昔の子どもたちは、お店屋さんに夢を持っていました。
お菓子をお腹いっぱい食べたいから、ケーキ屋さんをやりたい。
うううん、お洒落な服装が好きだから、服屋さんをしてみたい。
うううん、服を仕入れて売るよりコーディネートとか、アドバイスとか、お客さんとのコミュニケーションが楽しいから、わたしは店員さんがしてみたい。
いえいえ、安くてたくさん買う楽しみがある駄菓子屋さんも楽しい。
いろいろなことを考えていました。夢の翼を広げていた。とはいうものの、それは自分たちの現実からそんなに大きく逸脱したものではなくて、現実の延長線上に夢を膨らませていた。
やがて、もっと現実的に、いえ、公務員としてやっていこうとか。ここの会社が好きだから、ここの会社に入りたいとか。あそこの会社の作る製品を作る人になりたいとか。少し現実的にはなっていくけれど、それもやはり自分たちの現実からつながっているものでした。
もっと遠くの、宇宙のことを仕事にしたいとか。ミクロの世界を解明したいとか。宇宙からの微細なサインをつかみ取ってみたい、なんていう方面にはなかなか進めなかった。というか、現実からは少し遠かったですね。
一番素朴なのは、自分の生活のあこがれのお店屋さんをやってみたい、というものだったでしょうか。あまりにリアルな近所のたこ焼き屋さんをやりたい。お風呂屋さんの仕事をしたい。近所の模型屋さんみたいな仕事をしたい。なんていうのは、楽しいし、好きなんだけど、あこがれにはなりませんでした。あまりに生活的だったからかなあ。
今の子どもたちは、ずっと実体のない画面ばかり追いかけてきたから、手っ取り早いyoutuberで儲けるとか、インフルエンサーになるとか、ゲームを作る人になるとか、画面ばかり追いかけていて、現実のお店にあこがれを持つ余裕がありません。
そして、そのお店たちは、たぶん、90年代から着実に減っていき、今ではお店といっても何かの系列に入っていないと潰れてしまう時代になりました。
コンビニエンスストア業界も、かつてはいろんなチェーン店があったり、個人商店をコンビニ風にしたり、いろいろな形がありましたが、これらも統合され、ほんの数社だけが生き残りました。こぼれていったものは、統合されたりして、町の一角にはもとコンビニ風の空き物件もたくさんできています。
お店を続けていくというのは、生半可なことではやっていけなくなりました。厳しい現実があり、フラフラになりながら続けているか、お店は開けたが誰も来ないか、お年寄りの経営者がポツンとお店の中でたたずんでいるか、そうした淋しい風景を作るように今の政治は推し進めたのかもしれない。
個人よりも、大きなチェーン店や系列に入って、その庇護のもとに生きていきなさい。たぶん、農業も、工業も、漁業も、いろんな産業を系列化し、大きな組織にして他に対抗させようと指導したということになっていますか。
そういう波に負けず、自分らしさ、他にはない品ぞろえ、独自性、センス、そういうのでやりくりしている店主の方もたくさんおられると思いますけど、そういうのをちゃんと守っていこう。個人のやりたい気持ちをサポートしよう。大規模店舗だけを優先させるのはいけない。なんていう政策はあったんでしょうか。
もしかすると、なかったかもしれない。子どもたちが自分のお店の夢を抱くことができない時代になってしまっています。縮小化する日本だからこそ、地域に根差した堅実な商売があって、人々とともに社会を作っていけたらいいのに、何もかも都会の論理で進めてしまうところがあるから、ぜひ抵抗したいし、個々の夢を実現できる社会を作らなくちゃいけないと私なんかは思います。
私の夢は、古本屋さんか農園主でした。どちらも実現しないかもしれなくて、夢は夢のままで終わるかもしれない。でも、少しでもいいから、夢の実現に近づきたいとも思うのです。