リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年7月~その3

2011年07月31日 | 昔語り(2006~2013)
大型量販店は薄利少売なの?

7月21日。木曜日。正午ぎりぎりに起床。今日はちょっと夏らしい感じになりそうな気配。ニュースを見ると、まだオンタリオ州の上空に巨大な「ヒートドーム」がかかっていて、記録的な猛暑が続いていると言っている。想像するに、すっぽりとドーム型のガラスに覆われて、中が温室のように暑くなっているということか。うう、暑そう・・・。

今日は仕事日。きのうやり残した仕事をひとつ。「ねじ込んでください」と言われてOKしてしまった小さな仕事が2つ。どっちも期限は日本では午前中になっているけど、それだとこっちはちょうど夕食の時間。それで5時くらいには全部仕上げようと必死の様相になって、まずひとつを4時に完了。ちょっとひと休みして、事務用品屋Staplesのサイトで、カレシのプリンタのインクカートリッジとバックアップ電源を注文。カラーのレーザープリンタの黒のトナーも、印刷するたびに「残りはあと100枚分」とうるさくメッセージが出るので注文しようとしたら、「在庫ありません」と来た。困るよ、それ。後100枚しか印刷できないんだから、困るよ。ま、とりあえずあるものだけ注文しておいて、とにかく次の仕事。

トロントの午後5時の気温は空港で37.5度だったそうな。湿度を勘案すると45度は軽く行ってそう。あまりにも暑くて、自動車のボンネット(こっちではフードというけど)の上にクッキーの種を落としたら、見事にこんがり焼けたというからすごい。人がエアコンの効いた家から出ようとしないので、アイスクリーム売りは商売あがったりとか。アイスクリームを買っても、家に入る頃には溶けているかもしれないしね。逆に、さっぱり夏が来る気配のないバンクーバーでは、ダウンタウンの自転車のレンタル店で閑古鳥が鳴いているとか。こう低温で雨がちじゃあ、風を切ってサイクリングもないもんだし、濡れた砂の上で水着でビーチバレーなんて後始末が大変そう。その代わりというのか、ボーリング場が予想外に繁盛しているんだそうな。フィットネスジムも好調らしい。ふむ、あっちは暑すぎて「おこもり」、こっちは涼しすぎて「おこもり」。ヘンなの・・・。

さて、仕事が終わったところで、トナー探し。なにしろ後100枚分しかないんだから、なんとかしないと、スキャンしたPDFのファイルなんかがどさっと入ってきたら大変。バンクーバーのオフィス用品の量販店はどこもなぜか在庫切れらしいので、「あと何枚!」と出てくるメッセージの「消耗品の購入」ボタンをクリックしてメーカーのHPのサイトへ。直販しているようだったので注文しようとしたら、なんだ、アメリカのサイトで対象はアメリカ国内だけ。それでは、とカナダのHPサイトを調べたけど、こっちは直販していないらしい。HPの製品だからHPから買えるのかと思ったら、買えないじゃないの。なんか紛らわしいよっ、その「購入」メッセージ。

我が家から半径20キロ圏内の取扱店のリストを見たら、どれもすでに「品切れ」を確認済みのところばかり。ひとつだけ、Office Depotはまだ調べていなかったし、川向こうに店がある。だけど、特定の店に特定のトナーの在庫があるかどうかを問い合わせるのもめんどうなので、Office Depotの通販サイトを探したら、カナダにもあった(Staplesと同じ会社が持っているんだけど)。目指すトナーがあって、買い物カートに入れたら「品切れ」と出てこない。おお。感激したついでに念のために2個注文。オーダー番号が表示されて、注文確認のメールが飛んで来た。おお。あとは発送通知のメールを待つのみ・・・。

それにしてもまあ、あっちこっちにこんなにもと思うほどの量販店があるのに、モノがないことが多くなったような気もするな。でっかい店の中にうずたかく積まれているのはみ~んな同じもの。昔は、たとえば5社の製品を100個ずつ在庫していたのが、今は2社のものを500個ずつ。へたをすると、1社の製品だけを500個なんて、独占禁止法に引っかからないのかなあと思うようなこともある。おかげで、意外なものがどうしても必要というときい品切れになっていたりする。量販店がのし上がって来たら、薄利多売のはずが薄利「少売」になったのかなあ。ヘンなの・・・。

ま、どうやらトナーの補給ができそうでひと安心。あしたはいったん午前9時に起きて、カレシの注文品の配達が来るまでオフィスのソファで仮眠して、その後でまた寝直しだな。かといって、早寝するのはどうもねえ・・・。

おいしいものを好きなだけ食べられるうちが花

7月22日。金曜日。午前9時に目覚ましをセットしておいたら午前8時58分に目が覚めた。Staplesの配達がいつも午前9時からの予告枠の早い方に来るので、まずは9時に起きて、オフィスのソファで仮眠を取りながら待つ。今まで一番遅かったのが10時半過ぎで、平均すると9時半から10時の間。先に目が覚めてしまったので、目覚ましをオフにして、半分起き上がったところでゲートのチャイム・・・だ。時計を見たら午前9時ちょうど。うひゃあ、堂々の新記録だ。

慌ててベッドから飛び出して、階段を駆け下りて、インタコムに「ちょっと待って」と叫んで、また階段を駆け上がって、着るものをつかんで袖を通しながらまた階段を駆け下りて、防犯装置をオフにして、玄関からゲートまで走って、無事に注文品を受け取って、玄関の内側に置いて、着ていたものを脱ぎながら階段を上がって、そのままベッドに滑り込み!午前9時2分。睡眠の中断は最低限で済んで、何事もなかったように正午近くまでぐっすり眠った。カレシは階段をあがったり下りたりの騒ぎにはまったく目を覚まさず、「よく寝た~」と言って目を覚ました。受け取った注文品、どれもアナタのものなんだけど・・・。

予報によると今日の天気は晴れで、最高気温は平年並み。ということは、21度か22度。いや、やっとのことで夏空にお目にかかれるという感じで、別に夏らしいことをするつもりはなくても気持は高揚するな。仕事は明日に回して、今日は買い物日。まずはWhole Foodsへ行って、その後でメールで注文をしておいたスモークサーモンやサーモンキャビアをピックアップに行く・・・という予定だったんだけど、さすがカレシ、急に「あのさあ」と来る。今日はすでに予告してある通りにサーモンの類を取りに行くだけにして、Whole Foodsに行くのは夕食後にしようと。まっ、それでもいいよと、夕方近くになって、いつも日本にお中元とお歳暮の宅配を頼んでいるところへ、「ラッシュの時間だ」とか何とかぶつぶつ言うカレシを運転手にして、我が家からそう遠くない川べりのオフィスまで注文品を引き取りに行った。川から吹いてくる風がいい気持ち。

予定していたWhole Foodsのカニコロッケの調達が後回しになったもので、今夜のメニューも急遽変更。ぼたんえびをガーリックとレモンでバター焼きして、発芽玄米のご飯に刻みねぎを混ぜて、サーモンキャビアを載せた「即席イクラ丼風」と蒸したアスパラガスの付け合わせ。

