リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年7月~その1

2011年07月11日 | 昔語り(2006~2013)
10年がひと昔なら30年は何昔かな?

7月1日。金曜日。今日から7月だというのに、う~ん、やっぱり何となくすっきりしないなあ。まっ、それでも、今日はカナダの144歳の誕生日ってことで、ハッピーバースデイ!

毎年、カナダデイには各地で新しいカナダ市民の宣誓式がある。市民権を取得した人の宣誓式は年中あるけど、申請のタイミングなのかどうかしらないけど、建国記念日にピカピカのカナダ市民として忠誠を誓うことができるのはラッキーだな。ワタシが市民権の申請をしたのは1980年の夏。本来ならカナダ市民の配偶者として永住権を取得した1年後の1978年春に申請できたはずなんだけど、その前年に法律が大きく変わって3年待たなければならないことになった。その3年が経って、ちょうどビクトリアからバンクーバーに戻って来たときに市民権申請の手続きを始めた。市民権の申請をすると言ったら、カレシは「そんなもの、必要ないっ!」と猛烈に怒ったけど、ワタシは単純に「この国の人のところに嫁に来たんだからこの国の人になる」という発想で、カレシの反対の真意がわかったのはずっとずっと後のことだった。

あの当時はスポンサー期間が10年で、スポンサーが降りてしまったら、外国人配偶者は永住権を剥奪されて母国へ送還されることがあった。手っ取り早く言えば、外国から来た嫁は「10年の年季奉公」みたいなもので、実際にスポンサーの権力を笠に来たDVが後を立たなかった。外国籍の嫁がカナダ国籍を取得するということは強制送還をちらつかせて脅されることがなくなるわけで、スポンサーがある意味で外国人配偶者に対して持っていた生殺与奪権が消失するということだった。今では法律が大幅に改正されて、スポンサーはいったん承認されたら降りることができず、3年間は経済的な責任を負わされるので、離婚などで外国人配偶者が生活保護を受けたりすると、州政府からスポンサーにその費用が請求されるしくみになっている。

ビクトリアから戻って来たのが5月の下旬。申請は6月に入ってからで、新市民としての宣誓式は9月半ばだったから、その間3ヵ月。申請書類を郵便で送って、カナダ人としての基礎知識を詰め込むための「虎の巻」(数ページの絵本のようなものだった)を郵便で受け取って、市民権判事との面接の呼び出しを受けて、指定の日時に1対1の面接を受けて、郵便で宣誓式の通知を受けて、実際に「新カナダ市民」としてエリザベス女王とその継承者に対して忠誠を誓って、市民権証書を渡されるまでの期間がたったの3ヵ月だったということになる。今は申請してから1年くらいかかるらしいし、市民権の「試験」があって、60点だか65点だか取らないと申請しなおしと言うことになるという話。まあ、トルドー政権の時代に移民の受入れ枠がわっと広がって、市民権の申請資格を満たす人もわっと増えたからだろうな。

おまけに申請料もかかるらしい。そもそもカナダ人と結婚して移民するにも、スポンサーの資格審査や永住権申請にかなりのお金がかかるそうで、1970年代に比べて、政府の移民政策が大きく変わったということだろう。だって、ワタシのときは全部タダだったもの。永住権の手続きも、自分で英訳した戸籍謄本以外はあれこれ証明書の類を要求されることはなく、申請書につける書類はけっこう簡単だったから、のんきと言えばのんきな時代だったかも。特殊な事情があったワタシたちは、ワタシがカナダに来る前からカレシが特定の移民官に助言してもらっていたし、ワタシが来てからも、その人にビザの延長をしてもらっていた。警察官から転職したという年配のおじさんで、行くたびに「もう少しの辛抱だからね」とやさしかった。永住手続きはごく短期間で終わって、「おめでとう」と言いながらパスポートに「Landed(上陸)」というスタンプをペタッと押してくれたけど、今はものすごく時間がかかるらしい。まあ、日本政府のある人口統計から推算すると、1970年代半ばに日本からカナダ人のところへ嫁に来た女性は「数人」だったらしいから、手続きもさして手間はかからなかったんだろう。あれから30年とちょっと・・・時代の移り変わりとは言え、ずいぶん変わったもんだなあ。

ワタシの国カナダが、多民族国家から「カナダ人」と言う混血民族がひとつになった国家になるのに、あと何百年くらいかかるんだろうなあ。

たかが英語、されどグローバルな英語

7月2日。土曜日。おお、今日はちょっとばかり夏らしくなりそうな気配。でも、今日のワタシは大まじめに「仕事日」。何だか土日というと仕事に追われているような気がするな。そういえば、日本の自動車メーカーでは、この夏は木曜日と金曜日が「週末」で、土曜日と日曜日は「平日」ということになったとか。電力の大量消費を他のビジネスが休みの日にシフトするということだけど、製造業がみんな一斉に右ならえして土日に稼動するとなったら、今度は週末に電力不足にならないのかなあと思うけど、大丈夫なのかな。

決算報告の仕事は何とも退屈きわまりないので、半ページくらいやっては「よそ見」。業界仲間のメーリングリストを見たら、意味のわからないカタカナ語の質問がある。カタカナ語はほんとに悩ましいよなあと思いながら読んでみたら、なんだ、カタカナ語特有の語尾の促音の後の子音が変わるパターン。たとえば、ストレートにカタカナで言えば「~ッド」となるのが(たぶん日本語では後に母音がつくために音しにくくて)「~ット」となる。変換ミスじゃなくて、普段からそういう風に発音しているから、そのまま入力しているんだと思う。「バッグ」が「バック」になり、「ホットドッグ」が「ホットドック」になり、「デッドボール」が「デットボール」になる。(「グッズ」なんて舌をかまないのかなと思っていたら、カタカナ語論争のトピックで、「グッツ」と言う人がいてイラッと来るという書き込みがあって、やっぱりと思った。)

