リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年12月~その1

2009年12月11日 | 昔語り(2006~2013)
孤独感という名のウィルス

12月1日。おお、いい天気だ。この調子だと、今度は冷え込んで来そうな予感。雪、やだよ、降らないでくれ~。カレシが古巣のいうなれば「OB会」に出かける予定で、今日はちょっと早めに起床。ご当人は「行く」と返事をしたくせに、「めんどうくさい」とぶつぶつ。ワタシは内心では「だったら行くって言わなきゃ良かったのに」と思いつつ、「久しぶりじゃん、みんなに会うの。行ってしまえば話も弾むよ」と煽り立てる。年をとって来たら「社交」は脳の活性を維持するために大事なのよ。活字のつきあいと違って、対面してのつきあいはその場で「即興的会話」をするから、いわば脳みそのエアロビクス。(口に出して言わないけど、近頃のカレシは何となく「ん?」という言動がちらりほらり・・・。)

ニュースで「孤独感は伝染する」と言っていたけど、社会との交流が少ないほどそういう孤独感や否定的な感情に感染しやすいらしい。類は友を呼ぶということかな。社会との交流が少ない背景には元々うつ病になりやすい体質もからんでいるような気がする。募ってくる孤独感がうつ病を呼ぶのか、うつ病のせいで孤独感が深まるのかはわからない。否定的な感情の強い人は人との交流をあまり好まないだろうから、孤独感を呼び込むタイプと言えるかもしれないな。そう思うのは、カレシにどことなくそういう傾向があるような感じがするから。基本的にどっちかというとネガティブな、うつっぽい性格で、人との関わりは煩わしいけど、一人になると孤独感に襲われるようなところがある。そこでその重い荷物を近しい人に渡して楽になろうとすると、まるで「心の風邪」のウィルスを人にうつすようなもので困ったことになる。ワタシが日頃から兄弟や友だちとの交流を推進するのはそういう「病気」の予防の意味もあるんだけど、元々消極的な人に積極性を求めるのは難しいなあ。

ワタシは一人でいてもなぜか孤独感と言うのはあんまり感じない。自称「ワタシ」というくらいの能天気な人間だからかなあ。パーティに行けば、知っている人がいてもいなくてもけっこう楽しく盛り上がる。おしゃべりが好きに生まれついているらしく、スモールトークはどこでも誰とでもお手のもの。だけど、日本にいた頃はそうでもなかったような気がする。友だちはいても、親の転勤で住んでいるところが違っていたから、つるんで遊べなかったし、第一、あの頃は嫁入り前の「箱入り娘」だったんだもの。天体望遠鏡で星を追っかけていたのは、あんがい孤独だったからかもしれないな。スモールトークだって、英語だからできるんであって、日本語だったら、相手と自分の上下関係がわからなければうっかり口を開けないから、知らない人とは話なんかしないだろうし。

つまり、カナダに来てからのワタシは孤独を感じない環境にいるってことなんだろうけど、よく考えてみたら、一人でいて退屈することもあんまりない。まあ、物心ついた頃から一人遊びが苦にならないたちだったらしいけど、フリーランスの在宅自営業もある意味で一人遊びみたいなものだから、それで延々と20年もやって来られたのかもしれないな。それにしても、人の中に紛れ込んでわいわい騒ぐのが好きで、一心不乱の一人遊びも好きというのは、矛盾しているような感じがないでもないけど、ま、いいか。それがワタシなんだし、あんがいボケずにすむかもしれないし・・・うん。

カレシさあ、共にボケてしまわないように、もっと一緒に遊ぼうよね。友達をたくさん呼んで、どんどんパーティもやろうよ。ボケて他の人とのつながりがわからなくなったならまだしも、孤独な老後はほんとにつらい孤独だろうと思う。人間というのは生身の人間のぬくもりを感じることで心豊かに生きられるようにできているんだと思うよ。だから、ねえ、あそぼ~ったら~!

ゆるゆる人間は沈没する

12月2日。すばらしくいい天気なんだけど、案の定、最低気温はマイナス2度まで下がったとか。ずっと北の方までかなりの高気圧。トロリーバスの架線の霜取りが間に合わず、朝のラッシュにバスが軒並みダウンしてしまったとか。この調子だと初雪は近そう。暖気と入れ替わる過程での雪ならいいけど、去年の「再放送」はごめんだなあ。おまけに市条例の改正で、これまで商業ビルや集合住宅だけだった歩道の雪かき義務が全市に拡大されるし。これは去年の大雪で市民生活に支障を来たしたことから得た教訓によるものだけど、角地の我が家は「家の前の歩道」が普通の4倍、40メートル以上の長さになる。去年は「なんで他人のためにオレが雪かきしなきゃならないんだ」とやらなかったカレシは義務化のニュースを聞いて「あっ、そう。いいよ」と肩をすくめたけど、果たしてやるのかな。スーパーで融雪用の塩を買って、ストックしておこうかなあ。

たしかに除雪されていない歩道で一番苦労したのは高齢者や障害者だったけど、雪かき義務になって一番難儀するのも高齢者や障害者じゃないかと思う。それと、「午前10時までに」という条件付だから、交代勤務の人も困るんじゃないのかな。しかも、雪かきを怠った場合の罰金がバカ高いし、罰金を払ってなおも拒否したときは市がやって、その費用を取り立てるというからえらい力の入れようだけど、今の市長も市議会も「規則つくるの大好き」党だから、たぶん高齢者や障害者への考慮は忘れていないだろう。とは思うけど、あてにはならないかな。今はやりの「グリーン革命」をかっこよく推進する話になると熱が入るんだけどなあ、この人たち。

