そこに競技性があったのでしよう。特に鑑賞するほどの虫ではないので、見つけて触って、少し自慢して、顔のかわいらしさを感じたら、それでおしまい。かわいらしい遊びでした。それで、ウチは、奥さんのお花畑を荒らす乱暴者かもしれないけれど、せっかくウチの庭に生きている虫だから、そのままその辺に放してしまいました。
まあ、せいぜい鳴き声を聞かせてくれたら、多少の悪さは許してあげようというところでしょうか。

クマゼミが西日本のセミだというのは最近知りました。夏には「ああ、クマゼミが鳴いている」と聞き分けられたのに、もう秋の私は、何がクマゼミやら、アブラゼミやら忘れてしまいました。またシーズンになれば、思い出せるかもしれないけれど、もう少し虫たちの鳴き声にも敏感になりたいです。どんな鳴き声だったやら……。
この写真は、西日本の最東端の静岡県の岳南鉄道を旅したときにみつけた、すごくゆっくりした動かないクマゼミでした。たぶん、もう鳴き疲れて元気がなかったのかもしれません。富士山は見えないけれど、ゆったりとした、それほど観光地というのではないけれど、しんみりと観光した十数キロの私鉄でした。
今となっては、いい思い出だし、寒いシーズンに、今度は泊まりで遊びに行きたいところです。もうクマゼミはいないだろうけど、焼きそば食べたり、浅間神社にお参りしたりしてみたいです。この冬の18切符で行ってみましょうかね。

大きなアオムシくんでした。毛虫は殺虫剤や、下に落として踏みつぶすとかするんですが、アオムシ君にはウチは寛容で、山椒の木も食べ尽くされ、ジューンベリーも食べられ、レモンは実をつけたことがなく十年ほど経ちますが、これも食べさせたりしています。
別にチョウを育てたいのではなくて、ただの放任主義なだけですけど、虫にやさしい庭になっています。このアオムシくんも立派な蝶になってくれたかな。恩返ししてくれてもいいのだけれど、無理ですね。いや、この姿を見せてもらえるだけで、十分有り難いのかもしれない。
というわけで、夏の虫に関する無駄書きでした。失礼しました。