こういう変化は言葉の進化の一環なんだと思うけど、英語を母語とするベテランの日英翻訳者が字面のまま読んで首をかしげているのがおもしろいと思った。たぶん、どこの大学の日本語科に行っても「カタカナ外国語の語尾変化」なんてものは教えてくれないんだろうな。日本に住んでいて日本語を常用している人でも、日本語が母語でない場合は、耳が元の外国語発音で聞いてしまって、子音の変化には気づかないのかもしれない。逆に、英日翻訳をやっている日本人が「この文の意味がどうしてもわからない」と質問しているので読んでみると、単語がつづり間違いでまったく別の単語に化けていることがある。単語が違えば意味が通らなくてあたりまえ。意味が通じない単語をアナグラムというつづり換えのパズルの要領でつづりを変えてみて、文脈と合わせて考えると正しい単語がわかって、文の意味もわかるんだけど、英語が母語でない場合、正規のつづりの単語であれば「つづり間違いかも?」とは思いつかないのかもしれない。

英文をタイプしていると、自分の打ち間違いの癖のようなものがわかってくるからおもしろい。ワタシの一番の得意?は「|United States(合衆国)」を「Untied States(分解国)」にしてしまうこと。(Untiedは正規の単語だからスペルチェックをかけても引っかからない。)なんか、アメリカ合衆国を解体してしまったように聞こえるな。オバマさん、ゴメンネ。英文タイプの「QWERTY」というキーの配列は、(大)昔、タイプライターができた頃に、キーを押したときに持ち上がって来る活字バーが、早く打ったときに一番絡み合いにくい配列として普及したものだそうな。活字バーがボールやホイールに取って代わられても「クワーティ」呼ばれる配列は廃れることはなかった。バーもボールもないコンピュータのキーボードの時代になって、アメリカのドヴォージャックという人が手にやさしくて、打ち間違いの少ない新しい配列を提唱して、しばらくの間注目されていたけど普及はしなかった。それで英語キーボードは未だにQWERTY配列で、アメリカ合衆国はいったい何千回くらい解体されたことやら・・・。

ワタシは主に日英翻訳をやっているけど、まだときどきは英日翻訳を頼まれることもある。ワタシじゃなくても日本語の文章力に優れた英日翻訳者はたくさんいるだろうにと思いつつ、原稿を開いてみると、ほんとに英語なのかいなと思うようなすごい英語。何がすごいのかって、教科書英語とは似ても似つかないグローバル時代の「英語」。どうも、「こんなの訳せない」と他の人たちに断られたものを「あの人はこういうのが好きだから(マゾっ気がある人だから)」とワタシのところに回してよこすんじゃないかと勘ぐっているけど、どこから来たのかとよく見たら、(イギリスという英語の本家本元が加盟している)EUの公的機関だったりするからびっくり。ま、著者の名前を見るとびっくりは引っ込むんだけど、まずはイタリア語やフランス語やドイツ語の香りがほのかに漂う英語を「解読」しないとどうにもならないから、翻訳は謎解きの作業でもある。

たかが英語、されど和製英語

7月3日。日曜日。今日も少し夏らしいかと思ったのに、また20度以下。でも、おかげでそよ風がさわやかでいい気持ち。なんだか仕事なんか放り出して遊びに行ってしまいたいような・・・。

まっ、とにかく仕事を片付けないと、日本では月曜日。まだみんな寝ている時間だけど、その間にやってしまわないとね。ほぼ日本標準時間帯で仕事をしているので、週末が金曜日と土曜日になるのはしょうがないし、勤め人がいないから別に困らないんだけど、やっぱり日本の週末の駆け込み仕事は、ああ、めんどくさ~。そういえば、法律関係の大きな引き合いがあると言っていたサンフランシスコの会社からなんとも言って来ないけど、また失注したのかな。入れ替わりに、これまた法律文書の引き合い。よく見たら、ヨーロッパの大きな投資銀行じゃないの。レートはいくらだと聞くから、ちょっと高めに言ってみようかな。たぶん他の人たちにも声をかけているだろうから、受注できなくてダメもと。でも、もしも「お願いします」なんてことになったら、大きなところからの直接受注だから、ちょっぴりコワイかも・・・。

でも、契約とか法令法規といった法律関係の文書はけっこう訳しやすいととろがある。要するに、元原稿が日本語でもこと細かに誤解のないように努めて明確に書いてあるので、文章は回りくどいけど趣旨はわかりやすい。わかったら後は弁護士口調で英語文を書けばいいわけで、要領がわかればそれほど難しいものではない。、これも日本語に負けず劣らず回りくどくなるけど、よく会社案内の冒頭にある「社長のごあいさつ」の何が言いたいのかよくわからない文章に比べたら、具体的過ぎて味も素っ気もないから、かえって作文しやすいくらい。少なくともソフトウェアのマニュアルよりはよっぽどおもしろいと思うけど、ま、そこは好き好きか・・・。

ここのところ小町におもしろいトピックがあったので、仕事の合間に「よそ見」で読んでいた。「外国語ではぜんぜん通じない常用カタカナ横文字」ということで、トピックを立てた人が「ホッチキスはステイプラー」という例を挙げている。小町横町ではカタカナ外国語の話が出ると井戸端がにぎわうけど、これもかなり盛り上がっている。まず、いわゆる「和製英語」がぞろぞろと出てくる。「サラリーマン」や「マンション」は和製英語の粋だろうな。まあ、本来の「英語圏」でなくても英語が広く使われている国には必ずと言って良いほど自国の外では通じない「ローカル英語」があって、英語が公用語のひとつになっているシンガポールには悪名高い?「シングリッシュ」がある。リー・クアン・ユーが首相だったときに「正しい英語を話せ」とシングリッシュ撲滅を図ったけど、どうやら成功には至らなかったらしい。シングリッシュには味な表現があっておもしろいけどな。

