FMでチャイコフスキーの「くるみわり人形」をやっていました。もうそれこそオモチャ箱をひっくり返したような、いろんなメロディがあって、世界中をおもちゃで旅している感じにさせてもらえました。音楽は、簡単に時空を越えるのです。なかなかステキです!
残念ながら、私は今までチャイコフスキーに親しむことがありませんでした。唯一買ったのは、ムラビンスキー・レニングラードフィルの交響曲5番かもしれません。これを機会に「悲愴」や「くるみ割り人形」のCDを買ってもいいかもしれない。少しずつ、自分の守備範囲を広げていきたいです。
今まで聞く気が起こらなかったチャイコフスキーなのに、簡単に入っていけるのはやっとその年齢になったということでしょうか。ポップミュージック(古い言い方ですね)はもう私には必要ないのかも知れません。人間がすでにクラッシックなんだから、音楽もクラッシックにならなくっちゃ!
チャイコフスキーさんは器用な人というのか、才能のある方だったんですね。才能のない、もたもた地べたをはっていくような私は、世界を越えていくようなことはできなくて、過去と地元と庶民にこだわっていけば、その向こうに何か見えないだろうかと、あくせくしていますけど、そんなのを軽く越えています。当たり前ですね。
今から何十年も昔、おもちゃの世界は戦争に影響されている時代がありました。私の小さい頃にだって、零戦やら戦車やら、Uボートやら、軍艦模型やら、いろんな戦争おもちゃは現役でしたので、そんなに古いモノではないのです。ただ、日本玩具博物館には、最近のなまぐさい戦争おもちゃはなくて、もっと牧歌的な(そういう言い方が成立するかどうか、とにかく造形が雑なおもちゃで、リアルではないのです)ものが展示されていました。
冒頭の「愛国積木」なんて、ただの積み木だと思われますが、ネーミングが政治的です。こどもは愛国心をもって積み木遊びをしなくてはならなかった……気分的なもので、大人の思惑なんかを超越していたとは思いますが……。
シンプルな軍艦で、まるで京都の祇園祭の山車のような軍艦です。軍艦と言われなければ、ただの提灯にしか見えなかったでしょう。満艦飾でかろうじて軍艦とわかった。とはいうものの、戦艦三笠(日本海海戦ですか?)はこんな感じだから、それを意識した造形なのかな。ということはリアル?
この軍艦も、旭日旗で日本海軍とわかるけれど、なんだか微妙な軍艦です。
この戦車と兵隊さんは、第二次大戦のころの日本軍のものでしょうか。だったら、少しリアルですね。そうです。リアルに造形されているということは、リアルに感じてもらって、いつでも戦争に参加してもらうための予習、小さい頃からの英才教育となるのか、戦後の戦争からだいぶ遠ざかって、単なる郷愁として取り上げられたのか、ですけど、これはリアルな英才教育だったのかもしれない。
こんなおもちゃで遊ぶ子どもがいたのかどうか、親としてもあまりこんなので遊ばせたくない感じです。
昔、ドイツの戦車の形にあこがれて、模型をうらやましそうに見ていたことはありますが、あまりに難しそうだし、高価だし、幸か不幸か私はドイツの戦車とは縁がなかったけれど、こどもって、何かあぶなっかしくこういう人を殺す武器に、あこがれてしまうことってあるのかもしれないですね。
その銃口が自分の方に向いているとも知らないで、なんとなく形にあこがれてしまうなんて、恐ろしい世界です。できればそういう世界とは縁がなくて、のぞこうと思ってものぞけないようになっていたら、いいのだけれど、現代はおそろしい映像はあふれているし、簡単に画面の中で人を殺してしまうことができるので、そんなのが日常的にあって本当に恐ろしい。武器のおもちゃよりもそっちの方がはるかにこわいような気がします。
そうです。おもちゃで戦争しているなんて、今ではとても幼くてかわいらしいのかもしれない。子どもたちはもっともっとこわい世界を平気でのぞき、どんどん刺激をエスカレートさせていくのでしょう。
自然な形で、子どもたちが成長しているとはとても思えなくて、これら戦争オモチャがかわいらしく見えてしまいます。
ねっ、そう思わない? アギラくん!
