Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

切腹

2015-08-21 05:52:53 | コラム
「落ち着きがない」
「よくモノを壊す」
「すぐに嘘をつく」

…………………………………………

某日―。

友人の主婦を自宅に呼んで、呑み会。

10歳になる息子さんが問題児で、けっこうに真剣に悩んでいる―というから、小学校時代の通知表を見せてあげた。

冒頭に挙げた3つの評価は、その抜粋である。

通知表なんて、とくに小学生の場合は、本人というより親に向けられたもの。
だから「よほどのことがないかぎり」悪く書かないと思うんだよね、書いたとしても、ひじょうに柔らかな表現のはずで。

ということは、だ。
自分に関しては、「よほどのことがあった」といっていい。

自分でもそう思うもの。

イヤなガキだったし、
先生には漏れなく嫌われていたし、
こんなのが息子だとしたら頭狂いそうだし、
つくづく、かーちゃんはえらいな!! と感動さえするし。


「さすがに、こんな風には書かれないわけでしょう」
「…うん、さすがに」
「だったら、大丈夫じゃないの」
「……」
「もしかして、引いてる?」
「(苦笑)ちょっとね」
「まぁそうだよね、だから息子さんは大丈夫だって」
「でもこれは、地域とか、時代もあるんじゃないかな」
「たしかに、古きよき時代、、、だったのかもしれないけれど」


それから、こんなエピソードも披露した。

たぶん、小学校4年生のころだったと思う。
道徳の時間だったか、担任が「昔の侍は、切腹することによって自分の責任を負おうとした」という話をした。

それにいたく感動した自分は、「今までのおこないを反省しました。これからは、授業中に騒がないことを誓います」という感想文を提出した。

最後に、

―その誓いを破ったら、ぼくは切腹します―

と、書いて。


「切腹します」


ここで、予想どおり彼女は爆笑してくれた。

ちゃんぽんバカだと思う。

でもたぶん、書いているときはほんとうにそう思ったんだよね。
思っただけで、実際に「そう努めよう」という気はなかったのだろうけれども。

そのときの担任の返信が、どんなだったのかまでは覚えていない。

おそらく、「そう思う気持ちが大事だ」みたいなことを返してくれたのだと思う。

向こうもハナから信用していなかったのだろうし、前述したように嫌われていたのだから「あぁそうかそうか、はいはい」みたいに、事務的な対応をしたに決まっている。

出来れば実際に書いたノートを見せたかったのだが、通知表とはちがって、それは残していなかったようである。

残念!!


「ね、こんなヤツでも、とりあえず41歳までは生きているんだから大丈夫だって」
「(笑う)なんか、ちっぽけなナヤミゴトだったなぁって、本気で思えてきた」
「でしょう?」


あぁ、よかったよかった・・・のかな?笑





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明日のコラムは・・・

『にっぽん男優列伝(292)藤竜也』

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オッサンの階段走り

2015-08-20 05:52:41 | コラム
団地族になって、11年が経過した。

早っ!!

自分もトシを取るわけだ。

理想を挙げていったら切りがないが、いまの住まいにこれといった不満はない。
だからこそ、11年も住んでいるのだろう。

5階建ての最上階。
エレベーターは、なし。
ついでにいうと、自分が原因ではない・・・とは思うが、ほかの空室は埋まっていっているのに、自分のところだけ、隣室が空室のまんま、なのだった。

だからこっちも遠慮せずに、格闘技やAVを(そこそこの)大音量で流すことが出来る。

・・・って、それが原因なんじゃ??

・・・・・。

まぁいいや。

住み始めたころは30歳、いまは41歳―そのころと現在とで、変わったこと。

最寄りのスーパーで米10kgやビール1ケースを購入し、それを何度かに分けて自分で運んでいた。

車は持っていない・・・どころか、免許さえないわけだが、それを苦と感じずに「当たり前のこと」として、こなしていた・・・のだけれども、2年くらい前からネットスーパーを利用するようになった。

送料などで自分で運ぶよりも高くなってしまうのだろうが、ATMの手数料とかも気にしないタイプなものでね、

いちどラクチンを覚えてしまうと元には戻れない。

というのは世の常であるからして、現在では大抵のものをネットで注文し届けてもらっていると。


ただ、ちょっと心苦しいところがあって。

佐川やヤマトの配達員は、自分より若いアンちゃんである。
しかし地域密着型のネットスーパーの場合、大抵が自分よりトシのいったオッサンなんだよね。

米やビールを抱え、ゼェゼェハァハァいいながら階段を駆け上がるオッサン。

毎回毎回、いちどでは抱えきれぬほどの量を注文しているので、玄関前でそれらを降ろすと、再び階下へとダッシュしていくわけですよ。

こりゃたまらん。

というわけで、運びを手伝う自分。


「すいませんねぇ」
「いえいえ、こんなに頼む自分もアレですから」
「量的にはそれほどでもないんだよ、ただ、ここはエレベーターないからね」
「・・・ですよねぇ」


「お釣りは取っておいて」とチップを渡すか、運びを手伝うか迷ったんだけれども。

自分より若いひとならばチップも自然に渡せるだろう、でも年配のひとなので、手伝ったほうが有難がられると思ったんだ。

しかし。

「手伝ってくれるのうれしいんだけど、次のお客さんも、そのまた次のお客さんも、ここの団地。毎日、これの繰り返しだから足腰は自然と鍛えられるんだよね」

・・・まぁ、たしかにそうだわな。


チップのほうが、喜ばれたかもしれない。

次は、そうしようかな。





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明日のコラムは・・・

『切腹』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(134)