食事中にカレシは急遽(また!)気が変わって、「やっぱり今日の内にWhole Foodsへ行こうよ」と提案。まっ、それでもいいけど。それにしても、アナタ、相変わらずワタシを振り回したがるねえ。そこんところをよくわかっているので、ワタシはしなやかに、あくまでもしなやかに・・・。まあ、元々仕事は明日やるつもりでいたから、元の予定に戻るだけのことなんだけどな。また気が変わるかなと思っていたら、8時を過ぎたところ「行くぞ~」。ささっと支度をして、大きなトートバッグを肩に、カレシの気が(また)変わらないうちにいざ出発。(ものぐさのカレシも、おいしいものショッピングはあまり苦にならないらしい。)カレシは豆サラダを作るための量り売りの豆を何種類か買って、ワイン酢やシェリー酢を買って、ワタシはお気に入りの量り売りのシリアルを買って、ランチ用の魚バーガーを3種類買って、明日の夕食になるカニコロッケを買って、フリーザーが上までほぼ満杯だからあまり魚は買えないけどと言いながらぶ厚いキハダマグロとごっついスズキを買って、爪を立てたらプチッと弾けそうな大根を買って・・・。今日の「掘り出し物」はカンボジアのメコン川流域のフラワー米とインドネシアのジャワ西部の火山灰地で栽培されたお米。

あ~あ、食道楽もいいけど、フリーザーも冷凍庫も冷蔵庫も食品棚も満杯。当分の間は食べては寝、寝ては食べての「夏ごもり」になりそうな。(まあ、年を取るばかりだから、おいしいものを好きなだけおいしく食べられるうちが花なんだけど。)だけど秋になって、山椒魚みたいに穴から出られなくなっちゃったら、どうしよ・・・?

どうして大人まで赤ちゃん帰りするんだろう

7月23日。土曜日。目が覚めたら、汗をかいていた。今日はきのうよりも夏らしくなりそう。待ちきれないから、今日は真夏用のタンクドレスに着替えた。肩がペロッと丸出しで、ちょっと胸が開いていて、膝上10センチのミニ。気温が20度を超えたらだいたいスリーブレスになってしまうワタシだけど、タンクはその「ない袖」をさらに短くしたようなものといえばいいかな。少々ミニ丈だと、脚をピンと伸ばせばちょっとは長めに見える「錯覚効果」もあるしね。(心しておなかを引っ込めていないとならないけど。)まあ、長年同じ環境の同じ生活空間で同じものを食べて来たせいで、ワタシもカレシに似て暑がりになって来たのかもしれない。実際のところは、2人が苦手とするのは暑さそのものよりは「湿度」なので、暑くてもめったに皮膚がべたつくことのないバンクーバーの夏は快適すぎて甘やかされてしまったかも・・・。

左目の結膜炎だか角膜炎だかがまたちょっと悪くなったので、今日はコンタクトレンズなしで過ごすことにした。ほとんど治ったかと思ったけど、コンタクトなしでも目頭の方がごろごろするし、鼻っ柱の横あたりがなんとなく痛い感じがする。きのうは買い物に行ったので1日。中コンタクトを入れていたら、夜中のランチの頃には我慢できないくらいの異物感。けさは白目がまた赤くなっていた。年も年だから、ある程度のドライアイになっていて、ちょっとした傷から炎症を起こしたのかもしれない。仕事があるから、コンタクトを外したままと言うわけにはいかない。月曜になったらガファー先生に電話してみよう。とりあえず、コンピュータを置いたデスクとワタシの間にあるキーボードのテーブルを退けて、少し身を乗り出して座れば目がモニタの画面から20センチの近さになって、乱視のおかげで二重にぼやけて見えるのはしょうがないとしても、少し拡大するだけでなんとか仕事をこなせそう。まあ子年の生まれのワタシ、窮鼠何とかというやつ・・・。

もっとも、仕事といっても、社員のチョンボというか、不始末の始末書みたいなもので、いたって簡単。それにしても、多いなあ、チョンボに不始末。社会文化思考がどんどんマニュアル化しているような感じで、元々几帳面ということになっている日本人には仕事がやりやすいだろうにと思うんだけど、どうやらそうでもないらしい。今の若い人はそういいうマニュアルはめんどうがって読まないのかもしれないな。それでチョンボをして一番先に考えつくらしいのが「ばれないように隠そう」。で、ばれたら、まずは「やっていない」と否定。それもばれたら「シャザイ」すればいい。なんだかチョンボに対するマニュアル的対応のようにも見えるけど、「やってない」と否定できるのはセレブか政治家、「シャザイ」して済ませられるのは企業のトップで、下っ端社員の場合は隠蔽がばれた時点でゲーム終了。ものものしい始末書の出番になり、悪くすると、もらいたくない通知が来ることになる。

チョンボは誰でもするんだから、やったら「チョンボしました」と報告して、チョンボ撲滅対策を考えればいいだろうに、隠蔽工作をしたり、嘘をついたりするから「事件」になって、最悪の場合はクビ。何でだろうね。芸能人やスポーツ選手や政治家がそうやってスキャンダルを起こすから、「みんながやっているから」のような感覚になってしまうのかな。それとも、ちょっとしたことで謝罪、謝罪と吊るし上げられるから怖いのかなあ。わからないなあ。記憶力が抜群にいい人でないと、ばれない嘘をつくのはかなり難しい。それでも、犯罪を犯したのなら隠したいと思うのはわかるとしても、誰でもうっかりとやってしまうようなチョンボで、隠したり、嘘をついたりしてキャリアや人生も棒に振ってしまうのはどうしてなんだろう。せっかくわき目も振らずに勉強して受験戦争を勝ち抜いたから、超氷河時代の就活戦線を生き抜いた今があるんだろうに、もったいない。

息抜きで小町の井戸端会議を見物していて、見つけたのが「だんなちゃん」という言葉。何じゃい、それ。で、ちょこっと調べてみたら、「だんなちゃん」だけじゃなくて、「おくたん」。どうもアニメだか漫画だかのキャラクターらしいことまではわかったけど、ふ~ん、「だんなちゃんとおくたん」ねえ。ままごと感覚という感じがするな。さらには、「むこたん」と「よめたん」、「嫁ちゃん」、「ママたん」、「パパたん」、「ベビたん」。これでこの一家が犬を飼ったら「ワンたん」になっちゃう。かわいい志向もここまで来たのかと、しばし絶句。子供ならまだしも・・・そういえば、アイドルと言われるオンナノコにも源氏名ならぬ「幼児名」がついていたりするような。新聞サイトで名前が見えるたびに、いい年をして「ゆうこりん」も「しょこたん」もないだろうがと突っ込んでいたけど、げっ、もしかして、幼児回帰志向(つまり、赤ちゃん帰り)の大波が押しよせている・・・は、いくらなんでも偏差値の高い高学歴者がごまんといる先進経済大国での話ではありえないよね?まあ、そこまで行ったら、嘘も隠し立てもなくなって、「チョンボちゃんしちゃったぁ。ごめんね、カチョーたん」とかわいく自己申告するようになるのかもしれない。げっ、まさか・・・。

