
私たちは、何を楽しみに生きているのでしょうか?
家族の平安、世界の平和、原発のない世の中、自分の欲望の達成、ささやかな目標を一つ一つ実現していくこと。
私にとっては、お金はそこそこあれば、そんなに要らないかなと、今は思っています。でも、明日にはゼニの亡者になっているかもしれないし、私の気持ちなんて、当てにならないものナンバーワンですからね。でも、とにかくそんなに要らない?
子どもの成長。でも、うちの子はもう大きいから、うちの子自身に任せようと思います。うちの子のやりたいようにやらせましょう。気長に見ていくことにします。
恋愛しまくり、ドンファンになる。まあ、言うのは簡単だけど、自分自身にそういう欲望がないので、そんなことを考える気力はありません。
世界を股にかけて、紛争地域で問題を解決しまくる。というのは大それたことだから、もう少しささやかに、海外協力隊のおじん隊員になる。それもいいのだけれど、自分に甘いし、根性がないし、やれたらいいなあと思うだけで、勇気が足りません。最近92歳で亡くなられた緒方貞子さんと私では、全く違うし、今から私がそんなになろうとしてもなれない。
ああ、私は若い頃のいろんな夢や希望をあちらこちらに落っことして、なるべくしてしょぼくれたオッサンになってしまった。
私に楽しみはないのか?
私の楽しみ、音楽を聞いて楽しむこと(ザンネンながら楽器は弾けない)。毎晩チビチビお酒を飲むこと。寝る前にほんの少し本を読んで、倒れるように寝ること。お弁当の明太子の切れっ端をすみっこにおいといて、しみじみ、肝心なところでゴハンと一緒に食べること。ああ、みみっちくて、何かにつけてショボクレている。
あれ、友だちと何かをする、ということがないですね。昔はこれ、とても大事にしてたんじゃないかな。
ザンネンながら、今、私の友だちは、どれくらいいるんだろう。
そんなにたくさんいないし、一緒に遊んでくれる人はあまりいません。遠くに友人たちはいるけど、何年かに一度チラッと会うくらいです。でも、まあ、友だちです。みんな忙しいのです。私にかかずらっているわけにはいかない。
高校のころ、もう少しハードルは低いし、友だちじゃない人とも友だちになれるし、普段の授業や学校行事のいろいろなところでトモダチになれていました。それは気のせいだったのかも知れないけど、でも、みんなで何かに向かっていたのは確かで、それはある種の一体感が持てていたと思うのです。高校一年の時と三年の時は一体感が持てました。二年の時は何だか寂しかった。
今はなかなかそういう一体感みたいなのを感じるチャンスがありません。

考え方ひとつかも知れない。ひょっとして今だって、何かに向かってチームで向かっているのかも知れない。でも、一番の年寄りは私だし、みんなの足手まといにならないようにするのが精一杯で、イマイチ一体感を私は感じられていない。若いみなさんは、若い者同士で連帯感やら不信感を抱えながら暮らしているのかも。その中で私は、ちゃんと年長者として役に立ててる? あまり自信がないですね。
何だか、反省と、自分は何をしているのか、ふと気になる秋の宵です。
考え方ひとつで、いろんなことも楽しくなるか……。
そうかもしれない。でも、私はまだまだ修養が足りない。未熟なオッサンです。
まあ、仕方がない。完成は来ない。この未熟な自らを抱えて生きる。それが人生というものですと、自分に言い訳して、また明日に向かおうと思います。
実は、長岳寺への道を書きたかったのに、頭が空っぽで書けていません。
高校の同窓会のあと、少しだけ昔を振り返る機会があって、当時のことを思い出させてくれる話も聞かせてもらった。
それを聞いて、私は当時もトンチンカンで、アホンダラで、むやみやたらだったのだなと思わせてもらい、それでも当時のことを教えてくれる人もいて、自分がまるで憶えてない分、何だかうれしくて、「ああ、私は人に迷惑をかけたり、わがままだったり、チャランポランだったり(これは今も同じ)してたかもしれないけど、イヤな思い出を残していたわけではなかった」と、当時の私に会えたようでうれしかったのです。
そして、ちゃんと見てくれている仲間がいたのだと四十年ぶりに実感できて、これまたものすごく感動しました。私は独りぼっちではなかった。べったりの友だちではなかったけれど、みんな同じ空間で仲間としてお互いを支えていた。
そういうことを今さらながら、やっと感じられた。もちろん、私と無関係に、私なんかどうでもいいやというか、接点も何にもない人はたくさんたくさんいます、近くにいたとしても。でも、一人でも、二人でも、少しでもいてくれたら、それでいいじゃないですか! そう思います。

『論語』の雍也編のラストにこんな話がありました。
何でも手っ取り早くまとめてしまう要領のいい子貢さんというお弟子さんが先生に言います。
「もしひろく恵みをほどこして民衆を救うことができましたら、いかがでしょう。そういう人なら仁者といえましょうか。」
先生はおっしゃいます。
「それができたら仁者どころではない。それこそ聖人の名に値するであろう。堯や舜(古代の立派な王様たち)のような聖天子でさえ、それには心労されたのだ。
いったい仁というのは、何もそう大げさな事業をやることではない。自分の身を立てたいと思えば人の身を立ててやる、自分が伸びたいと思えば人も伸ばしてやる。
つまり、自分の心を推して他人のことを考えてやる、ただそれだけのことだ。それだけのことを日常生活の実践にうつしていくのが仁の具体化なのだ。」
〈下村湖人訳〉
ああ、私は仁者にはなれていない(そんなの当たり前!)。ついついオレガオレガになってしまうのです。まだまだです。
そうだ! 今もある程度は、自分の楽しみはどうでもいいんです。それよりもまわりのみんながワクワクしたり、みんなで一緒に泣き叫んだり、息をのんだり、みんなで何かをするというのは昔も今も好きですよ。その時に、他人のことをどれだけ考えられるかなんですけど、そこがなあ。

これから、少しでも他人のことを考えられるように、自分を仕向けていきます。難しいですけど。