とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

苗場に滑りに行った

2011-01-31 23:14:59 | スキー
先週末は、過去のスキーブームの折には正月三が日の人出ランキングで「明治神宮」「東京ディズニーランド」と並ぶほどの上位の常連であったという苗場スキー場に初めて行ってきた。ピーク時は年間380万の来場者数を誇ったが、現在は1/3程度に減少はしているものの、単一のスキー場の来場者数は日本第1位だという。いわゆるユーミンの苗場コンサート会場としても知られているスキー場である。

浜松からでは、かなり遠いイメージがあり、今まで行きたくてもとても無理ではないかと思い込んでいたが、最近関越道を使う機会が増え、苗場方面への土地勘というものが生じてきていた。一度は行ってみたい憧れのスキー場だったので今シーズンの初滑り場所として考えていた。当然、宿泊は苗場プリンスホテルである。ネットで検索したら、アーリーチェックインでリフト二日券付き一泊二食プランが見つかった。早速、スキー友達4人を誘って5人で行くことになった。

浜松を午後8時過ぎに出て、東名、中央高速、圏央道、関越道を経由して月夜野ICから国道を走る全部で420キロほどの距離を約6時間で走った。幸いなことに渋滞や降雪もなく順調な行程であった。苗場プリンスホテルに着いたのは、土曜日の午前2時過ぎだった。ホテルの駐車場に入ると、こうこうと照らされたイルミネーションと巨大なホテル群に圧倒された。道路には、雪を溶かす水が流されており駐車場への誘導も親切である。入口前でうろうろしていると、早速ホテルマンが駆けつけ、誘導してくれた。さすがに有名ホテルはサービスが違う。

深夜のチェックインを済ませ、早速部屋に入ることが出来た。ゲレンデ側と駐車場側の部屋にそれぞれ別れ、まずは一眠りする。さすがに、眠気が一気に押し寄せ午前7時くらいまで爆睡した。朝目覚めて、カーテンを開けると、真っ青に晴れ上がった空に真っ白なゲレンデの風景が飛び込んできた。


この日の天気は、午前中晴との予報であり、急いで朝食を済ませゲレンデに向かうことにした。スキーロッカー近くでは、このスキー場のマスコットキャラの「パンダルマン」が子供たちの人気を博していた。


さて、支度を済ませ真っ先にスキー場の最高地点を目指すことにした。苗場スキー場は、筍山(1789m)の斜面に作られている。まずは、第一ゴンドラで山頂駅に向かった。


山頂駅からのゲレンデは、まだ滑っている人が多くなく、圧雪された斜面は滑りやすそうである。一旦滑って、本当の山頂に向かうリフト乗り場まで行くことにした。




これが、筍山山頂からの雪景色である。素晴らしい景色に、スキーヤーたちも写真撮影に余念がない。


こちらは、日本百名山の一つである苗場山だ。平らな山頂が特徴的である。


反対側に目を転ずれば、魔の山として知られる谷川岳のトマの耳とオキの耳が見える。


また、下のほうには、ホテル群が見える。いとも簡単にこんな高い場所に来てしまったという感が強くなる。



ひとしきり、山頂で展望を楽しみ一気に4キロのダウンヒルを滑りホテルを目指す。


ホテル前の一角には、「パンダルマン広場」があり、子供専用のゲレンデとなっている場所があった。小さい子供も、こんな場所で遊ばせたら、スキーが大好きになりそうだ。


いくつかのコースを滑った後、ホテル内のレストランで昼食を済ます。幸いなことに、まだ天気はもっていた。降雪もないので、せっかくここまで来たからには、世界最長だという「ドラゴンドラ」に乗って隣にある「かぐらスキー場」まで足を伸ばすことにした。「ドラゴンドラ」の別名は苗場 - 田代ゴンドラといい、全長は5481mもあり乗車時間は20分近くも乗ることになる。因みに「ドラゴンドラ」の名称は松任谷由実によって名付けられたそうだ。


全長5481mのこのゴンドラの長さは半端じゃない。いくつも山を登ったり降りたりと、景色の変化がめまぐるしい。しかも、急降下する場面が何度もあり、ジェットコースターにのっているような感覚を味わえる。支柱に当りそうな角度で動いていく時は、おもわず叫び声をあげてしまうほどだ。