よその家で自分の家と同じにやろうとすると

7月24日。日曜日。夏、やっとこさ到来と言う感じで、正午にはポーチの温度計で24度。相対湿度が60%ということで、体感温度を示すヒュミデックスは28度。うん、快適、快適。ワタシの感覚だと、気温が20度で「夏日」、25度で「真夏日」、30度で「猛暑日」というところ。生まれ育った釧路では20度が「真夏日」の感じだったから、22、3度くらいになるとスリーブレスの服を着せてもらえた。ひと夏にめったになかったし、せっかくスリーブレスになっても、午後になればガス(霧)が立ち込めて寒くなるから、遊んでいてもカーディガンを取りに家に走ったりした記憶がある。そういう環境で育ったせいで、スリーブレスやタンクトップは「真夏謳歌」への憧れイメージとして刻み込まれているのかもしれない。

きのう一日コンタクトレンズを入れずにがんばったおかげで、今日は目の状態が少し改善されて、白目の充血がぐんと減ったし、ごろごろする感じもほとんどなくなった。ここで喜んでコンタクトを入れるとまた一歩後退になるかもしれないから、今日もなしでがんばることにした。不思議なもので、きのうよりは「ぼやけ度」が低いような感じがする。きのうはモニタの画面から20センチのところまで顔を近づけていたのが、今日は25センチでも文字を判読できるから、人間の身体の復元力はすごいと思う。検眼のときに、カレシが老眼鏡の度を上げた方がいいかとガファー先生に聞いたら、「安易に度を高めると、目が怠けて老眼が進行する。少し見えにくいという程度なら、目の筋肉に運動させた方がいい」と言われたそうな。ま、最初のうちは不便だったのが慣れて来たということもあるだろうけど、使わない筋肉は萎えるもんだから、なんとなく納得。

ノルウェイのテロ事件が起きたとき、不思議なことに真っ先に思い浮かんだのは1990年代にアメリカのオクラホマシティで起きた連邦政府ビルの爆破事件の方だった。トラック爆弾が使われたことと、映し出された映像が似ていたためかもしれない。オクラホマシティ事件のときは反射的に「イスラム過激派がなんでオクラホマみたいな田舎でテロ?」と思ったのが、アメリカ人による自国政府に対するテロだとわかって、それまでのテロリズムに対する認識が変わった。そのテロがノルウェイのような誰も想像しなかったような国で起きて、ヨーロッパ各地でイスラム過激派のテロが何度も起きていたにもかかわらず、漠然とながら「極右テロ」が思い浮かんで、イスラムのイの字も浮かばなかったのはどうしてなんだろう。

事件を起こした男(なんとなくウィキリークスのアサンジに似ているような)は反イスラム、反多文化主義、反移民、反「文化マルクス主義」を標榜していたという。文化マルクス主義がどんなものかは知らないけど、イスラム教徒の移民が増えることによるノルウェイのイスラム化、あるいはイスラム文化による支配を危惧したということなのかな。歴史的や文化的背景がどうであれ、たしかにイスラム教には排他的で非寛容なところがあると思う。それが宗教そのものの性質なのか、あるいはイスラムを受容した地域に元からあった文化なのかどうかは、ワタシにはわからない。「砂場のけんか」の論理で言えば、キリスト教にだって排他的で非寛容なところはあるわけで、イスラム原理主義と同様に、キリスト教にも経典に示された規範の通りに行動しないものは異端視して排斥しようとする原理主義者がいる。ワタシとしては基本的にどちらも「変化」についていけない人たちなんだと思うけど。

カナダは建国当時から英仏語2つの言語とこれらに根ざした2つの文化があって、1970年代の初頭にいち早く多文化主義を政府政策に取り入れた。主にヨーロッパから受け入れていた移民の機会を、ポイント制度の創設で世界に向けて開いたのはそれより前の1960年代の終わり。アジアからの移民が急増し、インドからの移民が急増し、そしてイスラム教徒の移民が急増した。カナダも先進国の例にもれず出生率が低下しているから、天然資源も先端技術もある国としては、移民で人口を増やさないと労働不足になって経済が回らない。だから、少しペースを落とそうという話はあるものの、毎年20万人以上が新移民としてカナダに「上陸」している。みんな多かれ少なかれカナダでの生活に夢を描いて、大きな「期待」を胸にやってくる。

でも、カナダは個人を基本とする自由な国だから、性格的あるいは文化的に依存性が強いと、新しい生活が期待通りに行かずに失望することも多いだろう。そんなとき、宗教は失意に落ち込んだ人が寄りかかれる「居場所」になる。家父長主義が強ければ、宗教はカナダのリベラルな社会が与えてくれない「権威」を感じさせてもくれるだろう。その宗教の教えに排他性や強い統制志向があると(自分たちとは違う)社会と対峙する集団にもなるし、ときには「ごり押し集団」にもなって、移住先の社会との間に軋轢が生まれることになる。オンタリオ州のイスラム団体が、家族問題を州の法律によらずにイスラムのシャリアによって裁かせろと言い出して、猛烈な批判と反発を招いたのはその好例だろうな。あのとき、ふとカナダのイスラム化を危惧した人たちがいたと想像するのは難くない。

カナダの多文化主義は「モザイク型」と言われる。アメリカの「人種の坩堝」思想と違って、カナダという国を形成する民族の集団がそれぞれの文化を温存しつつ、なおかつ「カナダ社会」というモザイク画を形作るというものだけど、ワタシにはちょっと夢想家の理想像のように思える。だいたい、モザイク画というのはさまざまな色の破片を一定の位置に固定して初めて「絵」になるんであって、その破片のどの1個でも別の場所に移動したらその「絵」は変わってしまう。モザイク多文化推進派にはやたらと「○○系」カナダ人と民族名を頭につけたがるのが多いように思う。そうやって作った「カナダ」という題のモザイク画を眺めて、異人種、異文化を尊重する「すばらしい私」の作品と自画自賛する人たちなのかもしれないけど、これも裏を返せば、イスラム教原理主義やキリスト教原理主義とどこかで通じていそうで、あまりいい気持はしない。ワタシとしては、無理して融合しなくても、ひとつのボウル(国)の中に「み~んな一緒に同じ船」と共存する「サラダボウル型」多文化主義に惹かれるな。文化が溶け合わなくたって、そのうちサピエンス人とネアンデルタール人のように、みんな混ざるんだから。

最近はバンクーバーでも比較的新しい中国人移民たちが、中国の迷信を盾にして、「中国の文化なんだから尊重しろ」とホスピスの建設を阻止しようとして、何世代もいる中国系カナダ人の顰蹙をかっていたけど、よその国へ行って「母国ではこうだから」と、行った国の法律や文化に適合する努力をしようとしないのは、日常のレベルで見ると、たとえば人様の家に同居することになればその家のルールや習慣を尊重するのが当然だろうに、「自分はこういうライフスタイルだから」とその環境を乱す無礼な行為と似ているし、また、結婚した夫婦はそれぞれが育った家庭の文化や習慣の違いに折り合いをつけながら独自の「家族文化」を形成して行くものだろうに、「実家ではこうだったから」と自分に心地よいやり方を通そうして、難色を示す相手を「思いやりがない」と責めるのと似ていると思う。まあ、宗教や国家政策レベルでの軋轢やテロを、日常生活での人間関係の破綻や暴力と比べる人はいないだろうけど、国家も宗教も、政府も右翼も左翼もみんな人間の集まりだから、どこかに共通するものはあるんじゃないかと思う。そこに解決の糸口があるかどうかはわからないけど。

なんだかハイドバークの演説台に立っているような感じになって来たな、これ・・・。

テロリストの理想の国にされてしまった!