2015-08-19 06:01:19 | コラム
だーてぃだんしん「ぐ」→「ぐ」りーんべれー(グリーンベレー)

映画のなかで描かれるグリーンベレーと有段者って、ちょっと似ている・・・なんて思うときがある。

強くて当たり前。
見た目もゴリゴリで、主人公を圧倒―すると思わせておいて、見事な負けっぷりを披露すると。

彼らが主人公になることは、じつは、あんまりない。
見せ場はきちんと用意されてはいるものの、主人公をさらに輝かせるためのキャラクターとして登場することのほうが多いのだ。

そんな強い相手を倒す主人公って素敵! そう思わせるための副将的キャラというかね。

シュワ氏の『コマンドー』(85)でも、そうだった。

ゴツい黒人がシュワ氏と対峙し、

「どうだ、強いだろう。俺は元グリーンベレーだ」



などという。

シュワ氏は「それがどうした」みたいな感じで彼を倒すのだが、この台詞があるかないかで、印象はだいぶ変わってくるはずで。

ん?
ということは、グリーンベレーや有段者は、ちょっとバカにされるキャラクターなのか?

そこまではいってない。


グリーンベレーとは通称であり、正式にはアメリカ陸軍特殊部隊という。
将兵だけがかぶることの出来るベレー帽が鮮やかなグリーンであることから、そう呼ばれているのだそうだ。

その詳しい歴史などはウィキペディアでも見てもらうとして、ここでは軽く入隊資格を紹介しておこう。

「自発的な志願者であること」はもちろん、

自分にとっては「現役勤務の男性軍人であること」が既にNGであり、

さらに「ブーツと戦闘服を着用したままで50メートル泳げること」なんていうのまである。

無理だな、自分は。


グリーンベレーの評価が著しく低下したのは、ベトナム戦争の泥沼化による。

現在のハリウッド映画が、(冒頭で述べたように)グリーンベレーの存在を英雄的に描くことがない理由も、そのへんにあると考えていい。

ハリウッドの英雄であり続けるジョン・ウェインが撮った『グリーンベレー』(68)は、ベトナム戦争を肯定的に描いたトンデモ映画として有名。

いま現在の視点でそう評価するのではなく、制作・公開当初から非難轟々だったとされている。

エルマー・バーンスタインはテーマ曲を依頼されたが、「政治的信条」を理由にこれを辞退。
批評家のひとりは「高圧的で時代遅れの映画」とクサし、
実際にベトナムで戦ったオリバー・ストーンはこの映画を「大嫌いだ」と発言した。

で、自分はこの映画を高校時代にビデオ鑑賞した。

つまらなくはなかったけどね。

政治的背景などは分からない、単に物語として充分に面白いと思った。
トレードマークのベレー帽も格好いいし、ヒロイズムに溢れているし。

そのヒロイズムが問題だったわけだが・・・まぁ高校生のクソ男子なんて、そんなものだろう。
銃撃戦、爆破が描かれ、軍人と美女とヘリと、出来ればロボットが登場すれば、それだけで気持ちがよくなるイキモノだから。


ただ、自分も40歳を過ぎたわけだし、現代は21世紀である。
観返してみると、さすがに単純だなぁとは思う。


負の歴史としてグレーンベレーを茶化すような描写が散見されるのは必然なのかもしれないけれど・・・

ちょっとだけ切ない気もする―というのが、自分の本音ではある。





次回のしりとりは・・・
ぐりーんべ「れー」→「れー」てぃんぐ。

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『オッサンの階段走り』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(133)

2015-08-18 05:30:53 | コラム
らいくー「だー」→「だー」てぃだんしんぐ(ダーティ・ダンシング)。

嫌い・・・ではなく、むしろ好きな俳優なのだが、中学・高校時代に愛読していた雑誌『ロードショー』の紹介文が気に入らないというか、そうかなぁ! ちがうんじゃないかなぁ!! と思った俳優さんがふたり。

バート・レイノルズと、



パトリック・スウェイジ。




『ロードショー』さんは、このふたりの俳優のことを「セクシー」と評していたの。

そうかなぁ!
ちがうんじゃないかなぁ!!

