リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年12月~その3

2009年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
冬至、オフィシャルに冬到来

12月21日。今日がほんとの月曜日。普通の時間に起きてみたら、なんだか外が騒々しい。いや、機械の轟音や車の音じゃなくて、ハイピッチなジャージャーという感じの音。なにごとかと窓から外をのぞいたら、は?いったい何羽いるやら、小鳥の大群。見える限りの電線にずらりと並んで占拠したかと思えば、葉の落ちた大木を丸々占拠したり、かと思えばうだぁ~っと舞い降りてきて、歩道の芝生が鳥だらけ。雨続きの後で地表に出て来る虫を狙っているらしいけど、数が半端じゃないから、(市道のだから別にいいけど)芝生はくちばしでつつき回されてぼこぼこ。なにしろ、ものすごい大群がぎゃあぎゃあと大騒ぎしながら、かもめが通ったといえばいっせいに飛び立ち、からすが近くに来たといえばいっせいに大移動するから、まるで昔のヒッチコック映画さながら。この鳥、実は昔、昔に日本から持ち込まれて居ついたというJapanese starling(ムクドリ)。茶系統のまだら模様の冬装束になっている。それにしても、こんな大群に家の周りを飛ばれると、やっぱりちょっとヒッチコッキアン・・・。

今日は冬至。北米ではこの日が公式に「冬初日」ということになる。ヨーロッパも北米東部もまさに「冬到来!」という感じ。積雪量が28センチというニューヨークのタイムススクエアでは大雪合戦が起きたそうで、映像を見たらみんな楽しそうにわいわい、きゃあきゃあと雪玉を投げ合っていて、さっそく飛び入りしたくなるような風景だった。(騒動にならないうちに収拾を、と銃を振り回した無粋な警官がいたらしいけども。)記録的な大雪でクリスマスショッピングに繰り出せなくなって、オンラインショッピングが急増したそうな。だけど、自分たちが買い物に車を出せない大雪なんだから、注文品の配達車だって来れないんじゃないかとは思わなかったのかなあ。バンクーバーでだって去年は郵便も水も配達がストップしたもん。

冬至のバンクーバーの日の出は午前8時5分、日の入りは午後4時16分。明日からは夕暮れがどんどん遅くなる。なんせ、起きるのが正午前後だもので、今の季節、一日の活動を始めたと思ったらすぐに暗くなってしまうから、我が家の「昼間」は実質的にせいぜい4時間ということになる。まあ、もぐら生活では別に支障があるわけじゃないけど、やっぱり気分的に急かされるように感じるな。カレシはバンクーバーっ子だし、ワタシは日照時間が少ない最果ての霧の町の生まれ育ちだから、二人とも雨や曇りの日が多くて日が差さない冬が「あたりまえ」の感覚になっているらしいけど、南国の人や年中普通に太陽の光を浴びて育った人たちにはゆううつ極まりない季節だろうな。ロッキーの向こう側から来て、ひと冬過ごしただけでホームシックになって引き上げてしま人たちも多い。バンクーバーっ子は、えっ、なんであんなに雪が降って、ガチガチに凍って寒いところが恋しいの?と突っ込むんだけど。

週間予報によると、クリスマスが終わるまでずっと晴天。晴れれば夜の気温が下がり、冷え込んでくれば、低気圧が来たときにはまず雪が降る。その後で気温が上がって解けるかどうかが問題・・・。

同じ日に吉報と悲報と・・・

12月22日。まあまあの天気だけど、ちょっと寒い。カレシが今夜の授業の準備で忙しいと言うので、ワタシが1人で地下鉄に乗ってHマートへ。今日はニューヨークのセントラルパークで買ったトートバッグ。ベルクロで口を閉じられるし、ストラップが長いから袈裟懸けにできる。開通してから4ヵ月とちょっとの地下鉄は、わりと利用されている感じ。今日の行く先は6つ目の「シティセンター」。降りると、左はパシフィックセンターモール、右はバンクーバーセンターへ直結。その間のエスカレータで地上へ出ると、我が家の銀行のすぐ前で、Hマートまではほんの3ブロックほど。ぶなしめじやまいたけ、ししとう、さんま、海藻のサラダを買い、ついでにふと目に付いた超ミニサイズの竹の蒸し器を2つ。(少なくとも4個は欲しかったんだけど、棚には2個しかなかった・・・。)

ゆっくり買い物をして、ビルの上の時計を見たら2時40分。切符の有効期限は午後3時だから、そのまま同じ切符でUターン。交通警察の人が2人並んで切符のチェックをしていたけど、ヒラヒラさせて通っただけで、詳しくは調べていない。ちょっとした買い物だったら、2ドル45セントの1ゾーンの切符1枚で往復できるからいい。帰りは少し込んでいて立ちん坊だったけど、アジア人が多いし、黙々とブラックベリーをいじっている人もいて、なんとなく東京の電車みたい。(交通機関はけっこうどこへ行っても似たり寄ったりに見えるんだけど。)違っているのは「人間観察」をやっていて目が合っても怖い顔で睨まれないことかな。東京では「何を見てんのよ、あんた」とでも怒鳴られそうな顔をされてびっくりしたけど、こっちではちょこっとスマイルしたりもするから、わりと気軽にきょろきょろ。