グリーン革命といえば、アメリカで地球温暖化は「人間の活動に由来する」として、政府に規制を働きかけている科学者たちが、異説を唱える科学者たちの論文を掲載させないように学会誌などに圧力をかけようと相談していたらしい一連のメールがハッカーに盗まれてネットに流出してひと波乱。だって、自分たちに反対する意見が日の目を見ないように封じ込めようという、もろに「言論統制」じゃないの。科学者なんだから、正々堂々と自説を唱えて、議論を戦わせたほうが人類のためになると思うけど。まあ、人を黙らせて持論の説明や議論を回避しようとする輩に限って自分の言っていることに自信が持てていないようなところがあって、異論に対して強圧的な態度を取って、それが成功したところで「自分の正しさ」に確信を持つというのが多いように思う。いじめっ子の心理にも通じるところがあるような感じで、そういう人間が集団になったら怖い。環境保護運動がそういう方向に向かっていなければいいんだけど。

それにしても、コミュニケーションの手段が全体的にどんどんキケンになっているのに、みんなけっこう無防備なんだなあ。今の時代、メールにチャットにSMSにVOIPに携帯電話と、面と向かって話をしなくても十分以上に事足りてしまう。相手の表情や反応にリアルタイムで触れることがないから、そのうちに「向こう」に生きた人間がいるという実感も薄れつつあるのか、無防備な行動が増えているような気がするんだけど。かのタイガー・ウッズもボイスメールに「浮気の証拠」を残しちゃった。ボイスメールが録音装置だということを忘れたんかいな。おまけにそのメッセージの中で「女房がボクの電話(の記録)を調べたんで、電話が行くかもしれない」とか、「頼むから名前を外して番号だけにしてくれ」なんて言っちゃってるんだから、っとに無防備もいいところだったよね、キミ。まあ、いつでもどこでも携帯機器を持ち歩いて使っているうちに、キカイの先は世界に開かれた空間だという認識が薄れてしまったゆるゆる人間が増えているということなのかもしれない。第二次大戦中にアメリカが敵のスパイを警戒して「Loose lips sink ships」という言葉を作った。ゆるゆるの口は(味方の)船を沈めるということで、日本のことわざなら「壁に耳あり、障子に目あり」ってやつかな。

日本でのある調査では、回答した20才から39才までの既婚女性の61%が夫の携帯のメールなどの記録をチェックしたことがあるとか。小町横丁でもそれで不倫が発覚したという話がよく出てくる。見つかるとは思っていなかった無防備なゆるゆる夫が多いんだろうけど、ことさらプライバシーを言い立てるタイプはあんがいやましいところがあったり、あるいはそういうアブナイ隠しごとが好きで、それをちらつかせて相手の反応をうかがうような趣味があったりするから要注意かな。わざわざ疑惑を招きそうなそぶりを見せて相手の注意を引いておいてから、「プライバシーの侵害だ」と攻撃してくる悪質なのはもっと要注意。夫婦の間でも互いのプライバシーを尊重すべきではあっても、それを隠れみのにして倫理に反することをして(つまり権利を乱用して)おきながら「プライバシーの権利を尊重しろ」と言っても、あまりたいした説得力がなさそうで、逆に撃沈するだけかも。

ほっこりブログの効能

12月3日。英語教室を2日連続に変更したら、カレシは木曜日から月曜日までの5日の週末。ワタシは木曜日の夜中までに仕事が入ってこなければ、月曜日の夕方までは安全地帯。このところ急に仕事前線が静かになった感があるけど、まあ、クリスマスまであと3週間。その後は日本で仕事納めということで、このまま年が暮れるまでそろってのんびりした週末、ということになればいいんだけど。

きのう「ゆるゆる」という言葉を「しまりがない」という、ややネガティブな意味で使ったんだけど、どうやらブログ語では「ほっこり」の同義語として使われているらしい。なるほど、「窮屈さがない」というイメージの癒し系表現なんだろうな。おもしろ半分にググって回ったら、うわっ、ある、ある。ゆるゆる、ほっこりの洪水。「ほっこりすと」とか「新ナチュラリスト」ともいうらしい。あるサイトの皮肉たっぷりの定義によると、「新ナチュラリズム」とは、「西洋の田舎生活を気候の違う日本で不自然なまでに再現しようとすること」だそうで、おしゃれな雑貨たちがどうの、アンティークの何とかたちががどうの、何とかブランドのティーカップたちががどうのと、「お気に入りにかこまれて」、おしゃれに穏やかにと~ってもお上品に、「ほっこり、まったり、ゆったり、ふわふわ、こっくり、じっくり、ていねいに~、ぽかぽか、のんびり」と「おだやかな時間、自分のための贅沢な時間」をお過ごしのご婦人方が溢れるほどいるらしい。まあ、いたってのどかな「擬似田園風景」的な消費生活といえそうだけど、ふ~ん、不景気でデフレの世の中だというのに、ほんとかいな・・・。

ついでにネットをぶらついていて迷い込んだのが「ブログ村」というところ。すごい数のブログがある。自己のブログを紹介するのに、なぜか「~を綴ります」、「~を綴っています」というパターンが多い。これもブログ語なのかな。「海外生活」というカテゴリを見たら、「カナダ」というサブカテゴリに406件もあるからびっくり。こっちは「紹介しています」、「お届けします」、「情報発信します」というパターンが多いような。うん、このブログ、「カナダ生活の情報発信」などと振りかぶらないで、ただのたわごと日記にして良かったなあ。こんなに大勢の人たちがカナダ暮らしの情報を故国日本に向けて発信してくれていたら、ワタシの出る幕はないもんね。ゆるゆる、のんびり、ほっこりと、半径5メートルのカナダのすばらしさを大いに宣伝してね。

小町でもブログに関するトピックがときどき立つけど、だいたいは「むずむずする」とか「自己顕示」だとか批判的で、「いやなら読まなきゃいい」という人がいれば、ああだこうだと分析する人がいて、かなりにぎやかな議論になる。ワタシも「新日本語」を勉強した(させていただきました・・・かな?)何にでも「お」をつけ、自分のことに敬語を使い、「~て。」と宙ぶらりんでセンテンスをくくり、「セレブな私」を演出・・・というあたりが「むずむず」の元凶らしい。ゆるゆるの擬似セレブ風ブログを読んで、「んなこたあ、ありえねぇだろ~が」と反発する気持が「むずむず感」になるのかな。まあ、たしかに気取った感じ、不自然な感じ、無理をしている感じはあるかもしれないけど、それも「綴り方」のうちだからね。

