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2月が終わろうとしています。三連休に入りました。今日は朝から、図書館の除籍図書がもらえるというので行ってきましたけど、本としては私の好みの本は見つかりませんでした。古い時刻表とか、芸術新潮とか、少しだけもらってきました。どっちにしろ、本を読まないことには話にならないです。
その前に、通勤途中のラジオで聴いた「花の街」を取り上げてみます。youtubeで少しだけ見てみましたが、最初に聞いた時の感じと違うから、とりあえず詞の内容を見てみることにしました。何だか引っかかるものがあったんですが、きっと「輪になって」の繰り返しだったのだと思われます。團さんのメロディもとてもしっくりして、頭から離れなかったのです。
なのに、youtubeではなんか違う。不思議なんですけど、少しだけ抜き書きさせてもらいました。
1 七色の谷を越えて 流れていく風のリボン
輪になって輪になって かけて行ったよ
春よ春よと かけて行ったよ
「風のリボン」って何でしょうね。そういう空気なのか、思いなのか、春の使者なのか。とすると、春一番? いや、そんな荒々しいものじゃなくて、やさしい春風みたいなものじゃないかな。
春を告げる風が谷間を吹き抜ける。割とよくあるイメージなんだけど、どういうことなんだろう。二番は海が見えたとか書いてありましたっけ。
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三番はこんな感じ。
3 すみれ色してた窓で 泣いていたよ街の角で
輪になって輪になって 春の夕暮れ
一人さびしく 泣いていたよ
突然の涙、どういうことなんだろう。ラジオで聴いたときは、泣いているなんて知らなかった。ネットで調べて初めて知りました。「泣いていた」みたいでした。なぜなんだろう? 團伊玖磨さんはどこかで書いておられると思うんですけど、見つけられませんでした。
ただ、作詞の江間章子さんはこんな風に語っておられたということでした。
私が乙女ごころに憧れていたのは神戸でした。でも一度も行ったことはないんですよ。おまけに当時の東京は焼け跡だらけ。ですから、いまだに見たことのない憧れの神戸は、さぞかしお花の咲き乱れている美しい街だろうと想像しましてね。早く日本のどこへ行ってもそうあってほしいという願望をこめて書いたんですよ。(ネットから借りてきました)
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「輪になって」という具体的な行動が書かれているんだけど、どんな風に輪になるのかはわかりませんでした。でも、心もみんなも、ぐるっと何かに向かって連帯して、ゆっくり進んでいく、みたいなイメージは共有できたのです。
「泣いていた」かもしれない人たちも、春の夕暮れはシンミリしたかもしれないけど、朝になったら、みんなで力を合わせて生きていく。そういう感じでいいのかな。そういうやさしさを感じるメロディでした。
しばらくしたら、すぐに忘れてしまうかもしれないけど、時々思い出しては「輪になって」みたいのです。
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うちの奥さまは、春が近くなると、「花の街」をハナウタで歌ってたそうです。全く知らなかった。何て夫婦なんだろう。私の意識不足なんですね。彼女としては、なんとなく歌ってたのかもしれないけど、それなりに認知されてるだろうという意識があった。ところが、私は最近ラジオで聴いて初めて知った。とはいえ、私はなかなかのボケナスですから、聞いてても忘れているという可能性もありますが、今まで意識したことがありませんでした。またしばらくしたら忘れるかもしれない。それで、全く新しい印象深い歌を聞いたなんて言い出すかもしれない。ああ、少し怖いけど、あり得ます。
奥さんのハナウタもちゃんと聴いてかなきゃいけないな。まあ、無理かもしれないです。何もかも知ったつもりでいるからなあ。