
トロッコが現れたところを撮りました。本当は、連写したかったのですが、新しいカメラでは、そこがうまく操作できません。おじさんが運転していて、すぐまた引き返していきました。おそらく、反対側の駅に待っている人がたくさんで、目的地の湯ノ口温泉駅では待っている人がだれもいなかったので、待っている人たちをとにかくこちらに連れ出さねばならないので、すぐ引き返したのでしょう。
三重県の熊野市紀和町には、戦前戦後にかけて銅山があって、それらの採掘のためにトロッコが走っていたようです。ですから本当は縦横に紀和町の中をトロッコの軌道があるはすなのです。でも、その全貌はわからなくて、現在は瀞流荘(せいりゅうそう)というホテルと湯ノ口温泉を往復する十分程度の観光路線だけが存在します。
この日はたまたま、瀞流荘側で長距離走のイベントがあったので、終了後に一風呂浴びてみよう、ついでにトロッコに乗ってみようというお客さんがたくさんいたようです。

トンネルの向こうに明かりが見えますが、それがさっきのトロッコの先頭車両の明かりです。もうすぐやってくるところだったのです。

これが駅の表示板です。観光用に作ったのでしょう。ということは、少なくとも二十年以上は前ですね。私たちが三重県に来てから、観光用に利用されたはずなんですけど……。もっと前だったかな。

これが湯ノ口温泉駅です。シンプルで、しかも観光用に作られたものではないので、本来はすぐ次の穴に向かっています。たまたま山が途切れたので、地表に軌道が顔を出した。そこには温泉が湧いていた。

山深さは感じられない写真ですが、まわりに何もありません。レールと温泉施設だけの谷間です。

駅の反対側・次のトンネルの入口から駅を撮ってみました。

今は使われていない坑道で、柵がしてあります。柵がなかったら、興味のある人が勝手に坑道の探検に入ってしまうでしょう。ですから、とにかくふさいで、ベンチなどを置いてなごませていますが、実はさらに山また山のトンネルはあるらしい。それらは観光資源にはならないので、放置されていますが、いつか何かの役に立つかもしれない。あれこれ工夫して、貯蔵庫とか、集会所とか、何かの研究施設とか、そういうものになったら、地元としてはうれしいと思うんですけど、利用されていませんでした。
三重県の熊野市紀和町には、戦前戦後にかけて銅山があって、それらの採掘のためにトロッコが走っていたようです。ですから本当は縦横に紀和町の中をトロッコの軌道があるはすなのです。でも、その全貌はわからなくて、現在は瀞流荘(せいりゅうそう)というホテルと湯ノ口温泉を往復する十分程度の観光路線だけが存在します。
この日はたまたま、瀞流荘側で長距離走のイベントがあったので、終了後に一風呂浴びてみよう、ついでにトロッコに乗ってみようというお客さんがたくさんいたようです。

トンネルの向こうに明かりが見えますが、それがさっきのトロッコの先頭車両の明かりです。もうすぐやってくるところだったのです。

これが駅の表示板です。観光用に作ったのでしょう。ということは、少なくとも二十年以上は前ですね。私たちが三重県に来てから、観光用に利用されたはずなんですけど……。もっと前だったかな。

これが湯ノ口温泉駅です。シンプルで、しかも観光用に作られたものではないので、本来はすぐ次の穴に向かっています。たまたま山が途切れたので、地表に軌道が顔を出した。そこには温泉が湧いていた。

山深さは感じられない写真ですが、まわりに何もありません。レールと温泉施設だけの谷間です。

駅の反対側・次のトンネルの入口から駅を撮ってみました。

今は使われていない坑道で、柵がしてあります。柵がなかったら、興味のある人が勝手に坑道の探検に入ってしまうでしょう。ですから、とにかくふさいで、ベンチなどを置いてなごませていますが、実はさらに山また山のトンネルはあるらしい。それらは観光資源にはならないので、放置されていますが、いつか何かの役に立つかもしれない。あれこれ工夫して、貯蔵庫とか、集会所とか、何かの研究施設とか、そういうものになったら、地元としてはうれしいと思うんですけど、利用されていませんでした。