先週、大阪の実家に行き、姪っ子の赤ちゃんに会って来ました。いやぁ、ビックリしました。かわいいのは当たり前なんですけど、それを口に出して言えないのが私であって(どうしてなんだよ!)、ただ、もう泣けそうなしあわせ感をヒシヒシと味わっていました。どんな美辞麗句も意味はないし、ひたすら面倒を見る。ずっとそばにいる。それが私の赤ちゃんへの接し方でしたか。もっと大人の接し方ができればいいのになあ。そんなことしかできないとは!
もっとやたら話しかけて、やたら感激してみせる、みたいなのができないものかなあ。反応が薄いのが私です。手も握ってみたんですけどね。
少しくらい、「かわいいね」「よかったね」とか、あれこれと声をかけられたらいいのに、それがまあ親戚づきあいというものなんだろうけど、なかなか言葉になりませんでした。
「オジさんも抱っこしてみる?」
そう言われて、拒否する理由はないから、膝の上に預かりました。そして、ほんの数キロの命の重さを感じました。お米の五キロと変わりはないし、お米なんてわざわざ膝の上にのせたりもしないけれど、温かみといのちとそこにある存在感は、ものすごい重みを感じました。あぐらをかいていたのに、落ち着かなくて、膝も自分自身も両手もあれこれ使って支えていました。もちろん緊張したのでしょう。何十年ぶりの赤ちゃんの重さでした。たまにだったらいいけど、ずっとだったら大変です。
たぶん、姪っ子も甥っ子も、あぐらの上の膝にのせたことはなかったと思います。そんなの弟のお嫁さんに気が引けて、とてもさせてもらえるどころではなかった。やはり、姪っ子が「オジさん」と指名してくれたおかげで、どうにか赤ちゃんを支える役割をほんの数分だけど担わせてもらえました。ありがたかった。
うちの子は、赤ちゃんの時、本当によく夜泣きをする子でした。それを思い出しました。夜中の一時だろうが、二時であろうが、「早く何とかして」と大泣きしたものでした。アパート暮らしの私たちは、仕方がないから、よしよしと泣き止むまでこちらも起きてお世話しなくてはいけなかった。眠いし、いつまでよしよししなきゃいけないのか、フラフラになりましたね。とても懐かしい。あの気分をほんの少し、姪っ子の赤ちゃんは思い出させてくれました。
赤ちゃんは、これから大きくならなくちゃいけないし、保育園にも行かなきゃいけない。お遊戯も覚えなきゃいけないし、お友だちと仲良くしなきゃいけない。でも、姪っ子の赤ちゃんだから、上手に乗り切っていくんだろうな。
小学校は? 英語も習うし、楽器も演奏しなきゃいけない。笛なんて、大変だぞ。放課後に残されたりするぞ!(私は笛が吹けなくて、悲しい思いをしましたねえ) 給食で食べられなかったら、ひとり教室に残されて泣き泣き食べるぞ!(文字なのか記号なのかが書き込まれたブタ肉は悪魔の食材でした) 男の先生にひっぱたかれたり、ケンカして相手にケガさせたんじゃないか? 相手は大ケガしたんじゃないかと、夜も眠れなくなったりするぞ! いや、きっと姪っ子の赤ちゃんはタフに生きていけるでしょう。姪っ子もダンナさんも、ちゃんと見守っていけるでしょう。
中学校は、勉強が覆いかぶさってくるぞ! 高校は、進学プレッシャーとかあるんじゃないの? いやぁ、姪っ子は、そんなに悩まず、やりたいことを見つけて、そのための学校へ行き、なりたいお仕事に就いたぞ。彼女はズンズン行ってしまう人だった。赤ちゃんも、大丈夫な気がする。タフな姪っ子でしたね。明るいキャラですもんね。
社会に出たら、姪っ子は社会に出て数年しか経ってないけど、したたかに生きているから、たぶん赤ちゃんも大丈夫な気がする。
私は、何だかうまくいかない人生をヨタヨタ歩いてきました。ちっともタフじゃなかった。そしてオッサンだから、保育園も、学校にも行かなくていいんだけれど、私は私として、どんな生き方ができるのか? ああ、赤ちゃんは希望と可能性に満ちあふれているのに、私には希望と可能性はあるんだろうか。
ないかもしれないけど、あるかもしれない。そうなんだよな。私次第なんだよな。姪っ子の赤ちゃんもビックリするくらいの、おもしろい人生を歩めたらいいのになあ。いや、コツコツと地味で、パッとしないけど変な人生、みたいなのをやっていくしかないのです。そうします! 明日から、早速実践しなくちゃ! 言葉としては伝わらないけど、私のおもしろさを伝えられるようにせいぜい努力しなくちゃ!