ワタシとしてはオリンピックの恩恵はこれくらいのもんだと思うけど、便利になって助かることはたしかだな。今は市が沿線の総合再開発計画を立案中だそうだし、オークリッジモールも大々的に再開発するそうだから、10年先はこのあたりはきっとコンドミニアムやタウンハウスが並んで、様変わりだろうな。あんがい、年をとっても、30年住み慣れた区域を離れなくてもいいかもしれない。エレベータでモールのスーパーへ買い物、モールと直結した地下鉄でダウンタウンまでちょっとおでかけ・・・20年先のワタシはこんな風な老後を過ごしているかもしれないなあ。

日本在住の同業者から「赤ちゃん誕生」のお知らせ。サンタからのすばらしいクリスマスプレゼント。「2人ともてんてこ舞いで~す」というけど、たぶん夫婦揃って40を過ぎていると思うから、きっと待ちに待った赤ちゃんなんだろうな。2人とも同業の在宅稼業だから、これからは交代で子育てをしながら一緒に仕事、ということになるんだろうけど、大変そう。このまま日本で日本人として育てるのか、いつかはカナダに戻って来てカナダ人として育てるのか。子供というかすがいができた今、国際結婚の悩みも出て来るんだろうな。だけどまあ、ママがきれいな人だから、赤ちゃんもきっと美人になるだろうと思うよ。早く写真を送ってくれないかなあ・・・。

小学校時代の友達から今年もまたカードと一緒に便り。娘婿が30代前半の若さで急死して、娘はまだ30才にもならないのに未亡人になってしまったという。結婚式の話を聞いたのはついこの間のような気がする。月日が経って大人の女性に成長しただけど、「こんな形での成長はかわいそう」と。突然に夫を失って悲嘆にくれている娘を支えることが母親としてどんなにつらかったことか。周囲の友だちが婚活だ恋愛だと浮かれているであろう年頃で夫と死別してしまった娘さんはもっともっと悲しくてつらい。手紙を読んでいて、なんだか彼女の娘さんを抱きしめて「つらいよね、つらいよね」と背中をさすってあげたい衝動に駆られて、もらい泣きしてしまった。でも、こればかりは歳月に任せるしかないんだろうと思う。

倒れてそのまま亡くなったらしく、原因は不明というけれど、どうも過労死に近い状態だったような書き方になっている。手紙の書き出しには、今年は不況や新インフル、政権交代でも何も変わらないもどかしさで、「希望の見えない、イライラの募る日々」だったと書いてある。夜遅くまで働きづめに働いて、くつろいで翌日の鋭気を養うところであるはずの家は束の間の「仮眠」を取るだけになっているような毎日なのに、ちっとも暮らしが良くならないのはおかしい、とみんなが思っているんだろうな。でも、何かがどこかでおかしくなったんなら、それを突き止めて正さなければどんどん悪くならないのかな。人をそれぞれに夢や希望やニーズを持った人間として大切にしない国はいずれ自滅するかもしれない。みんながイライラしているのはわかるんだけど、外から見ていると、なぜか国家や社会としての危機感が伝わって来ない。「しっかりしろ」といったい誰をどやしつけたらいいのか・・・。

クリスマスにたどり着いた!

12月23日。なんだか寒くなって来た。どうやら2009年最後になりそうな仕事を送り出して、掃除の終わったシーラとヴァルにクリスマスボーナスを渡して、ワインとチーズで1年間の「謝恩会」。わいわいとおしゃべりに花を咲かせているうちに、白しか飲まないヴァルは「ちょうどよく冷えているから」と冷蔵庫に半分残っていたトロンテスを1人で空っぽにし、カレシと(運転手役の)シーラとワタシの3人で赤のジンファンデルを1本空けてしまった。ヴァルの夫氏のリッチから「夕食のしたくを始めたぞ」という電話があってお開き。リッチはバスの運転手で、今日はスカイトレインが故障で一時不通になったために代替バスの運転で超過勤務だったらしい。そういえば今日はダウンタウンの真ん中で、地下の配電設備でマンホールのふたが吹っ飛ぶほどの爆発事故があって、すごい交通渋滞だったらしい。

次はカレシの英語教室のクリスマスパーティ。今年のクラスの出身地は中国、ベトナム、タイ、アフガニスタン、日本、といろいろ。それぞれの得意料理を持ち寄ってのポットラックパーティ。中国系の生徒のひとりはマカオの出身だそうで、ポルトガルの影響なのか何となくラテン風の社交的な雰囲気があった。故国では裁判官だったというアフガニスタン出身の初老の男性はいかにも教養の高そうな物腰。夜のシフトで受付のアルバイトをやっている十代のお嬢さんがお母さんが作ったと言うアフガン料理を「国の習慣です」とテーブルを回ってみんなに勧めていた。アーモンドとサフランとカルダモンで炊いたとろりとした甘いご飯はすごくおいしくて、食いしん坊のワタシは2度もお代わりをしてしまった。これくらい言語の違う人たちが集まると、やっぱりみんないっしょうけんめいに英語でおしゃべり。どうやらカレシは元々英語が母国語でないワタシをしょっちゅう引き合いに出して、「しり込みしないで、とにかく英語をしゃべること」と生徒さんたちに教え込んでいるらしい。まあ、たしかに、文法の知識よりも、発音の良さよりも、何よりもそれが一番のコツだと思うけど。

帰ってきて、こんどは来年の会議でワタシがやるプレゼンの概要とワタシの略歴を仕上げて、運営委員会に送った。いろいろと考えたあげく、『職住を隔てる20秒』みたいなタイトルになったけど、独立してちょうど満20年だし、在宅フリーランス稼業をビジネス経営の観点から一席ぶってみることにした。後進に伝えるというのは大げさだとしても、ワタシの20年を振り返りつつ、個人事業の経営者として学んできたことを話せば、ひとつやふたつ若い人たちの参考になることがあるかもしれない。長いことけっこう稼がせてもらったから、それなりのお返しを、というところ。ふむ、ワタシもやっぱりそういう年になったってことだよなあ、考えたら。