だから、和製英語も外国では通じないローカル英語のひとつ「ジャプリッシュ」として堂々と存在していいと思う。問題は和製英語が「英語」としてではなくて、日本語の一部になっていることだけど、それも「カタカナ表記することで帰化した日本語」と思えばよさそうに思う。カタカナ化して定着した元横文字の言葉をその出身国で使われている「外国語」、しかも「英語」だと思うから話がややこしくなる。それで、書き込みが本来の質問からどんどん外れて、和製英語が「通じない」理由を指摘するのに、居住国、居住地の経験から「英語ではこういいます」と断言し、それに対して別の国に住む人が「それは違う」、「そんなの聞いたことがない」と言い出して、ちょっとした論争になったりする。アメリカ英語だって東西南北それぞれにローカル英語があるし、カナダ英語だって、ときには東の端のカナダ人と西の端のカナダ人の間で「英語」がうまく通じないこともあるくらいなんだけど、どうも自分が住んでいる地域の英語が「ザ・エイゴ」と思っている人がずいぶんいるらしい。こういっちゃ悪いけど、「半径何メートルの英語」というところかな。

中には「英語ではこう発音するんですよっ」と、けんめいにカタカナで英語の発音を表現しようとしている人もけっこういて、トピックの趣旨がカタカナ英語の「発音の間違い」を指摘する方へ逸れてしまっているからおもしろい。その努力は買うけれども、日本語は五十音表を見るとわかるように、子音と母音が一体になってひとつの「音」として表記されるから、母音と子音を切り離し考える外国語の音を表現するのは、カタカナを使おうが、ひらがなを使おうが、万葉仮名を使おうが、どだいからして無理な話だと思う。誰かが「セロテープ」を英語では「セェロテェィプ」と発音すると書き込んでいたので、カタカナ発音記号の通りに読んでみたら「アラバマ州からお越しですか」と聞かれそうなセロテープになった。

和製英語はあくまでも外国語由来の「帰化日本語」として、日本語式に発音しても間違いではないし、ヘンでもないと思うけどな。「マンション」は英語では邸宅のことだとか何とか言われたら、集合住宅のことを「日本語ではマンションといいます!」と教えてあげればいいんじゃないのかな。ワタシとしては、英語で話しているときに「mansion」と言われると大邸宅を想像するし、日本語で話しているときに「マンション」と言われたら「○○団地」や「○○荘」を連想するから、ぜんぜん問題はないけどな。日本で日ごろ「マンション」と言う言葉を使っている人は日本人と日本語で話しているんだし、外国(英語圏)に住んで「mansion」と言う言葉が使われるのを聞いている人はその国の人と英語で話しているわけで、まさにキプリングの言う「東は東、西は西。交わることなきこのふたつ・・・」。

まあ、日本人の外国語(英語)への思い入れの強さを垣間見せてくれるトピックだったな。

フリータイムの日は歩け、歩け

7月4日。月曜日。起床は正午ちょっと前。今日は20度を超えそうな感じ。夜に飛び込んできた小さな仕事を寝る前に済ませて納品しておいたので、今日の午後はフリータイム。と言っても、朝食を済ませたら、まずは市役所まで明日が期限の固定資産税の書類を届けに行かなければならない。

昼のニュースを見ていたら、カナダを公式訪問中のケンブリッジ公夫妻(ウィリアム¥&ケイト)は今日は「赤毛のアン」の舞台になったプリンスエドワード島。ケイトのスマイルはほんとに衒いのない自然なやさしがあるなあと思う。プリンスエドワード島(PEI)はカナダで一番小さな州で、全体の人口もバンクーバーの4分の1くらい、州都シャーロットタウンは4万人にも満たないけど、イギリスの自治領としてのカナダ連邦の結成を決めた会議が開かれたという由緒のあるところ。PEI自体はそのときには連邦に加わらなかった。だから、いわゆる今のオンタリオやケベックなどのともすれば利害が対立する地域の「統一」を話し合う会議の場として選ばれたのかもしれないな。奥さんの名前がケイトのギーズ州首相が「殿下、一番重要なのはケイトたちはいつも正しいということを忘れないことですぞ」と夫婦円満の秘訣をアドバイスしたもので、若い2人は爆笑したとか。

さて、今日は天気が良いから、運動を兼ねて2つ先のキングエドワード駅まで歩いて、そこから地下鉄に乗って市役所まで、と言う行程で、しっかりとウォーキングシューズを履いて出かけた。さすがに7月だから日差しは暑いけど、ノースショアの山並みはにいつもならほとんど消えている雪がまだ残っている。まっすくクィーンエリザベス(QE)公園の裏側まで行って、そこから駅の方へ出ることにしたけど、バンクーバー市内で一番標高が高いところなもので、胸突き八丁の上り坂。まるでステアマスターで運動してるようなもの。キングエドワード駅に着いたところで、どうせあと13ブロックだからそのまま市役所まで歩こうということになった。家から45、6ブロック、距離にすると4キロくらいかな。つないでいた2人の手のひらは汗でびっしょり。

結局50分ほど歩いて市役所に着いたら、わっ、すごい行列。固定資産税の通知を手にした人たちが、オフィスから溢れ、ロビーから溢れて、正面玄関の外まで並んでいる。郵便が止まっていたせいもあるかもしれないけど、月曜日だと言うのにすごい列。ロビーの隅に固定資産税の「受付箱」が置いてあるんだけど、そこでも箱が置かれたテーブルで書類にサインしたり、小切手を書いている人がいて、いすが空くのを待っている人たちが二重、三重の人垣を作っている。だけどなあ、家でそういうことを済ませて封筒に入れて持ってくれば、受付箱にポンッと入れるだけで済むのに、何でなの?納税期限は明日5日。だから、行列はもっとすごいんだろうな。