長いゴンドラを降りると、日本でも屈指の広さを誇る「かぐらスキー場」に到着した。ちょっと足を伸ばしただけなので、全エリアを滑るほどの時間はない。田代エリアだけを数回滑る。このあたりは、なだらかで広い斜面が多い。初級者向けのゲレンデが多いようで景色を楽しみながら滑るには気持ちよいゲレンデである。ここからも苗場山と神楽ヶ峰がよく見える。


また、反対側には、真っ白い雪を被った谷川連峰の姿も美しい。



リフトに乗ると、下の雪面には兎のような小動物の足跡が点々と残っていた。


かぐらスキー場であまりのんびりしているわけにも行かないので、再び「ドラゴンドラ」で苗場スキー場まで戻る。ゴンドラの窓からは木にかじりついた野生のサルたちを何度も見かけた。このあたりの山々には多くのサルが生息しているようだ。


苗場スキー場に戻った後は、数回リフトを乗り継いでホテルに戻った。いろいろ回っただけにさすがに疲れた。苗場温泉で疲れを癒してから、たくさんあるレストランの中からスキヤキとくしフライの店に入り夕食とした。



夕食後も、アルコールを持ち込んで部屋で二次会である。疲れているはずなのに、初めてのスキー場ということでみんな興奮していたのか意外と元気だった。ナイター終了後には、ゲレンデ内で花火の打ち上げがあり、雪の降る中での花火見物となった。そして、この日の夜はサッカーの日本対オーストラリア戦があった。私は眠ってしまったが、友人の一人は最後まで見ていたようだ。

夕方からの雪は、翌日もずっと降り続き日曜日は生憎の天気だった。この日は、2時間程度滑っただけで撤収である。若い頃のようにガツガツ滑るつもりもない。帰りの高速道路の渋滞も心配なので、昼前にはホテルを出て帰路についた。渋滞の時間帯から外れていたようで順調に帰ることができた。今シーズンの初滑り、まずは無事に終わった。

「イカロス」君は、しっかり働いていた

2011-01-30 22:15:10 | サイエンス
金星探査機「あかつき」が金星周回軌道投入に失敗した翌日の昨年12月8日、宇宙ヨット「イカロス」が金星から約8万キロの距離まで最接近し、撮影に成功していたそうだ。26日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、「イカロス」が撮影した金星の画像を公開した。

写真には、三日月状に輝く金星と、太陽電池を載せた帆や帆綱が写っている。JAXAは「SF(空想科学小説)と思われた宇宙ヨットが金星に到達した証拠」と説明している。この写真は、たしかにSF雑誌で見たことあるようなイメージだ。

イカロスは14メートル四方の樹脂膜を広げ、太陽光のわずかな圧力を受けて進む。膜面の液晶装置で光の反射率を部分的に変えることで帆の向きを変え、かじを切ったり加減速にも成功。既に約5億キロを航行し、膜上の装置で宇宙空間のちりの分布を明らかにする観測を続けているという。はるか彼方の宇宙でしっかり働いているのである。

「あかつき」は残念だったけど、「イカロス」がしっかり働いていることを知って、まだまだ日本の宇宙開発技術は捨てたものじゃないなと思った。

「Facebook」とりあえず登録してみた

2011-01-29 21:50:34 | インターネット
世界で5億人を超えるユーザーをかかえる世界最大のソーシャルネットワーキングサービス「Facebook」(フェイスブック)の創始者であるマーク・ザッカーバーグ氏と、その周囲の人々、急成長を遂げるFacebookを描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」が公開されている。

最近は、ネット上でも「Facebook」の文字がやたらに目立つようになってきた。アメリカでは、浸透率が70%とも言われ最もユーザー数が多いSNSでありGoogleを抜いてアクセス数が1位だという。ただ、日本での利用率は0.99%/ネットユーザー比率でまだまだ浸透率は低いようだ。

2009年12月24日時点でのmixiとの比較データでは、Facebook利用者(日本)が139万人、Facebook利用者(米)は1億971万人、mixi利用者は920万人と、日本ではFacebook利用者がまだまだ少ないのがわかる。

