10年くらい前から、世界の人たちの富士山訪問は続いているんだ、と東京に住む友人は教えてくれました。世界遺産になった(2013年)のと、コロナも明けてそれ見に行け! とばかりに押し寄せているようです。それはもうものすごい勢いです!
私たち(日本人)が富士山を好きなのは、それはとりもなおさず日本人だからだと思っていましたが、割りとありふれたミーハー意識だったのかもしれません。一般受けするような、わかりやすい美しさはみんなが好きでした。雪を上にのせてる富士山なんて数秒で描けてしまいます。
単純で大きくて、すべてを受け入れてて、しかも歴史はあるし、登れるものなら登ってみたくなるし、被写体としてもいろいろと変化をしてくれるし、そばに行きたくなる、いろいろ遊べる存在でした。[マイナス要素もあるはずですけど……]
今、日本は世界からいろいろとターゲットにされています。政治は本当にお粗末で百数十年の近現代の歴史をおろそかにしてしまっているけれど、政治家がダメなのではなくて、政治家を指名する私たちの怠慢もいけないのでしょう。政治家・政治なんて、どれもどいつもみんな同じ。経済をちゃんとしていれば、政治なんてなくてもいい。なんてやって来たんです。でも、実は人々を元気な気持ちにさせる政治もあったと思うんですけど、あまりないですか……。
政治はお粗末だけど、観光も生活も環境もとてもいい。物価も安い。爆買いなんていう言葉があったけれど、もっと前から、いろんなところで日本は切り売られされていたようです。お買い得感がいっぱいあったでしょう。日本の人たちは謙遜するだろうけど。
今だって、京都・奈良・鎌倉などの古い都、富士山・北海道・沖縄・阿蘇・屋久島などの自然、盛岡や山口や長崎、たぶん松江も、松本、高山などの地方都市には、外国の人たちをかき分けて自分の行きたいところに行かなくてはならない状況です。
ブームは続いています。そのせいか、日本人は一歩引いて、よく来てくれましたね、さあ、どうぞと引き下がっています。
知らない間に私たちは有形無形のストレスを抱えていくことになりそうです。
だったら、お前も外国に飛び出てみろ! ということになりますが、実はバブルあたり、80年代前後に世界中で暴れていたのは日本人でした。世界のいたるところに出没し、神出鬼没、快刀乱麻? だったのです。
今、飛び抜けた才能は世界に出ていますが、大半の人々は国内で満足し、国内でもあまり出歩かず、自分の生活を築くことに追われているようです。
幕末のころ、世界の波にさらされ、大慌てした日本は、慌て過ぎて無理矢理帝国主義で近隣諸国を侵略しました。いろんなストレスを社会が抱えると、世の中はとんでもない方向に行く。よくはわからないけど、そういうリズムみたいなのがある気がします。
今、世界の荒波が押し寄せていて、私たちはどこへ向かうのか?
単純に世界旅行していけるのならそれでいいけど、世界旅行なんてする気はないはずです。もうバブルじゃないんだから。どんなにお金があっても、タワーマンションの夢だったり、昔みたいに外に働きかける気力がないんじゃないかな。
「なるほどザ・ワールド」(古くてすみません)とか、「世界ふしぎ発見」は、もう必要ない。
必要があるのは、新しい聖地なのかな? 若い人たちは聖地を探しているのでしょう。年寄りには思い出しかない。歴史を語ってナンボ、しかできません。
もう、年寄りなんか置いといて、若い人たちに、なにか新しいものを見つけてほしいな。
若い人たちがスマホで時間をかけて、なにか見つけられるのか、それも方法なんだけど、違うもので見つけてほしいです。
たとえば、コテコテのライブ、夜更かしおしゃべり、自分を知るためのスポーツ、新しいステップに向かう、資格を取りまくり、ひたすら読書、もっと、もっといろいろあると思うけど、どこか知らないところにあるもの、それを見つけて欲しい。選挙にも行って欲しい。年寄りにも話しかけて欲しい。いろいろと若い人に希望を持っているんですけど、どうなのかな。