甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

関根正二さんという人

2020年01月13日 14時20分54秒 | わたしの好きな絵!

 昨日、見てきた関根正二さん、「しょうじ」と読んでましたけど、「まさじ」が正しいらしい。でも、本人は「しょうじ」も使ってたみたいで、どっちでもOKとしてたのかな。晩年は「まさじ」にしてたみたいだから、「まさじ」さんがいいですね。

 生誕120年、没後100年ということでした。ということは、20年と2ヶ月の人生だったそうです。実質は5年ほどの活動期間しかなくて、その間の素描・挿し絵・書簡・油絵など、たいていの作品を網羅して、三重県立美術館で公開されていました。

 なんといってもあまりに短くて、本当にお気の毒というしかないけど、とにかく彼はその20年を駆け抜けたみたいでした。

 作品も二十歳の若者が描いたとは見えない、何か跳び越えたものがありました。

 図録も買いたかったのだけれど、貧乏の私は買えなかった。あと1週間の期間中に県立美術館に行って、買うだろうか。できたら、買いたくなってきました。

 図録の何が気になったかというと、友だちにあてたハガキなどがすべて書き込んであって、それぞれ読ませてもらって、そんなに込み入った内容は書いてなかったとは思うんですけど、文は人なり、という私の感覚からしたら、友だちに気を使いながら、メッセージを書いている正二さんに迫りたくて、買いたかったんです。

 チャンスを見つけて、買いに行くか、それとも、来週、最後に見に行くかな。まあ、考えます。


 デビュー作は、「死を思う日」。タイトルは悲壮な感じだし、そんなに明るい作品ではないのかもしれない。でも、タイトルはそうだけど、それは若者の憂鬱感であって、死にたいわけではないのです。

 強烈なインパクトの題名と、そういうものを抱えて必死で生きていこうとする姿が見える。何しろ10代半ばの作品です。若さもあるし、年寄りには見えない、もう私なんかはどこかで落っことしてしまったモヤモヤ、私が今抱えるモヤモヤじゃなくて、そんなショボくれたものではなくて、言葉にもならない、鬱屈した気持ち、本人もそれが何なのか、うまく表現できない何かを、なだめながら立ち向かっていく姿が見えました。

 とにかくデビューしてしまったのだから、あとはガンガン描きまくればいいんですけど、まだ若いし、絵で食べていくわけにもいかず、肖像画で小銭を稼ぎつつ、自分の方向を探していきます。

 雑誌の挿し絵の仕事もしていて、『文章世界』という雑誌で、表紙・挿し絵でも活躍します。この挿し絵がなかなか心惹かれるものがあって、これを絵はがきにしてほしかったのだけれど、それはありませんでした。

 そして、自分の作品作りをしますが、人恋しい気持ちと、どこかで救済というのか、安息というのか、油絵で描いた作品が、どんどん宗教画みたいになっていくのです。私は、ルオーの日本版というのか、それともイコン画みたいな感じだ、どうしてこんなふうに神様を求めてたんだろう、というのを作品を見させてもらって、ずっと思ってました。

 それは、どうしてだか、わからなかったのです。

 だから、友だちへの手紙などを読ませてもらって、少し知りたかったというところなのかな。(だから、図録を買えばよかったのに! でも、つい貧乏魂が邪魔したんだもん! だから、今度買いに行く? もう一度見に行く?)


 三重県立美術館は、関根さんの素描をいくつか持っているみたいでした。人物が多かったけれど、風景画もササッと描いて、これまた心惹かれるものがありました。


 好きだった女の子をモデルさんにしたという天平美人。短歌にしろ、女の子の姿にしろ、うしろの孔雀にしろ、一生懸命です。

 それなのに、スペイン風邪で、彼の命は100年前に終わってしまった。ふるさとの福島県立美術館にいくつか、大原美術館にも作品はあるそうです。

 何だか気になる画家さんでした。たったの二十年、されど、光り輝く、人恋しい画家さんです。これから、そんなにたくさん出会えるわけではないけど、また、福島に作品を見に行ったり、大原美術館に行かせてもらったりするだろうか。

 いや、その前に図録買って、ハガキに書かれてた文をもう一度読ませてもらいたい気分です。

 そうしたら、彼の作品が宗教に傾いていった意味が、ほんの少しわかる気がするんだけど……。

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