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2011年の4月に、内田樹さんと中沢真一さんと平川克美さんという方たちのお話会があったそうで、それを書籍化したものを借りてきました。
こんな話がありました。私も暗澹たる気持ちであの場面を見ていました。怪獣映画みたいな、必死の場面なんだけど、何だか本当のことではない、まるでよその出来事のような、リアルさのない感じでした。
実は、何十万人という人たちの生活がかかっていたのに、あんなことでしか対策がないのかという、暗い気持ちは持っていました。
(中沢)消防庁の放水がはじまった後でしたが、フランスの新聞に、建屋に向かって消防車が放水している写真が載せられて、記事の中には、「これぞブリコラージュ!」って書いてありました。嬉しいんだか、なんだか(笑)。
(内田)なるほど。でもわらってる場合じゃない。
ブリコラージュとは、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと、という意味があるそうです。フランスの記者さんたちは、日本の対策って、こんななんだな。根本的な対策ではなくて、ぶっつけ仕事・ありあわせ仕事、とにかく間に合わせるだけ、体裁を繕っているだけ。そこに理念とか、根本的な対策はないのだなと感じたそうです。
その昔、夏目漱石先生が、日本の文化というのは、自然なものを明治になって失ってしまった。すべてうわすべりで、表面を繕いながら、内面も満たされないまま、流れ流されしていくしかない。と、嘆いておられましたが、2011年になってもずっと上滑りの、自然なものは持ってないようです。
すべてありあわせのものでやっていく。北陸新幹線は? 敦賀駅ではもう西に直進する形で作ったんだから、そのまま小浜まで進めてしまえ! なんて言う。地元や、環境や、人々の声はそこにはないのです。そのまま工事していけ! 責任は? それはもう国民の皆さんが税金で支払ってもらうしかない。責任者はいない。
原発が爆発してしまった。原子炉は内部で溶けているかもしれない。だれもそんなところまで管理できない。予備電源が使えない時、なんて想定しなかった。予測のつかない大地震が起きたんだから、誰も手が付けられなかったのだ。どんどん汚染水が出るかもしれないが、それらは周辺に汚染水タンクを作ればいい。どんなに放射性物質があったとしても、それらは薄めたら、かなり低濃度になったら、海に流しても問題ない。検査しても、安全なレベルの汚染度だろう。これでいいのだ! と、誰かが責任をもって発言するのではなく、みんな少し不安になりながら、とりあえず薄めてみた。そしたら汚染度が低かった。
中国政府や韓国などでは、危険だ、危ない。なんて言うけれど、根気強く説得し、検査結果を示していけば大丈夫。偉い人たちは思っているでしょう。
そもそも、彼らには最悪の事態など考えられなかったし、考える必要もないと思ってたんでしよう。二重三重の安全対策は、現場においてはなされている。ただ、想定外のものというのは、起こるかもしれないし、自然の力なんて、人間の力では知りえないものだ、なんて思っているでしょう。
私たちは、ブリコラージュ政策を支持し、自分たちも同じようにブリコラージュしているようです。
1・外国人旅行者がたくさん来た。だったら、彼らがお金を国内で落としてもらえるようにしよう。日本の魅力って、どういうものなのか、私たちの感性ではわからないところに外国人のツボがあるから、とにかく、来た時点で取り込もうではないか。お金を落とさせてみよう。観光産業も強化しよう。
世界遺産が増えると、外国人が来るから、次から次と世界遺産の登録をしよう。見つけたもの勝ちだから、観光を産業にしなくてはいけない。
2・トランプ政権が生まれた。日本に高い関税がかけられないように、とりあえず総理をワシントンに送ろう。彼がどれだけうまくトランプさんと関係を作れるのか、そんなことは知らないが、彼をとりあえず送る。あとはトランプの出方を見る。アメリカ依存でやって行くのは確かなのだから、アメリカがやれ、ということなら、我慢してやっていくしかないのか。
3・トランプさんの経済政策、結局インフレが続くのか、アメリカ国民はどんな反応を示すのか、様子を見ながら、こちらの対応を考えよう。すでにアメリカでものづくりしていく態勢は作れているから、カナダやメキシコの工場をどうしていくかだな。
4・イスラエルの問題、ウクライナの問題、ミャンマーの問題、シリアの問題、こちらにできることはそんなにないのだから、国際協調しながら、消極的に関わっていくしかないか。
どれもこれもブリコラージュなんですね。たぶん、政府だけではなくて、私たちも根本的な生きてく理念を持たないで、とりあえず楽しく、平和に、波風立てないように、やりたいことは何かはわからないけど、思いついたことをボチボチやる、信念はないんですね。いやぁ、大したものだ。浮草の生き方というのか、間に合わせというのか。
ヨーロッパの人たちには、何だかよくわからない日本人たちなんだろうな。