甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

家柄政治家を選ぶアジアの人々 それは私たちです。

2014年06月04日 22時05分34秒 | 戦争と平和
 パク・クネ大統領は、窮地に追い込まれているということです。中高年の70%の支持によって今の地位を得た彼女ですが、日本批判を繰り返し、南北対話を拒み、中国に接近してビジネスチャンスを得ようとし、財界を優遇して経済最優先の政治を行っていたのでしょう。

 ところが、経済性を優先するあまり安全性はないがしろにし、日本拒否の姿勢を示さなければならないので(中国と仲良くやっていければ、日本と付き合うメリットを感じなかったのでしよう)、竹島・靖国・慰安婦問題など、あれこれとネタはいっぱいあるので、とにかく日本の方向性は韓国にとっては良くない方向にあると決めつけて(そういうトップのかたくなな思い込みって、あまりよい結果にならないことが多いです)、「私は日本を糾弾する」とコメントすれば、国民は文句も言わずについてくると思っていたのでしょう。〈ひょっとしたら、そうなのかな? まさかね……〉

 そうではないのです。そんな内向きで、威張ったポーズの外交はいらないのです。すぐ近くにある国同士、お互いに助け合い、人の交流を密に行って、どんどん関係を深めていかなければならない。目ざす方向は同じなのだから、違いを認め合い、過去の歴史を共有しながら、お互いの関係があるのを常に見直しながら、お互いの発展を考えていかなければならないのです。

 一時期のように、日本経済の下請けの韓国ではないのです。どっちが上とか下とか関係なくて、お互いをよきパートナーとして高め合わなければならない運命にあるのです。それなのに、彼女の方向性は明らかに間違っていました。しょぼくれた三重県のオッサンにでもわかることなのに、彼女はあえてそれをしなかった。

 だから、テレビ会見で、全く自分とは関係のないフェリー事故のことを謝罪するお芝居をしなければならなくなったのです。たぶん、彼女は方針転換などできないので、たぶん次の誰かに変わるまで同じように失政を重ねていくのでしょう。日本の安部さんよりも退くのは早いかもしれない。

 中国の習近平さんは、そのデビュー前から、次のホープとして大事に育てられてきたエースだと思っていました。大きな体、しわくちゃの顔、昔ロシアにエリツィンさんという、赤い顔の大統領がいたけれど、あの人となんとなく似ているから、あの人と同じようにお酒が好きで、ホイホイとやってきて、トップ同士すぐ仲良しになって、政治的にはあまり進まなかったかもしれないけれど、でも、人間として信じられるような、そんな政治家になってくれるかと、そういう印象で見ていました。

 ところが、堅実に、共産党の一党支配はあちこちにガタがきているので、引き締めに精一杯で、しかもそのやり方は力で抑えつけるだけなのです。警察国家・軍事国家・独裁国家のトップとして、国民の不平をすべて許さず、徹底的に国民を監視すること、それが彼の基本戦略です。ただし、外向けには経済大国の中国を維持していくリーダーとして、強い政治家としてふるまわねばなりません。ですから、その姿勢を維持するために利用できるロシアと組み、アメリカには色目を使い、日本は拒否しつつ自国で経済活動を許し、石油と資源のある国にはやさしい笑顔で近づいていきます。

 でも、この習近平さんも、裏ではだいぶ苦しいらしい。国民は経済がうまくいっている間は、一応黙っているものの、個々には力をつけているので、いつ共産党という特権階級だけが優遇される社会にノーを突きつけるかもしれない。今も、かなりの国民が共産党一党支配をすでに許していないので、時間が来れば、選挙を許すか、連邦制にして、自治共和国を作らせるか、中国を分割するか、いつか国家体制を変える時がくるでしょう。それがいつのことなのか、私にはわかりませんが、中国大陸では、日本なんかよりもめまぐるしく栄枯盛衰は繰り返されてきたのです。

 長ったらしい前置きを書きました。

 実は、風呂の中で考えたのですが、欧米は知りませんが、アジアの国々は、王権政治みたいなのが好きというか、そういう政治家を迎え入れることがよくある土地なのだなと思ったのです。

 政治家は、仕事が仕事だけに、優れた人材が現れ、力を発揮して欲しいのです。でも、実はアジアでは、仕事が仕事だけに、やり慣れたお家の人にやらせるということが多い。ポッと出の政治家はすぐに歴史の舞台から消えてもらって、政治をお家芸としている人たちにやらせる、またはそういう家の人たちがトップに立つようになっていたのではないかと思ったのです。

 信長さんも秀吉さんも力のある政治家ではあったけれど、政治をやる家柄ではなかったのです。その前の上杉謙信さん、彼も簡単に京都まで攻めていける力は持っていましたが、トップに立つ家柄ではなかったので、あえてそれを望もうとはしませんでした。古くは足利尊氏さん・新田義貞さんが活躍した時代も、楠木正成さんや名和長年さんなどではダメなのです。更に古くは源平藤橘(げんぺいとうきつ)の家柄だったのです。

 日本はアジアの国なので、家柄の政治家たちを当たり前のように迎えてきました。そして、今、先祖代々の政治家の安部さん・麻生さんたちが権力を握っています。韓国もパク・クネさんも、習近平さんも政治家の家柄でトップに立ってきた人たちです。こうした人たちは、先祖がすでに権力者であったので、国民をどう支配するかというDNAを持っていて、伝統的に力や武力を強くして、内外をにらんでいくという同じ手法で政治をしているのだと、思ったのです。たたき上げの政治家とはそこが違います。本人が一代でのし上がって政治家になった人たちは、力に頼る手法をとる人たちもいるでしょうが、基本的には庶民目線で政治をしているのかなと思うのです。

 ただの思いつきで、説得力もないし、くわしく調べて書かないから、あやふやなところはあります。でも、家柄政治家とたたき上げ政治家は、政治手法が違うと思います。そして、中国・北朝鮮・韓国・日本のトップがすべて家柄政治家がトップに立っているなあと思いました。中国だって、小平さんや江沢民さんの時代は今と違っていたと思うのです。今は国民をただ抑えつけるので手一杯です。韓国だって金大中さん、イ・ミョンバクさんたちは違うでしょう。日本だって、たたき上げの政治家というと、菅直人さん・野田毅彦さんたちはたたき上げ政治家なのではないかと思います。

 アジアって、そのあたりがいい加減です。もっと政治家をちゃんと選ばなくてはいけないのに、ついつい家柄政治家を許してしまう。「あそこのお父さんはすごくいい方だったので、お父さんがなくなったから、お子さんに跡をついでもらおう」などと考えてしまう。これは欧米の人たちには理解できないしくみというか、風習です。一番能力のある人を選ぶのではないのです。

 何だか不思議だけど、今の私たちが選択したのが、今の政権であり、支持率は5割ということです。国民の半分くらいの人が、今の政権を支持しているのです。やはり政治は家柄がものを言う社会なのです。そして、選ばれた家柄政治家は武力を誇示したがるのです。


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