文章を書くのに慣れていない普通の人が芸能人などのブログや女性雑誌の文体をまねして書いているからみんな同じ「むずむず」パターンになるのでは、という分析はおもしろい。要するに、憧れる華やかなものをまねての演出ってことかな。でも、いいじゃないの。現実世界では髪を振り乱して走り回っている人が、ブログでは「ふんわり」暮らしていてもいいじゃないの。西洋の田舎生活を不自然に模倣していたっていいじゃないの。すてきなアンティーク雑貨が使いものにならない「がらくた」だっていいじゃないの。仮想現実空間へのつかの間の逃避で「ほっこり、まったり、ゆるゆる」した気分になって、自分を癒しているんだろうと思うから。

では、サンマを焼いてゆっくりと

12月4日。ほんとにまぶしいくらい明るい。それでもたいして冷え込んでいないらしく、家の中の陽だまりはぽかぽかを越えて少々暑いくらい。来週末まで晴天が続くそうだけど、そこで暖気が先か、雨雲が先か。きのうは夜中を過ぎて「お、この週末はフリーだ」と喜んでいたら、午前2時を過ぎて立て続けに仕事が2つ。日本では金曜日の夜だというのに、「まだ帰れないんです~」。おやおや。というわけで、ワタシの週末はお預けになってしまった。

それでも、週末の仕事は気分的に余裕があるから、まずは「用足し」。洗濯機を回しておいて、銀行へ行って、第3四半期の物品サービス税の還付小切手を入金して、今月の掃除代とシーラとヴァルにあげるクリスマスのチップ、それに当座の現金を出す。日本の銀行に貯まっていた円建ての売上を送金してもらったので、ふところ加減は当面ほかほか基調。銀行から連絡があってカナダドルに交換して入金してもらった翌日に円がすとんと下がった。今日が入金日だったら1000ドル以上少なかっただろうな。いやあ、今回はラッキー!別に投機で儲けようというわけじゃないけど、1000ドルの差が出たらやっぱり損したと思ってしまうもん。これを毎日やっている人って、かなり強靭な神経の持ち主なんだろうなあ。

底をついた野菜類をど~んと買いこんで来て、洗い終わった洗濯ものを乾燥機に突っ込んで、野菜類をカレシのとワタシのとに仕分け。今日はトートバッグを2つ持って行って、それぞれのかごから別々に詰めてもらったから、仕分けはとんとん拍子。ところが、終わってベースメントに引っ込んだら、カレシはやたらとくしゃみを連発し、ワタシは咳が止まらない。エアクリーナーをかけたけど、換気装置を「高速」にしようと、タイマースイッチが一番近い園芸ルームに行ったら、換気装置のあるとなりの工作室が静か。わっ、常時「低速」で回っているはずのファンが動いていない。だけど、試しにタイマースイッチを入れてみたら、ちゃんと「高速」で動き出した。まあ、21年間も常時運転だったから、そろそろお疲れってこともあるけど、高気密性の家だから、換気しないと汚れた空気の行き所がない。アレルギー持ちの人間には一大事なのだ。即刻、空調会社に点検を依頼したら、「来週の金曜日になります」。はあ、それまでは1日数回手動で高速換気する他ないか。

空調会社と話をしていて、マットが改装するバスルームに排気ファンをつける話をしていたのを思い出したから、ついでにスケジュールの状況を聞いておこうと電話した。「今の仕事によぶんの時間がかかりそうで、早くても3月以降」だそうな。うへ。「元の同僚のマイクならもっと少し早くできると思うけど、バトンタッチしていいかな」と聞くので、空調も電気も配管もおなじみの会社を使っているということでOK。改装には景気刺激策の「税額控除」の恩典があって、完了期限が1月末だから、工務店はどこもてんてこまいなのだ。我が家のプロジェクトはもう何年も懸案だったから、税金の控除は要求事項には入れなかった。とすると、2月くらいになるかな。ま、マットがマイクと相談して、マイクがOKしたら、改めて二人を交えて「プロジェクト会議」をするということで、ひとまず話がついた。

やれやれと思ったら、午後はもう終わり。夕食のしたくの時間になって、冷蔵庫の上のフリーザーを開けたら、うひゃ。きのう半分飲んだワインのびんが入っている。もちろん、ワインはガチガチ。はあ、どうやらカレシが冷蔵庫に入れるつもりでフリーザーの方に入れてしまったらしい。二人してひとしきり大笑いしたところで、シンクに張った水に漬けてゆっくり解凍することにしたけど、「これがほんとのアイスワイン」なんてダジャレにもならないじゃん、キミ。ビンの中で凍っていてはシャーベットにもできないしねえ。まあ、何十ドルもするような高級ワインでなくて良かったけど、っとにもう・・・。

今日のメニューはロールモップとねぎの太巻きと冷凍サンマの開き。煙探知機が鳴り出してまた消防車出動ってのはかっこ悪いから、アルミホイルに包んで、ときどき油を捨てながらグリルで焼いた。これだと煙がでなくても皮にちゃんと焼き目がつく。(魚焼きグリルがない国の生活の知恵ってところかな。)大根おろしを載せたら、う~ん、子供の頃に裏口で七輪をパタパタ仰ぎながら焼いたサンマを思い出すなあ。獲れたてには遠く及ばないけど、懐かしい味はとにかくおいしい。すっかり魚通になったカレシも「これはうまい」。じゃあ、またHマートで買ってこようね~。

不測の事態に慌てた今日は、サンマを焼いて、無事に液体に戻ったワインでゆっくりと乾杯・・・。

コンサートはロシア音楽の夕べ

12月5日。今日も良い天気。冷え込む、冷え込む、とうるさいけど、雪が降らなければ冷えたっていいじゃない。今日はバンクーバー交響楽団の「Musically Speaking」シリーズの初回。何年もブリティシュコロンビア大学のキャンパスにあるコンサートホールでの室内楽シリーズに行っていて、ダウンタウンに戻るのは久しぶり。カレシが土曜日で駐車する場所を探すがのめんどうだとしぶるもので、ワタシは好きだったこのシリーズを止めたのが、室内楽にも飽きてきたし、地下鉄の開通で車でなくても良くなったしというこで、古巣?へ戻ることになった。

