報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

本日の雑感

2012-12-14 22:33:28 | 日記
 いつもなら、そろそろ通院の日なのだが、今月は通院なし。先月の通院で薬の服用量が減らされた。体の具合は、本当に良くなっている。素晴らしいことだ。なるべくなら、強い薬は使いたくないもんね。自民党の安倍総裁におかれては、もし今度の衆院選で政権を奪還した暁には、今後も変わらぬ難病患者の救済をお願いしたい。総裁とて同じ難病患者。気持ちは痛いほど分かるはずである。普通の社会保険の3割負担でさえ、薬代が軽く1万円を突破するようなザマだからね、それが特定疾患医療給付制度を使えばタダになるのだから、有り難い限りだ。無論その薬代は税金からであるが、おかげでちゃんと働けているので、その税金は毎月ちゃんと払ってますとも。ただ、恐らく婚活サイトで見向きもされないほどの安月給なので、税金もその分安いが。

 何度もこのブログで書いているが、退転してから体の具合が良くなるようでは、やはり私の境涯に日蓮正宗の信仰は合わないのだろう。無論、顕正会在籍中に発病したのだから、顕正会からは逃げて正解だった。復帰したら、罪障消滅と称して再び体調が悪化するようでは、結局どこの宗教も一緒じゃないかということになるからね。だったらいいさ。地獄界まで持って行く。今生の幸せが第一。
 あいにくとお寺における元顕正会員達の苦悩と、些細なことで起きているトラブルを小耳に挟む度に復帰したいという気持ちは無くなる。業によるものだというのが分かっているだけに、異体同心と称して巻き込まれるのは御免被る。オレも無宗教宗教不要論派に近づいて来たか?その点、元顕正会員の中でポテンヒット氏は賢い。

 年末まであと2週間ちょっとになったわけだが、年末は仕事がぎっしりだ。特に毎年2回、ビックサイトで行われる“コミックマーケット”の臨時警備。あそこに参加するのが私の年恒例となっている。オタクを白い目で見る人には分からないだろうが、あれだけの巨大イベントで秩序がしっかり保たれているのは、特筆に値する。追い出して、さぞ後悔なさっていることだろう。千葉県の【お察しください】。
 多摩準急先生の昔の作品に、12月31日23時59分12秒に“東北大震災”が発生し、マグニチュードは8ちょうど。仙台市で震度7というパニック物があったのだが、今では全力で黒歴史化されている。キャッチコピーは、『明けまして、おめでたくない』。震源地が内陸部という設定のせいか津波発生の描写は無いが、5年前に作品化された際には、まさかそれ以上の規模の震災が来るとは夢にも思っていなかっただろう。浅井会長、涙目だぜ。え、タイトル?笑ったら失礼なんだけどね、笑っちゃっていいか。『ぼくのお正月』。
 年末年始は地震が無いというジンクスがあるが(ホンマかいな)、その油断に付け込まれたらどうなるかというアイディアだったらしいが、当たらないといいね。
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冨士参詣深夜便 9

2012-12-14 00:22:12 | 日記
 先日の沖縄旅行における大感動は、未だ冷めやらぬものであります。この語り口調、誰のモノマネか分かった人は、【お察しください】。いや、しかし本当、余韻が残ってるよ。旅行先としては、実に素晴らしい所だ。
 さて、高速太郎氏からコメントを頂戴した。来年春に本格運転される新型“こまち”こと、E6系の試乗会が来年2月に実施されるとのこと。是非ともこの機会に参加したいところだが、微妙に忙しいような気がしないでもないので、ビミョーなところ。ましてや抽選制とのことで、信心しててもクジ運に恵まれなかった自分に取っては、あまり期待できないのが正直なところだ。

 ある信徒氏から聞いたのだが、私には初心の功徳など無かったらしい。前のブログを御覧になっていた方なのだが、私が「初心の功徳は、ささやかでしかるべき」という考えは間違いで、結果的にささやかであっても、本人が心からありがたいと思うものでなければ、それは違うのだそうだ。そして、私に対しては、ありがたいと感じる功徳が無かったでしょう?その後の記事を見ると、無い功徳を無理やりにこじつけて、結果「ささやかで……」と、半強制的に自分を納得させてしまっている。これは、元顕正会員の悪い癖です、と……。さすが生粋の信徒氏は、よく見ていらっしゃる。私も、元顕正会員から離れなければならないのかもしれない。もし仮に本気で勧誡を考えるのだったら、だ。そして、そうなるのは私だけ。元顕正会員でありながら、元顕正会員の枠に入れないのは私だけなのだそうだ。
 そりゃそうだ。私なんざ10年も信心していながら、それなりに楽しくやってこれたし、トラウマを抱えて逃げるように授誡した者とは違うと思っている。また、私が常々疑問に思っていたのは、私のような10年選手と入信歴1ヶ月の顕正会員を同じ枠組みとして折伏してしまうことだ。前者は確かに“加害者”の顔もあるから、ガツンと折伏して構わない。しかし、たった1ヶ月の会員、1ヶ月前までは無宗教者だった人も同じく“加害者”としてやっつけてしまうのはどうかと思うな。そういう考えに至るのも、私がトラウマを一切抱えていないことの表れらしい。トラウマを抱えている元会員は、自らのトラウマを解消するため、新人会員でさえもベテランと同じ目で見てガツンとやりたがるようである。それは良くないと思うんだけどな。

 どうやら、価値観がまだ合わないようだ。色々と気に掛けてくださる信徒の方々には申し訳ないが、信心再開はまだ目処立たずといったところだ。
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