甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

宍道湖をぐるり一周しました!

2024年08月12日 06時34分56秒 | 山陽道・山陰道への旅!

 二年前に出雲大社をお参りした時、宍道湖は見なかったと思います。その東側の中海のそばにも行きませんでした。境港まで行ったのに、中海を見ようともしなかった。

 宍道湖は、湖の向こうに落ちていく夕日が有名でした。たぶん、松江の人たちには自慢の風景だったのです。松江の学校に行ってた友人もそう教えてくれました。

 そんなことなら、一度見てみようなんて思いながら、県庁所在地の松江の町を縫うようにしてクルマで走って、やっとナビの言うとおりに松江城までたどり着くのですが、それまでに今夜は花火大会(水郷祭)というのがあるそうで、とてもクルマを止めて宍道湖を眺めるなんてできないだろうと諦めていました。

 よりによって、そんな時に松江の町を訪れたようでした(8/3)。


 お城は紆余曲折があって、やっと国宝に指定されたところ。名古屋城のように、コンクリート作りを木造でふたたび作ってみよう、というのではありません。かなり古いし、外はものすごい日ざしなのに、薄暗い室内でした。それなりに暑かったけれど、天守閣までは出てみたいという「なんとかとケムリは高いところに昇る」という、やむにやまれぬ野次馬根性でした。

 たどり着けば、東西南北に窓は開いていて、ここだけが風が吹き抜けていました。それは爽快で、初めて見る展望なのに、何もかもが楽しげに見えました。町そのものは何も知らないから、どこに何があるのかもわからず、こんなところにこんな立派な町があると思うばかりで、ただこんなに暑いのに、どうしてここにいるの? という疑問がわいてきます。

 それはまあ、仕方がなかったのです。とにかく、友だちたちが青春時代を過ごした町のシンボルを訪ねてみたかったのです。

 クルマにもどったら、あとはお泊りの玉造温泉に向かうだけでした。10キロくらいで行けるような感じでした。もう少しあったかな? ナビは南に迎え!
 ということでした。それが近道でした。ナビの言うとおりにすれば、早い段階で玉造温泉に着けたでしょう。でも、まだチェックインには早すぎでした。

 いろいろと違う道を探してとナビに訊いたのですが、すべて南に迎えとしか言わない。だったら、出雲大社近くの島根ワインというところでお買い物してみようと、目的地を変更すると、宍道湖の北岸をまっすぐ西に向かいなさいというルートを出してくれました。

 その案には乗って見たくなって、湖に沿って続く道を走ることにしました。実は、そのうち一畑電車の走るところにに出会うだろうという計算もありました。どこかで待ち伏せして、写真も撮れたらいいではないの? というオタク心もありありでした。


 南西からの風があるのか、湖はずっと波立っていました。何万年後かには干潟になってしまうかもしれない宍道湖ですが、今は湖だし、船も浮かべられるだろうけど、今日みたいな風だったら、小舟は揺さぶられるだろう。そのせいか、真っ青な湖というよりも、山と平野に取り囲まれた海の入江のような感じで、波は立つし、舟も出ていなかった。


 途中の道の駅でクルマを止めて、波打ち際まで出てみました。けれども、吹き付ける風は止むことがなく、波は立っているし、水にふれてみることも許されない感じだった。たぶん、少ししょっぱい、海の変わらない味が下のだろうけど、海水の10分の1の塩分とあとで聞かせてもらったので、私が舐めてみたとしても、味はわからなかったでしょうね。


 ぐるっと一周し、お宿のチェックインも済んで、湖畔までまっすぐ歩いて半時間ほど、湖畔は公園になってなくて、少し国道から外れた突端まで出てみたら、そこは閑静な住宅街になっていました。

 その中のおうちから、ご家族みんなで浴衣に着替え、いそいそと歩いていく人たちが見えました。あのご家族についていけば、花火の見えるところにたどり着けるのかもしれないと、ヨタヨタとついていき、やっと右手に松江の町が眺められるところに出ることができたんでした。

 いや、その前に、西側にはちゃんと夕日も見えていたんです。花火は東側の松江の町の宍道湖沿いであります。夕日は、西側で、定番は湖のかなたに太陽が沈んでいくところです。けれども、玉造温泉のはたは、島根半島の山々に太陽は沈むようでした。

 キラキラが見えました。もうこれで満足して西から吹く風に身を任せ、とりあえずせっかくだから、花火でも見てみようと汗臭い体をだるそうに東側の見える岸辺に向かったのでした。



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