ま、これで今年もしゃかりきになって犬かきをしているうちに、やっと何とかクリスマスにたどり着いたと言う感じがする。う~ん、まだ何か忘れてなければいいんだけどなあ・・・

何とかセーフ、クリスマスイブ

12月24日。大雪に閉じ込められた去年とはうって変わって、ちょっと寒いけど好天のクリスマスイブ。カレシは今日から新年の5日まで英語教室は休み。やりたいことのリストがどんどん長くなる。ワタシは日本がそろそろ仕事納めということで、おきみやげ仕事が2つほどあるけど、仕事始めまではこれ以上仕事が増える懸念はなし。二人してゆっくり、のんびり、ぬくぬくと冬眠・・・。

といってもこの「冬眠」、巣ごもりして、食っちゃ寝、飲んじゃ寝、ということで先立つものは食料。魚や肉はたっぷりあっても、野菜や果物類の在庫はほぼ空っぽだから、どこへ行っても混込んでいることを承知でひとっ走り。モールの外に路上駐車して、大きなトートバッグを3つ携えて、それ行け。うん、ほんとに人が多い。買い物袋を両手にいっぱいで、今日が最後の駆け込みショッピングというところ。サンタのスタジオには写真を撮る順番を待つ親子の長い行列。(スタジオは11月からオープンしていたんだけどなあ・・・。)待ちくたびれたのか、ママに抱かれて眠ってしまった子もいる。毎年の見慣れた光景ではあるけど、通りがかりのワタシのほっぺたは緩みっぱなし。

野菜と果物をトートバッグ2つにぎっしりと買い込んで道路向こうの車に運び、モールに引き返して、今度はスーパーへ。こっちは紙ナプキンやら食洗機の洗剤やらの日用品と、衝動買いの食材少々。(ロブスターの尻尾を買ったはいいけど、はて、どうする?)モールの外へ出たら、まだ午後3時を過ぎたばかりというのに、道路はラッシュで平日の夕方よりも混んでいる。勤めていた頃にもそうだった。イブの朝はみんないの一番に「今日は何時に帰っていいの」と聞いて回る。あくまでも非公式だから、2時頃から帰り始める人が出て、3時にはほとんどが退社。がらんとしたオフィスに残っているのはクリスマスを過ごす当てのない人たちや宗教が違って祝わない人たち・・・。

まあ、我が家の駆け込みショッピングも無事完了したし、クリスマスツリーの下に包んだプレゼントを置いたし、ワインも冷えて来たし、どうやら冬眠の準備ができたところで、マティニタイム・・・。

今年も穏やかに、クリスマス

12月25日。クリスマス。いいお天気。外は信じられないくらいに静か。普通に正午あたりに起き出して、普通に朝食を済ませて、普通にプレゼントを開ける。まあ、今年はそれぞれひとつずつとカード。ワタシからのカードは前々クリスマス的じゃなくて、ふかふかのじゅうたんの上で白と黒の2匹のにゃんこが重なり合って、気持よさそうにめをつぶっているデザイン。プレゼントは大学講義のCD8枚セットの『ジャズの要素』。ジャズに関心を持ち始めて、凝りだしたら止まらないカレシのことだから、ちょうど有意義なタイミングだろうと思った。春になったらMP3に移して、庭仕事をしながら聞けるし。

カレシからのカードは何と言うか「ボクたちって割れ鍋にとじ蓋だねえ」といった感じのユーモアカード。「その通りだよね」と手書きで添えてあった。あはは、そうそう、だんだんにそんな感じになってきたよねえ。プレゼントは軽いけど大きな箱。小包が届いたときから、思わせぶり~に「あのさあ、ちょっとクリスマスっぽいもんなんで、早めにあげた方がいいかなあと思うんだけど、やっぱり早すぎても何だよなあ・・・」みたいに、やたらと思わせぶりに予告にもならない予告をしていたカレシ。包み紙を剥がしたら、あら、ダンボール箱のまま。開けたら、別に木箱が入っていて、「Christmas Carol」って書いてあるけど。そっか、クリスマスっぽいよね、なんて思いつつそうっと開けてみたら、おおぉぉ! Inge-Glasのクリスマス飾り。[写真]

子供の頃のクリスマスツリーを思い出すような、懐かしい雰囲気がある。もちろんInge-Glasのものがあったわけじゃないけど、プラスチックの前の世代だから、手で色付けをしたようなガラスの飾りがけっこうあった。そのせいかもしれないけど、ワタシはちょっとノスタルジックなクリスマス飾りに目がないのだ。ディケンズの名作『クリスマスキャロル』をテーマにしたセットなもので、箱の中の8個の飾りは、主人公のスクルージを始め、タイニーティム、ボブ・クラチットと奥さん、マーリーの幽霊、そしてもちろん過去・現在・未来のクリスマスの精。うわあぁぁぁぁ、もう来年のクリスマスが待ち遠しい・・・。

午後5時ごろにまずマティニで乾杯して食べ始めたディナー。前菜のうちはイタリアのロゼのプロセッコを飲みながら、海のものの小皿料理をあれこれ。テレビはやめにして、ワタシの秘蔵の『くるみ割り人形』のビデオを見る。PBSの放送を録画したのは、ソビエト体制が崩壊する前だった。当時レニングラード(今はSt. Petersburg・・・カタカナでなんて言う?)のマリインスキー劇場で上演された名作はセットの隅々まで豪華できらびやかで、これ以上の華やかなクリスマスはないと思うくらいにすばらしい『くるみ割り人形』で、何度見てもうっとりして、ため息の連続・・・。