7月25日。日曜日。けさはびっくりした。ゲートのチャイムが鳴って目が覚めた。いつもなら鳴っていても目を覚まさずに眠っていることが多いので、「不在通知、入れといてね・・・むにゃむにゃ」。だけど、小包とかサインのいるものが来る予定なんてあったかなあと思いつつ半分眠りかけたところで、誰かが玄関のドアをドンドンと叩いている。家の中から操作しないとゲートから庭に入るドアは開かないはずなのに、どうして?しょうがないから、起きて行って玄関の横の窓から覗いてみると、あのぺらぺらのバスケットのショーツをはいたお兄ちゃん。どうする?一応、防犯装置をオフにして、もう一度窓から覗いたら、箱を持っている。ん、ひょっとして・・・?

びっくりしたのなんのって、さんざん探し回って注文したプリンタのトナーの配達。木曜日の夜に注文受付の確認メールが来てそれっきりで、寝る前にチェックしたときも発送通知のメールはなかったんだけどなあ。まあ、印刷するたびにトナーが残り少ないとメッセージが出て心配になって来たところだったから、間に合って何より。そのままベッドに戻って、またひと眠り。正午ぎりぎりに起きて、朝食を済ませてからメールをチェックしたら、あら、発送通知と追跡番号が来ていた。メールの送信時刻はけさの午前8時で、配達時間は午前9時20分頃。なるほど、普通なら9時には「営業時間」が始まっているから、出勤してきて、メールを見て、配達を待つという手順になるわけか。ま、トナーが来て何より。でも、寝ぼけ眼だったので、ナイトガウン(と言ってもタンクドレスに見えないこともないけど)のままでドアを開けたから、お兄ちゃん、びっくりしたかも・・・。

ノルウェイで反イスラム、反移民を唱えてテロ事件を起こした男が、膨大なマニフェストで日本や韓国を「理想の国」として名指しで称えていたという話に、ちょっとびっくり、だけど、さもありなん。日本在住外国人の英語サイトにかなりの部分が抜粋されていた。(こういうことになると、いつも日本の新聞サイトには3行にも満たないあたり障りのない記事しかないなあ。)そのマニフェストやらを読んでいくと、このサイコ男にとっての日本は「決して多文化主義を採用しなかった西欧的近代国家」であり、西洋化、近代化の中でも保守的単一文化主義と愛国主義を守り、人種/民族の純血維持に高い価値を置いて来たと言っているらしい。投稿者は「たぶん、ウィキペディアをさっとググって日本に関する情報を集めたんだろう。現実の日本を経験していたら違った見方になったかもしれない」と言っているけど、当たっていそう。あんがい「カリスママン」の仲間入りをしていたかもしれないしね。

要するに自分に都合のいい情報だけを集めて、自分に都合のいい理想像を描いたということなんだろうな。もし、日本人が民族の純血を守ることにそれほど誇りを持っているんだったら、バブル景気以来の国際結婚ブームをどう解釈するのかな。芸能界などで白人の混血児がもてはやされ、広告などのモデルに白人が多く登場する現実をどう解釈するのかな。まあ、「国際結婚指定」の結婚願望はブランド志向の延長と変わりなかったんじゃないかと思うけど、「文化保守主義」というのはなんとなく理解できるような気がする。カナダには日本から年間数百人の移民が来ているそうで、その大多数が国際結婚の女性。その割合は他の民族の比ではないらしい。カナダ人の配偶者としてカナダに移民して来たんだから、少しはカナダの文化や考え方に適応する努力をするかと思いきや、カナダに、カナダ人に、果ては夫やその家族にダメだしばかりという人も相当にいるらしく、「日本では・・・」、「日本だったら・・・」、「日本にいた頃は・・・」。

まあ、数を頼んで移住先の社会を自分に合わせようというのではなくて、愚痴る相手が日本人の日本人による日本人のための(2チャンネル化がはなはだしい)日本語の掲示板だし、移民の絶対数そのものが少なく、バブル時代以降はカナダ人の配偶者になった女性がほとんどと言う特殊事情もあって、社会的に固まって数を頼むことができないため、日本の「社会的常識」をそっくり持ち込んで、同胞がカナダ文化にかぶれて「日本人の道」を外れないように互いを監視、牽制しているようなところもあるから、自分たちの慣習を一般のカナダ社会に押し付けようとする集団に比べたら、カナダやカナダ人には実害と言えるものはない。つまりは、ヴァーチャルに日本に住んでいるようなもので、外国に移民しても日本の「保守的単一文化主義」を貫いているという見方もできるかもしれない。

だからといって、そういう人たちが「日本が命」の愛国主義者なのかというと必ずしもそうではなさそうで、どっちかというと、「ナルシシスト的ナショナリズム」と言ったほうがぴったりするように 見える。ナルシシズムは「自己愛」と定義されていて、それが高じると自己愛性人格障害というのもある。この自己愛は、高校の正面玄関に掲げられていた「先愛自己」という校訓が教える「自己を愛すること」とはまったく別のもので、ギリシャ神話の美青年ナルキッソスが水面に映った自分の姿に恋をしたように、ナルシシストが愛するのは実像の「自己」でなくて、多くは他人に投影された「自分の姿」の方だと思う。「先愛自己」というのは、先ず己を愛して(自分を受け入れ、肯定して信頼して)こそ、人を愛することができ、人に対して寛容になれ、異なるものや未知のものを恐れることなく向き合うことができるということだとワタシは思うけど、先ず愛すべき自己が「虚像」では受け入れも肯定も信頼も難しいだろうから、人を愛したり、寛容になったりする余裕がなく、異なるものや未知のものを脅威と「人見知り」をするのかもしれない。

こうしてみると、「ナルシシスト的ナショナリズム」は、ノルウェイのテロ男がマニフェストで理想として持ち上げた日本の、保守的単一文化主義と民族の純血性に基づく「ナショナリズム」とはかなり違うと思うけどな。まあ、とんでもない狂人の理想にされて迷惑もはなはだしいだろうから、誤解のないように、指しされた麻生さんあたりが先手を打って世界にガツンと言った方がいいんじゃないのかなあ。

老夫婦のワークライフバランスはどうなるの?

