空に浮かぶ雲、道の向こうに見える虹、あっという間に消えていく夕日、毎日少しずつ表情を変える星々、空はいろいろなものを見せてくれています。
できれば、一緒になって一緒に見えるものを追いかけたい気持ちになったりします。とはいうものの、同じ空を見上げていても、みんなが同じ気持ちになれる時はなかなか来ません。みんな何かを探していたり、別のことが気になっていたり、様々な夢や希望があります。
いつまでも、どこまでも、みんな一緒に同じことを考えていく。というのは、現実にはあり得ないし、もしあったとしたら、それはとてつもなく窮屈な世界だと思われます(気持ちは大事なんだけど)。私なんて真っ先に窒息しそうで、呼吸困難になってヒーヒー言うはずです。みんなと一緒に同じことをめざして行くのは得意ではないのに、憧れてしまう。
そんな私でも、永遠にそんななら無理だけれど、一瞬なら我慢して楽しめてしまうかもしれない。そう、短い間、同じように歩いていくことならできるし、その連帯感は大好きです。たとえば、学生時代とか、同じ列車や船に乗っている時間とか、気の合う仲間の宴会とか、いつか終わりが来て、帰らなきゃいけないイベントなら、楽しめるはずです。それは記憶にも残りそうです。
昨日、お休みの前でたまたま宴会に参加しました。今ある組織ではなくて、かつて同じところで一緒だった人々の集まりでした。昔の仲間みたいなものです。
その中で、ふと見れば、私が一番の年よりでした。これはビックリ! まあ、私のご長寿を祝う会なんかじゃないから、誰も私になんか気にもとめないし、みんなそれぞれに盛り上がっていました。人間は、局部的に盛り上がればいいのであって、みんなが一斉に声を上げるとか、静粛になるとか、そんなのは要らないと思うのです。
結婚して三年目だとか、今は何しているのとか、今こんなことをしているとか、あの人は今はオーストラリアに行っているよとか、みんなの今の話をすればいいわけです。
そして、私も昔の仲間と昔のことを話し、人の動向を聞き、みんなどんな風に仕事をしているのか聞かせてもらってきました。
花粉症・頭痛・胃痛・運動不足、いろいろハンデを抱える私も、モタモタしながらみんなに混ざってきました。あまり何から何まで発信できたわけではなくて、どうやらみんなの顔を見せてもらうだけでうれしかったような気がしました。少しだけ元気になり、翌日の今日は、相変わらず天気は変だけど、明日への活力が湧いてきました。明日、気になったみんなにメールとかしてみたい気分です。
私は、モタモタ歩いているオジサンです。このまま続いていくでしょう。まだ「オジイサン」とは言われてないけど、お店などで店員さんから「お父さん」なんて言われると、ガクッと来ます。確かに、子どもはいるから、お父さんには違いないけど、あなたのお父さんではない。どういう見た目で「お父さん」と声を掛けるのか、それが気になってお買い物どころではなくなります。
何を求めているのか、自分でもわからなくなるから、とりあえず、目の前のこと、今やらなきゃいけないことをする。体調がベストなんてあり得ないのだから、ボチボチのところでやっていく。
そんな風にこれからを乗り切ります。旅もしたいです。遠くにも行きたい。でも、実家の母も心配だから、また大阪にも行かなきゃいけない。
「お父さん、いかがですか?」
「お父さんじゃないやい! オラはオッサンというカテゴリの中にいるんだい! ジジイかもしれないけど、ジジイって呼んだら怒るからね!」
「何だ、お客さん、何をお探しなんです?」
「いや、ボンヤリ見てただけです。」
「ああ、ハイ、また何かお探しのものがありましたら、お声かけください」
かくして、ポツンとひとり。
欲しいものは? 特にない。しんどいけど、みんなと苦労したい。そういうところに誘ってくれたらうれしい。でも、すぐにエネルギーはなくなってしまう。困ったなあ。