甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ひかりのむこう、山の辺の道

2019年10月31日 04時59分29秒 | 大和路を歩く

 石上神宮(いそのかみじんぐう)にお参りしました。そもそも石上って、どういう由来があったんでしょう?

 それは昔、どこかで聞いたことがありました。「上」という文字は「ほとり・そば」という意味でした。イソは川や海、奈良に海があるわけはないから、湖で、奈良盆地は広大な湖が広がっていた。そのほとり、小高い丘の上に神様を祀った、それを「石上」と表記した、というのが私のここまで聞きかじってきたことです。

 ひょっとして間違った知識かもしれない。でも、高いところから、まわりをすべて山に囲まれた湖を見るなんて、比叡山から琵琶湖を眺めたり、諏訪湖を高いところから見下ろしたりするのと同じで、何となく爽快なイメージが広がります。もう私の心の中だけでも奈良盆地全体が湖になっている様子をイメージしてみたくなります。

 だから、石上は、展望が開けてなくちゃいけない。そういう見晴らしのいいところは、人麻呂さんの歌碑のあったところにあった(?)気もしたんですけど、うかつにも見落としてしまった。たぶん歌碑だけで私は満足してたんでしょう。

 神社にもお参りをしました。さあ、いよいよ南に向かっていくんです。お昼は過ぎています。何時に長岳寺にたどり着けるのか、それはわからない。すぐに着けそうな気もするし、標識にはなかなかそれが出てこないので、全く見当がつきませんでした。高1の遠足では、朝の早い段階の天理を抜けて、長岳寺でお昼休憩だったと思うので、二時間くらいは歩かないとダメだと思われます。



 南に向かって歩いていきますが、あと二キロで中山廃寺跡ですとか、そういう案内はあるようでした。なかなか今回の目的地の長岳寺への案内はありません。実際は六キロくらい向こうにあったのかな。もっと近かったのか……。

 目先のことだけを考えさせて、はるか向こうにある目的地は示さない。人は、あまりに遠いとイヤになるし、あとほんの少し向こうに行けば、それらしい史跡がありますよ、という誘いかけがあれば、何とかそれに乗っかることはできる。

 とりあえず、その標識の示すとおりに、ほんの一キロ少々のところまで歩いてみる。そこにたどり着いたら、その次をめざせばいい。そのうちに着くだろうという、いつもながらのいい加減な気持ちで歩いていきました。

 改めて山の辺の道ですけど、ハイキングコースとして名高いこの道は、これはという建造物は何もありません。柿畑と稲刈りはまだされてなくて(景観の関係かな?)、稲穂の実った田んぼと、ところどころにあるわりと古風な集落(ここも明日香村と同じで、いろいろと建築上の規制があるんでしょう。そうでないと簡単に古い集落なんてズタズタになってしまいますもんね)があるだけでした。

 たぶん四十何年前も、何も具体的な建築物は見ていませんでした。この道の最大の観光スポットは大神神社(おおみわじんじゃ)ですけど、ここだって、社殿が少しあるくらいで、実はお山全体がご神体なんだから、社殿も要らないくらいで、記念写真スポットみたいな、それらしいところがありません。

 今の若い人には魅力はないだろうなと思われます。でも、私は歩いているし、どういうわけか、南から北をめざしている人たちと何人も何組もすれ違い、ほとんどの人が中高年で、ここは山ではないのに、お互いに「コンニチハ」を言い交すではありませんか! 何を求めて歩いているんだろう、みんな!



 登山をするとき、幅の狭い道をお互いが譲り合い、登る人が下る人を先に行かせてあげたり、あとからグングン追い上げてきた人を先に行かせてあげたりして、すれ違う時の合言葉として「コンニチハ」はあったと思うのですが、山の辺の道にも適用されていました。

 おそらく、そういう習慣のある人たちがたくさんこちらにも来られていて、それがみんなに自然に採用されて、もう何度も何人もの人に引っ込み思案の私でさえ、ついつい挨拶をしてしまう空間になっていました。

 こうした奈良の田舎道で、それが発生するということは、この山の辺の道は特別な空間ではあるらしいのです。法隆寺を歩いていてとか、東大寺の二月堂の坂とかではこういうコミュニティみたいなのは生まれません。すごいことが起きていました。



 いつの間にか、私は向こうから誰かが歩いてきたら、「さあ、挨拶をしなきゃ」という気分になっていました。だから、相手の顔を見てしまうし、相手がこちらに反応してくれたら、反射的に挨拶をしてしまっていた。

 ただの田舎の道なのに、私がいつもと違う人間に早変わり。不思議なものでした。そして、いつの間にか、たくさんの歩く人たちとたくさんたくさん挨拶をした。

 天理の町を歩いている時は、だあれも山の辺の道をめざす人はいなかったのに、この光に照らされた道を歩いていたら、たくさんの人々に出会えた。


 もちろん、ただのそれだけなのですが、何だかうれしかった。そう、私は前夜の高校の同窓会を引きずっている部分もあったのでしょう。同年代のみんなに追いつけ追い越せという気分もありました。みんなと一緒に同じ空間をいつまでも歩いていたいという気持ちもあった。

 それはどこまで続くのか。たぶん、いつか期限は来る。それがいつなのかわからないし、それがどこなのかもわからない。

 とりあえず今の目的地は、長岳寺。その先はあるけど、今日という日はあと十時間と少し、家にも帰らなきゃいけないし、母に作ってもらったオニギリ二個も食べなくてはいけなかった。今日という日には時間制限がありました。

 先は見えない。話し相手はいない。そうだ、昨日みたいなパーティー形式の同窓会もいいけど、同窓会遠足みたいなの、そういうのがあれば参加するんだけどなあとは思っていました。どういうグループなのかわからないけど、たくさんの中高年の集まりがあるみたいで、みんなでおしゃべりしながら歩いているのは楽しそうでした。実はうらやましい気分になっていたのです。


 私はポツンと一人でした。でも、自分とおしゃべりして、つまらないことをブツブツつぶやいていたように思います。何か考えていたんだろうか。



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