甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

吉ケ原駅に来ました!

2024年08月02日 20時23分03秒 | 鉄道のこと

 岡山県の片上鉄道というのが1991年まで走っていたそうです。ついこの間みたいな気分になるけど、実はついこの間ではありません。かなり昔になります。30年以上前のことでした。

 私だって、たぶん若かったはずです。何してたかな? 全くそういう鉄道があったなんて知らなかったはずだけど、なんと、その頃の仕事の同僚に岡山出身の人がいて、彼の結婚式にも参加しましたし、友だちでした。彼がたぶんその沿線、柵原のどこかの出身というのを聞いたような気がします。岡山から来た人って、当時は初めて出会った人かもしれなかった。

 岡山から大阪に出て、年上の彼女を見つけて、何もかも彼女の言うとおりに結婚につながって、そのあと、高知の方へ転居したというのを聞かせてもらったあと、いつの間にか音信不通になったんでした。今はどうしているんだろう。当時の仲間は、兵庫に行ったり、金沢でカフェを開いたり、華麗なる転身をした人たちがいたけれど、私だって大阪から三重県に転身したんでした。みんな若かった。何がしたかったんだろう。みんな何かを探していました。どういうわけか、若い集団の中で私が一番の年寄りでした。それは何だかなあという感じでしたっけ。

 なかなか、人生というのはわかりません。自分のイメージ通りに生きていく人もいれば、まわりに引き立てられて過去とは違うところで自分の足場を見つける人もいたり、本当にわからないのです。


 岡山のなだらかな山々をめぐって流れる吉井川沿いに鉄道があったようで、1955~1970年代にピークを迎えた柵原鉱山の硫化鉄を掘り出すための鉄道だったそうです。

 硫化鉄は、肥料に使い、鉄も取り出すなどして、有用な資源だったそうです。ところが、70年代に入ると、海外からの安いものが入って来るし、それほど利益が生まれなくなったそうです。また、肥料としても使えなくなったという歴史的な経緯があったんだとか。

 鉱山も時代から取り残され、鉄道は赤字路線となった。必然的に鉄道は廃止され、今は路線跡がサイクリングロードとして使われているということでした。まさか、全線がすべて自転車道ではないと思われますが、割と平坦な道なので、サイクリングしても面白いのかもしれません。

 廃線跡の吉ケ原駅だけは、三十数年保存され、鉱山資料館もすぐそばに作られ、公園になっている。また、鉄道もほんの少しだけ伸ばして、動態保存されている車両をイベントか何かで運転していたりするそうです。



 こんな真夏に、立ってるだけでもしんどい気候では、とても車両を動かすということはなくて、ただ「駅だな。レールが残されてるな。かわいらしい車両が屋根の下にあるな」なんて思うだけです。


 私の仲間のオタクの人がいたんですけど、私も彼も友好的ではなくて、お互いに知らんぷりして車両やら駅舎を撮るだけでした。彼は岡山県内から来たのかもしれない。一台だけクルマが止まっていたので、彼のだったんでしょう。

 私のは、もちろん三重ナンバーで、はるばる四時間以上かけてやってきたんでした。そういうのを話して、「ご苦労さんですね」とか、「三重にはいろんな鉄道がありますね」とか、おしゃべりできたらいいのに、とても暑くて、自分たちの写真を撮るだけで精一杯だった。

 せっかく岡山に来たんだから、蒜山牛乳のカフェオレ飲んでみました。味オンチの私には、「ああ、おいしいね」と思うだけですけど、それでも、旅している気分はあるかな。

 ずっと来たかったところなのに、いざ来てみたら、誰もいなくて、かたすかしでしたけど、でもまあ、外出は基本は中止ということですから、それは仕方のないことでした。
 

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