三つ子の魂百までとは良く言うもので、私の生来の不器用さ、要領の悪さは子供の頃からである。
そして今でも、それは変わらない。
恐らく一生ものであろう。
だからこそ、早くこの損な人生を終わらせたいのだが、なかなか事故死・病死できずにいる。
自殺はしない。
地獄界でキノのような獄卒に拷問されるのが目に見えている。
私のような人間こそ、御嶽山にて火砕流に巻き込まれるべきだったのだろうが、こういう人間に限って何も無いものだ。
実に余の中、理不尽にできているものである。
さて、不器用さ、要領の悪さが露呈しているのは何も世法だけではない。
仏法においても同じこと。
よくよく考えたら、御指南の中に、
「社会的に信用される人間になりなさい」
とある。
それをよく考えず、
「普段着の折伏ならいいだろう」
と、安易に仏法の話を周囲にしてしまったのが運の尽きだったようだ。
私の今の立場は、はっきり言って悪過ぎる。
そんな状態で仏法の話をしても信用されないばかりか、却って逆縁者を増やすだけだということに何故気づけなかったか。
誓願という数字を目の前にぶら下げられたからと、宗門のせいにするのは簡単だが、それに安易に踊らされた私にも非はある。
未だ社会的地位や信用を確立していない方、且つ器用性・要領性に自信の無い方におかれては、私を反面教師にして頂き、更なる立場の悪化を防いで頂きたい。
それは顕正会にも言えること。
顕正会は団体そのものが信用の無い状態であり、新規入信者を増やすことよりも、信用の回復を急ぎ、脱会者を防ぐ方を優先した方が良いと思う。
取りあえず、今日はそれだけ訴えたい。
「折伏を しても仏罰 顕れる 罪障消滅 その名を借りて」
そして今でも、それは変わらない。
恐らく一生ものであろう。
だからこそ、早くこの損な人生を終わらせたいのだが、なかなか事故死・病死できずにいる。
自殺はしない。
地獄界でキノのような獄卒に拷問されるのが目に見えている。
私のような人間こそ、御嶽山にて火砕流に巻き込まれるべきだったのだろうが、こういう人間に限って何も無いものだ。
実に余の中、理不尽にできているものである。
さて、不器用さ、要領の悪さが露呈しているのは何も世法だけではない。
仏法においても同じこと。
よくよく考えたら、御指南の中に、
「社会的に信用される人間になりなさい」
とある。
それをよく考えず、
「普段着の折伏ならいいだろう」
と、安易に仏法の話を周囲にしてしまったのが運の尽きだったようだ。
私の今の立場は、はっきり言って悪過ぎる。
そんな状態で仏法の話をしても信用されないばかりか、却って逆縁者を増やすだけだということに何故気づけなかったか。
誓願という数字を目の前にぶら下げられたからと、宗門のせいにするのは簡単だが、それに安易に踊らされた私にも非はある。
未だ社会的地位や信用を確立していない方、且つ器用性・要領性に自信の無い方におかれては、私を反面教師にして頂き、更なる立場の悪化を防いで頂きたい。
それは顕正会にも言えること。
顕正会は団体そのものが信用の無い状態であり、新規入信者を増やすことよりも、信用の回復を急ぎ、脱会者を防ぐ方を優先した方が良いと思う。
取りあえず、今日はそれだけ訴えたい。
「折伏を しても仏罰 顕れる 罪障消滅 その名を借りて」