7月26日。火曜日。曇り。やっと来たはずの夏、どうしたのかな。午後1時を過ぎてもポーチの温度は16度しかない。郊外の農場地帯チリワックのとうもろこしは生育がもう数週間も遅れていて、名物のとうもろこし迷路もオープンの時期が迫っているのに、背丈が足りなくてやきもき。今年も地物のもぎたてとうもろこしは期待できないのかなあ。もう「冷害」と言ってもいいくらいの状況だと思うな。そういえば、米が大凶作で日本中で米不足になった年の8月に東京に滞在していたけど、長袖を着て歩くくらい涼しかった。それが不思議と言うか、新鮮な驚きと言うか・・・まあ、息詰まるような蒸し暑さを覚悟して行った観光客としては、そんな感覚だったと思う。

仕事にかかる前の「サボりのひととき」(仕事を始める前からサボっていていいのか・・・)をネットの新聞や友だちのブログを巡回していたら、洗濯をしたと書いてあって、土曜日から洗濯をすると言っていたのを思い出した。今日こそは忘れずにやらないと、カレシの下着がなくなっちゃう。だだっと階段を駆け上がって行って、ランドリーシュートのドアを開けたら、なだれ落ちる寸前の洗濯物の山。洗濯機に水を張りながら、白系統は洗濯機に、暗色系統は洗濯かごにと仕分けして、洗濯開始。いちいち「下着がなくなる~」なんて言って来ないで、洗濯機くらい自分で回してよ~と言いたいところだけど、ワタシが10日。ほど入院していたとき、着るものに困ってママに洗濯機の使い方を電話で聞いて呆れられたというカレシだから、洗濯機のマニュアルをそばの棚に置いてあってもダメ。まあ、洗い上がって乾いたものを洗濯かごに入れておけば、(自分のものだけ)たたんでしまってくれるから、ご本人は洗濯に「共同参画」しているつもりなのかも・・・。

今週のTIME誌に「家事戦争」とでもいうような特集記事があった。日本でも共働きが増えて、家事の分担問題がしょっちゅう小町のトピックに上がって来るけど、日本よりずっと早くに「男は仕事、女は家事」といった分業体制が崩れた北米では夫婦共働きがほぼ基本になっていて、ほとんどの女性たちがそれまでの仕事を結婚してからもそのまま続ける。(専業主婦か、共働きかという二者択一は存在しないといっていい。)当然のことく家事をどうするかという問題が起きるのはいずこも同じ。女性が自分たちの負担が大きいと感じるのも同じ。男は楽をしているという不満が出るのも同じ。世界の先進国のどこで「共働き夫婦の悩み」であるのは確かだと思うな。社会学者とか心理学者とかいうエライ人たちがあれこれと調査研究して、「妻が家事をする時間は夫のそれよりもこれだけ長い」と数字を示せば、妻たちは夫たちに「ほら、もっと家事を!」と要求する。このあたりは今の日本でも同じだろうな。

だけど、なのだ。アメリカ統計局に長年勤めた人が、ワークライフ・バランスの考えに基づいて、集まってくる膨大な統計数字を分析して、働く既婚の男女の仕事と家事(育児を含む)を合わせた「労働時間」を測ってみたところ、女性が8分から20分長いという結果が出たという。つまり、仕事(ワーク)と家事(ライフ)を総合してみると、夫も妻もほぼ同等でバランスが取れているということになる。母親の育児の時間が増えているのは、子供の早期教育に熱心な母親が増えたからで、それでも子育てが母親の方により負担になるのは子供が幼児のうちだけということだった。現実的には、逆に男性の負担が増えているというからおもしろい。といのは、女性は子供を持つと職場が負担増を察してそれなりに配慮してくれるけど、男性は子供ができても会社の期待や要求は変わらない。そのため、家庭での「父親」の役割を重視して、積極的に子育てに関与したい男性が増えている今、仕事と家庭をバランスよく両立させることが難しくなって来ているという話だった。ふむ、結局、いつの世もつらいのは男のほう・・・ということなのかなあ。

小町に登場する家事負担の悩みを読んで思うに、家事の分担を量の問題としてとらえるから、作業リストを作って労働量によって平等に振り分けようとしたり、稼ぎの少ないほうが多く家事をすることを提案したりと、目に見える「数字」で公平さ(自分が損をしていないこと)を確認しようとするマニュアル的な結婚生活になるんじゃないのかな。縦割り行政の家庭版みたいで、なんか硬直した感じがしないではないな。ワタシはカナダに来て最初の2年だけ専業主婦をやったけど、働き始めてからもそのまま家事負担率100%で、それが25年続いた。まあ、カレシは「家事負担率ゼロ」の父親を見て育ったから、「手伝う」という観念さえなかったんだろうと思う。だから、切羽詰って手伝ってと頼んでも、「後でやればいいよ」という寛容なお言葉しか返って来なかったわけで、それでもご本人は自分は(すぐに苛立つ父親に比べて)思いやりのある夫なんだと思い込んでいたらしい。今では2人ともワークもライフも同じ空間でごっちゃまぜになった暮らしをしているから、まっ、なんとなくバランスはとれているってことじゃないのかな、うん・・・。

お礼してもらうのはしてあげた人の権利?

7月27日。水曜日。なぜかちょっと早めに起床(と言っても午前11時20分)。カレシは裏口からガレージを抜けてレーンに直行。戻ってきて、「ゴミがまだある」と電話に飛びついた。実はきのうが収集日だったのに、うちのと隣のパットの容器だけが空になっていなかった。きのうはパットが市の衛生部に電話して、「後で取りに行くからそのままにしておくように」と言われていたんだけど、とうとう来ないままだった。ごみを大きなビニール袋に入れて出していた頃は、夕方までに市の車で来て拾って行ったもんだけど、規定の容器を使う「自動式」になってそれができなくなった。省力化によるコスト削減は喜ばしいけど、市民には便利になったの、逆に不便になったのか・・・。

バンクーバーは、ショーネシーのような超高級住宅地は別として、一般の住宅区域はほとんどが碁盤目になっているから、普通のブロック構成だと、南側と北側に東西方向の道路に向いて家が並び、裏庭とガレージが真ん中を通るレーンに向いている。ごみ収集車はそこを一直線に走るだけだから、収集もれはまずない。ところが、我が家のあるブロックのように、東側と西側にも南北方向の道路に向いて家が並んでいる場合は、レーンがH字型になっているので、収集経路がややこしくて、たまに取り残しがあった。まあ、ごくたまにだし、電話すればその日のうちに取りに来てくれたから、どうってことなかったんだけど、一回にレーンの片側しか収集できない自動式になってからは、経路が前よりも複雑になって取り残しがちょくちょく起きる。電話したカレシが、「なんだか知らないけど、特別収集の請求票ってのがkあるとかで、その番号をくれたぞ」と呆れ顔でパットに知らせていたから、よっぽど取り残しが多くなったんだろうな。番号順だったかどうかは知らないけど、午後3時過ぎにはトラックが来て、2個の容器は空になった。めでたし、めでたし・・・。

カレシが庭仕事に精を出している間に、仕事をひとつ仕上げる。ま~た始末書の類で、規則違反やうっかりミスじゃなくて、どうやらハラスメントの苦情があったらしく、その申し開き。文章や経緯から推測するとかなり若い人、たぶん30代半ばくらいかな。まあ、ハラスメントと言えるようなことじゃないと思うから、ちょっとかわいそうな気もするけど、それはワタシが判断することじゃないから、原稿の通りに粛々と、でも、こんなんで苦情ってのはちょっと過剰反応じゃないのかなあとか、しょげているようであんまりしょげているようじゃないなあとか、突っ込みを入れながら作業を進める。こうして何でも翻訳屋のデスクには、今どき日本のさまざまな(ときにはメロドラマチックな)人間関係の綾模様(今日のテーマは「してやったんだから見返りを」)が見える仕事がけっこうあって、野次馬根性を満たしてくれるから、かの「500円翻訳者」が言った「ただの翻訳」はおもしろくてやめられない。

