藤山寛美(ふじやまかんみ)という喜劇役者がいました。東京にもエノケンさんとか、三木のり平さんとか、渥美清さんとかいたんですから、大阪だって、喜劇役者がいてもよかったのです。
大阪人の自慢は、寛美さん率いる松竹新喜劇が時々、東京に出て行って、すごい評判をとってきたというのが、何だか誇らしい気分ではありました。70年代のことだと思われますが、私たち大阪人は坂田三吉の気分を持っていたようです。
「あすは、東京へ出て行くからにゃー」というフレーズ、私たちの心のどこかにあったような気がします。東京って、大阪人にとっては、敵地へ赴くような、そんな心細さと、東京のやつらに負けるもんかという矜持とで引き裂かれていたりしたのです。
けれども、寛美さんは、悠々と東京へ劇団を引き連れ、大成功で帰って来たという話を聞かされるのでした。実際に見たわけではないので、とにかくコテコテの大阪のお芝居が東京で受けるなんて、すごいなあと、うれしかったりしたのです。
私は、寛美さんと伴心平さんだったかなあ、とにかく体の大きいオッチャンとのからみが好きでした。小島秀哉さんのスノッブな感じもいいし、小島慶四郎さんのわちゃくちゃな感じも好きでした。
寛美さんは、どの役も楽しく、真面目な役者さんをしてても、何だかうれしかったし、アホ役をしても楽しかった。
また、前置きが長くなりました。たぶん、「鼻の六兵衛(ろくべえ)」というお芝居だったと思うのですが、寛美さんがアホ役をやりますが、ただのアホではなくて、一芸のある、純粋なアホで、言われたことはしっかり守って油断しない、アホにはアホの流儀のある、見ていて納得のできる、アホ道とはこんなものだと感じることのできるお芝居がありました。
誰かに忠告をされます。
「世の中には、人をだますとんでもないヤツがいて、おまえみたいな純粋なもんをだまそうとワナを仕掛けているものだ。そういうヤツらの言うことを聞いていると、尻の毛まで抜かれるぞ。気をつけろよ。」と。
六兵衛さんは、とんでもないヤツらには注意しようと思っていて、たまたま声を掛けられます。
すると、「さては、尻の毛を抜こうとしているな。ワテはだまされへんでー。」とかなんとか言いながら、お客の笑いを誘うシーンがありました。
それで、小さい私は、都会では未熟な人間のお尻の毛を抜くらしい、とインプットされてしまいました。わりと強い印象で残りました。それから何年かが過ぎていきました。
十代後半の初夏、私は東京の新宿にいました。友だちから宝くじを買ってきてねと頼まれていました。ノコノコと東京の新宿を歩いていた。紀伊国屋という本屋さんの本店があるのは知っていました。大阪にはない伊勢丹という変な名前のデパートがあるのも知っていた。
他には、何も知らなくて、中央線か、京王帝都電鉄で行くかどちらかでした。たぶん、中央線で出かけた。そのころは貧乏だし、急行券がもったいなくて、急行に乗ったはいいけれど、座席に座らず、車両の継ぎ目のところで改札を避けようとしていました。みみっちいヤツだったのです。
そして、新宿東口、カメラやさん、コマーシャルが有名だったそうですが、当時の私はそんなのは知らない。とにかく人だかりがいっぱい。紀伊国屋に一度行きたくて行ってみると、当時のここはすごいことになっていて、本屋さんなのに、ものすごい混雑で人をかき分けて本を探さねばならなかった。たぶん、今なら、そういう状態を見ただけで避けてしまうけれど、当時の私は、とりあえず中に入ってみたかった。
私は、何を目標に来ていたのか。宝くじだったのか。東京視察だったのか。新宿めぐりだったのか。その辺は忘れてしまったのですが、とにかくあちらこちらを歩いてみました。
当時の私は、お昼をどこかで1人で食べるということができなかったので、何も食べなかったか、それとも間に合わせの何かを食べたか、何だか落ち着かないやみくも歩きでした。コンビニなんてないし、食べるということは、人と交渉して、自ら意思表示して食べるということでした。それができない人でした。
フラフラ歩いて、当時はそんなににぎやかではなかった南口のあたりを歩いていた。
すると、突然コートを着たオジサンがこちらを振り返っています。
「なんだ、この変なオッサンは!」
私は、ぼんやりしていた。
「キミはT大学?」となれなれしく声を掛けてきました。
人間違いなんだろうけど、どういういきさつがあるのだろう? よくわかりませんでした。でも、オッサンは私のそばに近づいてきた。
「いえ、ちがいます。」と私は、答えました。
せっかくだから、質問してしまいます。「宝くじ売り場ってありますか?」
「それは、東口の……あたりだよ」
そう言いつつ、私のお尻のあたりをさわっている感じでした。何だかこわくなりました。
そうです。「尻の毛まで抜かれる」です。
「さては、抜く気やな……」と思ったような気がします。とにかく逃げなくてはと判断して、オッチャンのところから逃げ去りました。
ただのそれだけですけど、私は東京はこわいところだと第一印象で思いました。お上りさんはすぐターゲットにされて、尻の毛まで抜かれる、これは今でもそうなのではないかと思ったりします。
ツルーンとキレイな都会の街ですけど、そこに住む人たちは、他人を出し抜いてやろうという気分が渦巻いているような気がします。
それからは、私は東京には用心していくことにしましたし、用のないところには行かないというのを実践して、落とし穴に落ちずに済みました。これからどうなるかはわからないけど、とにかく用心していきます。
