甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

金沢の仲間たち

2024年12月26日 21時32分08秒 | きたぐにへの旅

 11月の初めに、昔の仲間たちが金沢に集まりました。本当はふたり仲間がいるんですが、ひとりはつむじを曲げて、「みんなに会わない。」「行方不明ということです。」なんて、とても残念なコメントを残し、私たちを拒否したことになりました。

 どうしてなのかなあ。そんなに会いたくない何かがあったんですね。私は、わかってるつもりで、せっかくみんなが集まったら、彼も折れてくれて、会いに来てくれるのではないかと思っていましたが、彼の意志は固く、会ってはくれませんでした。

 私への日々のショートメールは途絶えてしまい、あと味の悪さが残りました。彼は生死の境をさまよい、もう少しでこの世から去ってしまっていたかもしれなかったのです。通勤途中で倒れて救急車で運ばれて、急きょ手術をして、どうにか普段の生活を取り戻せたのに……。そんな彼から拒否される私たちって、何だったんだろう。それほどに会いたくない昔の仲間ということだったのかなあ。


 23年の1月には会ってくれたんですよ。お土産ももらったし、二人でいろんな人にテレビ電話をして、夜のひとときを楽しく過ごせたのに、それなのに、みんながせっかく集まったところに彼は現われませんでした。そんな、みんなで昔を懐かしむような、そんな気分ではなかったのでしょう。それよりも、今、自分はこんなことをしている。こんなに大変だった。コロナでホテルに隔離されたこともあったとか、彼の大変な話を聞かせてもらえたら、私としては知っててはいても、直接聞かせてもらえたら、どんなにうれしかったことか。


 仲の良かった彼とも会えなくなって、仲間とはいえ、そんなにあれもこれもとおしゃべりできるわけではないし、みんな今を抱えているのに、突然何十年前にもどれと言われても、とっつきの悪い私なんかは、すねてフラフラ知らない所を歩くみたいなところがあったでしょうね。

 夜も、そんなにしゃべれなくて、欲求不満が残りました。急に心は開くことができなかった。それは私のミスでした。もう、あまりみんなに会う必要はないのかもしれない。こんなにしゃべれないのであれば、そこにいる意味がないんだもん。となると、参加できなかった彼と同じ気持ちだったのかなあ。

 そう、自然にみんなの中に入れる空気が必要でした。誰かに空気づくりをしてもらうのではなくて、自然な感じで、みんながしゃべりたいと思う空間がほしかったなあ。

 何をいまさら不平を言ってんだろう。今も昔の仲間の続きである奥さんと、二ヶ月ほど前の金沢のことを話をすることがあるんですが、私たちは、ちっとも話ができなかったね。それが心残り、みたいな気分だったねと話題にしたりします。私たち夫婦はそういう、スンナリ入っていけない、文句言いの二人のようでした。


 また今度、ということはありえないので、せいぜい今からでも、少しずつみんなにメールでもして、取り返していきたいです。

 金沢・山代温泉と二泊もしたのに、兼六園には夜と昼の二度行きましたけど、他はこれというところを楽しめたわけじゃなかったですね。もっとわがままに歩かないと、自分の地図ができないんだもんな。あーあ、文句ばっかり。



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