この「見返り期待感」は小町横丁の井戸端でも人気?のあるテーマのようで、「○○してあげたのにお礼がない!」と憤慨している投稿がよく登場する。日本の美徳とされる「礼儀正しさ」を追求するあまりなのか、それとも心の奥に他人に評価されたい(褒められたい)という欲求が鬱積しているのか、それとも一種の「権利意識」の表れなのか。最近の民主教育は権利を強調しすぎて来たところがあると思うから、どこかで「厚意の提供=お礼当然」という方程式ができているのかもしれない。たぶん「人の痛みがわかる子供」教育や「ゆとり」教育や「平等」教育とも関係があるんだろうと思うけど、ワタシは子供を育てたことがないから、わかりもしないくせにと言われればそれまでの話。でも、現実には社会人になった「よその子供」とさまざまな場面で日常的に接触するわけだから、目の前の子育てと教育の「結果」の言動を観察、分析して、ワタシなりに発達過程を推察する。ある意味、原稿文から筆者の思考を辿る翻訳の過程と似ていなくもないから、あんがい職業的な性癖なのかもしれないけども。

仕事をしながらごちゃごちゃと考えているところへ、まるで青空の黒雲のようにぽかっと浮かんだのが、常々感じていたフランス語の「egalité」、英語の「equality」と、日本語の「平等」の(ワタシだけが感じているのかもしれないけど)微妙なずれは、社会の最小単位が「個人」である場合の平等観と、「集団」である場合の平等観の違いだったのかという疑問。ワタシは「equality」というのは、どんなに有形無形の違いがあろうとも個人はすべて人間として同じ存在価値を持っているということだと思うんだけど、「平たく等しい」日本流の平等はなんかみんなが同じ(たぶん可視的な)レベルで横並びということではないか。だから、出るくいは打たなければならないし、横並びラインの前後にはみ出す者は秩序を乱す厄介者と見られるのか・・・と。

まあ、世界のどこであろうと、人間関係はドラマのようなもので、即興でやるか、台本通りにやるかの違いじゃないかと思う。生まれついてのはみ出しっぺには、フォレスト・ガンプのチョコレートの箱のような即興劇のほうが性にあうかな・・・。

日本人は本当に外国人に若く見えるのか

7月28日。木曜日。午後1時で気温は20度。カレシは勇んで庭仕事に出る。そうのいでたちときたら、まず愛用のiPodのイアフォンを耳に突っ込んで、その上に産業用のイアマフ(聴覚保護)をして、その上に後ろに外人部隊の軍帽のような首の日焼けを防止する垂れ幕のついたつばの広い帽子を被ってのすごい重装備。週明けはもう8月だというのに、まだスナップえんどうが採れるし、レモンきゅうりは少し小さくて色が薄いけど、まあまあの作。トマトは生育不良だけど、ミニトマトが食べられるようになった。身勝手な芽キャベツは今年も「招かれざる客」ですくすくと生育中で、カレシは「オレはカリフラワーが欲しいの!」とおかんむり。カレシの野菜は堆肥だけで化学肥料も使わない100%有機栽培。丸々としたえんどうを食べながら、「これは2年前のサラダの生まれ変わりなんだよ。究極のリサイクルだな」。ほんと・・・。

今日は仕事がないから、のんびりと小町横町の散歩。いつもながらの賑わいだけど、「外国人から見ると日本人は若く見えるのか」というトピックはおもしろい。なんでも、50代半ばの主婦が駅で30代くらいの黒人男性に「かわいいですね」と声をかけられ、一目ぼれしたからメルアドをくれと言われたんだそうな。それで「日本人は若く見えるのかな」と。まあ、いくら日本人は若く見られるといっても、50代半ば女性に「かわいいですね」はないだろうと思うけどなあ。日本で日本人に囲まれて暮らしてれば、日本女性の年令は「印象年令プラス何年くらい」というものさしができていそうなものだと思うんだけど、推定30代の外国人に「かわいい」と言われて、日本人(私)ってそんなに若く見えるの?と、うれしそうに「皆さんもそんな経験ありますか」とトピックを立てるのもなんだかなあ。女性はいくつになっても若く見られたいのは世界共通の願望なのはわかるけど・・・。

それでも、トピックには外国旅行や海外生活で「外国人」からすごく若く見られた~という、うれしい?体験談が続々と書き込まれている。たしかに、一般的にアジア人は西洋人の目に「年齢不詳」に映るのは周知の事実だけど、自分たちと顔かたちの違うアジア人の年令を推定するのは難しいということに過ぎない。外国人が外面の印象に基づいて推測した年がたまたま実年令よりずっと低かったからといって、自分の「実年令」を知っているから「若く見られた」と言えるんだと思う。それに、「若く見られた」と喜んでいいかと言うと、必ずしもそうじゃなくて、書き込みでも指摘されているように、「若い」というよりは「幼い」見られていることもある。若く見られるのと、幼く見られるのとでは天地の違いだと思うけど、今どき日本の「チョーかわいい」志向のファッションやメイクからすると、答は「幼く見える」の方じゃないかと思うな。(幼女的な)「かわいさ」が若さの理想だとすれば、「かわいいね」と言われると「私って若く見えるのよね」という解釈になるのかもしれない。

そういうワタシもアジア人だから、カナダに来てからこの方、実年令に見てもらえたことがない。初めてカナダの土を踏んだ25歳の夏は、どこでも「子供料金」で入れたし、ビクトリアの博物館では、ホームステイ先の友人夫婦の日系人の奥さんの「連れ子」、つまり奥さんの本当の連れ子のハーフの娘の「異父姉」を装って、4人家族の格安料金で入ってしまった。カレシとのデートでミニゴルフに行ったときは、クラブを借りるのに年を聞かれて「二十歳を過ぎた」と答えたら、「16歳以下は割引になるんだから無理しなくていいよ」と言われて、ん?と思った。カレシは当時30歳。う~ん、もしもあのとき「30歳の男が16歳以下に見える女の子とデートするってどうなのよ?」という疑問がわいていたらその後はどんな展開になっていたかなあ。(まあ、あのときのワタシは中身も16歳以下のレベルだったんだろうし、恋は盲目というし・・・。)

外国で「若く見られた」体験談で一番多いのはお酒が絡む場面。レストランでワインを注文して拒否されたり、酒屋でIDの提示を求められたり。うん、わかる、わかる。IDを見せろと要求されるのはいい方で、ワタシは酒屋から追い出されたことがあった。仕事の帰り道にワインを買って行こうと思い立ったのが運のつき。スカートにブレザー、ハイヒールでアタッシュケースを下げた、どこから見ても「キャリアウーマン」風だったのに、店内に何歩か入ったところで「ちょっと、IDを見せなさい」。運転免許証を見せたら、「お姉ちゃんのなんか借りてきたってだめだよ」。免許証の写真なんか誰でも老けて写るんだし、ワタシは亭主持ちのれっきとした大人なんだと抗議したけど、あっさりつまみ出されてしまった。あのときのワタシ、33歳。若く見られるどころか、「未成年者」扱いされたことに愕然とするやら、憤懣やるかたないやら・・・。