だから、今夜は地下鉄で行くのかと思ったら、「寒いから駅まで歩きたくない」とまたぞろ駄々をこね出すカレシ。駅までは歩いてたった10分かそこらだし、ダウンタウンではいつも駐車する場所よりも駅の方が近いのに。じゃあ、モールまで車で行って、駐車場に車を置いて地下鉄で行く?「時間オーバーするじゃないか」とカレシ。モールは4時間まで駐車できることになってるんだけど。それに9時を過ぎたら開いているのはスーパーだけだから、もうチェックなんかしないと思うけどなあ。ほんとのところは、めんどくさがりモードになっているカレシは行きたくないのだ。だけど、行きたくないと言えばワタシは誰かを見つけて一緒に行くだろうから、そうは言えない。ふ~ん、めんどうな人だねえ、キミ。で、ちょっとむずかった挙句に、制限時間いっぱいで「車でダウンタウンまで行く」と決断が下って、ぶじに出発。

今度の席はバルコニーのドレスサークル最前列のど真ん中。高いからオーケストラ全体が見渡せていい。ところが、最初の曲が(ショスタコヴィッチの『祝典序曲』)が始まったのに、ワタシの隣に座った二人連れがおしゃべりをやめない。見たらタコ入道みたいなつるつる頭のおじさんともじゃもじゃ頭のおじさん。身なりはいいけど、どう見てもクラシックコンサートの常連さんという感じじゃないかな。年の頃は40代後半か50代初め。つまりはいい年なんだけど、近頃は何でもパーソナルで、自分の家の内と外の区別をつけられなくなった人たちが多いなあ。しゃあないから、「すみません」と言って、(お上品に)唇に指を当てて(にこやかに)「プリーズ」とやったら、おじさんたちはおとなしく黙ってくれた。サンキューヴェリマッチ。おうちでDVDを見てるんじゃないんだからね!

今夜は「ロシア音楽の夕べ」とでもいうのか、ショスタコヴィッチの後はプロコフィエフの『キジェ中尉』から「トロイカ」。チャイコフスキーの『ロココの主題による変奏曲』で第1部が終わり。このチェロの変奏曲はすごくセクシーでいつ聞いてもうっとりしてしまう。土間の席だった頃と比べて、音質がなんとなく違って聞こえる。Orpheumは古いヴォードビル劇場を改装したものだから、交響楽団にはあまり向いていない。でも、バルコニーは高いから、空間的に広がりがあって、すべての楽器の音がちょうどいいぐあいにブレンドされるのか、ずっといい音に聞こえる。まあ、ドレスサークルにはシニア割引も学生割引もないんだから、そうでなきゃねえ。

第2部は地元の作曲家の新曲の初演。若い音楽家を養成する目的で短い曲を発表する機会を設けているんだけど、今夜は冬季オリンピックがテーマで、タイトルが『2010 Traffic Jam(2010年の交通渋滞)』。なかなか躍動感のあるかなりビジュアルな曲だから、都会を舞台にした映画のオープニングシーンに使えそうな感じだな。演奏が終わって、挨拶のためにステージに出てきた作曲家君は、あら、ゲームショップでWiiでも売っていそうな眼鏡のお兄ちゃん。まだ21歳だそうで、拍手喝采に応えるお辞儀の仕方もぎごちないのがかわいいくらい。将来はきっと明るいよ、ジャレッド君。

次のチャイコフスキーの『ペッツォカプリッチオーソ』では、途中でチェロの弦が緩んでしまうというハプニングが起きて中断。奏者のジュリー・アルバースは弦を締めなおして、調弦して、音合わせをして、演奏を再開したけど、ソリストには悪夢のようなもんだろうなあ。プロコフィエフの『三つのオレンジへの恋』組曲の後は、チャイコフスキーの『眠りの森の美女』組曲。アダージオを聞きながら、7、8歳くらいの頃にみんがやっていたバレリーナごっこを思い出した。お金持ちのバレリーナの女の子が主人公の少女漫画があって、みんなバレリーナに憧れていた。リボンを足首に巻いてトウシューズのつもり。つま先立ちしてオデット姫になったつもり。でも、習い事といえばせいぜい書道かそろばん程度で地方の小都市にバレエ教室があったと思えないし、誰もクラシックを知らなかったし、まだテレビもなかったから、みんなどうやって踊ったんだろう。漫画の絵をまねてポーズをとっていただけだっ
たのかな。あはは、その辺のところは覚えていないけど、あんまり優雅さとは縁がなさそうなワタシにだって、バレリーナごっこやシンデレラごっこをやっていた、ふつうの子供の時があったってことか。

久しぶりにオーケストラの大音響に包まれて、気分がすっかり高揚して、ああ、すうっとした。

焦らないと、クリスマスが・・・

12月6日。寒いなあ。明日とあさってあたりが一番冷え込んで、金曜日あたりに雪、土曜日は雨交じり、そして日曜にはおなじみの雨が再登場、という予報。金曜日は空調会社が換気装置の修理に来る日だけど、大丈夫なのかなあ。まあ、雪が降る確率は郊外の方が高いんだけど、肝心の空調会社が郊外にあるから、ちょっと心配。お天気のことは気をもんでみてもしょうがないか。

ひとつ仕事を送り出して、今日はひとりで自分だけのショッピング。自分だけのショッピングをする。お得意さんにカードと一緒に送るカレンダーを買い、引っ越し祝いのプレゼントを買う。ワタシ流にこれはというものを探したり、選んだりするとけっこう時間がかかるから、待つことが嫌いなカレシと一緒ではストレスになってしょうがない。運動代わりに歩いて行くといったら、「スーパーでたくさん買い物があるから、駐車場に空きがあったら電話しろ。そうでなくても、もしも買い物をしすぎてトートが重くなったら迎えに行ってやるから電話しろ」と来た。あの~、12月の日曜日の午後だよ。クリスマスショッピングの季節だよ。この時間に駐車場に空きなんかあるわけないじゃないの。だから、歩いて行くって言ってるの。

