古い切符です。付き合って1年の彼女と新宿文化2という劇場で見ました。日付はいつなのか、調べないとわかりません。たぶん、秋じゃないかな。
ヒロインのナスターシャ・キンスキーさんは、この時は驚くくらいの美しさでした。こんな、ただキレイなだけじゃなくて、気が強そうで、意志のある、断固としたものを感じさせる女優さんって、初めて見る感じでした。ただキレイなだけじゃないのです。
それからしばらくしたら、ヘルツオーク監督の作品で不思議な雰囲気を出してたクラウス・キンスキーさんがお父さんだと知って、この父にしてこの娘あり、というのは後々に知りますが、この時はよくわかりません。不思議な女優さんというだけでした。
監督は、ロマン・ポランスキー監督で、この人がアメリカで奥さんのシャロン・テートさんを失って、故郷のフランスに戻って来たというのも、そんなにわかっていませんでした。
ただ、ポランスキーというくらいだから、ユダヤ系の人かなと思ってたんだったか。それからだいぶ後に、この人のデビュー作の「水の中のナイフ」(1962)というのを見るんですが、ポーランドでデビューしたけれど、生まれはフランスで、お父さんはユダヤ系、お母さんはロシア系だったそうで、ご両親がフランスに逃れて来ていた。でも、フランスもナチスドイツに支配されるので、お母さんは収容所に連れていかれて戻らず、お父さんは生き延びてポーランドで息子さんと再会するという、そうしたユダヤの人々の苦難の歴史を生きてきて、ポーランドで映画デビュー、アメリカに転身、奥さんが被害に遭う、ふたたびフランスにもどる、そうした過去を生きてきた人ではありました。
何も知らないまま、何か有名な監督らしい、「ローズマリーの赤ちゃん」という、少し怖い映画はテレビで見たかな、その程度の経験しかなかった。
映画は、貧しい女性のテスさんが、男どもに翻弄されながらも、自分の生きていく道を見つけていく、そんな内容じゃなかったんだろうか。
少し長くて、ちゃんと集中して見てなかったかもしれません。
何しろ、彼女は英文科の女の人ですから、トーマス・ハーディーもその守備範囲に入ってたでしようか。……入ってなかったかもしれないけど、入ってる気がしていました。
英文学なんて、私はサマセット・モームを一冊、ディケンズの「二都物語」を読んだか読んでないか、程度で、あんまり興味もありませんでした。
でも、映画の内容はサッパリだったけれど、白いオシャレをした男女が、ケルティッシュ音楽に合わせて踊っている農園風景は強く印象付けられました。
私の初めてのケルト音楽でした。そこから、いくつかのケルトのバンドのCDを買い、やがてはエンヤさんにたどり着き、今ではまた遠ざかって入るけど、ベースはずっと1980年の「テス」体験がベースでした。
あれから、私は、ほんの少しだけケルトのオッサンになりました。バイオリンが弾けたり、リズミカルだったりすれば、音楽に合わせて踊るんだけど、40年経ちましたけど、どちらもダメで、映画を見た時のままオッサンになりました。
でも、ナスターシャ・キンスキーさんも、ポランスキーさんも、ケルト音楽も、ずっと親しんでいて、いっぺんには深まらないけど、ずっと好きではあるというのが、当時の遺産です。
彼女と、「テス」の話なんかしません。二人とも、見た後に、名画ではあるんだろうけど、そんなにインパクトがあった、というんでもなかった。そんな印象だったんでしょう。
またいつか、夫婦でじっくり見る時があるのかなあ。音楽がやっぱり目の中に浮かんでいる気はするんだけど。