小さい頃に見た藤山寛美さんのおかげで、私は難を逃れたという話ですね。そうでもないかな。こじつけかな。
大阪人の自慢は、寛美さん率いる松竹新喜劇が時々、東京に出て行って、すごい評判をとってきたというのが、何だか誇らしい気分ではありました。70年代のことだと思われますが、私たち大阪人は坂田三吉の気分を持っていたようです。
「あすは、東京へ出て行くからにゃー」というフレーズ、私たちの心のどこかにあったような気がします。東京って、大阪人にとっては、敵地へ赴くような、そんな心細さと、東京のやつらに負けるもんかという矜持とで引き裂かれていたりしたのです。
けれども、寛美さんは、悠々と東京へ劇団を引き連れ、大成功で帰って来たという話を聞かされるのでした。実際に見たわけではないので、とにかくコテコテの大阪のお芝居が東京で受けるなんて、すごいなあと、うれしかったりしたのです。
私は、寛美さんと伴心平さんだったかなあ、とにかく体の大きいオッチャンとのからみが好きでした。小島秀哉さんのスノッブな感じもいいし、小島慶四郎さんのわちゃくちゃな感じも好きでした。
寛美さんは、どの役も楽しく、真面目な役者さんをしてても、何だかうれしかったし、アホ役をしても楽しかった。
また、前置きが長くなりました。たぶん、「鼻の六兵衛(ろくべえ)」というお芝居だったと思うのですが、寛美さんがアホ役をやりますが、ただのアホではなくて、一芸のある、純粋なアホで、言われたことはしっかり守って油断しない、アホにはアホの流儀のある、見ていて納得のできる、アホ道とはこんなものだと感じることのできるお芝居がありました。
誰かに忠告をされます。
「世の中には、人をだますとんでもないヤツがいて、おまえみたいな純粋なもんをだまそうとワナを仕掛けているものだ。そういうヤツらの言うことを聞いていると、尻の毛まで抜かれるぞ。気をつけろよ。」と。
六兵衛さんは、とんでもないヤツらには注意しようと思っていて、たまたま声を掛けられます。
すると、「さては、尻の毛を抜こうとしているな。ワテはだまされへんでー。」とかなんとか言いながら、お客の笑いを誘うシーンがありました。
それで、小さい私は、都会では未熟な人間のお尻の毛を抜くらしい、とインプットされてしまいました。わりと強い印象で残りました。それから何年かが過ぎていきました。
十代後半の初夏、私は東京の新宿にいました。友だちから宝くじを買ってきてねと頼まれていました。ノコノコと東京の新宿を歩いていた。紀伊国屋という本屋さんの本店があるのは知っていました。大阪にはない伊勢丹という変な名前のデパートがあるのも知っていた。
他には、何も知らなくて、中央線か、京王帝都電鉄で行くかどちらかでした。たぶん、中央線で出かけた。そのころは貧乏だし、急行券がもったいなくて、急行に乗ったはいいけれど、座席に座らず、車両の継ぎ目のところで改札を避けようとしていました。みみっちいヤツだったのです。
そして、新宿東口、カメラやさん、コマーシャルが有名だったそうですが、当時の私はそんなのは知らない。とにかく人だかりがいっぱい。紀伊国屋に一度行きたくて行ってみると、当時のここはすごいことになっていて、本屋さんなのに、ものすごい混雑で人をかき分けて本を探さねばならなかった。たぶん、今なら、そういう状態を見ただけで避けてしまうけれど、当時の私は、とりあえず中に入ってみたかった。
私は、何を目標に来ていたのか。宝くじだったのか。東京視察だったのか。新宿めぐりだったのか。その辺は忘れてしまったのですが、とにかくあちらこちらを歩いてみました。
当時の私は、お昼をどこかで1人で食べるということができなかったので、何も食べなかったか、それとも間に合わせの何かを食べたか、何だか落ち着かないやみくも歩きでした。コンビニなんてないし、食べるということは、人と交渉して、自ら意思表示して食べるということでした。それができない人でした。
フラフラ歩いて、当時はそんなににぎやかではなかった南口のあたりを歩いていた。
すると、突然コートを着たオジサンがこちらを振り返っています。
「なんだ、この変なオッサンは!」
私は、ぼんやりしていた。
「キミはT大学?」となれなれしく声を掛けてきました。
人間違いなんだろうけど、どういういきさつがあるのだろう? よくわかりませんでした。でも、オッサンは私のそばに近づいてきた。
「いえ、ちがいます。」と私は、答えました。
せっかくだから、質問してしまいます。「宝くじ売り場ってありますか?」
「それは、東口の……あたりだよ」
そう言いつつ、私のお尻のあたりをさわっている感じでした。何だかこわくなりました。
そうです。「尻の毛まで抜かれる」です。
「さては、抜く気やな……」と思ったような気がします。とにかく逃げなくてはと判断して、オッチャンのところから逃げ去りました。
ただのそれだけですけど、私は東京はこわいところだと第一印象で思いました。お上りさんはすぐターゲットにされて、尻の毛まで抜かれる、これは今でもそうなのではないかと思ったりします。
ツルーンとキレイな都会の街ですけど、そこに住む人たちは、他人を出し抜いてやろうという気分が渦巻いているような気がします。
それからは、私は東京には用心していくことにしましたし、用のないところには行かないというのを実践して、落とし穴に落ちずに済みました。これからどうなるかはわからないけど、とにかく用心していきます。
小さい頃に見た藤山寛美さんのおかげで、私は難を逃れたという話ですね。そうでもないかな。こじつけかな。