甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

バスの旅 見守る? 私は……

2015年01月04日 10時13分41秒 | 旅の日記
 5日間、母とずーっと一緒でした。同居していても仕事さえしていれば、少しは紛れるのですが、お仕事は休みなのでずっと母と過ごさねばならず、少しだけ疲れてしまいました。

 たぶん、母も疲れたことでしょう。自分のペースでないのは疲れるものです。母のことだから、あれやこれや考え、今度はこれを言ってやろうとか、また新たに考えていることでしょう。また今度、母の考えた新たなアイデアを聞きに実家へ行こうと思います。

 この5日間、私から何か言ったでしょうか? 今振り返ると、自分から何か積極的に話しかけるということをしなかった、と反省されます。自分に何か語るものを持たないというのか、自分から何かを人に語りかけようという意欲がないというのか、そもそも人に関わろうという心がないのです。よくない傾向です。

 そりゃ、普段から家族に一緒にいてもらうのが当たり前で、自分から家族に何か言わなくても、まあ、わかってもらえるだろうという甘えの上に生活しているので、語りかける努力をしていませんでした。

 今年は、こうした甘えの姿勢を反省して、もっと自分から働きかけるというのを目標にしなくてはいけません。なかなか難しいことですが、これからの老後のために、少しずつ生き方を変えなくてはと思います。



 昨夜、5日ぶりに妻に会いましたが、この5日間何をしたのか、自分から語ろうとせず、訊いてくれるまでは言わないのです。待ちの姿勢が身についているせいか、向こうから訊いてくれないと、ずっと押し黙ったままの自分を見つけました。そして、なんと帰宅した19時から22時までの3時間、テレビだけを見てすごしました。

 とても許されることではありませんが、甘えの上にふんぞり返って、テレビだけを見ていました。恐ろしく、哀れで、とんでもない私です。動いている映像は黙ってみないと理解できないし、誰かの話はひたすら聞かないと理解できないし、読んでる本も字面をただ追いかけるだけで、それをうまく構成せずに読んでしまう。

 そんな私ですから、テレビを見るときは見る。人の話を聞くときは聞く。何か1つだけにしなくてはいけません。どちらかというと、動く映像には弱いので、テレビはなるべく消さなきゃいけない。

 ある程度は仕方ありませんが、せめて人に向き合わねばならないときは、何もかもかなぐり捨てて、こちらから飛び出していきます。これを今年の目標にします。



 見ていたのは、テレビ東京系の路線バスの旅でした。19回目になるそうで、人気番組なのでDVDだって出るそうです。すごいことです。

 何がおもしろいのか、見ている私もイマイチうまく表現できませんが、たぶん、バスの乗り継ぎのドタバタを凝縮した番組なので、その時にいろいろな人間性が表れて、それがテレビに映し出されると、自分たちもそうかもしれないと、共感するところがあるのかもしれません。

 私だったら、バスに乗る前に毎回トイレの心配をしなくてはいけなくて、そんなのが1日10回あるとしたら、それだけで疲れてしまいます。水分を控えすぎて脱水症になるかもしれない……?

 移動するときの食事、宿を決めてからの食事と、チラッと映し出されるだけのシーンにも、個々の食事の好みやら、食べっぷりやらが出ていて、人のいろいろを見られて、楽しいのかもしれません。

 とにかく、ぼんやりと一行の旅の様子をどういうわけか見続けてしまいます。そして、今回特に気づいたのは、地方の衰微でした。



 当然のことながら、現代は首都圏への人口集中と、地方の衰微は当たり前ではあります。首都圏はどんどん今も拡大していて、濃密化・高層化しようとしています。たぶん、その中には、首都圏の発展の流れから取り残されている人たちもいるはずですが、そんなことはおかまいなしに、首都圏は現在の流れで開発されていくことでしょう。落ちこぼれたり・取り残されたものは、それぞれ自己責任で生きてくださいという感じです。

 そして、地方です。過去にはたくさんの人々がいて、いろんな交通網があった。各地域に中心都市があって、そちらに向かうために公共交通機関がめぐらされていた。それが地方都市を支える村や町が各自の動きをするためにクルマ利用を始めた。60年代初めでしょうか。それから、公共交通機関はどんどん廃止され、それと同時に地方の中心都市は衰微し、郊外型の大規模店が日本全国に広がり、今は大規模店同士がつぶし合いを続けています。

 大規模店への反動で、大手流通に載らないものを地域限定で売り出す戦略も生まれていますが、それらは今のところ小さな流れで、あくまでも個々のクルマ利用の上に乗っかっているので、まだ大きな駐車場の大規模店が拡大しています。……でも、大規模店も限界には来ているようです。



 路線バス・地方私鉄の生き残りは、今後も厳しい状況が予想されます。でも、お年寄りにも利用しやすい地域の足がいつまでも続いて欲しいなあと、思いました。

 そして、相変わらず、バスで県境を越えることは難しくて、今現在、どれくらいのバスが県境を越えているのか、一度調べてみたいくらい、それほどに県境は、自分のクルマか徒歩でしか越えられないものになっています。いや、県境だけじゃなくて、都市と都市の間にもたくさんの断絶があるのだと気づかされます。

 番組では、滋賀県の近江今津と福井県の小浜市はバスでつながっているのに、同じ福井県でも小浜市と敦賀市はつながっていなかった。それから、若狭の国の東端の敦賀市にたどりつくと、そこから越前の国へ行くにも鉄道と高速道はあるけれど、路線バスは断絶していました。

 私たちは、たくさんの断絶の中の狭い世界に生きて、クルマを持つものだけが断絶を乗り越え、持たないものは乗り越えられないという世界に生きているのでした。まあ、当たり前のことですね。

 そんなこんなで、今日は、せいぜいのんびりして、今後に向けてやっていきたいです。



★ 私は、これらの断絶を乗り越える方法は、JRさんなどの鉄道しかないと思っていますが、鉄道も21世紀を生きて行くにはとてもむずかしいようです。それを上手に乗り越えて、22世紀につなげる智恵が欲しいです。

 たぶん、22世紀も鉄道は地面を走っていると思うので、それを上手に利用できる社会を作って欲しいなあ。バスは電化されて、電気バスとかが普通に走ってもらえたら、それはそれでいいので、道路をどうするのか、孤立する高齢者や高校生までの世代をどうしていくのか、考えて欲しいです。

 70年代までは、高校生は原付に平気で乗れて、みんなそれで通学していたりする時代があったわけですから、そういう工夫をしてもらいたいです。(2016.1.3)



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