バレエのあとは、バッハの「トッカータとフーガ」で始まるディズニーの『ファンタジア』。人気一番のミッキーマウスの「魔法使いの弟子」も楽しいけど、ワタシが一番好きなのは最後の「はげ山の一夜」から「アヴェマリア」につながって、粛々と終わる部分。いつか「アヴェマリア」をおなかの底から歌ってみたい。ステンドグラスが天へ、天へとそびえる聖堂で、自分だけのアヴェマリアを歌いたい。そんな気持になるたびに、ああ、ワタシは本質的にクリスチャンなんだなあと思う。もっとも、ワタシはキリスト教に限らず盲目的な崇拝を押し付ける階級組織化した宗教は肌に合わないから、ワタシにとっては、「天にいます神」はワタシの「良心」を導く存在であって、キリストその人はその延長線上にあるに過ぎないと言った方がいいかもしれない。中世に生まれていたら異端者として火あぶりになったり、魔女狩りに遭っていたかもしれないな。まあ、ワタシは何かにつけて「異端」なところがあって、ちっとも矯正されないから、現在でも未来でも、そういう運命にあるのかもしれないけど。

今年も二人だけの穏やかな楽しいクリスマスが過ぎた。世界が平和であればいい。平和を願うのはたやすい。だけど、だけど、その平和のためには、異なるものの存在を目の前から抹消しようとするものや人間がひとりの人間としての人生を享受する権利を否定しようとするものの暴力から自らの存在を守るためには、戦わねばならないときもあるのだ。生きるに時があり、死ぬるに時があり・・・そして、戦いのときがあり、平和のときがあり。要するに、神様は人それぞれの心の中に思い思いの形で存在するものだと、ワタシは信じている。God bless everyone!

外は霧、世の中は五里霧中

12月26日。親のいる家族はみんな親のところに集まってクリスマスのディナーを囲むのか、近所は車の動きもないくらいに静かな1日だったけど、クリスマスの夜は濃霧の中。今頃の時期は相対湿度100%になって、風がないとじわ~っと濃い霧がかかる。山の上から見たらすごく幻想的な夜景だったかもしれないなあ。

きのうはずいぶんいろいろと食べたもんだけど、いいクリスマスだった。カレシも「グッドディナーだったなあ」としきりに賞賛。(チップをたくさん置いてってねぇ・・・。)マティニとワイン2本とリキュールはちょっとばかり飲みすぎだけど、うまいぐあいに満腹になっても食べすぎの感じはしなかったから、まずは成功。今日はどこの家でも残った七面鳥との格闘の始まりかな。二人だけだと、1週間も七面鳥の繰り回しメニューになって、しまいには見るのも嫌になる。まあ、年に何度もないから、毎年それをやっていられるんだろうけど。極楽とんぼ亭ではミニのかにコロッケが4個と、オリーブ、椰子の芯、海藻サラダくらいの残りもの。コロッケを揚げて、普通の魚料理に添えて、オリーブと椰子はサラダにぱらぱらで片付いた。さて、大晦日はどうしようかなあ・・・。

今日はボクシングデイで2日連続の祝日。クリスマス商戦の残りものの一掃大安売りセールの日で、エレクトロニクスの店には夜明け前から行列ができる。今年は不況で仕入を控えたところが多くて、目玉にするほどの量がないのか、いつもほどの安売りではなかったらしい。我が家のスチーマーは加熱用のヘッドにさびが出てきて買い替え時。別に安売りを狙うような商品じゃないけど、ま、週が明けたら、ぼちぼち探しに行こうか。オフィスにおいてあるウォータークーラーは水漏れがするようになった。クリスマスというとこういうことが起きるんだけど、水の会社はたぶん火曜日までやっていないだろうな。もう十何年も使っているから取替え時。いっそ新しいのを買い切りにしようかなあ。

デトロイトに接近中の飛行機の中でテロ騒ぎがあって、空港でのチェックが強化された。乗客は全員しっかりボディチェックされるそうな。ニューヨークへ行くときにワタシがバンクーバー空港で訓練生の実習に引っかかったあれだろうな。監督のおじさんが「マッサージだと思ってね」という通り、若い女性の訓練生が頭のてっぺんから足の先まで念入りにタッチ。シャツの襟や裾、袖口、パンツの裾の裏側までひっくり返して、縫い目を指先でなぞっていた。ワタシは陽気なメタボの監督さんと軽口をたたきながら、マッサージされていたけど、たぶん5分以上はかかったと思う。あれをアメリカ行きの乗客全員にやるとなると、いったいどれだけの時間がかかるやら・・・。アメリカが、西洋が、誰が気に食わないからって、やたらと爆弾を破裂させたがる「ぶっちぎれオレ様」が多すぎるわ、んったく。
ああいう連中には何を言ったってムダだろうな。被害妄想と仮想的有能感にどっぷり浸っているから、人間の「言葉」は通じないと思う。まあ、手段は違っても他人に似たような攻撃をする人間はそこかしこにいるけど、まったくめんどくさい世の中だよなあ。

