萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

秋葉原の思い出・・・

2011-01-07 05:25:04 | 懐かしい思い出
私が秋葉原という街を初めて訪れたのは、小学校5年生のとき。だから33年前の昭和53年(1978年)。すごっ!そんなに前になるのか。。。。改めてびっくり!

とまぁ新しいカテゴリーを作りました。(懐かしい思い出)。。。既に投稿した記事もあるけど。。。。

寅さんの記事や年賀状や何かの記事につけて自分の幼少の頃や学生の頃、社会人なり立ての頃などを書いていましたが、もうなんだか『それだけを書いてしまえ』というカテゴリーを作ってしまおうと思いまして、、、、。こういうのも憂さ晴らしとでもいうんでしょうか?なんだか老人のよくする、『えっ!またあの話?』的になってきました。もうどうでもいいや。


秋葉原の記事に戻しますね(笑)。

初訪問の時は、当時流行りのラジカセを買いに来ました。エアチェックとか?テレビの音声を録るとか?音楽番組全盛でしたから。。。。FMもかける曲を全部予めFM雑誌等に告知していましたし・・・・
家族で小田急線に乗って新宿から総武線に乗り換えて行ったんだと思います。
お店の名前は覚えていませんが、駅を出たところで聞いた値段が一番安く、ほとんどのお店を歩き回りながらいくつかの対象商品を絞り込みながら聞いていく父親を後ろから追いかけながらそれを聞いていました。「もう少しまからない?」「これ以上は。。。。」「もうちょっといかないかな?」「でもこれもおつけしますから」というような内容を聞きながら相場を作っていくという感じでした。

次は中学2年のときのステレオで再訪。だから昭和56年か57年の1981か82年。
貸しレコードが出始めてみんなレコードをカセットに落とすということを大量にやり始めた頃です。だからラジカセでは駄目になっていった時期です。
もう親父は「自分で欲しいものを調べて来い。ここの喫茶店で待ってるから」と私に命じて、私一人で秋葉原中を歩かせられました。自分は一生懸命金額のメモを取って、値段と機能とを比べながら「どれならいいんだ?」と延々と歩き回りました。最後に「決めた。。。。」とヘトヘトになって喫茶店に戻ると、店の人も『いいかげんにしろよ』的にこっちを見てます。

少し裏手に入ると、実はとんでもなく安く売っている店があることを発見してきて、それを報告。ただ希望商品の取り扱いはなかったので断念。表通りのお店で、最後は親父のもう一押しで、マイクとヘッドホンに白・赤のコードを加えて決定。

自分で値段交渉をして確実にもう一歩だけ上のランクにあがった感じでした。予算も決っていたし、地元である程度の相場観はもっていましたけど、一つの商品だけでなく、もう一つと天秤にかけながらという感じで商品選びをしました。

この後は大学に入ってワープロを探しに行ったときに再び。この頃はもう色々なカメラ屋さんも新宿とかにあったので、そっちで事前に調査した上で秋葉原に。
裏手ではなかったんですけど、ダンボールが積まれているお店に何気なしに入ったら、『げっ! ここ他の店の半額以下なの?』という値段提示。とてもお若い方だったので、「すいません、もう少しだけ、お願いします。」ととりあえず聞くことに。「それは無理。分ってるでしょ?そういうことできない提示してるんだよ」と諭されてしまいました。
「そうですよね?もう一回回ってきます」と出ていたんですけど、他に行くあてなどない感じの価格提示だったので、すぐに戻って「買います」と白旗をあげたのでした。安くは買えたけどなんとなしに敗北感な感じでした。


しばらくすると、幼馴染の友達から「俺も家で塾開くのにワープロ欲しいから付き合ってよ 」と頼まれて、「多分半額以下でいけるぞ!」とその友達を案内して、相場をチェックして、またダンボールの店に。
提示されているのは4割引程度。。。『半額以下にできないの?今日は押そう!』と心に決めて、今度はおじさんと商談。この値段で欲しいと新しい機種を指して半額以下の値段を言うと「そんな値段ならうちが買うわ!」と怒鳴られてしまいました。「うーーんじゃあもう一回他回ってきます」と店を出て探すもそこ以上の簡易的な売り方をしている店はなし。。。「なんなのかな?あの店員、もしかしたら分ってないのかも?」とか話してましたけど。。。。友達も「もういいよ、あれで十分じゃん」と。じゃあもう1回あの店で商談だ!

