この夏、彼女の実家に行って、大事な宝物はないのかあれやこれやと探していて、お父さんの日記を見つけて、もらってきました。
うちの奥さんが生まれる時のことを丁寧に書いておられたんです。
十二月七日
予定日も明日になり、二時間目に電話が来る。はっとして電話口に。中学校よりで安心する。明日というのに、いまだ何らの連絡とてなきことでもあれば、何となく延びそうだ。一日一日待つこと幾日であろうか。学芸会を一週間前に控え、そこらと同時になるんではないかと、それのみ心配になる。
こんなことを言ってもしかたのないこと、元気で安産してくれと願う。
彼女のお父さんは、小学校で先生をされていました。学校のお仕事も気にはなるけれど、二番目の子どもがどんな風に目の前に現れて来るのか、ハラハラドキドキでまっておられたんですね。
七日の記述はまだ続きます。
明日は予定日、どんな便りが来るであろうか。一日一日が心配である。いつでも付き添いに行ける準備を早速取る必要がある。このことを母に話をする。
今夜も安らかに眠るようにと願いつつペンを置く。
うちの奥さんはまだ生まれないはずですけど、お父さん、明日はいかがでしたか?
十二月八日(あれ、この日だけはエンピツ書きですけど?)
太平洋戦争開戦記念日
本日は、こうした記念日、そして家内の予定日、
電話連絡のないところから、今日は何もなく過ごしたように思う。
帰宅後、子供の名についていろいろと話し合う。
なかなかよい名が生まれてこない。
知ってる私が、お父さんの気持ちを察しようとしても、それは何だかずるいことです。
お父さんは、もう今日か、明日なのか、元気で生まれてくれるのか、それはいつなのか、答えが得られないまま、焦っても仕方がないけれど、それでも、早く子どもの顔を見たい。だから、とりあえず今を耐え忍ぶ。いろいろ思うけれども、いいアイデアが生まれない。
すべては、うちの奥さんが生まれないことには、お父さんの悶々とした時間は終わらないのでした。
明日も、お父さんと一緒に、うちの奥さんが生まれるのを待ちたいと思います。それにしても、感動的です。親って、こんな思い、悩み、気持ちを抱えながら仕事をしていたんですね。彼女のお母さんは、子どもに訊くしかなくて、まだ出て来たいとは言ってくれなかったようです。
私は、うちの子が生まれる時の日記、ちゃんと書いていたのかどうか、書いたと思うけれど、見るのが怖くて、ずっと見てないですね。でも、ヤキモキはしたと思うんだけど、今でもうちの奥さんはその時のことを思い出すと、簡単にプンプンになれるんですけど、私がいけなかったですね。ああ、反省の日々です。