まあ、税金を納めるのをぎりぎりまで引き延ばしたいのは庶民の心理なのかもしれない。ワタシたちもぐずぐずしているうちに「あっ、今日が期限だ!」と、期限日の真夜中ぎりぎりに市役所の玄関ドアに取り付けてある受付箱に封筒を入れに来たことが何度かあった。で、ああ、間に合った~と安堵していると、同じように封筒を手に息を切らせて駆けつけてくる人がいて、目が合って「おたくもですか~」と互いにニヤリ。今は固定資産税の繰延べ制度を利用しているので、実際の支払はない。これは60歳以上の人が自宅の固定資産税を州に肩代わりしてもらって、自宅を売ったり、死んだときにまとめて返済する制度で、要は借金だから利子が付くけど、年毎の単利なので低金利の今はあまり負担にならない。この先金利が急上昇したり、家の価格が暴落したりするようなことがあれば、また別の話だけど。

市役所から4ブロック先のWhole Foodsでちょこっと買い物をして、ブロードウェイ駅から地下鉄で帰って来たけど、てくてくとよく歩いたのでふくらはぎや股関節が痛い。階段をヒョコン、ヒョコンと下りて来るワタシを見て、カレシが「なまってるなあ。ボクなんか毎日農作業をやってるから鍛えられてるよ」とニヤニヤ。ふむ、たしかにここのところちょっと運動をサボっていたからなあ。それでも、久しぶりに日光を浴びて、いい汗をかいた日だった。仕事がないときくらいはもう少し外へ出るようにしなきゃね。

内職感覚でフリーランス稼業をやっても

7月5日。火曜日。ベッドから起き出して、一歩前に足を踏み出したら、あっ、イテテ。股関節のあたりから膝まで、お尻から太ももの後ろが筋肉痛。元凶はクイーン・エリザベス公園沿いのあの坂道だな、きっと。たぶん相当な大またでガシガシ歩いていたんだろうな。カレシはワタシより30センチ近く背が高いけど、身長に対する座高の割合でいうとカレシは上体がやや長く、ワタシは寸詰まりだから、たぶん歩幅には身長ほどの大きな差はないと思う。でも、36年もカレシの歩調に合わせて歩いていたもので、体に惰性がついてしまったのか、今さら減速しようにもうまく減速できず、急な坂道であろうが5キロの行軍であろうが大またでのしのし。(女としてはあんまりかわいげがないような・・・。)

今日もいい天気で、起きたときにはもう20度。やっと平年並みになって、カレシがやきもきしていた菜園のトマトも成長し始めたとか。昼のニュースを見たら、ゆうべフレーザー川を跨ぐ高圧送電線の鉄塔が突然倒れて水没したために、川向こうのサレーは大停電で、ハイウェイや橋が閉鎖されたそうな。そういえば、午後9時前にワタシのバックアップ電源がカチッ、カチッと切り替わる音がして、続いてカレシのバックアップがビーコ、ビーコと警告音を鳴らし、音楽をダウンロードしていたカレシは「何だ、何だ」とパニック寸前。停電はしなかったけど、あれが送電塔が倒れたときだったんだろうな。それにしても、それまで立っていた鉄塔が「突然に」はないもんだと思うけど、どうやら融雪期で川が平年以上に増水していたために、川っぷちに立っていた鉄塔の地盤が急激に侵食されたのが倒壊の原因という話。けっこう川の流れは速いけど、でも、「急激に」ってのも何だかなあ・・・。

新聞サイトを見たら、ビクトリアで裁判中だった日本人語学留学生に陪審団が「無罪」の評決を出したというニュース。ほおお。陪審員は「死産だった」と判断したんだろうな。日本語を話すという弁護士が(具体的に何がどう違うのかは新聞記事には載っていなかったけど)「文化的な違い」を訴えていたけど、ビニール袋に入れて自室に置いていたのは「赤ちゃんと一緒にいたかったから」という話も「文化的な違い」と判断したのかもしれない。弁護士の話では彼女は日本の所属大学からの「圧力」ですでに退学したようだし、元々「殺人」は罪状にないから、たとえ有罪の評決が出たとしても日本へ送還される程度で、2児を放置して餓死させたカルガリー事件のときのようにカナダの刑務所で服役しないで済んだかもしれないな。ま、無罪放免になって日本へ帰れるんだからよかったじゃないの。まだたったの21歳なんだし。

小町を見たら、フリーランスの年収/月収をずばり聞きたいというトピックがあったので、好奇心で覗いてみた。ふむ、雑誌などのライターやグラフィックデザイナーはけっこう厳しいんだなあ。関心を引かれたのは、本業のITだけでは仕事が少ないので翻訳もしているという人の書き込み。「IT」という職業がどんなものか知らないけど、A4一枚の英文を訳して500円くらいというのはちょっと安すぎやしないかなあ。それも「ただの翻訳ではなくIT系の技術翻訳」なのに、それでもまだマシな方って、しかも日英もほぼ同じというのは信じられないなあ。激安の理由を「翻訳は子持ちの専業主婦が内職でやれる仕事なので値崩れしている」と言って、他の人に「そんなことを言っているから500円しかもらえないのだ」と言われているけど、ほんとに英文3行か4行分の金額だから、A4一枚でそれでは値崩れどころか「大出血サービス」。まあ、この人は本業のITでは食べられないから翻訳「も」やっているわけで、その点では「専業主婦の内職」とさして変わらないレベルなのかもしれない。