そうするとまたおじさんが出てきて、「どうすんだよ?」とすごんで来る。
後ろにこの前の若い人もいたんだけど、そのおじさんが「社長、こいつバカみたいに安い金額言うんですよ」っだって。『あら、あっちの若いあなたが社長さんなんだ!?』

「ごめん今この機種は半額なんて無理なんだよ。でもあとこれだけは引いてあげるよ」と半額+αな値段。振り返ると友達も『もうそれでいい』という顔。おいらは『すまん!半額以下とか言って』と顔の前に手を持ってきて詫びた。

このお店、今はもうない。


今でもたま~に秋葉原に行くけど、対象の商品を買いに行くつもりでいかないと意味がない。
それでもネット販売のように店舗の運営費や従業員の給与がほとんど発生しないような店とは比べられないようなこともあるんだけど、品揃えはさすがだし、カメラ店などでは値段交渉は一切受けられないけど、そこの値段を起点に、(POINTを値引きの最低限の材料にして)他店では交渉をすることも未だにできる街。

故障などのことを考えると店舗購入が安全と考える、その類の商品を見極めるべきで、それ以外ならネットでの購入でもよしとすべきかな?また大型の商品でない限りは故障品を持ち込めることが可能かどうか、配送を秋葉原の店舗に委ねるなら、それは故障した時もっていけないということになる。そういう類はやはり近所の方がいい。
あと狙う商品を決めるまでの過程が必要で、聞き比べる、操作感を確かめる、納得するあたりはやはり店舗に行く必要があるかも。

実は先日、ネットでI-O DATA memory series PC2700 (DDR333) S.O.DIMM 1GB SDD333-1G/ECというのを購入しました。所沢の近くの店舗だとこれは9,980円で売っているのだけど、ネットで5年保障のものを購入したら、3,980円で買うことが出来た。Amazonで。実に6,000円も値差があるなんて。。。一応云っておきますと、店舗のは多分永久保証、ネットで購入したものは5年保証です。こういう類の商品はもうネット購入しかされないのかも知れない。


購入動機はPCを買い換える前に、メモリーで増強したら結構まだXPいけるのでは?と常々思っていたからだ。そしたら複数のアプリを立ち上げても違和感がないし、かなりサクサクな状況が戻ってきた。 512Mのメモリーに空きスペースに1Gプラスだからかなりの処理能力の向上である。

PC、CPUそのものの能力を問われるような事態、例えば動画の処理能力とかで決定的なキラーコンテンツが生まれ、追随するにはもうPCのスペックそのものの向上が不可欠となったら、買い換えます。ノートPC。

一つは地デジ、もう一つはBLUELAYかな?でもまだDVDで済んでいるのも事実だしな。。。


まぁその購入は秋葉原でかも。。。。メモリーの増強サービスくらいつけてもらいたいですね。。。。交渉内容をまとめておこう!


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スコードリーダーって、皆さん覚えてますか?

2010-10-25 23:47:59 | 懐かしい思い出
中学の頃だったよな。。。いきなり綺麗な地図の戦争・戦闘系のボードゲームが流行りだしたことがあったんです。

初期はタクティクスⅡという初心者向けのボードゲームだったんですけど、山岳地帯や湿地帯、港湾からの輸送とか補給線とかの考えも、戦闘そのものはサイコロの目で決るんですけど、森林地帯と平地地帯では、攻撃力・守備力に差が出て、乱数表をずらしてみるとか、移動におけるターンという考え方や移動距離もマップの地形によって変わってきたりとか。。。。。一生懸命ルールを覚えて、よくみんなの家に集まってやりました。
将棋や囲碁もいいけど、このルールを一生懸命覚えてやるっていうゲームがまだ抵抗ないころの時代と世代のお話です。

なんだか秀才な感じの友達がすごいこのゲームが好きで、普段はお喋りな私とはほとんど口も聞いてくれないのに、そのボードゲームの話になると止まらない奴がいて、そいつがスコードリーダーという写真のゲームを手に入れた時には、本当に羨ましくって。。。。
堪らなかったです。。。。



地図やコマがとても綺麗なんですよね。。。スコードリーダー!
↓これは最近のアドバンスドなスコードリーダーのようです。



↓これは多分昔にやったものと一緒だと思います。



ただルールがとっても複雑なんですね。


戦闘そのものをシュミレーションするので、傷とか弾薬とか死角とか建物から建物に移動するのでさえ、敵のコマの視界を横切り、射程に入っていると無事に通れるかどうかでサイコロを振るとか。。。。今ではコンピュータ相手に人間が負けるくらい強いシュミレーションゲームがあるんでしょうけどね。。。
所有して飾る楽しみがあったんですよね。。。あのころのボードゲームには。。。


そうそう!
マップとか複数枚、裏表模様違いで用意されていて、色々とつなぎ合わせて戦場を作ることもできたりして、その発展性が楽しかったという思い出があります。
色々なシナリオと勝利条件があって。。。。


今でも実家に眠っているのかな?あのゲーム達。スコードリーダーは自分も買いましたので。。。。
うちの息子の年代に渡すとコマは無くすは、サイコロは無くすは、地図はボロボロにされるは。。。。ってことになりそうな予感がします^^;
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人生ゲームの特別ルール の思い出・・・

2010-10-23 03:16:36 | 懐かしい思い出
学生時代に部室に人生ゲームがおいてあり、みんなで懐かしい懐かしいと言いながらよくやりました。
ただ、私が不満だったのが、みんな医者とかタレント狙いで、誰もサラリーマンコースを選ばないことだったのです。


みんながみんな「たかが人生ゲームなのに、わざわざサラリーマンなんか選ぶかよ」という発想です。
さらに転職でタレントをみんながみんな狙うわけです。

いつもいつもみんな同じコース。。。。


これって面白くないと思い、ルールを自作しました。

[サラリーマン出世コース!]
サラリーマンを選んだ人は、もし給料日のコマにぴったり止まったら、ボーナスとして、給料は2倍もらえる!さらに昇進して係長・課長・部長・社長と給料も倍々にしていくというルールを投下してみました。


そしたら。。。。


全員サラリーマンコースに来てしまうという。。。


どんだけ安定志向なんだよ、たかがゲームで!

