昔、お金のない学生時代、普通列車に乗ってあちらこちら移動することがありました。
塩尻駅で20時を過ぎて、これからどこへ行くというのでしょう?
1973年版の時刻表で見てみると、長野を18:28分発、松本は20:50分発、塩尻は21:52発でそのまま新宿(4:23am着)まで走る普通列車がありました。これの下り線にも乗ったことがありますけど、上り線を利用して東京方面の高尾まで行ったんでした。たぶん、1978年も同じような電車は走っていたと思われます。
のん気な時代がありました。というか、それが当たり前で、駅にはそういう人たちが並ばされるスペースがありました。新宿駅の構内にも、ただの普通列車なのに23:55発の長野行きはお勤め帰りの人たちが忙しそうに行ったり来たりする中で、悠然と行列になっているあらくれ者たちがいるあたり、あそこだけ空気が違っていました。大抵は山登りの人たちで、大きな荷物を抱えて、お酒飲んだり、騒いでたりしてたでしょうか。遠目に見ていたから、よくはわからなかったけれど。
一度だけ行列に並んで夜行の長野行きに新宿から乗ったこともありました。あれは、たぶん、辰野あたりに出て、飯田線を完乗するため、朝の始発に乗ったんでした。そのため、辰野は6:51着だったのかなあ。
確か、大阪駅にも、北側のあまり人が立ち寄らないスペースに、夜行列車に乗る人たち用の行列スペースがあった、ような気がしたけれど、そこには用事がなくて、気づいた時にはもうなくなっていました。昔は、安い料金で夜行に乗って目的地に行く、というのも一つの方法として存在していました。それがやがて急行が廃止され、新幹線ばかリが大事にされ、線路網は寸断され、夜行列車は定期的なものは廃止されてしまいました。豪華な寝台列車は存在するようですが、昔から豪華な旅行とは縁のなかった私は、昔も今も、そういうのはお断りです。
大阪から前の日のお昼くらいから右往左往して、今やっと夜の塩尻駅にいます。新宿行きに乗ったら、今回の乗り継ぎの旅は終わるようです。
何度乗り換えたろうか、全部で六回乗り継いできた。昨日はまだ琵琶湖の岸をめぐっていたのではなかったろうか。
いろいろな過去への思いがあるし、これからの思い悩みもあるけれど、とにかくもう、ここまで来れば、もう電車に乗るのも終わりという踏ん切りがある。
浮ついた気分は、今、目が覚めている間だけさ。明日、目覚めたら、新たな未来ある出発をとげねばならぬ。
電車が行ったり来たりして、何だか移りゆくこの世みたいな気がする。
1978年の私は、旅をしているにもかかわらず、何だかスキッとしていなくて、どんよりとした気分でいる。たぶん、夏休みが終わるユーウツもあったんでしょう。旅していても、旅先で何かをするというのではなくて、ただ電車をとっかえひっかえしつつ、ボンヤリと乗っているだけだったみたいです。
せっかく通り過ぎた町なのに、そこで何かを見ようという気持ちはなかったんですね。というか、そんなことをしたことがなかったんでしょう。駅は電車を待つところであり、電車はただ乗って移動するだけだった。
その移動を、おもしろおかしくする工夫はなかったし、この電車に乗りたいとか、写真を撮るとか、一切やらなかったのです。ただ乗って、降りる。唯一楽しんだのは、万博キッズだった私の宿命である駅スタンプだったのです。
ノートにまとまりのないことを書いたまま、新宿行きの夜行列車では、何をしていたんだか。ひたすら寝ようと努力していたんだろうな。