・・・と、中学時代の自分は思っていたわけ。

セクシーって、隠しても隠しても漏れ出てくる色香―みたいなもの、だと思っていたから、ひどくイヤらしい感じのするバートちゃんとパトリックちゃんは、男として好きだけれども、セクシーではないのではないかと。

それはともかく。
日本での人気はイマヒトツだったものの、バート・レイノルズの米国における人気はバツグンだった。
それと比すと、パトリック・スウェイジは過小評価されている感じがする。

まさか、こんなにも早く亡くなる―膵臓癌、享年57歳―とは思っていなかったからねぇ、自分もこのひとのことをきちんと評する機会を用意出来なかった。
『ゴースト』(90)ではショートカットのデミ・ムーアばかりが絶賛され、『ハートブルー』(91)ではキアヌだけがキャーキャー騒がれたものなぁ、ちょっと可哀想な気もしてきた。

彼をセクシーと評する流れが出来たのは、おそらく『ダーティ・ダンシング』(87)がきっかけ。

お嬢ちゃん女子高生が、父親の反対に逆らいダンスインストラクターと恋に落ちる―物語そのものは陳腐ではあるものの、そこに流れる音楽とダンスシーンが評判を呼んでヒットを記録した。

女子高生をジェニファー・グレイが、そしてインストラクターをスウェイジが演じた。

ジェニファー・グレイはパッとしなかった女優のひとり、でもフツーに美人だし、自分は好きだった。



だからこの映画も、
「ジャガイモ顔のスウェイジなんか、いいんだよ! グレイちゃんを映せ!!」
などとイライラしながら鑑賞したものである。

ごめんね、スウェイジちゃん。


この映画のタイトル「ダーティ」(Dirty)は、ハリー・キャラハン刑事が「ダーティ」と呼ばれていたのと「同じような意味合いで」冠されている。

直訳しちゃうと「汚いダンス」となってしまうが、ただ、時代や舞台によっては、男女があまりにも密着し過ぎることから「汚らわしい」と解釈され、10代では早過ぎるとか、なんとかいわれたり。

なんといっても米国の不良は、グループでダンスしちゃうんだからね!!




日本のミュージシャンも、とくに若いひとはダンスが必須となってきた感があるし、みんな上手だとは思う。

けれども、こういう映画を観ると、ポテンシャルという点ではアングロサクソンには敵わないな!! と感心してしまうのであった。





あすのしりとりは・・・
だーてぃだんしん「ぐ」→「ぐ」りーんべれー。

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演奏演者10傑

2015-08-17 05:46:48 | コラム
半分は取材、半分は遊び―という認識ではいけないのだが、そんなスタンスで、音楽フェス『サマーソニック2015』(14~16日、幕張)の取材に行ってきた。

ひと、ひと、ひと・・・ひとの波、だらけ!!

実施場所のスケールのちがいというのもあるが、東京国際映画祭の10倍以上のひとが蠢いている。
映画小僧としては羨ましいかぎりだが、まぁそんなことは考えずに楽しもうや!! ってことで。

1組のアーティストのステージを120分くらいかけて体感する「単独のライブ」もいいものだが、たまには「ごった煮感、満載」のフェスもいい。

ウッドストックのような政治性や思想が盛り込まれているわけではないものの、毎年つづけることに意味があるはずで。

10年後、20年後はどうなっているのかな・・・そんな風に想像してみるのも悪くない。
というかその前に、東京五輪の開催時期とも「かぶっている」はずだから、とりあえず5年後が楽しみだねぇ。


そんなわけできょうは、映画のなかで、俳優さんが実際に楽器を演奏している「演奏演者10傑」というのを展開してみたよ。


(1)サックス、ロバート・デ・ニーロ…『ニューヨーク・ニューヨーク』(77)



でに朗さんだから、なんでも出来て当たり前―という認識は、本人にはプレッシャーにちがいない。

(2)ドラム、メアリー・スチュアート・マスターソン…『恋しくて』(87)



ドラム女子、大好きです。

(3)ギター、マイケル・J・フォックス…『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)

まさか、このころから若年性パーキンソン病に苦しんでいたとはね。

(4)ピアノ、デニス・クエイド…『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』(89)

デニスの最高傑作かと。




(5)ピアノ、ホリー・ハンター…『ピアノ・レッスン』(93)

エイダは、ことばを発するかのようにピアノを弾く。

(6)ドラム、前田亜季…『リンダ リンダ リンダ』(2005)

だから、ドラム女子が好きなんだって。

(7)サックスなど、上野樹里ほか…『スウィングガールズ』(2004)

矢口監督とは(個人的に)相性が悪いのだが、これはよかった。

・・・あ、単に女子がいっぱい出てくるからかな?

(8)ピアノ、トム・ハルス…『アマデウス』(84)

モーツァルトを実際に見たことはないけれど、憑依した感じが伝わってくる。

(9)ギターほか、子役たち全員…『スクール・オブ・ロック』(2003)

とくに、この子がよかった。



(10)ギター、ジョナサン・リース=マイヤーズ…『ベルベット・ゴールドマイン』(98)

きらびやかな衣装だけでなく、弾きかた、その雰囲気まで「グラム、していた」。

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