と思ったものでございました。


みんなごめんね!試したわけじゃないけど、結果的に試してしまったようなもんだったでした。

確か最後の方に人生最大の賭けとかありましたよね。。。。今考えると、結構おっかないゲームだったような気がする、これ!
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とんでもねぇ!!わたしは神様だよ!

2010-10-20 21:33:18 | 懐かしい思い出
このコントのセリフ、なんていう、謙り(へりくだり)方なんだろうかと思い出して、動画を探してみました。

今見てもこのトンでもねぇというのが、何と言われ(たと思い込ん)で、トンでもねぇになったのかが不思議でならない。あなたは創造主ですか?とでも聞かれたと勘違いしたとか?

今見てもすごいコントです。



ドリフ大爆笑 茶とけんの神様 #2


ドリフ大爆笑 - 神様コント




こちらはおまけです。

ドリフ大爆笑もしもこんな銭湯
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敬老の日SP おじいちゃんのエピソード

2010-09-20 01:15:25 | 懐かしい思い出
昨日(9/19)は神奈川県大井町の実家に帰り、おじいちゃんと息子(5歳:年長さん)と3人で箱根板橋の菩提寺にお墓参りに行って来ました。
中島(旧町名なのでこう呼びますが、今の住所は小田原市中町)の、従兄の家に電話を入れて従兄の所在を確認すると、従兄の娘(27歳:今年結婚)も来ているとのことなので、「それじゃはとこの顔合わせだね」ということで、伯父伯母のお墓参りのついでに三政屋の小倉アイスを買って、訪ねてきました。

従兄の娘ってどう呼べばいいんだろう?兄弟の娘なら姪なんだけど。。。呼び方無いな?と思っていたら、息子のはとことは呼べる事に気付きました。22歳も離れているけど。。。

息子のはとこになる従兄の娘の結婚は従兄のブログで知っていたので、「おめでとう」と伝えたら、もうなんか昔の面影ほとんど無くて、すごく小さいときに姉妹で何回も喧嘩しかけられて、おじさん大変だったんだぞ!と。^^
従兄はモブログとかもやっていて、「本当に結構大変なんだ。あれ」とか言っていて「でも別のもやろうと思っている」とも。親父もなんだかHPをやっているとかいうので、どんなのやってるのと聞くと、仲間でパソコン同窓会みたいなのやっていて、実名でHPを公開。。。。
従兄と二人で「そんなの止めときなよ!リンクも貼れないよ。ブログやればいいじゃん!」と勧め、御互いのブログの状態や世間のブログの機能の意見交換とかしてきました。やはりコメントを開いても次の記事にスクロールでいけるブログ(exciteだったかな?)はいちいち戻るボタンしなくていいからいいよね?との話になりました。


そんな親父も今年で73歳。。。。そんな親父の昔々の御話を。

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大学時代に家にいたら、家に親父の高校時代の友人が訪ねてきてくれていた。
昔はよく家に親父の同僚やら、高校時代の友達やらが来てくれていました。

そのおじさんが私の方に「来い来い。そこ座れ」というので「何の話ですか?」と座に加わると、
思い出し笑いが止まらなくなるといった感じで、笑いながら親父の高校時代のエピソードを教えてくれた。

親父ももうどうでもいいやみたいな顔しているし。。。。何の話だろ?

どうも親父の頃は、高校時代にクラス対抗の水泳大会という催しが開かれていたらしい。私の頃は高校では水泳の授業もなくて水泳部の独占だったあのプールで、そんな大会が開かれていたというのだ。
親父のクラスには、水泳部が3人も居て、自由形4人リレーでは絶対優勝が確実だった。
そこに何を思ったか親父はリレーの4人目に立候補したのだという。そんなに言うなら、合唱部だった親父だが泳ぎは得意なのだろうと3番目の泳者としてチームに加わったのだそうだ。

大会当日、(多分ぶっつけ本番なんだと思う)、前の二人がもちろん一位でつないだそのレース、
3番目にタッチを受けた親父はいきなり後ろ向きになりスポッと降りるように飛び込むと悠々と背泳ぎを始めて泳ぎきったのだという!
「マジ?それどういうこと?」と聞くと、親父ももういいじゃないかという顔をして「背泳ぎは本当に得意だったから。自由形ならどんな泳ぎしてもいいと思ったんだ」とのこと。
そりゃそうだろうけど。。。。

レースは辛うじて1位だったのだそうだ。3人の水泳部の人たち、カンカンだったらしい。。。



私はそんな人の息子です。


いつまでも御元気で!
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