甘い生活 since2013

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明治百年と建国記念の日

2021年03月07日 07時32分45秒 | 私たちの社会・世界

 明治百年の記念切手は、1968年10月23日に発行されていました。私は、二重橋も風船みたいなのも、見たことはありませんでした。カタログでは見たけれど、実物との縁はなかった。誰かが持ってたら、「交換して!」とかも言えたんだろうけど、それもなかった。

 1969年の切手趣味週間・小林古径の「髪」は買ったような気がするから、そのころからすでに切手小僧ではあったんですね。その少し前の万博切手だって買った気がします。でも、当時50円の切手なんて、全く使う当てはないのだから、子どもにしてみたら無駄な投資ではあったわけです。

 それからしばらくして、明治維新というのを勉強させられて、幕末・明治の頃、いろんな人たちが歴史に登場してくるのを教わり、ついでに「ひとつやろうや・1868→明治維新」と暗記したものでした。


 そういうのを暗記させられてみると、確かにそれから100年は経過していました。でも、そこにどんな意味があるのか、まるでわからないままにそれらを見ていました。

 明治の体制は、仕方なくそうしたものであったし、ある程度人々の願いも聞き入れられるシステムにはなったでしょう。普通選挙というのを獲得するまでにも八十年ほどかかるわけですから、なかなか進まないものではあるんですけど。

 キリスト教だってOKになったし(仏教は弾圧されたけれど)、近代国家の軍隊も整備できたし、警察も作ったし、学校も作ったし、西欧諸国のように植民地だって作ろうとしたんですから。でも、てっとり早いところで植民地をということで、朝鮮半島を侵略し、中国に攻め入ろうとしたのは間違ってましたね。もっと誰もいないところを狙えばよかったのに、あまりに手近なところで手を広げ過ぎました。だから、今でも韓国政府とはしっくりこない。


 わざわざ「明治百年」を祝う行事とか、あったんでしょうか。私は全く記憶にありません。後から、こんな切手があったんだと知るばかりでした。

 でも、1968年というのは、安保闘争など、世の中が動きそうな気配を為政者のみなさんたちは感じていたのかもしれません。何だか、自分たちのやってることを転覆されそうで怖い気分があったんじゃないかな。

 となると、もう少し建国の意味を問い直そう。自分たちの国は、どんな風にでき上ってきたのか、そういうのを再教育しよう。そうだ。若い衆はデタラメな奴らが多いから、小さい子どもたちを、根本から国家に忠誠的な子どもたちにしよう、そう思ったのかもしれない。


 まさか、そのころにそんなことがあったのと思ってしまうけれど、戦争が終わって23年経過して、相変らず国の中は不安定で、国家の形が思い描いていけなかった。

 東西冷戦は続き、ひょっとしたら、共産主義が世界を覆うのではないか、そういう不安もあったでしょうか。

 けれども、歴史を知っている私たちは、ソビエトという一見社会主義と言われている国が崩壊するのも見てきました。共産主義・社会主義というのは、結局独裁と専横しか生まない。今の中国を見ても、いつかはあの体制は崩壊するのだろうという気がします。ソビエトが崩壊するまでに70年くらいかかったから、中国はもう70年は経過したので、あと少ししたら、20年くらいあれば、崩壊するのかもしれません。そうしたら、軍事政権になるのかな。わからないですね。

 1968年の日本は、実は何だか揺れてたんじゃないのかなと思います。それで、日本の伝統を復活させて、国を一つにまとめようと、いろいろ考えて、明治のころにやってた紀元節というのを蘇らせることにしました。

 1966年の12月に法案を通して、1967年には建国記念の日をスタートさせたんでしょう。理屈はどうでもいいから、とにかく、日本という国は一つで、実はもう2600年以上もの歴史はあるし、そのスタートをとにかくお祝いしようとしたみたいです。

 他にもいろいろと仕掛けを作ったはずですが、不勉強の私は、他には何があるのか、それは知りません。

 

 いろいろと考える人がいたんだと思うけれど、建国記念の日を8月15日にするとか、8月6日から9日まで戦争追悼休日にするとか、とんでもない戦争加害者の歴史を見直すことができたら、それを政府の力でやれたら、偉いなあと思うけれど、そんな屈辱的なことはしないんですよね。それが政府・中央という選ばれた人たちの考えることではあるんです。それは仕方がない。あくまでも上から目線でいくんだもんな。

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