甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

当尾(とうの)夏まつり

2016年08月11日 06時42分37秒 | 大和路を歩く
 何年も浄瑠璃寺に行きたいと思っていました。今回訪れることができたから、ひょっとしてこれで最後になるかもしれない。

 それはわからないけれど、明日また行くかもしれないし、もう二度と行かないかもしれない。人生って、その時々のチャンスで、集中して立ち向かっても、うまく行かないことはたくさんありますし、すんなり行ってしまうこともあります。

 とにかく、私は久しぶりに行けたことを喜びたいです。また、秋にでも行ったらいいかもしれない。



 現在は、社会の動線からはずれているので、道は狭いしクネクネです。とても1人では行く気にはなれません。小さなコニュニテイバスで岩船寺を経由して、ということは世間のルートの逆方向から浄瑠璃寺にたどり着きました。

 石仏の里です。現在は、置き去りにされた格好だけど、昔は、特別な祈りの里だった。だから、集落のいたるところにお祈りのスペースがあり、仏像では盗まれるし、お社は朽ちてしまうし、永遠に、誰もがお祈りを気軽にできるように、石仏は刻まれました。

 浄瑠璃寺の中にも石仏は何気なく置かれています。



 ハスやネコたち、いろんな生き物がナツを教えてくれています。植物はきれいな花を咲かせ、そのあと花弁を残す。



 ネコたちは、ナツの盛りはひたすら涼しいところで寝る。



 三重塔はひっそりとまわりの緑と同化している。とはいえ、奈良市はこの南側の裏山にごみ処分場をつくるということで、その反対署名のちらしがありました。奈良市にとっては北の端。お寺は京都府で自治体が違うのです。

 だから、お互い別々だし、不便な所に処分場は設置されるのが世の中の常識です。でも、その土地のことを考えてほしいのは当たり前で、不便でだれもいないところに設置すればいいというものではありません。



 本堂内部の九つ阿弥陀様は、それはもうやさしくひっそり座っておられて、いつまでもそこにおりたい感じがありました。本当なら、障子をあけ放ち、風を通して、そこでお昼寝をさせてくれたらよかったんです。

 でも、そうなると、阿弥陀様に失礼だし、そのまま西方浄土に連れていってくださるかもしれないし、それはまだイヤだし、お昼寝は遠慮しなくてはならない。



 お寺を出て、山の中の道を歩き、ずっとアブに追いまくられ、全く落ち着いてまわりを見渡すことができないまま、必死になって撮ったのが笑い仏さま。



 べつのところにおられた仏さま。こちらは女性かな?



 そして、名前の分からない赤い花でした。



 ものすごく暑くて、日焼けをしました。汗もかかないくらい、じりじり感はそんなにないのに、何だかものすごく暑かった当尾(とうの)の里でした。





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