年末になりました。あと三日しかないなんて、何だか圧迫感があります。四日目には新しい年だなんて、何だかイヤなんですけど、それは仕方がないんですね。まあ、『徒然草』でも読んでみますか……。第172段です。
若き時は、血気(けっき)うちにあまり、心、物に動きて情欲多し。身を危ぶめてくだけやすきこと、珠を走らしむるに似たり。
若いときは、血の気が多く、心はいろんな事柄ごとに動揺して、しかも欲望は強い。自分自身を危険にさらしてくだけやすいところは、玉を転がすのに似ている(それほどに不安定で、方向性がない)。
まさにその通り、若い時はある程度そうでなくてはならない。そういうのがあるから若い時であり、そういう失敗をベースにして少しずつ成長していくものだと思います。
あれ、でも、今日テレビを見ていて、大阪では30代の教頭さん(中学校)という人が出ていました。40代で校長とか、役職を持たせるようです。そして、60代でペーペーの平教員というのもいるわけで、40代にこき使われる年寄りみたいなのもあるのかなあ。若いというのは失敗もしていいけど、重責も背負うというのが大阪スタイルみたいです。どこかの政党のやり方のようです。けれども、そのスタイルで組織のトップなのに、パーティーしたり、パワハラしたり、不倫したり、蓄財したりするという、これまたどこかのスタイルで、失敗しすぎているような気もするんだけど、大阪の人たちはそれでもいいみたいです。選挙があっても、支持されたりするんだから、わからないですね。
続きがありますね。
……身を誤つことは、若き時のしわざなり。
……結局、身を誤るのは、若いときのしわざ(習性)なのである。
兼好さんも言っておられます。若い時というのは、失敗をとんでもなく重ねていくものなのです。それは認めていかなくてはならないみたい。
老いぬる人は、精神おとろへ、あはくおろそかにして、感じ動くところなし。心おのづからしづかなれば、無益のわざをなさず。
年をとってしまった人は、精神が衰え、あっさりとしておおまかで、心が物に感じて動く(動揺する)ということがない。心が自然で静かなので、つまらないことはしない。
ある程度こちらは納得ができます。感動が少なくなって、心が動かない。それはダメなことだと思ってしまいますけど、鈍感であることの有利さというのか、メリットみたいなものもあるようです。いつも心が動くということは、落ち着きがなくなるということです。もうどうでもいいやって、大抵のことに驚かないのは、悲しいけど、いいこともあるのかもしれない。
身を助けて憂へなく、人の煩ひなからんことを思ふ。
自分自身を大切にして悩み事もなく、他人の迷惑にならないことを考える。
老いて知の若き時にまされること、若くして、かたちの老いたるにまされるがごとし。〈172段〉
年をとって知恵が若いときより勝っていることは、若いときに容貌が年を取っている人に勝っているのと同じことだ(年齢それぞれによさがあるということだ)。
年をとって知恵が若いときより勝っていることは、若いときに容貌が年を取っている人に勝っているのと同じことだ(年齢それぞれによさがあるということだ)。
年を取るということは、知恵をつける、経験から物事を処理していける。いろんな物事に対応能力があるということなのですね。若い時にそれなりのルックスを持つというのは、知恵がない代わりのものだったのか。
さて問題です。兼好さんが「若き時」の過ちとして取り上げていないものはどれでしょう?
ア・きれいなもの(人?)に対してお金をどんどんつぎこむ。
イ・わざと安っぽい服を着て、世間に興味のないポーズを決め込む。
ウ・他人へのあこがれや思いがあるのに、その気持ちを正直に表現できない。
エ・興味や関心の対象が日々変化し、そういう自分にイライラして落ち着かない。
オ・若くして死んでしまった有名人にあこがれて、同じように自分も……と考える。
カ・興味のあることに熱心になりすぎて、周囲のことが目に入らない。
ア・きれいなもの(人?)に対してお金をどんどんつぎこむ。
イ・わざと安っぽい服を着て、世間に興味のないポーズを決め込む。
ウ・他人へのあこがれや思いがあるのに、その気持ちを正直に表現できない。
エ・興味や関心の対象が日々変化し、そういう自分にイライラして落ち着かない。
オ・若くして死んでしまった有名人にあこがれて、同じように自分も……と考える。
カ・興味のあることに熱心になりすぎて、周囲のことが目に入らない。
自分の年齢なりのよさを出していきましょう! そんなこと兼好さんに言われなくて もわかっているつもりだけど、なかなかむずかしいのかなぁ。
答えは、イとオでした。