今夜も外はじわ~っと霧。幽霊のようにぼや~んとした月が木の間からのぞいていた。さて、明日はまとめて洗濯でもしながら、デスクのあたりを整理しようかなあ・・・。

ネットの世界は半径50センチ

12月27日。どうやら霧も晴れて、穏やかな休み。日曜日だけど、ボクシングデイが土曜日だったから、明日の月曜日が振り替え休日になって、4連休か。ま、ワタシはカレンダーの休日の並びにはあまり関係ないけど、朝起きて「あ、今日は仕事をしなくてもいいんだ~」と思うのはやっぱりちょっぴりだけとウキウキするような。まあ、正月明けになる来週の日曜日まであと1週間。仕事はあるし、請求書書きはあるし、帳簿の整理もあるし、宿題が山積みなのが現実だけど。

今日はとにかくデスク周りの整理。なにしろ、クリスマスシーズンにたまったカタログの山があり、その下にいつからあるのかわからない書類や未開封の郵便物がありで、デスクの表面がほとんど見えない。パソコン時代になって手書きで物事を処理しなくなったせいか、書くところがなくても不便はないらしい。積み上げたカタログの山はゆうに30センチはある。その上に所属する団体の機関誌だの何だのを積み上げたら、よくデスクが壊れなかったなあと思うくらいの高嶺。そして、案の定出てきたのが未払いの請求書。電気料金とデパートの請求書。銀行の残高明細をチェックしたら、記録がないからやっぱり未払い。即刻支払い手続きをする。ま、電気を止められることはないけど2週間以上過ぎているし、デパートも休みの明日が期限で、銀行の処理は早くても29日だから、う~ん、どっちも次の請求に遅延の利子がついて来るなあ。イテ~

やれやれ、ふだんから整理整頓しておけばいいのに、いわんこっちゃない。さらにはどちらも31日が期限のアメリカとカナダの協会費を払い忘れないためのメモが貼っておいたところから変なところまで移動していて、またまた慌てて支払いの手続き。そういえば昔、家の火災保険の請求書を期限ぎりぎりに見つけて小切手を書き、(自分で行けば歩いて30分ほどの)保険代理店まで「超特急」のクーリアを飛ばしたことがあったっけなあ。オンラインで速攻でやれる時代に感謝感激雨あられ。でも、やっぱり自己管理を強化して、ふだんから整理整頓をしておかにゃあ。カレシが担当してくれれば、ワタシとしては大助かりなんだけど、あっちはワタシに何重にも輪をかけた「忘れんぼ」だから、請求書をどっかにしまいこんでそのままで、ワタシがいちいち「あれ、払った?」とチェックしなければならないかもしれないなあ。だとしたら、なんだ、結果的に同じことか・・・。

そのカレシ、イラン産のにんにくのピクルスを毎日思いついては1個、また1個と食べている。これがまた家の反対側にいてもすぐにわかる強烈な匂い。しばらくすると毛穴からも漂ってくるくらいにすごい。まあ、元々ワタシの嗅覚は(視覚が弱い分)鋭い方だし、自分でもにんにくは好きなもので、別に苦にはならないけど、いや、とにかく驚くべきパワーなのだ。そこでつい笑いたいのをこらえながら心の中で思ってしまう、「ニッポンの今どきオンナノコとケッコンしなくてよかったねえ」と。イジワルといえばといえばイジワルではあるけど、考えてもごらん。(ワタシは感じないけれども)外人体臭に加齢臭、その上にこのにんにく臭と来たら、繊細な嗅覚のオンナノコたちは失神するは、電車は臨時停車して乗客が避難するは、小町あたりに「ものすごく臭い非常識なガイジン!(怒)」というトピが立つは、はてはファブリーズをシュッシュッ・・・いや、あながち大げさじゃないかもしれないよ。

小町横町を見渡していると、日本には嗅覚、視覚、聴覚、感情(負の感情)が異常に発達した人たちが多いんだなあと思ってしまう。「どこまでが本当のことなのかわからない」という懐疑的フィルタにかけることで何とか「へえ~」で済ませられるけど、日本社会の外から匿名掲示板という細いの節穴を通して見ていると、「日本の人って~」というステレオタイプ的な括りをしないようにするのがけっこう難しい。時空間がまるでアコーディオンのように「今、ここ」に凝縮されるインターネットは、いわば「半径50センチの世界」なのかもしれない。そうとはわかっているつもりでも、その狭い画面に「非常識、非常識、非常識!」と、他人さまのことで苛立っている言葉が毎日のように並んでいるもので、つい「日本はどうしちゃったんだろう」と思ってしまうわけ。

もっとも、日本にいた頃のワタシはまだ若くて世間知らずも甚だしかったし、その頃と比べて「今は」と考えられるほどには鮮明に昔のことを覚えていないから、ワタシの今現在のものさしで勝手に「どうしちゃったんだろう」と思っているだけで、あんがい実はどうもしちゃっていないのかもしれない。つまり、中心点が何千キロか移動しただけのことで、ワタシもやっぱり半径数メートルの日常から日本を見ていることになるか。ま、普通の人間はどこの誰であろうがそんなもんじゃないかと思うけどな。それよりも、いかにも「創作ネタ」だとわかるようなトピックは読み応えがあっておもしろい。ローカル掲示板でもそうだったけど、そういう「え?」というようなトピックに限って猛烈な勢いで書き込みがつくのもおもしろい。どういうネタをどんな風に書けば注目を引くかを考えているんだろうな。どんな人たちなのか知らないけど、せっかくの才能を発揮する場所を間違ってるよなあ。