勢い良く歩き出したのはいいけど、今日は風があって、耳元でひゅうひゅうというのを聞いているだけで寒い。体感温度は氷点下だろうな。ワタシはいつもの極楽流でフリースの裏のついたジャケットの下は家の中で着ていた半袖のシャツ一枚。それでも半分も行かないうちに汗ばんでくる。冷たいのは肩からずり落ちそうになるトートを押さえている手と耳。ずっと昔、25年くらい昔の勤め人時代に、猛烈な寒波が襲来した年があった。カレシが車を止める場所からワタシの職場までは下りの坂道で、ブーツに毛皮のショートコート、マフラーにイアマフといういでたちで、入り江を渡って来る寒気に向かって歩いていたら、イアマフからはみ出していた耳たぶの先っぽが凍傷になってしまった。小さいけどりっぱな凍傷。やがてかさぶたになってポロリと取れたけど、温帯雨林のバンクーバーのそれもダウンタウンで凍傷」という嘘のようなほんとの話。1980年代はそれくらい寒かった。

カレンダーを見繕い、自分で気に入ったプレゼントを見つけ、ついでにこの前にCoachで買ったのとそっくりのクラッチバッグを送ってきた割引25%のカードを使って買って、今日のショッピングは終了。モールはどこも人がたくさんいて、どこでもレジの前には列ができている。やっぱり景気が上向いているのを感じて、みんな買う気満々というところなのかな。(1980年代初めの大不況のときはクリスマス直前になってもデパートのレジには人の列ができなかった。)ベイでは、先月店内に流れ出したクリスマス音楽に「頭がどうにかなりそうだ」とぼやいていたお兄ちゃんがレジで長蛇の列をさばいていた。まあ、誰だって勤務時間中いっぱい甘ったるい『ホワイトクリスマス』とか『赤鼻のルドルフ』とか『Frosty the Snowman』を繰り返し聞かされたら発狂しそうな気分になるよなあ。

モールの広い駐車場は空きを探す車がぐるぐる。これではスーパーでの買い物どころじゃないし、迎えに来てもらうほどの荷物じゃないし、ということで、ちょっと膨らんだトートを肩に勇んで歩いて帰ったら、家に着いた頃はすっかり汗ばんで、いい運動をした気分。だけど、クリスマスまであと2週間半。なんだか忙しない気分になって来たなあ。送るものを送って、注文するものを注文して、買うものを買わないと、例年のごとく焦ることになるぞ・・・というよりは、もう焦らないといけないところまで来てしまっているような気がする。さっさと仕事を片づけて、クリスマス計画の次へ進まなきゃあ・・・。

外は木枯らし、内はぽかぽか

12月7日。今日もまぶしい日。外はかなり寒いらしい。きのうの夜は月がすごく明るかった。だけど、冬の月はやっぱり冷たい。月が冴え冴えとしている間は気温はどんどん下がる。まあ、天気予報から「雪」は姿を消したけど、この寒波、週末までのがまんとか。ワタシは相変わらず半袖シャツ一枚と素足のままで家の中を走り回っているもので、季節に合った服装のカレシは、「ちょっと血の気が多すぎるんじゃないか」と呆れ顔だけど、ほんとに寒くないんだってば。

ひと月も前に注文した品物がやっと届いた。トロントにある何年もおなじみのキッチン用品店なんだけど、どうも秋に移転してから様子がおかしい。9月の末に注文した数点が届いたのがニューヨークへ旅行中の10月の末。クレジットカードの請求は注文の翌日で、メールでレシートも送ってきているのに、発送通知は3週間も経ってからで、おまけに届いてみたら注文とは違うものが1品。送り返すのもめんどうだから、改めて目当ての品物と他に数点を注文したのが11月の初め。またまた請求やレシートはすぐに来るけど、発送通知が来たのが先週で、届いたのが注文から1ヵ月を過ぎた今日。しかも、レシートにある品物が2点抜けていると来た。さっそく問い合わせのメールを出しておいたけど、いいものがたくさんあって、サービスもいいし、今まで必ず10日以内に届いていたのに、どうなっちゃったんだろうなあ。いとも不可解・・・

かなり長い間メールしていなかった友だちのシャーラから突然Facebookへのお誘いが来た。ワタシはFacebookのアカウントを持っていない。劇作の先生からもお誘いをもらってそのままにしていたんだけど、どうしようか。シャーラはあるフォーラムを通じて知り合ったテキサス州に住む人で自分の事務所を持っている公認会計士。そんなキャリアウーマンのシャーラが40代になってやっと好きな人に出会って結婚したら、これがえらいマザコン男。オフラインで3年くらい愚痴を言いあったり、元気づけあったりしていたのが、お互いに忙しくなってここ何年かメールが遠のいていた。ワタシはシャーラのことを忘れたことがなかったし、シャーラもワタシのことをちゃんと覚えていてくれた。これが友だちってもんなんだろうなあ。

どうしようかと迷ったけど、結局はアカウントを開いて、シャーラの「友だち」になった。まあ、これから使い方を覚えていけばいいか。でも、びっくりしたのは、シャーラの誕生日がワタシと同じだってこと。生まれ年は12年違うけど、世界はほんとに狭いなあ。カレシの弟のデイヴィッドも同じ誕生日。高校時代に文通していたパリジェンヌのアンヌマリーも同い年で同じ誕生日。彼女とは地球のあっち側とこっち側で「いつか出会う運命」を持って生まれて来たのよねえ、なんて乙女ちっくなことを言ってたなあ。高校卒業と同時に結婚したアンヌマリーだけど、ひょっとしたらもう孫に囲まれているかもしれないな。ワタシと同じ誕生日の人に3人も出会えたのは、ラッキーな日だからかなあ。

