図録から、文章を借りてきます。
終戦の少し前の事である。日本は軍艦、大きな船はもうない。南の島々にはうえ死寸前の兵隊がたくさんいる。未教育の鉄砲を持つことも知らない農業の人、商人、サラリーマン、にわかに徴用。鉄砲も軍刀もない。もう皮はないから真田ひもをしめる木綿の服。
前夜各民家へ分宿。どこの家でも奥さんお嬢さんが歓待。お酒にお菓子。おふろ。蓄音機をならしてなぐさめる。翌朝皆見送る。
芝浦から出帆。中央に隊長以下十二、三人のほんものの軍人。軍服に軍刀、敬礼。船首、船尾、丸い窓には、刀もない素人の人々、顔々々。手をふる。勇ましいような泣くような楽隊。舟も海もはじめての人もあるだろ。誰も帰ってこなかったと申します。
まさにそうなのです。みんな帰ってこなかったのでした。華々しく出て行ったのかもしれないけど、みんな帰れなかった。どうして南の島々へ行くことになったんだろう。誰がそんなことを決めたんだろう。
続きもあります。
世にも恐ろしい鬼のいる地獄へ。いとしの子どもたちを丸はだかで送るのである。かききれない。これはもっと大きく、くわしく書けます。
涙でかくといいけど。描きたいものお話したいことがたくさんゆえ。
今朝雨があがる。花をかきたい。木や人をかきたい。思い出を話したい。仕合わせであふれてくる。これから外を歩きに眺めに出かけます。
このハガキは、1966年の3月8日の日付があるそうです。出征の兵士たちを乗せた船を描いた。そして、そのあと、廃船という作品を描くことになるようです。
船は、不染鉄さんの秘密にはなっているようです。船を描くことで、過去につながっていき、伊豆大島で三年間漁師さんとして暮らした記憶にもつながり、58歳で終戦を迎え、たくさんの若者たちが消えていった反省にもつながったことでしょう。大島での船はリアルな船。兵士たちを乗せた船は、現実感のない、とても虚しい船だったことでしょう。
同じ船でも、取り返しのつかない、みんなが心に追うべき後悔の船で、それは実際に目にしたものか、見聞きした話であったのか。
それを1966年に誰かに描いて送らねばならない気持ちの不染鉄さんだったようです。