エゴの実はほとんどなくなりましたが、せっかくヤマガラたちが訪ねてくれたのだからと、奥さんは干しておいたカボチャのタネを砕いて、目につくところに置いたようです。
すると、さっそく見つけたヤマガラは少し食べてくれました。けれども、それから後は、カボチャのタネを食べたい雰囲気は見せませんでした。私たちがあまりに喜んでいるし、こちらの熱量が高すぎるから、ヤマガラたちは少し距離を置いたんでしょう。
地面にも落ちた実はあるみたいで、地面から仲間を呼ぶ合図をしたみたいです。すぐにつられてメジロもやって来ました。こんな秋の日にメジロを見られるなんて、トリたちはいつでも私たちのすぐそばにいて、私たちが生活しているその場面ごとに、利用できるものがあったら、ちょっとだけやってきて、少しだけ食べていく、そんな頼り切らない生活をしているようです。
トリたちは、基本の生活をちゃんと持っていて、そのバリエーションの中で、人との接点を持ったりする。たまに人によっては猛烈にトリたちにアタックする人がいるけど、そういう時はサラリとかわすのでしょう。なかなかしたたかでしなやか、トリの生きていく様子を見習いたいと思うくらいに、トリたちは自然に自由に生きています。時々、人間と関わることもあるけど、基本はスルーです。人間だけが大騒ぎしている。
今日のお昼、近所の農業公園に行ってみました。そこにフジバカマがいくつかあって、群れからはぐれたアサギマダラを見かけたことがあったからです。もうそれは四年前のことでした。
ハロウィンが近づく三連休の公園は、人でいっぱいで、とても旅するチョウを受け入れる余裕というのか、スペースがありませんでした。仮装したお子さんとお洒落なお母さんが、映えスポットに押しかけ、写真を撮っています。もう何が何でもかわいらしい思い通りの写真を撮らなきゃ気が済まない感じ。
くたびれたチョウなんて知らない。自分たちの幸せが大事。それを形にしなくては! という強い意志を感じました。若い親子は、そうあらねばならない道をひた走る。それは止められない。みんな、無駄なことはしてられなくて、効率的に幸せをつかみ取らなくちゃいけないのでしよう。
私たち夫婦は、アサギマダラは当然ながらいない。十月半ばだというのにヒガンバナはまだ咲いている。これは何となくラッキー。人混みはなるべく避けたくて、空いたスペースを探しながら歩きました。
うちの子と同年齢っぽい男の子が、女の子を連れてフラフラ歩いていました。フジバカマを見て女の子は、「これは旅するチョウの好きなお花かな」なんて言っている。私は「そうですね」と声をかけてあげたかったのだけれど、まあ、正解なんだし、それをどうこういう必要もないかと黙っていました。
二人はふらふらと公園を散歩していました。もちろん、私たちもトリを探して歩いてみたけれど、いくつかは遠目で見たけれど、間近に見ることはありませんでした。
でも、夕方、いつもの通り暇つぶしの庭仕事をしていると、傷ついたハトがどうにか飛べるようになったらしく、パッと現れました。奥さんに声をかけると、彼女は早速もち麦(賞味期限切れ?)をあげていました。すると、パクバク食べる食べる。ある程度満足したのか、少しペースが落ちたあたりでいつも一緒にいる仲間もやってきて、そのまま今日のねぐらに出かけていきました。
うちの庭は、中継地というのか、ハトたちのオアシスというのか、とにかくハトたちに毎日挨拶されています。
秋の休日、トリと関わりながら過ごしていて、そのまま夜になりそうです。日が沈んだら、彗星を見に行きたいんですけど、見えないでしょうね。でも、行ってみます。明日からまた仕事頑張ります!