たしかに日本の翻訳業界ではかって、特に英日翻訳で一種の「価格破壊」現象が取りざたされたように思う。バブル時代からこの方、ワーキングホリデイや語学留学でどっと海外へ出た人たちが日本に戻って、当時「トレンディ」と思われていたらしいフリーランスの翻訳業にどっとなだれ込んできたということもあるかもしれないし、その後の経済低迷で在宅で翻訳を始めた人たちも多く、その中には「子持ち専業主婦」もたくさんいただろうと思う。独身者ならアルバイト、主婦なら「おうちでできる」パートの感覚だっただろうから、「ビジネス」という気持はほとんど持っていなかったのではないかと思うし、採算割れなんてもんじゃない激安料金で引き受けて、「アタシ、翻訳やってるの~」と触れて回ったバブル頭のお嬢さんたちがごまんといたのも確かだと思う。

まあ、翻訳であれ何であれ、フリーランスの仕事はそれを発注する「ビジネス」が相手だから、家事や育児の合間にやれる「お仕事」ではないのはたしかだと思う。専業主婦の小遣い稼ぎでもいいんだけど、対価を得て翻訳というサービスを提供するものである以上は、仕事の合間に子供のオムツを取り替え、手が空いたときに家事をするくらいの覚悟(プロ意識あるいはビジネス感覚)がなければ、対等のビジネスとして向き合ってくれる取引先を得ることは難しいし、それどころかあくどい業者に片手間仕事であることを嗅ぎつけられ、足もとを見られて、どんなに優れた才能を持っていても、それを安く買い叩かれてしまうことになるし、ひいてはそのレベル全体で「値崩れ」を起こしてしまうこともになる。

それにしても、A4サイズの1ページで500円ねえ。作業スピードにもよるけど、1日。8時間あたりの平均的作業量をベースにして、1ページあたりの経験則的な語数から大雑把に時給換算してみたら300円ちょっとにしかならないんだけど、いくらデフレの日本でも、これでは最低賃金以下じゃないのかなあ。信じられない。フリーランスは常に仕事があるとは限らないし・・・。

もらってうれしい通知、うれしくない通知

7月6日。水曜日。午前11時55分に目覚ましがなって目が覚めた。シーラとヴァルが掃除に来る日だけど、いつもは正午を過ぎてからなので、何となくベッドの中でぐずぐずしていたら、電話。シーラが「おはよ。起きた?」と家の外から。どうやらゲートのチャイムが鳴らないらしい。急に気候が変わったりすると接触が悪くなるのか鳴らないことがあるから困る。「今起きた~」と言ったら、いつも持っている鍵でゲートを開けて入って来た。「玄関を開けて防犯アラームが鳴ったらベッドから転げ出しちゃうでしょ?」それで遠慮してまず電話をした・・・というわけ?

いつものように、ヴァルがベースメントのオフィス、シーラが二階の掃除をしている間に、中間のキッチンでテーブルの周りをうろうろするわんちゃんのレクシーにちょっかいを出しながらの朝食を済ませ、ヴァルと入れ替わりにオフィスへ。システムを立ち上げてメールを見たら、やだ、寝ている間に仕事が入っている。日本はほんとに残業、残業で大変だなあ。毎日のように遅くまで残業しないと終わらないくらいの仕事があるんだったら、人を増やせばいいのにと思うんだけどな。長時間かけて出勤して、長時間仕事をして、(ときには飲み会にも参加して)長時間かけて家に帰ればもう深夜で、寝たと思ったらすぐに起床時間で、またせわしなく出勤・・・なんて、体に良くないだろうし、家での人間関係にも良くなさそう。(それほど「激務」であっても浮気をするヒマはあるらしいのが不思議だけど。)

何でも屋で翻訳をやっていると、いろんな企業の内部文書にお目にかかる。決算書類や契約の類はビジネスそのものだけど、社内の通知文書には内部の事情や職場環境がちらちらと見えるものも多い。採用通知や表彰状のようなものは簡単な文が多いけど、もらった人の笑顔が見えて楽しい。反対に、チョンボをしての訓告とか戒告といったものは何となく「アホやなあ、キミ」という気持になるし、解雇通知だったらく「この厳しいご時世に気の毒になあ」と思ってしまう。まあ、だいたいは「うっかり」(わりと初歩的な)ミスをして叱られる程度で済んでいることが多いけど、ときには「やってはいけないこと」をやった社員をクビにする通知もあって、そういうときは「地位も責任もある大人の人間がどうして一瞬の気の迷いでキャリアを棒に振ってしまうんだろう」とため息が出る。

つい癇癪を起こしてしまうことは誰にでも一度や二度はあると思うけど、だいたいはある程度の自制心や自尊心が機能して我を忘れて突っ走るのを思いとどまらせてくれていると思う。酔っていたならまだしも、しらふの大人の人間でその「最後の砦」が自己防衛が働かなかったというのは、それほどストレスや不満が積もりに積もっていて、すべてをかなぐり捨てたいという衝動に負けてしまうのかな。それが「魔が差した」ということなんだろうか。後になってそのときの(常軌を逸した)行動を自分でも説明がつかないからそういうんだろうな。まあ、今どきは感情や欲求のコントロールがどんどん難しくなりつつある時代なんだろうけど、「悪魔」のせいにしてしまっていいのかなあ。

でも、解雇通知をもらってしまった人は、家に帰って奥さんに何と言うんだろうな。高収入だったのにある日「懲戒解雇」で無職無収入になって帰って来たダンナさんに奥さんは何と言うんだろうな。修羅場にならないだろうかと想像をたくましくしてしまうこともあるけど、すべてはドラマの筋書きではなくて、日本の大都会で生活している生身の人間に起きた現実の話だから、やっぱり大きなため息が出て来てしまう。なぜかよくわからないんだけど・・・。

新ニッポン語のお勉強は楽しいね

7月7日。木曜日。ん、涼しい。起きてみたら小雨もよう。午後にはいっときかなりの雨になった。午後2時でポーチの気温は13度。きのうはしっかり25度行ったのに、なんでなの?UPSがランズエンドに注文しておいたTシャツを届けに来た。かなり薄地で、うんと袖が短くて襟ぐりの深いのばかり10枚。LLビーンに何枚か注文したのもそのうちに届くだろうけど、この天気では夏中に全部を一度は着られるのかな。