年の瀬の大掃除をしたつもり

12月28日。月曜日。天気は下り坂。大晦日の部分月食は見られそうにないな。まあ、ほんの少し欠ける程度だからどうってことないんだけど。2009年も今日を入れてあと4日。あれ、「今年もあと何日」なんて気の急くようなことを言っているあたりは何となく日本的感覚なような。もちろん新年初日は祝日だけど、にぎやかなのは大晦日。でも、家中の大掃除して1年の垢を落として、煩悩を払う除夜の鐘を聞きながら、気持を新たに清々しく元旦を迎える・・・なんて厳かな年越しはやらない。去り行く年のイメージはよぼよぼの老人、新しい年はおむつをした赤ん坊なのだ。ふむ」、考えてみたら、日本の年越しも、仏教で旧年の葬送をして、初詣は赤ちゃん新年のお宮参りのような感じがしないでもない。宗教や文化が違っても、一種の新旧交代の儀礼ってことには変わりはないか。

デスクの周りが一応きれいになって、おお、なんか広々としている。細々したものを放り込んであった箱の中を整理したら、公務員時代の職員組合の身分証まで出てきた。いつのことだっけというくらいの昔。ワタシが州政府法務省の組織犯罪部門に勤めていたのは1981年の1月早々から丸3年間。一生に勤めた6つの職場の中で一番おもしろくて、出勤するのが楽しみだった。上司が本来は組合の規定で事務職にはできない(非組合員の)アナリストの仕事までやらせてくれて、被害者が地元の有名人でセンセーションを呼んだ殺人事件では、ワタシが山のような捜査や内偵の資料から見つけた小さな手がかりが犯人逮捕につながったときはご褒美にランチをご馳走してくれた。おかげで組合代表のマリリンおばちゃんに嫌味ばかり言われていたっけ。ブライアンは後にも先にも最高の上司だった。パーキンソン病に罹っていて手が震えるし、おまけに左利きだから、レポートやメモの原稿はまるで潰れた虫が並んでいるように見えた。ワタシがあれを普通に判読できて、普通のスピードでタイプできたのは今でも不思議。そうか、あれから30年近い年月が流れたんだなあ・・・。

いつのまにかゴミ箱同然の「未決」バスケットの中からは、日本(3千円)、アメリカ(25ドル)、シンガポール(50ドル)のお札と、アメリカドルの旅行小切手(150ドル)が出てきた。小切手はいつ買ったものか思い出せないくらい古い。たしかシンガポールで1枚だけ換金したような。まあ、有効期限があるわけじゃないから、そのうち銀行に入れておくか。この数年の間に泊ったホテルのカードキーもやたらとある。名刺もぞろぞろ。意味不明のメモの紙切れもぞろぞろ。何年か前の眼科のレシートもあれば、処方薬を買ったときの公式レシートもある。いったい何の病気したんだっけなあ。何の部品かわからない金具がいくつもあったり、何年も前のクリスマスカードや年賀状があったり、この整理整頓の怠慢ぶりと来たら。自分のことだけど、「おい、こらっ」とどやしつけたろか。だけど、ワタシはだてに極楽を飛び回っているわけじゃない。ちゃんとワタシをやってるの、ほんとに。

ワタシの年末の大掃除はこれで一応は終わり。まあ、新年が来るからというよりも、せっかく日本が年末年始の休みに入って邪魔が入らないチャンスだから・・・という程度だけど、今日は未払いの請求書も未処理の書類も出て来なかったからひと安心。そろそろ明日あたりは洗濯でもしながら、おき逃げされた仕事に取りかかる心積もりくらいはしようかなあ。

損をしないより得をしたいけど

12月29日。火曜日。よく眠って、正午を過ぎて起き出して、朝食を済ませて、しばしのんびり配達されたばかりのTIMEを読む。今年の最終号だからかな、やたらと分厚いのは。今年の「人」はアメリカ連邦準備委員会のバーナンキ委員長。子供の頃に単語のつづりの正確さを競う「spelling bee」の全米大会に出場したと言うから、記憶力のいい人なんだろうな。英語のスペルを聞かれて、口ですらすらと言うのはけっこう難しい。頭の中の黒板に書いて読み上げるような感じで、そろばんの暗算では頭の中で玉を動かして計算するそうだから、それと似ているかも。

カレシが「今日洗濯するって言ってたっけ?そんなら汚れたものをまとめるけど」と遠まわしに催促するもので、しようと思いながらさぼっていた洗濯を始める。無理して遠まわしに言わなくたっていいのに、「キミが忙しいときに代わってやれるように洗濯機の使い方を覚えなきゃ」なんて言いながらもずっとその気配がないから、「洗濯しろ」と言いにくいというところなのかな。この洗濯機、もう何年も使っているんだけどなあ。で、マニュアルもずっとそばにおいてあるんだけどなあ。乾燥機だって、実に簡単なんだけどなあ。それでも、乾いた洗濯物をバスケットに取り出せば、それを二階まで運んで、自分のもの(だけ)をたたんでくれるから、共働きの最初の25年は家事分担率が「ゼロ」で、洗濯物をたたんでいないとぶっちぎれていたカレシとしては驚異的な進歩なのだ。ま、年明けには新しい洗濯機を買うから、その時は使い方を覚えてね・・・。

