国内がうまく行かないと、人気などが低迷すると、よその国とのトラブルを起こしたり、外交交渉をしてみたり、今の世の中の見せなきゃいけない政治って、嫌になってしまいます。もっと誠実で、ささやかで、わかりやすい政治をするなんて、そんなのかつてあったんだろうか。
わかりやすくて、よく見えてしまったら、政治家の魂胆が見えてしまうから、大抵の政治家というのは、知らない間に、自分たちが決めたことを決定していく。これが当たり前でしたね。
でも、今の世の中は、それではいけないと思うんだけど、国民のみなさんに「万歳(ウラー)」を強要する国って、今もあるんですね。情けない映像を最近見てしまったなあ。あんなのを見て、国民のみなさんは怒らないんだろうか。わからないですけど、またいつか爆発しますか。ちょうど百年前にも爆発したんですもんね。いつか爆発するかな?
そういう内政と外政の兼ね合いについてなんだと思います。171段の後半に載っています。
万(よろず)のこと、外(ほか)に向きて求むべからず。
すべてのことは、外部に向かって求めてはならない。その通りです。私たちは、どんな時でも外側に理由も、結果も、目標も設定してはならない。私たちは、自分を見つめて、そこに立つしかないのです。
ただ、ここもとを正しくすべし。
ただ身近な手もとを正しくしなければならない。さっきの反対ですね。外にあれこれ求めてはいけない、ということなんだから、手元・足もと・おひざ元を見なくちゃいけない。そこに私たちは立っています。
清献公(せいけんこう)が言葉に、「好事(こうじ)を行(ぎょう)じて、前程(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。
万(よろず)のこと、外(ほか)に向きて求むべからず。
すべてのことは、外部に向かって求めてはならない。その通りです。私たちは、どんな時でも外側に理由も、結果も、目標も設定してはならない。私たちは、自分を見つめて、そこに立つしかないのです。
ただ、ここもとを正しくすべし。
ただ身近な手もとを正しくしなければならない。さっきの反対ですね。外にあれこれ求めてはいけない、ということなんだから、手元・足もと・おひざ元を見なくちゃいけない。そこに私たちは立っています。
清献公(せいけんこう)が言葉に、「好事(こうじ)を行(ぎょう)じて、前程(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。
中国の清献公(中国、宋の趙抃のこと。徳行の政治家)の言葉に、「ただ現在、善事を行って、将来どうなるかを問題にしてはならない」と言っている。
これはすごいイベントですよ。将来、これから先、どれだけ社会は発展することか、素敵なイベントで経済が活性化しますよ。なんていう人が、関西の方にいましたっけ。でも、頼みのイベントもズッコケそうで、政府に泣きを入れたとかどうとか。政府も、それではバックアップしましょうだなんて、どこかで駆け引きがあったかもしれないけど、「いいことだから・活性化するから・みんなのために」なんて、これほど当てにならないことはないですね。
世を保たん道もかくや侍(はべ)らん。
天下を治める道も、これと同じことであろうか。その通りですよ。世の中、イベントやビッグプロジェクトって、大きなお金が動く時って、とんでもない裏でのたくらみがあって、大抵それはよくないことです。
東京オリンピックもひどかった。新幹線が札幌に行ったり、北陸新幹線が大阪まで伸びるとか、リニアは工事中とか、立派なものはたくさん作られますが、そんなのに乗るのは何年かに一度、もしくは一生乗らないのです。でも、作られていく。かわりに、かつて人々が利用した基本的なものは破壊され、廃止され、人々はそこから排除される。
これは、人々のためではなくて、誰かのためにやっているのです。新幹線をこんなに広げろと、誰が言ったんだろう。石川県の友人は、新幹線ができても、飛行機で東京に移動したりしています。便利でお金が変わらなければ、立派な北陸新幹線もムダだったでしょうね。
内を慎まず、軽く、ほしきままにしてみだりなれば、遠き国必ず叛(そむ)く時、はじめて謀(はかりごと)を求む。
内政を慎重にせず、軽率で気ままで、でたらめであると、遠い国が必ずそむくのであり、そのとき初めて対策を求めることになる。
内を慎まず、軽く、ほしきままにしてみだりなれば、遠き国必ず叛(そむ)く時、はじめて謀(はかりごと)を求む。
内政を慎重にせず、軽率で気ままで、でたらめであると、遠い国が必ずそむくのであり、そのとき初めて対策を求めることになる。
いい加減な政治が続けば、よその国がちょっかいを出してくる、ということをそのまま受け取れば、私どもの国では、よそから干渉されたり、ミサイルを飛ばされたり、貿易問題になったり、いろいろなトラブルが起きるでしょうね。まあ、今もあれこれと起きていますね。
「風に当り、湿(しつ)に臥(ふ)して、病(やまい)を神霊(しんれい)に訴(うた)ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるがごとし。
「風に当たったり、湿ったところに寝ておきながら、病気の平癒を神に訴えるのは、愚かな人である」と、医書が言っているのと同様である。
「風に当り、湿(しつ)に臥(ふ)して、病(やまい)を神霊(しんれい)に訴(うた)ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるがごとし。
「風に当たったり、湿ったところに寝ておきながら、病気の平癒を神に訴えるのは、愚かな人である」と、医書が言っているのと同様である。
確かに不養生なのに、自らの病気の治癒を神頼みしているとしたら、本末転倒、もとがまちがっている。病気にならないためには、用心して、養生して、国家としては隙を作ってはならない。でも、それが軍備の拡大をしていいという理屈にもならないと思われます。まず内政の充実です。
目の前なる人の愁(うれえ)をやめ、恵みをほどこし、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。
目の前にいる人の心配をなくし、恩恵をほどこし、政道を正しくすれば、その感化は遠方にまで流れひろまるであろうことを知らないのである。
目の前なる人の愁(うれえ)をやめ、恵みをほどこし、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。
目の前にいる人の心配をなくし、恩恵をほどこし、政道を正しくすれば、その感化は遠方にまで流れひろまるであろうことを知らないのである。
これは、何だか理想というのか、そんなことができる人が今の世の中にいるのか、私には信じられません。そもそも政治家って、人々を出し抜いてやろうとか、エリートになろうとか、いかにして利益を得てやろうかとか、誇大妄想の人がなるんじゃなかった? その考えはまちがってたか?
禹(う)の行きて三苗(さんびょう)を征せしも、師(いくさ)を班(かえ)して、徳を敷くにはしかざりき。
禹という古代中国の政治家です。この人が国を出ていって、苗族を征伐したということがあったそうです。けれども、侵略された立場の苗族(ミャオ族)の人たちは抵抗した。まあ、当然のことです。
ところが、禹が軍隊を引き返して、国内で徳政(人々のためになる政治)を行うと、以前には反抗していた苗族の人々が禹に従ったという故事があって、結局は上からの制圧ではなくて、人々のためになることを行なうしか、人々から信頼される道はない、そういうことになります。
この理屈、今の政治家たちに通じるかなあ。みんな自分のことしか考えてないよね。そこが辛いなあ。私たちには見えてるから、選挙に行く気が起こらないんです。でも、私は行きますけどね。