オフィス機器の配置換えをしてデスクの周りを整理したときに、積み上げてあった書類バスケットの底からまた出てきた1枚の写真。[写真]

裏に1990年6月20日。と印字されている。カレシがこの写真を撮ったときはフリーランスの翻訳業を旗揚げして4ヵ月半。いきなりカレシの倍も稼いで、「翻訳ってぼろい仕事だなあ」とホクホクしていた21年前のワタシ。人様の目には何歳に見えるのか、あるいは若く見えるか、幼く見えるか、見る人の判断しだいだけど、年がわからなければ「幼い」という印象をもたれるかもしれないな。このときの実年令は満42歳。まあ、こっちの女性は40代に入るあたりから年令より若く見られたいと思い始めるらしいから、40代だとわかれば「かわいいね」じゃなくて、「若く見えるね」と言ってもらえるかな。60歳を過ぎた今、ワタシとしては「若く見える」よりも「若々しい」と言われるほうがうれしいけどな。カレシとの見かけの年齢差が開いて来ると、たまに変な目で見られることがあるから・・・。

遅ればせの夏の普通の週末

7月29日。金曜日。今日は起き抜けから暑くなりそうな気配。玄関ポーチの温度計は午後1時でもう22度。もう8月なんだから、そう来なくっちゃ。8月の第1月曜日は適当に作った「BCデイ」という祝日なので、この週末は三連休。音楽と組み合わせた花火コンペがあるらし、恒例の日系人のお祭りである「パウェルストリート・フェスティバル」があるし、日曜日にはゲイプライド・パレードがある。

パウェルストリートは戦前の日本人移民が住みついて、太平洋戦争で根こそぎ内陸の収容所へ送られるまで「リトルトーキョー」と呼ばれていたところで、今ではスラムの一部になっているけど、日系カナダ人の「心のふるさと」のようなもの。お祭りにはずっと昔に1度か2度行ったことがあったけど、屋台が出て、仮設舞台では日本舞踊や日本語学校の子供たちの合唱などがあった。金魚すくいもあって、ちょっぴり子供の頃の神社のお祭りのような感じがした。たしか、今は御輿行列もあるはずだけど。バンクーバーには特定民族の移民が集まる(あるいはかって集まっていた)コミュニティのフェスティバルがあちこちであって、カレシとそういうところへ出かけていた頃のお気に入りはギリシャ系のフェスティバルだった。ま、2人ともそろって隠居になったら、また出かけて見るのもいいかな。

日本が金曜日のきのうは「おきみやげ」仕事が入って来なかったので、日曜日の夜までは「完全週休」。こんなふうに「区切り」があるのもいいもんだな。ゆっくりと朝食をして、食後のコーヒーを飲みながら、しばしゆっくりと本を読む。アイオワ州デモインを出発したビル・ブライソンは、理想の「小都市」を求めて、南部から東海岸に出てワシントン、ニューヨーク、ニューイングランドと北上して、今度は五大湖沿いに西進。現在、ミシガン州を抜けて、ウィスコンシン州に入ったところ。行けども行けども、モテルにガソリンスタンドにファストフードレストランにショッピングセンター。オハイオ州でクリーブランドからトレドへ向かう途中で、田舎のラジオ局はニュースが30秒しかないとこぼしているうちに、(1987年の)ウォール街で1日。としては史上最大の株価暴落があった言うニュースを耳に挟み、詳しく報道するラジオ局を探し回ってやっと見つかったのがなんとカナダのCBC(カナダ放送)ラジオの番組。アメリカの経済がどうかなってしまいそうなニュースをなんで外国の放送で聞かなければならないんだとおかんむり。ま、アメリカは50の小国家の集まりで、それぞれの中に大小の都市国家がいくつもあるようなもんだから。

そのアメリカ経済、日本と同じように上院と下院で共和党と民主党の勢力がねじれている議会で、国の債務の上限を上げるかどうかで、もめること、もめること。突き合わせていた角が絡んでしまって二進も三進も行かなくなったのかな。期限は8月2日。で、それまでに妥協できなければ、アメリカ政府は「債務不履行」になって、支払いができなくなり、国際の格付けが下がり、資金の調達コストが上がり、経済は大不況に逆戻り・・・と言うシナリオなんだけど、サブプライムの金融危機をいち早く乗り越えて、カナダの金融機関は世界で最も健全と言われ、経済も安定しているということで、カナダドルが安全な通貨と見られているらしく、ずっとカナダドル高。ワシントンの角突き合いの顛末いかんでどういう影響があるのか。今のところはあまり悲観的な話を聞かないから、この週末はまた国境に長~い車の列ができるんだろうな。カナダドルが下がって、アメリカのと等価になれば、アメリカドル口座にたまっている資金を移して、ちょっぴり為替差益を出せるかなあ。

まあ、ことお金に関しては、あんまり欲を出さないのが一番安全で安心なんだけど、たまには取らぬ狸の皮算用をしてみたくなるのもお金の魔力、というよりはのんびり週末の白日夢・・・。

会議は踊るよ、民主主義

7月30日。土曜日。今日も暑そう。午後1時でもう22度まで行っている。昼のニュースで天気予報を見ていたら、バンクーバーで観測史上最高の気温を記録したのが2年前の2009年の今日だった。あの年の夏は暑かったなあ。めったに30度を超えないバンクーバーで30度前後の日が続いて、とうとう33度を超えて「観測史上最高」の記録を更新したのがきのう。暑~い!と悲鳴を上げたら、その新記録をあっさり書き換えたのが今日。最高気温は34度を超えた。あんまり暑かったので、前をエプロンのように首の後ろで結んだだけの、肩も背中も丸出しのドレスで芝居に行ったっけなあ。2年前の話。去年は打って変わって、あんまり暑くなかった・・・。

アメリカ連邦議会の「審議」はいつ果てるともなく続いている。共和党も民主党も「これだけは譲れない」と政治的ドグマを振りかざし、それをさらにかき回しているのが「絶対に妥協はしない」という共和党の茶会派。もう政治駆け引きごっこはいいから、そろそろまじめに国を統治してくれないかなあ。とはいっても人様の国だから、何を言ってもしょうがないけど。ニュースで見る限りはけっこうにぎやかにああだこうだと言っているけど、アメリカでは議会の審議を生中継するんだろうか。中継してもアメリカの人たちは見るのかな。アメリカ連邦議会の議場の配置は議長席をかなめにした扇のような形で、ちょっと日本の国会の配置に似ているな。議論を戦わせると言うよりも、マイクのあるところへ行って「演説」するような感じなのも似ている。