そうですね。セブンさん、ぼくたちで遊んでもらってる方がしあわせですね。
残念ながら、私は今までチャイコフスキーに親しむことがありませんでした。唯一買ったのは、ムラビンスキー・レニングラードフィルの交響曲5番かもしれません。これを機会に「悲愴」や「くるみ割り人形」のCDを買ってもいいかもしれない。少しずつ、自分の守備範囲を広げていきたいです。
今まで聞く気が起こらなかったチャイコフスキーなのに、簡単に入っていけるのはやっとその年齢になったということでしょうか。ポップミュージック(古い言い方ですね)はもう私には必要ないのかも知れません。人間がすでにクラッシックなんだから、音楽もクラッシックにならなくっちゃ!
チャイコフスキーさんは器用な人というのか、才能のある方だったんですね。才能のない、もたもた地べたをはっていくような私は、世界を越えていくようなことはできなくて、過去と地元と庶民にこだわっていけば、その向こうに何か見えないだろうかと、あくせくしていますけど、そんなのを軽く越えています。当たり前ですね。
今から何十年も昔、おもちゃの世界は戦争に影響されている時代がありました。私の小さい頃にだって、零戦やら戦車やら、Uボートやら、軍艦模型やら、いろんな戦争おもちゃは現役でしたので、そんなに古いモノではないのです。ただ、日本玩具博物館には、最近のなまぐさい戦争おもちゃはなくて、もっと牧歌的な(そういう言い方が成立するかどうか、とにかく造形が雑なおもちゃで、リアルではないのです)ものが展示されていました。
冒頭の「愛国積木」なんて、ただの積み木だと思われますが、ネーミングが政治的です。こどもは愛国心をもって積み木遊びをしなくてはならなかった……気分的なもので、大人の思惑なんかを超越していたとは思いますが……。
シンプルな軍艦で、まるで京都の祇園祭の山車のような軍艦です。軍艦と言われなければ、ただの提灯にしか見えなかったでしょう。満艦飾でかろうじて軍艦とわかった。とはいうものの、戦艦三笠(日本海海戦ですか?)はこんな感じだから、それを意識した造形なのかな。ということはリアル?
この軍艦も、旭日旗で日本海軍とわかるけれど、なんだか微妙な軍艦です。
この戦車と兵隊さんは、第二次大戦のころの日本軍のものでしょうか。だったら、少しリアルですね。そうです。リアルに造形されているということは、リアルに感じてもらって、いつでも戦争に参加してもらうための予習、小さい頃からの英才教育となるのか、戦後の戦争からだいぶ遠ざかって、単なる郷愁として取り上げられたのか、ですけど、これはリアルな英才教育だったのかもしれない。
こんなおもちゃで遊ぶ子どもがいたのかどうか、親としてもあまりこんなので遊ばせたくない感じです。
昔、ドイツの戦車の形にあこがれて、模型をうらやましそうに見ていたことはありますが、あまりに難しそうだし、高価だし、幸か不幸か私はドイツの戦車とは縁がなかったけれど、こどもって、何かあぶなっかしくこういう人を殺す武器に、あこがれてしまうことってあるのかもしれないですね。
その銃口が自分の方に向いているとも知らないで、なんとなく形にあこがれてしまうなんて、恐ろしい世界です。できればそういう世界とは縁がなくて、のぞこうと思ってものぞけないようになっていたら、いいのだけれど、現代はおそろしい映像はあふれているし、簡単に画面の中で人を殺してしまうことができるので、そんなのが日常的にあって本当に恐ろしい。武器のおもちゃよりもそっちの方がはるかにこわいような気がします。
そうです。おもちゃで戦争しているなんて、今ではとても幼くてかわいらしいのかもしれない。子どもたちはもっともっとこわい世界を平気でのぞき、どんどん刺激をエスカレートさせていくのでしょう。
自然な形で、子どもたちが成長しているとはとても思えなくて、これら戦争オモチャがかわいらしく見えてしまいます。
ねっ、そう思わない? アギラくん!
そうですね。セブンさん、ぼくたちで遊んでもらってる方がしあわせですね。