梅雨の末期になってきました。あとしばらくしたら、梅雨も終わるようです。それなりに神様は雨をもたらしてくださいました。ありがとうございました。 神様がなさることですから、私どもは有り難く天の恵みに感謝しなくてはならないのですが、毎年といっていいほどどこかで災害が起こってしまい、それは仕方のないことなのかもしれませんけど、その度に私たちは頼りない生きものではありますので、右往左往しなくてはならなくて . . . 本文を読む
中村健之介さんの『ドストエフスキーのおもしろさ』(岩波ジュニア新書)からの古いメモです。でも、この混沌とした世界に、ドストエフスキーを開いて、何か見つかればいいんだけど、私にはハードルが高くて、薄いの一冊読んだだけでしたね。 この『未成年』はトルストイの小説『戦争と平和』に対抗して書かれた作品です。 「トルトイ伯の描いた貴族は、見事な秩序の担い手だ。彼らは誇りをもって自らの使命に殉じている。彼ら . . . 本文を読む
一年に一度くらい、夫婦岩でお馴染みの伊勢市二見町に出かけます。ここは、広大な菖蒲園と通路沿いのとりどりのアジサイと、エントランスはスイレンとハス、六月から七月にかけて、ずっと花が絶えないところでした。しかも無料だし、道の駅みたいなところもあります。 中高年のお客は多いけれど、こんなに暑いと、三連休の真ん中の日曜日、朝から晴れというお天気ではなかなか行けないところでした。 それなのに、私たちは六月 . . . 本文を読む
昨日の夕方、空から私たちの世界をのぞくようなメダマみたいなのを見つけました。雲のメダマなのか、空への風穴なのか、とにかく見られている感じがしました。もう余計なことを考えず、さっさと走っているうちに見られてる感は亡くなりました。私はただの日常の中の人になり、家へと帰りました。少しだけお買い物して、またお小遣いを減らしてしまった! この無駄遣いもなかなかやめられないです。 そして、そのあと雨が降り続 . . . 本文を読む
作詞家の松本隆さんが、2024年の6月29日の朝日新聞にこんなことを書いておられました。 この春から「風街ラヂオ」という番組を始めたそうです。そこでラジオパーソナリティーを担当しているそうです。 番組のなかで、ひとつ気をつけているのは、人の悪口を言わないこと。ことばには、プラスの影響をあたえる「いいことば」と、その逆の「悪いことば」がある。 そうですよね。悪いことばを自分の口から出してると、自分 . . . 本文を読む
お昼のBSで、邦題が「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(2011 ワーナー)というアメリカであったテロ事件を題材にした映画を見ました。 お父さんはトム・ハンクス、お母さんはサンドラ・ブロック、10歳のひとり息子はトーマス・ホーンという人です。今は彼はどんな仕事をしているのか、少し気になりました。いい役者さんになっているかな。 映画は、2011.9.11の朝に事件が起こります。いや、その . . . 本文を読む
ものすごい暑さなので、二つの鉢に入れていたメダカたちをプリペットという木の下に移動しました。ついでに、水も替えて、ボウフラを取り除いて、この間大発生し、うちのメダカ鉢の新発見だと思ったマリモのようなコケたちは捨ててしまいました。必然性があったのかもしれないけど、気持ち悪かったんです。 トンボの子どものヤゴがいた時もあったんです。このヤゴたちはボウフラを食べらるらしいのです。でも、今回はまだトンボ . . . 本文を読む
これは去年見に行った青森市のねぶた像でした。青森のねぶたは立体的で、骨組みなど構造的に作られて、そこにデザインされていたキャラクターの色がついていきます。地域のいろんなところのバックアップとアルバイトと、そこで踊りたい人々の情熱が合わさって生き生きしてくるおまつりでした。 青森から西南西に弘前という街があって、そこでもおまつりはあるみたいですが、そこではふくらんだ扇状の山車があって、その扇部分に . . . 本文を読む
「素晴らしい」という漢字を憶えたのは、高1だったのか、もっと後だったのか、ひょっとしてそれは高1の合唱大会にむけての取り組みの中だったのかもしれない。 うちのクラスは「あの素晴らしい愛をもう一度」とあと一曲を歌ったはずです。はっきり曲名を憶えていなくて、それが2年の時だっのか、3年の時だったのかわからないのです。あまりにも昔だしなあ。 ただ憶えているのは、音楽も、譜面も何もかもわからない私が、指 . . . 本文を読む
今みたいな、何もかもしなびれさせてしまう、恐ろしい暑さの日々ではなくて、もう少し穏やかな日であれば、外で何かをするというのは楽しいはずです。今はもう、とんでもないお昼の時間があるだけです。 外で何かをする。それは木蔭であったり、草の上だったり、沈んでいく太陽を目の前にしていたりしたら、とても大事な時間になるし、気づいていなかったものだって見える気がします。 それくらいに、外で本を読むにしても、勉 . . . 本文を読む
アンネ・フランクさんは1929年6月12日生まれで、1945年3月12日に亡くなったそうです。あとしばらく耐えられたら、彼女は今でもこの世にいたのかもしれないし、彼女の言葉が聞けたのかもしれない。 そんな、ありもしないことを考えても仕方がないけれど、彼女は十数年の人生を懸命に生きたのだと思います。そんな言葉しか思い浮かばないくらいに気持ちがストップしてしまう。どうしたらいいのか、わからなくなる感 . . . 本文を読む
改めてアヌク・エーメさんの画像を検索してみました。どれもイメージと違うし、どれもヨーロッパの女優さんみたいな写真で、何だか違うなあと思いました。 どれも髪は長くて、シックな服を着ていて、正面に圧力を加えている感じの、オーラをムンムンさせている写真たち、これらは私のアヌーク・エーメさん像ではありませんでした。ご本人には申し訳ないけれど。 私は、『男と女』はちゃんと見たことがありませんでしたけど、チ . . . 本文を読む
頭の悪い私でも、人間というのは矛盾した存在である、というのは知っています。そして、折に触れて、ああ、何だかギッコンパッタンのシーソーのような、あちらを立てればこちらが立たずみたいな、切り刻まれるような瞬間に立たされることがある(あった)ような気がします。 そういう時は、折り合いをつけて、バランスを考えて、みんながうまくいくように、なるべく努力する、説得する、話をする。そして、あの人が言うなら仕方 . . . 本文を読む
私は、パー子さんが好きでした。学校で友だちになりたかった!お天気予報はどうだったかな? そう今年最高気温というのは聞いたかな。でも、朝はもやっているし、晴れて来るのかわかりませんでした。空の向こうまで雲も霧も水蒸気もある感じでした。跨線バイパスから町を見ると、町全体からも水蒸気が上がっているような朝でした。一日お仕事であれこれしていると、外は晴れるわけじゃないのに、少しずつ暑そうな気配を満たして行 . . . 本文を読む
今の時間までテレビを見てしまって、直前は鑑定団を見ていて、愛媛県の歴史の先生が45万円で買った漱石先生の写真が250万円という高値で、その額にも驚いたけれど、そこにあった漱石先生の39歳から49歳まで、亡くなる直前の写真まで、その証言性に驚きました。 確かに、とても貴重な写真だし、先生が修善寺で一時危篤になって、そこから復活した時のみんなの集合写真など、面白いものもありました。和洋折衷の漱石山房 . . . 本文を読む