ぽちぽちと郵便が来るようになったけど、郵便局には拠点スト中やロックアウト中にたまった郵便物が4千万通もあって、全部消化できるのは来週の終わりくらいなんだそうな。月曜日が支払期限の電話料金の請求書も今日になって着いた。連邦と州の売上税を統一したHSTの継続の賛否を問う住民投票の用紙も今日になって着いた。なんかやたらと分厚い封筒を開けたら、投票用紙の付いた説明書1枚と、封筒が3枚。まず、投票用紙のYES(継続反対)かNO(継続賛成)のどちらかに×かチェックマークをつける。質問が「HSTを廃止して、GSTとPSTの並列制度に戻ることに賛成するか」という回りくどい表現だから、継続に反対する人が、英語の語順だと最初に出て来る「賛成するか」というところだけを見て、HST反対のつもりで「NO」と投票することもあり得る感じだな。英語だって作為的に相手の反応や回答を誘導するような微妙が表現ができるという見本みたいなものかな。

YESかNOに印を付けたら、次あ投票用紙をミシン目に沿って切り離して、封筒Aに入れて封をする。「守秘封筒」という意味のことが印刷されている。次にこの封筒Aを封筒Bに入れて封をし、表の所定欄に生年月日と電話番号を書き込んで、サインする。住所氏名は封筒に印刷されている。住所変更などがあったら、裏に新しい住所を記入しなさいと書いてある。最後に所定事項の記入と署名を確認して、封筒Bを黄色い封筒Cに入れる。あて先が印刷されていて、切手は不要なので、そのまま郵便ポストにポイと入れておしまい。選挙管理委員会に届いたら、封筒Cを開けて封筒Bを出して、住所氏名と記入された生年月日を照合して、本人と確認できたら開封して封筒Aを出して開票に回すという手順なんだろう。郵便投票というのは初めてだけど、けっこう手間がかかるもんだなあ。ま、郵便ストのおかげで期限が延長されたから、この週末にゆっくりと「投票」しようか。

外は雨だしということで(あまり関係ないけど)、午後はのんびりと小町横町の散歩。「その省略語にむずむずする」というのトピックがあって大盛況。延々と340本だかある書き込みを読んでみたら、おもしろいの何のって。翻訳原稿にこんなのが出てきたらお手上げだけど、新日本語のお勉強としては笑い出したり、目がまん丸になったりで楽しいことこの上ない。純粋日本語も省略されるとたいだいがカタカナ語になるらしいところもおもしろい。それに和製英語の省略版や輸入もののカタカナ語の省略版や、さらに若者言葉の省略語があって、カタカナ日本語はまさに混戦もよう。こんなのをちりばめて話をされたら、浦島花子36年のワタシにはぜ~んぜんわかりませ~ん。

モンペって「親ばか」の現代版かと思ったら、誰かが「問題を引き起こすペアレントかと思った」と書き込んでいて、う~ん、言い得て妙とはこのことか。アクセ、コスメ、コーデ、ファンデ、ワンピにカーデ・・・最近は特に若い世代の省略語に3字音のものが多いような。(まあ、俗語を作るのはどこでもだいたいは若い世代だと思うけど。)携帯メールの普及とも関係があるんだろうけど、注意の持続時間が短くなって、「昔風」の4字音では最後まで聞けないのかもしれないな。それが今どきの若者言葉の乗りのリズムということもありえるかな。ざっと拾ってみただけでも、ホムペ、ホムパ、トイペ、ホケミ、クリチ、クリパ、イミフ、ガルトー、バーベ、メアド、コスパ、ハロワ、シンマ、ホカペ、リスケ、マーケ、インパ、フリマ、スマホ、クレカ、ポテチ・・・ほとんどガイコク語も同然で、書き込みの「定義」を読んで爆笑したものもあれば、ゲッとなったものもある。

それでも、4字音の省略語もまだまだしぶとくたくさんある。ナルハヤは「ASAP」の日本語版かな。ヘビロテは気味が悪いし、ブレスト、レンチン、マタママとなった淫靡な感じがしてぞくっとするなあ。もっと短くなって2字音のものもあるけど、ベビーがなんでベビになって、ダーリンがダーになるんだろう。おしゃれな若奥さんが「うちのダーとベビがさあ」なんて言っているのを聞いたら、日本女性も強くなったもんだと感心するしかないかなあ。で、略語の最たるものがアルファペット語。WMはワーキングマザーの略だそうな。(英語の出会い系広告だと「白人男性」ってことになるからややこしい。)この流れだと、ワーキングウーマンはWWになるのかな?WWって世界大戦を連想するけど、まあ、女の仕事は戦いだからいいのか・・・。

まあ、英語も若者たちがどんどん省略語を作り出しては、大人をイライラ、ムズムズさせている。先日もオンラインのホテル予約サイトのコマーシャルで「この夏のヴェケーを計画してんのさ」と言うのを聞いてゲッとなった。なんだか、ワタシもどっかにヴェケーに行きてぇ・・・なんて。

ラベンダーの花咲く頃の実験メニュー

7月8日。金曜日。なぜか2人同時に目が覚めたら、あら、もう午後1時半。何と9時間も寝た勘定になるけど、どうしてだろう。どうも、揃って睡眠時間の後半になって眠りが深くなる傾向が出て来たようで、午前9時前後の、ちょうど熟睡に入るあたりに眠りを中断されると、正午過ぎまでぐっすり眠ってしまうような感じ。けさは9時くらいにゴルフ場の芝生刈りか、どこかの家でのカーペットクリーニングか、とにかくモーターの音で目が覚めて、かなり長いことうとうと状態だったような気がする。