日本でも、男女平等、男女共同参画の時代に、年功序列の終身雇用制度もおぼつかない世の中になって共働きが増えたようで、家事の「分担率」が夫婦円満を妨げる問題になっているらしい。小町にも、共働き夫婦の生活費や家事、育児の分担に関する不満や愚痴がよく出てくる。どこかの調査では妻が専業主婦でも夫が家事と育児を分担するのがあたりまえと考えているらしい数字が出ていた。いや、日本女性も強くなったもんだと思うけど、まあ、夫婦二人が家庭の単位なんだから、妻が専業であっても夫も必要に応じて家事に参加するのは当然だろうな。でも、小町横丁を眺めていると、自分の方が稼いでいるのに家事の負担が多いのは不公平だとか、年収の少ない方が家事を多くやるべきとか、えらく杓子定規な感じがする。そうやって「職務」を決めても、次は夫が決めたとおりにやらない、やっても(妻の想定通りに)きちんとやらない(できない)。やれやれ、会社の業務マニュアルじゃあるまいし。

思考に柔軟性がないだけかもしれないけど、突き詰めてみると、そこには「自分が損をしたくない」という心理があるような感じもする。「損をするのはイヤ」という気持は、家事分担に留まらず、職場での仕事から友だちとの付き合い、冠婚葬祭、果ては何気ない日常のことにまで作用しているように見える。電車が遅れて自分は1時間も待ったのに、後から来て待たずにのうのうと乗る人が憎いというトピックがあった。妬みや僻みもここまで来るとちょっと怖いけど、この人も自分は大変だったのに苦労しなかった人がいて、「自分は損をしている」と思うんだろう。でも、自分が損をするのはイヤと思うのはあまりいい気分ではないもので、人の苦労を横目に得をする人間はけしからんといい、自分だって「得したい」とも思うだろうに、人さまに得をするのはダメと言っている手前そういうわけにもいかず、か。損はイヤなら得する方をとるしかないだろうに、なんか割に合わなそうな損得勘定・・・。

でも、よくよく考えてみたら、建前と本音もある意味で損得勘定くさいところがあるし、日本の冠婚葬祭では、香典をもらえば香典返し、お祝の金品をもらえば何らかのお返しをするしきたりがあって、これは損得勘定を儀式化したような感じがする。最近は、婚約するにも指輪の相場が決まっていて、それに対して相場に合ったお返しが必要らしい。小町横丁で、プレゼントを送ったのにお返しがないとか、くれたお返しが貧弱だったとかいう文句が飛び交うのはそういう文化習慣に根ざした期待感があるからなのかな。ま、きっちりした数字が好きらしい国民性の影響もなきにしもあらずだろうな。本来は「気持」を表すものなのに、その勘定をめぐって人間関係が壊れるのは何をかいわんやだけど、小町を見れば実際にそういう例がけっこうある。これではプレゼントをもらっても、相応のお返しのためにまず値踏みをしなければならないわけで、「うれしさもほどほどなりや、おらが何とか」になってしまいそうだし、相手にそういう心理的な負担をかけるとなると、うっかりプレゼントもできないし、しないとまたそれはそれで相手が気分を害するということもあるだろうし、ああ、ややこしい。

それはそうと、カレシの家事負担率はいったいどれくらいなんだろうなあ。数字で出すとしたら、測定基準は労働量?それとも所要時間?それとも難易度?ああ、めんどくさ・・・

ひょっとして掲示板小説?

12月30日。雨だ。2009年も今日とあした。ニュースも「2009年十大ニュース」的なことをやっている。今年の重大事件といったって、トップに出てくる2つか3つの他は、毎年似たようなことが起きているような気がするんだけどな。世界不況だって、前の年に始まったものが続いただけのことだし、振り返れば何度も何度もあったこと。新インフルエンザだって、たしかに世界中に広がって死者もかなり出たけど、現代は常に人が動いているわけだし、WHOが自分たちの存在感と権力を誇示するチャンスとばかりに煽っていたところがないとも言えない。つまり、一種の「メディアイベント」だったのではないかということなんだけど。(ふむ、ワタシもけっこうシニカルなことを言うなあ。)

ニュースを広めるのがメディアだもんで、世界の重大事件も往々にしてメディアがそういう演出をしている印象になるのは否めない。商業的、政治的な理由から、大山鳴動して何とやら式の誇大報道、過剰報道、煽り報道が増えているように見えるのもたしか。ブログだのツイッターだの、誰でも自由に(好きなように)発信できる時代になって、プロとアマの区別がなくなったし、リアリティショーだのバラエティショーだので「現実」と「作られた現実」の区別もつけにくくなって来たように感じる。そんな中で、ジャーナリズムもエンターテインメントとの区別がなくなって、「マスゴミ」と呼ばれるところまで堕ちたのかもしれない。中立性を強調するあまり、偏向や差別の批判を恐れるあまり、事件報道のあれもこれも避けて通るから、ニュースは形骸化。犯罪ニュースは娯楽番組になり、政治ニュースは核心が空洞のドーナッツ。なんとなくローマ帝国衰亡の轍に踏み込んでいるようなところもある。歴史は繰り返すと言うのはほんとなんだ。

歴史は繰り返すというのは、失敗から学ばないものがその失敗を繰り返すと言う趣旨だったと思うけど、ナノ秒文化の21世紀には遠い過去のことから学んでいる暇も意思もエネルギーもないみたい。それどころか、ネット時代の人間の視野は、まさに過去と現在、地球上の地理的な距離、さらには自分の半径と他人の半径の区別がつかなくなって、何もかもが「今、(自分がいる)ここ」(モニタの画面)に凝縮してしまっているのかもしれない。だから、自分で考えて行動することを善しとする社会でさえ、自分で考えるのをやめて、ひたすら情報に反応する人間が増えて来たんだと思うけど、これが自己の否定を善しとする和の文化の社会だったら、玉石混交の情報に振り回されて右往左往するだろうし、思うようにならずにイライラするだろうし、対応しきれずに萎縮するということもあるだろう。だけど、自分の舵取りさえ困難な世の中になって来たのは、ひたすら楽な方法を求めて来た人類が自ら招いたことだと言えるかな。ま、生物界の頂点に立った(と思っている)人類にだって、栄える時があり、衰える時があり・・・だからね。