そのラッキーな誕生日のデイヴィッドから電話があって、来月ひとりで来るので2、3日泊めてくれと言う。おお、もちろん、もちろん。一応はパパの90歳の誕生祝いに来るというけど、遠いトロントに離れているし、デイヴィッドも突発的に気胸になって以来健康不安を抱えているから、今のうちに顔を見ておこうという気持なんだろうな。肝心のパパはもうどうしようもなくボケてしまって、92歳のママが同じ部屋で介護するのは危ないということで、完全介護棟に移されて以来毎日ほぼ眠っている状態だそうで、誕生祝いができるかどうかはわからない。なにしろ、68年連れ添った妻の顔さえわからなくなってしまっているんだから。

うう、今夜もぎりっと冷え込んでいるなあ。カレシは温室内の温度を示すリモート温度計を見ては電気ヒーターの調節に出たり入ったり忙しい。せいぜい12平方メートルの小さな温室をプラス5度まで暖めるのに、185平方メートルの家全体を暖房する倍の電気料金がかかる。でも、今日は気分がほかほかなもので、「あ、もひとつヒーターを入れたら?」なんておおようなことを言っちゃったけど、今プラス4.9度。まあ、最低気温の予報はマイナス5度か6度くらいだから、これ以上はあまり下がらないかもしれないけど・・・。

小さなアメリカを見つけた

12月8日。ゆうべは結局かな~り冷え込んだようで、温室の最低気温はプラス1.9度まで下がっていた。サボテン類はたぶん砂漠の夜の寒さに慣れていて気にしないだろうけど、他の鉢植えは歯をがたがた言わせて震え上がって、「待遇悪い~」とこぼしていたかもしれないな。「寒かったろ。ごめんよ」と言ってやればいいのにと言ったら、「ボクはチャックと違って土に植わってるものには話しかけないの」とカレシ。チャックというのはイギリスのチャールズ皇太子のことで、だいぶ昔に室内植物に話しかける奇癖があるという噂があったのだった。どこかで話しかけると良く育つという説があったから、それを実践したのかもしれないけど。

北米の天気図は日本とはまた様相が違っていて、「西高東低の冬型の気圧配置」なんてものはない。アジア大陸に寄り添った列島と違って、東西南北、端から端まで何千キロもある大陸そのものだからなんだろうけど、天気予報も国土が広い割にはかなり大雑把に見えると思う。冬の天気の大きな要素がジェット気流の動きで、これが派手に蛇行してぐ~んと南へ下がると、そこへ北極からの寒気がそれっとばかりに南下して来て、気流のイチによってはテキサスあたりまで雪が降ったりする。今、コペンハーゲンで地球温暖化をどうするか議論しているけど、どこも気温が高かったという今年、北米では平年より低かったとか。政治家だの環境活動家だの科学者だのといったえらい人たちが、わざわざ飛行機で飛んで行って、差し回しの大きな車に乗って集まって、誰がどれだけ二酸化炭素の排出を減らすべきかと「hot air(だぼら)」を吹かしまくっていたら、炭素の排出量は増えるばかりじゃな
いのかなあ。

明日の午後に仕事が入るという予告があって、その後にすでに別の予告が入っているから、今日こそはとクリスマスカードの準備にとりかかった。営業用のは、カードの大きさを測って、Wordに保存してある「ビジネス名」を印刷する位置を調節して、厚手なので1枚ずつ手差しで印刷する。不要の紙にゲラ刷りを作って、カードと重ねて位置を確認して、必要なら微調整して、本印刷にかかる。これがけっこう手間のかかる作業なんだけど、それが済めば後は営業用、個人用どちらも封筒に住所を印刷して、カードにサインすれば発送準備完了。小包とまとめて郵便局へ持って行えばいいだけになるけど、う~ん、きっとそこも長い行列ができて時間がかかるだろうな。それでも、今年は今のところちょっぴり余裕で進行中ってところかな。ま、なんていっているうちにきっと焦らなきゃならくなるんだろうけど、それもいつものクリスマス準備風景。来週末はツリーを飾らなくちゃ。

小町に『アメリカかぶれな生活』というトピックがあった。海外永住を夢見たけど、数年アメリカで暮らして日本に定住。でも、思い出が膨らんで、アメリカがなつかしい。日本でもアメリカ気分が味わえるアイテムはないか、と。書き込まれる提案を読んでみたら、手っ取り早いのがアメリカの洗剤や柔軟剤、ハンドソープに食器用洗剤等など。値段も手ごろだし、と。なるほど、きっとアメリカ時代の匂いがほうふつとしてくるんだろうな。壁をペンキで塗るという案もある。そういえば、日本の家の内装は(今はどうか知らないけど)化粧合板とかいう壁板をはっていたっけ。ペンキ塗りは楽しいよ。ちょっと(アメリカンいたずらっ子代表のような)トム・ソーヤー気取りでやればもっと楽しい。リビングの天井からギンギンに明るい蛍光灯を吊るすのをやめて間接照明にするというのは、いいかもしれないな。別のトピックでも西洋の家の室内は薄暗いという話をしていた。でも、それは目の色の違いによる明るさの感覚の違いのせいだという人が多かったけど。

スマッカーズのピーナッツバターにイチゴジャムをパンに塗る・・・あはは、北米の子供たちが大好きなサンドイッチ。たしかに「アメリカの味」と言えるなあ。食器はファイアキングばかりって、ワタシが新婚で貧しかった頃にバンクーバー名物の安い店「Army & Navy」で買ったのがファイアキング。ママがお下がりでくれたパイ皿もファイアキングだったかな。使わなくなって捨てちゃったけど、オークションに出したらけっこういい値で売れたのかもしれないな。壁に壁紙を貼って、床をカーペットにして、土足で上がってはどうかという案もある。う~ん、北米でも家の中に入ったら靴を脱いで上靴のようなものに履き替える人は昔からけっこういるけど。こればかりは海外在住組も家の中での土足は気分的にイヤだと言う人が多いんじゃないのかな。日本では心理的に無理だろうと思う。それこそ「アメリカかぶれの友だちに疲れる」と小町にトピックを立てられるかも。