1日。の始まりは遅かったけど、カレシが庭で咲き始めたラベンダーを切って来てくれたので、今日は久しぶりに実験メニューを考えてみることにした。

今日のメニュー:
 ホタテのラベンダー風味タルタル、ヤムのてんぷら添え
 あわびのワイン蒸し煮、ズッキーニリボン添え
 オヒョウのステーキ、蒸したインゲンと3色にんじん
 (サラダ)

[写真] ホタテのタルタルはバニラを使ったレシピで作ったことがあるので、ラベンダーの香りに代えて見た。小さな鍋に水とお酒を沸騰させて、ラベンダーを入れてさまし、そこにホタテを漬けてしばらくおいたものを刻んで、塩、ライムジュース、カイエンペッパー少々で和えた。付け合せはヤムいものてんぷら。ラベンダーの風味はほんのりだけ。ひと晩くらい漬け込んだほうがいいかもしれない。

[写真] 殻つきの冷凍あわび。ググってみて、どうやらオーストラリア産のグリーンリップという種類らしいとわかった。ひと苦労して殻から外し、白ワインでさっと煮てスライスしたものをきれいに洗った殻に並べて、刻みねぎをパラパラ。ズッキーニは皮むきを使って薄いリボンにして、さっと塩もみして黒オリーブのスライスを合わせてみた。食べてみたカレシがちょっと味が足りないというので、ちょっとポン酢をたらしたら不思議とオリーブとも良くあって成功。ほんのちょっとだけだからいいのかもしれない。あわびはちょうどいい柔らかさ。(あわびを軟らかく煮るには、ほんの数分だけか、2、3時間をかけるかのどちらかで、その間の時間では硬くなるんだそうな。)

[写真] かなり尻尾に近いほうの小さめのオヒョウのステーキ。海草入りの海塩をグラインダーで挽いて下味をつけておいて、インゲンと3色のにんじんを蒸し器にかけて、頃あいを見てフライパン焼き。3色のにんじんのうちで一番本来のにんじんらしい味だったのは意外にも白いにんじんだった。

遅く始まった夕食が終わったのは午後9時。この分では今日はランチなしの2食になりそう。生活時間があまりずれすぎないように、ちょっとリセットした方がいいと思うけど。

一夜限りでけろりと治る不思議な病気

7月9日。土曜日。なんか調子がヘンで合計11時間も寝てしまった。きのう9時間も寝た後だから、なんだかン?な感じ。きのうは起きてから何となく頭がクラクラする感じだったけど、寝すぎたせいだと思っていた。それが、夜中近くなって急に軽いめまいがしたり、寒気がしたり、冷や汗が出たりし始めたので、バックルームのソファで横になって3時間ほど眠った。(なんか夢を見ていたような気がするから、かなり熟睡したみたい。)カレシに「寝る時間だ~」と起こされて、歯磨き、洗顔もそこそこにベッドにもぐりこんで、そのまま朝まで8時間。よく眠ったと見えて、頭はまだちょっともやっとしていたけど、ごく普通の目覚め。

まあ、一過性の自律神経失調症のようなものだろうと思うけど、どうもワタシは急激に始まってひと晩眠ったらケロッと治っているような病気?を持っているらしい。十代の終わり頃に、関節が焼ける感覚が始まったと思うと猛烈な寒気がして、30分もすると熱が39度になっていることが1年に1、2回起きるようになった。いても立ってもいられなくて、ベッドに入って震えながらひたすら眠ると、次の日には熱も関節の痛みもまるで嘘のようになくなっていた。疾風のごとく来て去るから医者に診察してもらう暇もない。それでも1度だけ、昼休みに関節がひりひりし始めて寒気がして来たので、速攻で隣のビルの内科に駆け込んだら、そのときにはもう39度を超える熱。医者は「普通は害のないウィルスに過剰反応したのかもしれない」と自信のなさそうな診断だった。関節痛と高熱だけのあの病気?はカナダに移ってからも2年に1回くらいは出てきて、30代の終わりまで続いた。

その後はめまいと嘔吐だけだったり、ゆうべのようにめまいと冷や汗と吐き気だけだったりする「急病」がときたま起こって、そのたびにカレシはオロオロ。昔はどうしていいかわからなくてオロオロがイライラになったりしたけど、最近は顔を覗き込んで頭をなでたりして、けっこうやさしくオロオロしてくれるからおかしい。(ひょっとしたらおかしがっているうちに治ってしまうのかもしれない。)とにかく急激だし、ピークに達する頃にはすごくつらくなってしまって起きていられないから、仕事の納期が迫っていたりしたら慌てる。一度はビニール袋に吐きながら何とか仕上げて納品して、ベッドに転げ込んだことがあったけど、まあ、年とともにそういう「鬼のかく乱」みたいな突発性何とか症はめったに起きなくなったのは幸いと言えるかな。原因、何なんだろうな。やっぱり自覚していないストレスがあるのかなあ。一夜限りの病・・・全然ロマンチックじゃない。

朝食が終わる頃には頭もすっきりして、今日は予定通りに段ボールのリサイクルと野菜の買出しに出かける。リサイクルすべき紙類が山とあるんだけど、カレシは「買い物のついでに寄るだけだから」となんとも非論理的な返事。どうやら、紙類や他のリサイクル品を集めるのはめんどうくさいということらしい。ま、つぶしてポーチに放置してあった段ボールの山だけでも持って行こうと思ったんだから、この際いいか。夏らしい天気で、市のリサイクルデポはかなりのにぎわい。ごみの投棄場に入る専用レーンはトラックが列を成していた。我が家から近いんだから、もっと昼間に出かける「ついでに」積み上がる一方のリサイクル品を持ってきた方がいいと思うんだけど、そういうと天邪鬼のカレシは「この次でもいいよ」とか何とか言ってはぐらかすに決まっているから、ここは放っておくか・・・。

