今日は寒かったけれど、それでも日ざしは光の春でした。
この前、奈良に出かけた時も(コロナ禍になってから、奥さんと遠出するということがなくなりました。何だかなあですけど、仕方ないか……)、光はよく届いていました。花粉もあと少し、いや、もう飛び出ていたのかも……。
海なし県の奈良の町に行き、そこで美術館のハコの中に入り、「うーん、海だねえ。実に細やかに波を描いてるなあ。確か、東山魁夷さんがこんなの描いてたけど、不染鉄さんの方が年上かもしれない……。」みんな、伝統的な日本画の手法で海に挑戦したのですね。
でも、不染さんは漁師も体験した異色の画家だから、その描く波は、何だかとても深いし、細やかだし、私たちに届く波動を持っていました。
図録から借りてきました。
ああ、孤独な舟、それでもみんな自分の生活を求めて海に漕ぎ出していく。不染さんは、実家のお寺にはいられなくなって、そこで収まるようなキャラじゃなかったんでしょう。伊豆大島に行きます。
そんな人の描く海を見て、私はどうしたらいいんだろう。
北海道の余市の海も、
尾鷲湾の海も、
室蘭の地球岬の海も、
青森の港の海も、
私がペイントで塗りたくった海も、
三重県の紀北町の古里海岸という海水浴場も、
ものすごく昔に描いた和歌山の海も、
古い絵ハガキの、熊野市の獅子岩の前に広がる海も、
三重県の南の阿田和という町の海も、
私なりに、海をつかまえようって無駄な努力の積み重ねでしたけど、これからずっと続けていくでしょうけど、海なのです。つかみどころのない広い世界なのです。
私なりのアプローチでやっていくしかないし、時間をかけて、つかまえようとしなくちゃいけない、そう思います。
奈良に出かけたのに、美術館でじっくり見たら、もう帰りたくなったものでした。翌日のお仕事もあるし、もう十分満足したんだと思います。