小町横町についに出た。何がって、本当の話なら人格障害じゃないかと思えるくらいの女性のトピック。待ってました、第3弾!投稿の第1弾は「父親として機能しない夫と離婚したい」、第2弾は円形脱毛症になって家を出て行った夫に「帰ってきて欲しい」、そして第3弾は「別居中の夫が金を出し渋る」。いや、夫が養育費などを出し渋っているんじゃなくて、妻が夫の給料が振り込まれる通帳を握ったままで2万円の小遣いを「届けてあげたのに」、夫に通帳を渡せと言われてごねているもの。さっそくお気に入り登録数で上位に駆け上って来た。あまりの執拗さに「ほんとうの話なのか」と疑問を投げかける人がいる中で、相変わらずたくさんの人たちがまじめ?に応答しているのは、そういう反応をうまく引き出すように書かれているからだろうな。実話としてはできすぎている感じだけど、まあ、今回はトピックの主の反論にキレそうな口調がちらっとと出たから、あんがい実話かもしれない。そうだとしたら、この人はまちがいなく人格障害の診断がでるだろうなあ。

今小町でアクセス第1位を誇っているトピックも、創作でないならまちがいなく何らかの人格障害の持ち主と思われる例。近頃はこういうのが増えて来たように思う。精神を病んでいる人が増えているのかと思ってしまうくらい。(日本では心療内科というのができて、かなりはやっているらしいし・・・。)ローカルの日本人掲示板の場合は、すぐに煽りが目的とわかるテーマが多いし、そうでなくてもまだ半径数メートルのカナダしか知らない人の「つもり話」はすぐにボロガ出るけど、さすがに小町横丁にはもう少し悪知恵の長けた人が多いようで、ワタシが日本にいないということもあるけど、すぐに「釣り」とわかるものは少ない。まあ、釣られて応答する人たちが匿名だからこそ暴露するその人となりを考えたり、その深層心理を詮索するのはおもしろい。ずっと日本に住んでいたら、あんがい今頃は小町横丁にレーダーを張り巡らせて、どろどろした人間模様の小説を書いていたかもしれないなあ。いや、こういう心理的なテーマは文化や慣習の色づけを変えて、個々の人間レベルにあてはめたら、世界のどこでも十分通用するような気もする。事実よりも虚構の方がおもしろそうだし、ごちゃごちゃとまとまりのないブログなんか書いてないで、ひとつ、小説でもやってみる?

年の到着まであと30分

12月31日。雨の大みそか。まあ、バンクーバーらしくていい。どっちみち世界の大都市のような華々しい年明けの行事はなさそうだし。おおかたのところは、若い人たちがホテルやクラブでの年越しパーティで飲めや踊れやの大騒ぎをして、元旦の朝はイングリッシュベイでの寒中水泳で二日酔いを吹き飛ばそうという予定じゃないのかな。例年の通り、午後5時になると公共交通機関が無料になる。我が家は今年もシアトルのチャンネルでスペースニードルから上がる花火を見ながらシャンペンを抜いて、新しい年を迎えることになりそう。

今年は太平洋を北からぐるりと回って南半球までの大旅行があったし、ニューヨークでの義弟夫婦といっしょの秋の休日もあった。二十世紀最後の年(ということになっている)の1999年はカレシの火遊びごっこがきっかけで表面化した夫婦の問題がこじれにこじれて、3日と空けずに大げんかをしていた。どんな大みそかを過ごしたのか、まったく思い出せない。二階の塔から木の枝の間にちらちらと見える空港の明かりを眺めながら、新しい世紀にはまったく別の、まったく新しい人生が待っているのかなあ、なんて考えていたような気がする。暗澹とした気持だったのか、漠然と1人で生きる覚悟を決めていたのか、そのあたりはもう定かではないけれど。

明けて2000年はワタシが必死のカウンセリングを受け始め、カレシは突然に早期退職ということになった、二人にとっては大きな転換期になった年。諍いは続いていて、救急車や警察にお世話になる場面もあったけど、寝ても覚めても同じ屋根の下で顔を合わせるているようになって、少しずつお互いに向かい始めたんだと思う。とにかく1日ごとに一進一退が二歩進んで一歩後退になり、三歩進んで一歩後退になり、やがてその後退が半歩になり、ときどき後退になりしているうちに、いつのまにか暴風雨を突き抜けて、穏やかな海に出た、というところか。カレシが土下座して謝罪することも、もう二度としませんという念書を書くことも一切なしで、凪いだ海を月日(風)に任せて進んで来ただけなんだけど、今になって考えたら、それが最善の針路だったのかもしれない。年が明けたら、あれから10年。長い10年だったようにも、短い年月だったようにも思えるけど、ワタシもカレシも人間として大きく成長したと思うし、互いの存在意義を確認し合えたと思うし、人生再構築の10年はどっちにとってもむだな時間ではなかったと思いたい。

ワタシにとっても、カレシにとっても、2010年は新たな「十年紀」の始まりかなのもしれないなあ。来年は二人の暮らしが始まって35年になる。太平洋のど真ん中で生まれた新しい年は、まるで競技場のウェーブのように地球をめぐって、そろそろ北米大陸のこっち端にまで到達する頃・・・