議会制度発祥の地イギリスの議会では、議長が細長いテーブルの端の一段高いところに座り、与党と野党がそのテーブルを挟んで向かい合って、発言するときにそのテーブルのところへ行く。(距離は2、3歩程度かな。)発言することの多い閣僚やベテランが「ベンチ」と呼ばれる席の前の方に座り、「その他大勢」の陣笠議員は後ろの方に座る。(ベンチの後方にいることから、陣笠議員のことを「back-bencher」と言うようになった。)陣笠議員の重要な?役目は野次を飛ばすことらしい。イギリスで発覚したタブロイド新聞の電話盗聴事件が政治家やスコットランドヤードを巻き込むスキャンダルに発展して、盗聴で逮捕された編集長が元側近だったキャメロン首相が議会で弁明したときの様子をBBC Worldで見たけど、あれはおもしろかった。首相が躍起になって説明し、釈明し、対応策を表明している間、反対側の野党席からにぎやかに野次が飛ぶ。事件が事件なもので、野次にも熱が入りすぎて、議長が何度も「Order!(静粛に!)」と注意する。ちょっとの間収まるけど、すぐにまたわいわい。とうとう議長が野党側のベンチの方に身を乗り出して、「子供のけんかじゃあるまいし、やめなさい!」と叱り付けていて、笑ってしまった。

カナダの連邦議会はイギリス議会が手本なので、議場の配置も「ベンチ」が向き合っている。与党は議長の右側、野党は左側と決まっていて、閣僚やベテランは前の方、陣笠議員は後ろの方という席順は同じだけど、質疑応答のときは立って議長の承認を得た上で自分の席から発言する。ケーブル放送にCPACという公共チャンネルがあって、質疑応答の一部始終が英仏の同時通訳付きで生中継されるけど、ここでも陣笠議員はせっせと相手側の発言に野次を飛ばし、自分側の党首の発言には「Hear! Hear!(いいぞ、いいぞ!)」と言いながら、デスクを一斉に手のひらでバンバンと叩いて応援するから騒々しい。特に反対の多い議案があったりすると、見ていてけっこうおもしろいけど、公用語の英語、フランス語のどちらでも発言できるので、フランス語のときは同時通訳の声に切り替わって、なんか機先をそがれたような気がする。

イギリスでもたぶんそうだと思うけど、議場では議員を個人名で呼び合わない決まりになっていて、首相や閣僚を「総理大臣」、「○○大臣」と呼ぶのは日本の国会と同じだけど、一般議員は「The honourable member from ○○(○○区選出議員殿)」」と呼ぶ。たとえば、我が家のある選挙区のウェイ・ヤン議員は「バンクーバー南区選出議員殿」と呼ばれるわけ。選挙区によっては地名が3つくらいつながった長い名前のものがあるから、ときにはちょっと滑稽に聞こえることもあるけど、よく似た名前の議員がいるときに混同しないようにという趣旨らしい。まあ、議論の最中はいちいちそういう長ったらしい呼び方はめんどうだから、「My learned friend(博学なる友よ)」とやっていることが多い。これもイギリスのプロトコルを踏襲したもので、法廷でも裁判官や弁護士が互いにそう呼び合っている(ただし、カナダの弁護士はイギリスのように法廷でかつらは被らないけど。)

ここに来て、慌てて妥協するのかどうかはわからないけど、アメリカ経済の行く末を心配して、カナダドルが下がり始めている。カナダとアメリカの経済は、陸続きということもあってかなり密に連動しているから、アメリカが不興になれば、カナダも足を引っ張られるのは避けられないだろうな。ま、請求書の作成や帳簿整理、売上税の申告といった月末処理で、ワタシのビジネスだけはちゃんと回しておこうっと。

経理部長(私)より、社長殿(私)へ

7月31日。日曜日。予報の雨(といっても確率は40%)はとうとう降らなかったようで、ふと目が覚めた午前9時半にはもう暑くなりそうな気配。汗をかいていたので、エアコンをオンにして、またひと眠りして、12時半起床。のんきな週末はほんとにいいよね。やがてこういう暮らしが毎日になるんだと思うと、年を取るのも悪くないなあと思ったりして・・・。

だけど、今日は7月最後の日。売上税の申告期限。オンラインでやれなかった頃は、月末が週末のときは週明けの月曜日が期限になっていて、ちょっとばかり余裕があった。今回はその月曜日が祝日だから、期限は2日。の火曜日になるところだけど、期限の通知書を見たら7月31日。になっている。しかも、日曜日は現時時間午後1時から午後11時までの受付。ネットなんだから、24時間受付できてよさそうなものだけど、そこははお役所のやること。理解しようとすればするほどストレスになってくる危険が高まるから、「ああ、そうですか、はいはい」で行くことにする。

それでも、事業者番号をもらって四半期ごとに連邦売上税の申告をしなければならないワタシにとっては、連邦と州の売上税金を分けて計算しなくても良くなったもので、経費の請求書やレシートからHSTの数字を拾い出して計算機でちゃっちゃと合計するだけで済むのは助かるな。特に大きな出費がないときは、2本の電話料金と2つのISPのインボイスだけのこともあって、集計は5分で終わり。作業ログの3ヵ月の売上高を合計したら、後は事業者番号と通知書のアクセスコードでログオンして、売上はこれだけ、(ゼロ課税の「輸出」だけなので)徴収したHSTはゼロ、経費にかかったHSTはこれだけと数字を入力して、「計算」のボタンをクリックすると、還付額が自動的に出て来る。お役所仕事にしては進歩したもんだ。「提出」のボタンをクリックすると、確認番号つきの申告書が現れるから、それを印刷して完了で、後は小切手が送られてくるのを待つだけ。ま、24時間体制でなくても不便がないシステムというところか。

それにしても、2011年度の第2四半期の実績は、これが上場企業の四半期決算報告だったら株価が急落しそうな数字だな。作業ログは2001年まで遡って記録があるけど、1990年2月に旗揚げして以来の自営業歴で最低だったのは2003年で、なぜか終わってから「ん?何でこんなに少なかったの?」というくらい、知らないうちいn「不景気」だった。日本が不景気だったのかと思っていたら、翌年のアメリカ翻訳協会の会議で、日本語以外の人たちも「去年はひどかった」と言っていて、どうやら世界的な不景気だったと察したけど、未だにその理由さえよくわからない。なんだったんだろうな、いったい・・・。

今年はその「最悪」の年の7月末の売上を5.6%下回っている。ええっと!と思って、作業実績(英語の単語数)を見たら、なんと15.2%も少ない。日本からの受注がメインだから、やっぱり大震災と原発事故の影響なんだろう。でも、仕事量の減った割に売上の減少幅が小さくて済んでいるのは、1語あたりの単価が11%ちょっと上がっているから。2003年度はアメリカドルの方が高かったことを考えると、カナダドル高で手取りが目減りする現状では悪くない数字だな。フリーランスの自営業を長くやっていると、好調と不調の年の落差が大きくなる。売上が最高だった年は最低の年の4倍以上で、公務員で専門職のカレシの年収の3倍近く。カナダの有職女性の上位1%に入る所得があった。まあ、ダメな年でもひとりでなら十分に暮らせるラインを保っているから別にがっかりすることもないんだけど、決算書類を見るとやっぱり「あ~あ」とため息のひとつも出る。今にも倒産しそうなどこぞの国々に比べたら、超健全経営なんだけど。

カナダで働き始めてから34年。基本的には何があっても自分を養えることだったから、その点では合格点だと思う。ま、ビジネスにも人生にも、良いときもあれば悪いときもあるもんだから、「あんた、良くやってきたじゃないの!」と自分を褒めてあげようっと。