IGAでは昼間だけ人がいる魚と肉のカウンターで、ティラピア、ロックフィッシュ、紅鮭、オヒョウを包んでもらって、冷蔵庫に品薄になった野菜を買って、今日の掘り出し物は「ヒマラヤの塩」。南アフリカから輸入されたもので、グラインダーつきのびんにきれいなピンク色をした岩塩を砕いたような粗い粒が入っている。ふだんは地中海やオーストラリア、ハワイの海塩を使っているけど、岩塩は初めて見た。ヒマラヤは海から遠く離れているから、ネパールあたりの料理は岩塩を使うんだろうな。小ど山奥の国の料理のレシピが見つかったら、岩塩を使ってみようか。もうひとつの掘り出し物は「豆類のもやし」。2、3センチの根が伸びた緑豆、インゲン豆、ひよこ豆、あずき豆のミックス。昔、母が大豆をうるかしてストーブのそばにおいて根を出させたものを豚肉やひじきと炒めてくれたことがあって、しまいに顎がだるくなったのを今でも覚えている。あれはおいしかった。生のままではきっと青くさいだろうから、炒め物にしてみよう。

買い物が終わって帰ってくればもう夕食のしたくの時間。ゆうべのクラクラ病がまったく嘘みたいに食欲はもりもり。後はぽちぽちと週末の小さい置きみやげ仕事を片付けるか・・・。

夫婦だけど、フェイスブックではお友だち

7月10日。日曜日。よく眠った。目が覚めたら午前11時半。カレシはとっくに起きて朝食の支度をしていた。それで食器のガチャガチャいう音で目が覚めたのかな。ワタシが起きたとわかると、さっそくコーヒーミルをガアッとやる。引き立てのコーヒーの香りが二階まで漂ってきて、今日はおきぬけからいい気持ち。日中の気温はまだ平年よりやや低目らしいけど、最低気温はまあまあ普通だから、菜園の野菜も喜ぶな。

日本は月曜日だから、きのうのうちに済ませておいた仕事を送っておいて、後はのんびり。左目に移動した結膜炎?がまだ治っていないので、できるだけコンタクトレンズを入れないで済まそうと、こういうときの予備の眼鏡をかけてみたら、きゃっ、コンピュータの画面が湾曲して見える。前のモニターはもっと小さかったからほとんど問題がなかったけど、新しいのはずっと大きいから、いくら角度を変えても全体が湾曲してしまう。かけて5分もしないうちに何となく頭痛がして来たので眼鏡はあきらめた。この眼鏡はかけたまま歩くと視界がゆがんで吐き気がして来るくらい度が強い。座っていても使えないとなると無用の長物だな。しょうがないから、コンタクトを入れたけど、しばらく目がひりひりして、後は1日。中ごろごろ。コンタクトを入れないと、身を乗り出して画面に顔を近づけないとメールも読めないから、首が痛くなって結局は頭痛がしてくるし、ああ、いやになっちゃう。早く治ってくれないかなあ・・・。

新聞サイトを巡回していたら、バンクーバー市がこの秋から食品ゴミの堆肥化を始めることになり、我が家のあるサンセット地区が2つの試験地区に決まったというニュース。いよいよかと思って読んでみたら、当面は調理していない果物や野菜、コーヒーや紅茶の出しガラ、ティーバッグ、卵の殻くらいのもので、油や調味料が含まれる食べ残しは悪臭を出さずに処理できる施設がないので、回収できるのはまだ先の話だという。なあんだ、持って行くのは今カレシが堆肥にしているものだけってことか。カレシにそう言ったら、「熟成した堆肥は純金ぐらいの価値があるの。もったいなくて市役所になんかやれない」んだそうな。試験収集が始まったら、普通ゴミの収集が今の週1回から2週間に1回に減らされるそうだけど、我が家は1週間で120リットル容器が満杯になることはめったになくて、収集日にリサイクル品だけでゴミは出さないときも多い。つまり、今と変わらないってことで、まあ、池を潰して菜園に転換したら大量の堆肥がいるだろうから、あまり関係ないか。

今日はカレシの好物の紅鮭のファルシを作って、芽だし豆の炒め物と蒸したズッキーニを添えてのんびりと夕食。トロントなど東部の方は猛暑でヒュミデックス(体感温度指数)が40度を超えたそうな。東京あたりも梅雨が明けて猛暑らしい。電気は大丈夫なのかな。エアコンを我慢して熱中症で死んでしまう人たちが出ないといいけどね。食後に二階へ上がっていってサーモスタットを見たら28度。あまり暑くは感じなかったけど、暑がりで汗っかきのカレシが「あっつ~い」と言ってエアコンのスイッチを入れた。う~ん、そんなに暑くないって・・・。

メールをチェックしたら、あら、カレシからフェイスブックにアカウントを作ったというので、さっそく「お友だち」リクエストを送ってあったのに、入れ違いにフェイスブックからカレシからの「お友だち」リクエスト。どうなってんだろうと思いつつ、OKしたら、ワタシは何と「2人のカレシ」とお友だちになって両手に花。どうやら以前に作って「削除した」はずのアカウントがまだ生きているらしい。3人しか友だちのいないのが今のカレシで、もう1人のカレシには、おいおい、「知らない女性」が友だちリストに載ってるよ。「使い方を覚えないうちにいつの間にか知らない友だちができて困ったからアカウントを削除したの。そっちはアンフレンドしてくれよ」とカレシ。な~るほどっ。ということで「元カレシ」はアンフレンドして、「今カレシ」のアカウントは「お友だち限定」に設定してあげた。

夫婦でフェイスブックの「お友だち」ってのもちょっと変な感じだけど、怪しい展開があったら速攻でアンフレンドしちゃうよ。まあ、ワタシはときどき「お友だち」の近況を見るだけで、めったに書き込みはしないんだけど、カレシは旅行の写真を載せたいらしい。ネットの世界は知らないうちに何が起きるかわからないんだから、基本的な機能を覚えてから使った方が安全だと思うけど。