カレンダーは絶対にLANG社のでなきゃあって人がいるけど、まあ、「古き良きアメリカの田舎風景」の絵だったりするから、たしかに1年間「アメリカの気分」を味わえるかな。(カレンダーはだいたいが自分で買うものなので、今の時期は、モールにはカレンダー屋が出るし、量販の本屋にも壁一面のカレンダーセクションができる。)だけど、カレンダーにはカレンダーフレームをつけるって、そんなの見たことがないなあ。たしかにLANGは木のフレームを売っているけど、普通はプッシュピンあたりで壁に吊るしてある。まあ、この人はついつい「朝ごはんはパンケーキにソーセージパテ」を食べるそうだし、家中をアメリカにはできなくても「キッチンテーブルまわりだけでもアメリカンにすると、お茶を飲むときにほっと懐かしい思い出に浸れる」そうだから、きっと「アメリカかぶれな生活」をほっこりと味わっているんだろう。

説教口調で「過去を懐かしむのもいいけど、本国日本にいる今の幸せを実感しなさい」と諭している人がいたけど、そうやって人さまの楽しみに水をさすこともないでしょ。「脳内アメリカ」で楽しかった思い出を懐かしむのも悪くないと思うけどね。カナダ人(アメリカ人)だって、日本へしばらく行って、みごとな「日本かぶれ」になって帰ってくる人がいるし、ちょっと仏教なんかをかじって、東洋の神秘に「イタイ人」と言われそうなくらいかぶれちゃう人もいるしね。見ていたら、登場するべくして登場したのが「マーサスチュワートリビング」。日本では「カリスマ主婦」とか呼んでいたらしいけど、マーサスチュワートはまさにアメリカ版の「ほっこり暮らし」の元祖。インテリア関係の雑誌は山ほどあって、どれもため息の出そうなすばらしいバスルームやベッドルーム、キッチンの写真が満載なんだけど、
人間が写っていないから、生活感はゼロ。そう、北米流に「ほっこり」の夢を売っているわけ。

日本のどこかの、小さな家の片隅の、小さなアメリカ・・・いいじゃないの、平和そうで。

愛されすぎて機能不全の人

12月9日。今日もカチッと冷えたいい天気。いろんな人が出てくる変てこな夢を見ていて目が覚めた。外に庭園のようなものが見えるパーティ会場に、しばらく会っていない人たちも含めて、友だちや家族親戚が次々と登場して、やあやあ。みんな辻褄の合わない支離滅裂な会話をして笑っているうちに目が覚めたんだけど、やっぱりクリスマスが近いからかな。ヘンな夢でも楽しい夢はいい。そういえば、かって10年以上も繰り返し見た「どこかへ行ってしまったカレシを探し回る」夢は、もう何年も見ていない。ワタシの心境の変化なのかな。今はカレシが「いつも側にいる」という安心感なのか、あるいは「もうどこにも行かない」という自信なのか、はたまた「どこにも行けるわけな~い」という慢心なのか。あんがいどの気持もごっちゃにない交ぜになっているかもしれないけど。

小町にまたまた目が点々になるトピックがあって、おもしろくなって午後いっぱい読み耽ってしまった。『夫が父親として機能しません』というのが27歳の幼児2人の母の苦情。初めはタイトルだけを見て、また家庭を顧みないダメ夫の愚痴かと無視していたら、ランキングがぐんぐん上がって、すごい数のレス。わずか1週間でもう受付終了の予告が出るくらいの盛り上がりようなもので、つい見てしまった。(ん、ワタシもかなりの野次馬・・・。)子煩悩で日曜は子供の相手をするけど(子供はパパになついているらしい)けど、土曜日は趣味のバスケットに出かけてどこへも連れて行かない。土日を家族のために使わないのは最低。その上、勤め先が倒産して、再就職はしたけど収入が激減。バイトとか考えてと言ったら、会社が禁止しているから足りなければパートに出て欲しいと言われて、「下の子はまだ1歳なのに」と大むくれ(母親が働くのは「育児放棄」という主張。)その後夫は残業や休日出勤が増えて、父親として機能していない。こんな男なら離婚して新しい人生を歩みたい、と。はあ。

いやあ、自分の夫に対して「機能する/しない」という表現を使えてしまうところからしておっかない奥さんだと思ったけど、人のいうことには聞く耳持たずで、結婚するときに「必ず幸せにする」と言ったのに幸せにしてくれていないと夫を責め、結婚前からやっていた(唯一の息抜きであろう)バスケットも「やめてほしい」。ワガママだという意見に反論すればするほど自己撞着に陥っている感じだけど、これくらいみごとに自己中というか、未熟というか、徹底して他力本願の人はめずらしい。バブル全盛時代の裕福な家庭のひとりっ子として「愛情あふれる」両親に蝶よ花よと育てられ、愛とは人が自分に注いでくれるものだとばかり思い込んでしまったんだろう。そうだとしたら、両親の「愛情の集中豪雨」が娘の成長を阻害したといえるだろうな。

夫氏の週1回のバスケットボールをどうしてもやめさせたいらしいけど、それも父親として「機能」してほしいというよりは、仲間の集まりなどで自分が注目される存在でなくなったことが気に入らないらしい。残業で忙しい夫氏にとってはそれ以外に息抜きがないんだろうし、スポーツが趣味の夫なんて健全でいいと思うけど、稼ぎが減ったのに妻と子供を放り出して仲間と遊びにでかけるのは最低というわけ。カレシなんか、英語レッスンを餌にしてオンナノコを釣る趣味を作っちゃって、「趣味をやめろというのなら離婚するしかない」と脅しをかけているうちに「では離婚しましょう」と言われて慌てたけど、このトピックの主は「趣味をやめないなら離婚」と言っているうちに、夫の方から離婚されそうな雲行きになって「離婚したくない」と大慌て。まあ、実際には離婚したくない方が離婚する!と騒ぐ傾向にあるようだけど、本当にする覚悟もないのに「離婚」をちらつかせて人を恐喝しても、結局は自分に跳ね返ってくるというのが「ピーターと狼」的教訓。

