母から電話があった
切羽詰ったような、弱弱しい声で
「どうも調子が悪いんよ
だるいしね、手足がしびれてこのままじゃ、そのうち字が書けなくなりそうなくらい・・・」
昭和2年生まれの母
若い頃胸を患い、子供は無理だと言われながらも私を授かり、
身を挺して産んでくれた
家業があったため、なかなか私の相手をしてもらえなかった
独身時代、母と胸を割って話したことなどほとんどない
でも、両親の目に見えないたくさんの愛情でここまで大きくしてもらった
母は、なかかな電話が切れない人で
「じゃあね」
と言ったあと、
「それでね・・・」
と、また別の話題を話し始めたり
「風邪、ひかんことよ
戸締り、気をつけるんよ」
と何度も身の回りを案じてくれていた
そんな母が私はとても鬱陶しく、ある日
「もう子供じゃないんだし、電話も用事が終わったらさっさと切ろうよ」
と、言ったことがある
それからは母も私に遠慮してか
「じゃあね」と一言言って、そっと受話器を置くようになった。
今日なんか、気分も落ち込んでいたからだろうか、
私が「じゃあね」と言うのを待たずにそそくさと受話器が置かれた。
母が先に電話を切るなんて、
生まれて始めての事だと思う
そうされて、
それがこんなに寂しく哀しいことだなんて、
生まれて始めてのことだった
母が私の目の前から消えてしまったような
どこか行ってしまったような
私はなんということを言ったのだろう
私は母の優しさや思いやりを、とても残酷な言い方で拒否してしまったのだ。
親子だから、娘だからと何でも許されるわけはない
人として、私は一番やってはならぬことをした
「ごめんなさい」
素直に口にして、言葉にして謝ればどんなにいいだろう
どこまでいっても親に甘える私だ
何も言わなくても許してもらえる、と
何をやったて叱られない、と
いつまでたっても、なんて馬鹿で傲慢でだらしない娘なんだ
自分で自分に腹が立つ
ぶん殴ってやりたい、この私を・・・
切羽詰ったような、弱弱しい声で
「どうも調子が悪いんよ
だるいしね、手足がしびれてこのままじゃ、そのうち字が書けなくなりそうなくらい・・・」
昭和2年生まれの母
若い頃胸を患い、子供は無理だと言われながらも私を授かり、
身を挺して産んでくれた
家業があったため、なかなか私の相手をしてもらえなかった
独身時代、母と胸を割って話したことなどほとんどない
でも、両親の目に見えないたくさんの愛情でここまで大きくしてもらった
母は、なかかな電話が切れない人で
「じゃあね」
と言ったあと、
「それでね・・・」
と、また別の話題を話し始めたり
「風邪、ひかんことよ
戸締り、気をつけるんよ」
と何度も身の回りを案じてくれていた
そんな母が私はとても鬱陶しく、ある日
「もう子供じゃないんだし、電話も用事が終わったらさっさと切ろうよ」
と、言ったことがある
それからは母も私に遠慮してか
「じゃあね」と一言言って、そっと受話器を置くようになった。
今日なんか、気分も落ち込んでいたからだろうか、
私が「じゃあね」と言うのを待たずにそそくさと受話器が置かれた。
母が先に電話を切るなんて、
生まれて始めての事だと思う
そうされて、
それがこんなに寂しく哀しいことだなんて、
生まれて始めてのことだった
母が私の目の前から消えてしまったような
どこか行ってしまったような
私はなんということを言ったのだろう
私は母の優しさや思いやりを、とても残酷な言い方で拒否してしまったのだ。
親子だから、娘だからと何でも許されるわけはない
人として、私は一番やってはならぬことをした
「ごめんなさい」
素直に口にして、言葉にして謝ればどんなにいいだろう
どこまでいっても親に甘える私だ
何も言わなくても許してもらえる、と
何をやったて叱られない、と
いつまでたっても、なんて馬鹿で傲慢でだらしない娘なんだ
自分で自分に腹が立つ
ぶん殴ってやりたい、この私を・・・