安全ピンで同級生男子の脚に入れ墨した中2女子(読売新聞) - goo ニュース
少年法はいい加減、廃止にしてくれんかね。どこの政党も、それを公約にしてくれる所は無かった。何かのタブーなのかは知らないが、公約にしてくれたら、それだけで政権与党になれたんじゃないか?
それはともかく、中学生で入れ墨の入れ方を知っているとは、麻宮サキやミヅチ3姉妹もびっくりだろう。ショーツひん剥かれて、アソコに“売女”という入れ墨を入れられても文句は言えないぞ。
さてさて、顕正新聞1261号が郵送されてきた。誰が送付しているのかは知らないが、既にクビになっている私の手元に送ってきている時点で無節操さがバリバリでている。多重購読が決定的である。しかも合併号な辺り、顕正会破折をメインとしている法華講員の期待を裏切らない。確かにこれじゃあ、定期購読は却って金のムダと言われても仕方が無いな。
因みに私は顕正会員時代、折伏という名の勧誘を展開していた際、個人的には顕正会内における金銭についてはほとんど喋らなかった。喋るとするならば、あくまで他の団体と比べて金が掛からないというニュアンスで語った。それなのに、バカな幹部は1円も掛からないみたいな言い方をするからおかしいのだ。今は多分、そういう言い方はしないものと思われるが……はてさて。
因みに顕正会という団体は、金を掛けようと思えば思いっきり掛かるし、掛けなければ確かに金は掛からない。10年もいた私が言うのだ。出世さえしなければ、金は掛からない。不思議な団体だね。
宗門はどうなのかというと、これも何とも言い難い。1番無難な言い方とすれば、やはり『他の宗派と比べれば掛からない』であろうか。ただ私の場合、顕正会時代で金をケチっていたこともあってか、むしろ宗門時代の方が金が掛かっている。私の場合、バスや電車で本部会館に参詣していたが、やろうと思えば自転車で参詣することもできたし、駐輪場はタダだから、ややもすれば交通費はタダにすることもできたのだ。しかし、宗門ではそうはいかない。埼玉に住んでるくせに特別布教区に所属したばっかりに、交通費は顕正会時代の10倍以上は掛かっていた。こういう奴もいるんですよ。もちろん自分でそこに所属すると決めたのだから、今更その交通費がどうこう言うつもりは無い。ただ、顕正会より宗門の方が金が掛かっているヤツもいるということだ。アンチ顕正会の法華講員から見たら、厄介な存在だろう。
その今回の顕正新聞なのだが、私が始めて顕正会に入信する時、東京会館で入信勤行の導師をやってくれた人が登壇していた。もちろんその人は私のことを覚えていようはずがないが、私はしっかり覚えている。やはり多感な時期に入信したことって、凄いことなのだろう。最後に私の世話をしてくれた支隊長は、誰が導師をやったか覚えていないとのこと。ハテ?あれから10年以上も経っているのに、あまり老け込んだ感じがしない。写真写りのせいか?
こうしてね、顕正会のことを語れる材料はいくらでもあるのに、宗門はほとんど無い。ま、たったの1年の信心では語れるものは無いか。
少年法はいい加減、廃止にしてくれんかね。どこの政党も、それを公約にしてくれる所は無かった。何かのタブーなのかは知らないが、公約にしてくれたら、それだけで政権与党になれたんじゃないか?
それはともかく、中学生で入れ墨の入れ方を知っているとは、麻宮サキやミヅチ3姉妹もびっくりだろう。ショーツひん剥かれて、アソコに“売女”という入れ墨を入れられても文句は言えないぞ。
さてさて、顕正新聞1261号が郵送されてきた。誰が送付しているのかは知らないが、既にクビになっている私の手元に送ってきている時点で
因みに私は顕正会員時代、折伏という名の勧誘を展開していた際、個人的には顕正会内における金銭についてはほとんど喋らなかった。喋るとするならば、あくまで他の団体と比べて金が掛からないというニュアンスで語った。それなのに、バカな幹部は1円も掛からないみたいな言い方をするからおかしいのだ。今は多分、そういう言い方はしないものと思われるが……はてさて。
因みに顕正会という団体は、金を掛けようと思えば思いっきり掛かるし、掛けなければ確かに金は掛からない。10年もいた私が言うのだ。出世さえしなければ、金は掛からない。不思議な団体だね。
宗門はどうなのかというと、これも何とも言い難い。1番無難な言い方とすれば、やはり『他の宗派と比べれば掛からない』であろうか。ただ私の場合、顕正会時代で金をケチっていたこともあってか、むしろ宗門時代の方が金が掛かっている。私の場合、バスや電車で本部会館に参詣していたが、やろうと思えば自転車で参詣することもできたし、駐輪場はタダだから、ややもすれば交通費はタダにすることもできたのだ。しかし、宗門ではそうはいかない。
その今回の顕正新聞なのだが、私が始めて顕正会に入信する時、東京会館で入信勤行の導師をやってくれた人が登壇していた。もちろんその人は私のことを覚えていようはずがないが、私はしっかり覚えている。やはり多感な時期に入信したことって、凄いことなのだろう。最後に私の世話をしてくれた支隊長は、誰が導師をやったか覚えていないとのこと。ハテ?あれから10年以上も経っているのに、あまり老け込んだ感じがしない。写真写りのせいか?
こうしてね、顕正会のことを語れる材料はいくらでもあるのに、宗門はほとんど無い。ま、たったの1年の信心では語れるものは無いか。