人間は何がどう転ぶかわからないけど、この人は両親に愛されすぎて、自分から与えることを学ばない(その必要がない)ままで年令だけは大人になってしまったんだろう。愛されるのがあたりまえ。好かれるのがあたりまえ。与えられるのがあたりまえ。ちやほやされるのがあたりまえ。すべて一方通行の人間関係だから、人が自分の望む通りに与えてくれないと「愛されていない」と不安になってパニックになるのかもしれないな。社会が悪いのか、教育が悪いのか、家族が機能していないのか、そのあたりは知る由もないけど、溺愛は虐待と同じだという意味では、愛されていない(愛して欲しい)と感じて育った子供と同じに、愛されすぎたこの人もある種の被害者といえないくもないと思う。

人間は、「自分」という存在を愛する(肯定する)ことができれば、その「自分」からちょっと目を離しても不安は感じないと思うし、周囲360度をいろんな角度から眺める余裕ができると思う。だけど、その「自分」が自分の中になければ愛も肯定も自分の外から「してもらう」しかない。だから、いわゆる「自己中」と言われる人たちは、実際には「自己の中心」に自分がいなくて、代わりに真っ暗なブラックホールがあるのかもしれない。このトピックの主の「幸せにすると約束した」を盾にした要求ばかりの訴えを読むほどに、すべてを吸い込むばかりのブラックホールのイメージが浮かんできた。もっと大人になんなさいよと言ってあげたいところだけど、この人は断崖絶壁から奈落の底をのぞいて見るまではダメかもしれないな。見たら見たで、そこでフリーズして動けなくなってしまうかもしれないけど。人間て、みんなほんとに大変なのだ・・・

人間の明と暗をわける「何か」

12月10日。目が覚めたときのベッドルームが今日はちょっと薄暗い。雪、降ったかな。ん、降ってない。雨も降ってない。ただただ湿っぽい感じ。やっぱり天気の節目かな。入稿予定の仕事が当面の間キャンセルということになって大助かり。きのうは夕食の直後に猛烈な胸焼けに襲われるエピソードがあって、まだ胃のあたりがすっきりしない。たまに突発的に起こるんだけど、何が原因なのかは皆目わからない。とにかくすごい胸焼けで始まり、腹下しとまでは行かなくてもトイレにしばらく座り込んで腸内を空っぽにすることになる。吐き気はなくて、焼ける痛みが胃の下のほうまで広がって、冷や汗がだらだら。でも、カレシ愛用の制酸剤を飲んで横になっていると、1時間ほどで嘘のようにけろっと治る。酸で焼けたあたりが少し荒れている感じだけど、それも1日か2日のことで、突発的に始まってあっという間に収まる、まったくもってヘンな「急病」ではある。一種のアレルギーかもしれないけど、ほんとに何なんだろうな、これ。ま、寝込まずに済んだから、今のうちにクリスマス前に「やらなければならないこと」諸々をやっつけてしまうことにする。

まずは事務用品の注文。明日は換気装置の修理点検で朝の9時起きだから、このチャンスを狙って在庫が危険区域に近づいているプリンタ用紙を配達してもらう。翌日配達の予定は午前9時から午後5時の間と大雑把だけど、家が倉庫寄りなのでいつも10時前に来る。だから、何かの予定で9時には起きなければならないときが「そのとき」なわけ。用紙はリサイクル材料30%の5千枚入りの箱を2個。ついでにカレシが欲しがっていた2テラバイトの外付けハードドライブと教室で使うマーカーも注文。記憶容量が2テラバイトって、なんか気が遠くなりそう。二人が1987年に初めて買ったPCのハードドライブは20メガバイト「も」あって、「こんなに容量あってどうすんの」と言ったもんだけどな。メモリなんか「K」単位だったし。これを日進月歩というのかもしれないけど、あの頃のプログラムは今よりもずっとずっと無駄なく効率的に書かれていたような・・・。

バスルーム改装工事の引き継ぎをOKしてくれたマイクが夕方に現場の下見に来ることになった。これでまた一歩前進、と思ったら、カレシがやぶから棒に「シャワーを今のままで水漏れ修理だけしてもらって、後はトイレとシンクの取り替えだけでいいんじゃないか」と言い出した。その方が工事期間も短いし、コストも少なくて済むだろうし、と。この前マットと話し合って、大筋でまとまったはずなのに、やれやれ、またかいな。これまでの何回もの改装でも必ず直前になって「横やり」を入れて来たカレシ。現場での具体的な話でも、カレシにはアイデアを視覚化することができないらしく、ワタシが話を進めていると取り残されているような不安に駆られて横やりを入れずにはいられなくなるらしい。このあたりはパパの血筋かもしれないけど、ぎりぎりになってそれをやるのは明らかに「イジワル」で、そのたびに泣かされた。それで、今日はひと通り概略案を話し合った後で「アイデアとか要望とかある?」と水を向けたら、「いや、そのプランでいいよ」と逃げた。ほんとにいいの?と念を押したら、「ほんとうにそれでOK」と言う。じゃ、これで決まりね。後で「つんぼ桟敷に置かれた」なんて子供みたいなダダをこねてみんなを困らせるようなことはないよね?ほんとに・・・?

まあ、住んでいる家の改装工事は誰にもかなりのストレスになるもんだけど、そのときの対応は人それぞれで実に千差万別。カレシのような不安症の性質を持つ人であれば、感じるストレスも人一倍強いだろうとは察しがつく。たとえば、ガンで余命が限られているとわかったとき、そのまま坂を転げるように死んでしまう人と、全力で戦って生きている時間を充実させる人がいる。後者の場合は時にはガンを克服してしまったりする。飛行機が着陸に失敗して炎上した事故では、多くの乗客が脱出して助かったけど、死者のほとんどは座席に座ったままの状態で見つかり、脱出した人が「逃げよう」と声をかけて促しても動こうとしなかったという証言があったという。ワタシにも一時的に高所恐怖症になってガラスで囲まれていないところでは動けなくなった経験があるから、そういう話を聞くと、人間には(動物にも)大きなストレスがかかったときに一定の反応をする「何か」があって、それが明と暗、極端なときには生と死を分ける要素になっているんじゃないかと思う。言い換えれば、ポジティブとネガティブの要素なのかもしれないけど、それが心理的な要素なのか、遺伝的な要素なのか。それがわかったら人を仕分けできてしまうかもしれないから、わからない方がいいのかなあ・・・。