先週末は、奈良の明日香村で行われる飛鳥ハーフマラソンに参加するため1泊2日の予定で出かけた。1日目は、橿原神宮とキトラ古墳の観光だ。
まずは、橿原神宮前駅で娘夫婦と待ち合わせをして、我々夫婦と4人で橿原神宮に向かった。橿原神宮は、神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建された。第一代の天皇であり我が国建国の始祖となる神武天皇と、ひめたたらいすずひめ皇后が祀られている。まさに日本の始まりはここからなのだ。
入り口には大きな鳥居が門を構え、その大きさに圧倒される。
大きな鳥居の先にもさらに大きな鳥居が立ち、参道の両脇には立派な灯籠がずらっと並んでいる。
南神門の前には、紀元2682年と記されている。今年は、紀元節では2682年となるらしい。古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日からの年月を示すもので、日本が世界で最も歴史がある国の証でもある。
広い庭を通り、外拝殿に向かう。
外拝殿の先には本殿があるが、一般の人はこの先には入っていくことができない。本殿を見ながら拝礼をする。
外拝殿の両側には、廻廊と呼ばれる長い廊下が有り、祭事の歳には、ここを通って本殿に向かうのだろう。
南神門広場の南方にあるのは深田池。
明るい静かな水面が広がっている。面積は約4万9500㎡(約1万5000坪)もあり、対岸までの遊歩道が整備されていて、水鳥を見ながら散策をすることができる。
橿原神宮を出て、翌日の飛鳥ハーフマラソンのスタート地点でもあるキトラ古墳壁画体験館・四神の館に向かう。キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳だ。名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があるという。
キトラ古墳の石室内には、四神、十二支、天文図、日月の壁画がある。四神は天の四方を司る神獣で、壁画は対応する方位に合わせて、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武が描かれている。四神以外にも、十二支の美しい絵や石室の天井には本格的天文図が描かれている。これらは、7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されており、このような絵が今でも見られるというのは奇跡である。
朱雀。高松塚古墳では失われていた朱雀像がキトラ古墳には残っている。地を蹴って羽を広げ、今にも飛び立とうとしているような躍動的な姿はたいへん珍しいものだという。
白虎。通常の白虎(高松塚古墳など)とは逆に頭が北を向いている。細身で首が長く、両眼を見開き、前脚を突き出した躍動的な姿。耳の毛や黒目も細かく描写されている。
四神の館をでると、すぐ横に小高い丘が有り、明日香村の風景を見下ろすことができる。翌日はこの辺りも走ることになるのだろう。
実際のキトラ古墳は、四神の館から歩いて数分の場所にある。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されている。今の古墳は、発掘作業が終わってから再構築されたものだ。
キトラ古墳を出て、橿原神宮前のホテルに戻る。翌日は、飛鳥ハーフマラソン本番を走ることになる。幸い天気もよく、温かい一日となりそうだ。
まずは、橿原神宮前駅で娘夫婦と待ち合わせをして、我々夫婦と4人で橿原神宮に向かった。橿原神宮は、神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建された。第一代の天皇であり我が国建国の始祖となる神武天皇と、ひめたたらいすずひめ皇后が祀られている。まさに日本の始まりはここからなのだ。
入り口には大きな鳥居が門を構え、その大きさに圧倒される。
大きな鳥居の先にもさらに大きな鳥居が立ち、参道の両脇には立派な灯籠がずらっと並んでいる。
南神門の前には、紀元2682年と記されている。今年は、紀元節では2682年となるらしい。古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日からの年月を示すもので、日本が世界で最も歴史がある国の証でもある。
広い庭を通り、外拝殿に向かう。
外拝殿の先には本殿があるが、一般の人はこの先には入っていくことができない。本殿を見ながら拝礼をする。
外拝殿の両側には、廻廊と呼ばれる長い廊下が有り、祭事の歳には、ここを通って本殿に向かうのだろう。
南神門広場の南方にあるのは深田池。
明るい静かな水面が広がっている。面積は約4万9500㎡(約1万5000坪)もあり、対岸までの遊歩道が整備されていて、水鳥を見ながら散策をすることができる。
橿原神宮を出て、翌日の飛鳥ハーフマラソンのスタート地点でもあるキトラ古墳壁画体験館・四神の館に向かう。キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳だ。名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があるという。
キトラ古墳の石室内には、四神、十二支、天文図、日月の壁画がある。四神は天の四方を司る神獣で、壁画は対応する方位に合わせて、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武が描かれている。四神以外にも、十二支の美しい絵や石室の天井には本格的天文図が描かれている。これらは、7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されており、このような絵が今でも見られるというのは奇跡である。
朱雀。高松塚古墳では失われていた朱雀像がキトラ古墳には残っている。地を蹴って羽を広げ、今にも飛び立とうとしているような躍動的な姿はたいへん珍しいものだという。
白虎。通常の白虎(高松塚古墳など)とは逆に頭が北を向いている。細身で首が長く、両眼を見開き、前脚を突き出した躍動的な姿。耳の毛や黒目も細かく描写されている。
四神の館をでると、すぐ横に小高い丘が有り、明日香村の風景を見下ろすことができる。翌日はこの辺りも走ることになるのだろう。
実際のキトラ古墳は、四神の館から歩いて数分の場所にある。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されている。今の古墳は、発掘作業が終わってから再構築されたものだ。
キトラ古墳を出て、橿原神宮前のホテルに戻る。翌日は、飛鳥ハーフマラソン本番を走ることになる。幸い天気もよく、温かい一日となりそうだ。