日本ではSNSといえばmixiだが、Facebookとmixiの違いは、Facebookが本名で登録し、基本的にかなりのプロフィールを公開し自分をアピールする場として使うことに対して、mixiは本名を使わなくていいし、公開非公開の設定が細かく出来て、自分や身近な友達との記録として使うというスタイルだ。どちらがいいかというのは、SNSを使う目的によって分かれるのだろう。

Facebookの利点は、実名でのユーザー登録が価値であり、自分の情報が他の利用者から信頼され、自分も正しい情報にたどり着けることにあると言われている。ただ、顔写真も当たり前のように公開するため、個人のプライベートな情報を誰もが知ることができるので、さまざまな弊害が起きているという。例えば、債権者に監視される、保険会社に支払いを拒まれる、離婚の際に不利になる、家族に秘密がばれる等である。

私も、mixi をやっていた時期があり、SNSの様子は大体分かる。最初は楽しかったが、のめり込んで義務的なものから苦痛になってしまった経緯があり、Facebookも同じようなものかもしれないしあまり積極的にやることはないだろう。まあ、新しいものを知っておくことも必要と思い、とりあえず登録はしてみた。実名から検索できるので、昔の同級生などで居所がわからなくなった人を探すには有効なツールかもしれない。まだ、使い勝手がよく判らないので、少しずつ覚えていくしかない。

パソコンが起動しなくなった!

2011-01-28 21:48:14 | パソコン
先日の朝、パソコンのスイッチを入れたら、画面がなかなか出てこない。どうもおかいしなと思っていたら、Windowsを起動できませんでしたと表示が出てきた。前日は、何の問題なく使えたのに何故か原因がわからない。とりあえず、修復を試みますかと出ていたので修復をかけた。しばらく待っていたが、なかなか終わらない。やっと終わったかと思ったら、修復が出来ませんでしたと出た。

これは困ったなと嫌な気分になった。だが、朝方でこれから会社に行かねばならないので、不安を抱いて会社に出かけた。もう一台ノートパソコンがあるので、メールチェックやブログ更新はできるのだが、大事なデータやらソフトが入っているし、最近バックアップをしっかりとってないデータもあったので、この日はパソコン壊れたらどうしようかと気になって仕方がなかった。

仕事を終えて帰ってくると、おもむろにパソコンの電源を入れてみた。さあ、もう死んでしまったかなと不安を抱きながら待っていると、あっけなく起動した。前回のシャットダウンが、正常でなかったので何らかの修復を行い、無事起動した。朝の状況は何だったのだろうか。こういう事がパソコンにはよくある。とりあえず安心したのだが、不測の事態に備えてすぐ様パソコン全体のバックアップを取っておくことにした。バックアップデータは、外付けのハードディスクに保存する。

現在のデスクトップパソコンは、Vistaから7にバージョンアップしているのでハード的には大分時代遅れの機械となっている。こんな症状が出てくるようでは、そのうち本当に死んでしまいそうな気もする。まだまだ使いこなしていきたいが、基板とかが不良になったら駄目かもしれない。なんとか当分の間、無事に使えるようにいてほしいものだ。

「遠州山辺の道」コースガイドその2

2011-01-27 00:14:40 | マラソン
「遠州山辺の道」のコースガイドその1からの続きである。今回は、梔池緑地から尾野の大宝寺までの7.7キロ(本ルートと支ルート合わせて)を紹介する。

コースマップはこちらを参照。
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/b6d44b46804ec7c0802f2e8c02530fb9

コースガイドその1はこちらを参照。
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/e490b04136bcbadc779a643962ff4f03

梔池緑地までは車で行く。駐車場に車を止め、五反田川沿いに北へ向かい最初の橋を右折し、橋を渡ってすぐの左の細い道を進む。最初に出会う五叉路が野口の辻である。古くからの交通の要所で、龍燈や宮口三十三観音(8番から12番)がある。野口の辻から東に進むと大子堂と宮口三十三観音(1番から7番)がある。


宮口段ノ下交差点を過ぎてから左折すると龍燈が見える。更に進むと、宮口有隣北の交差点になる。この道は軽便道と言われ、昭和初期の軽便鉄道の軌道跡である。ここで、用水沿いの細い道に入る。


しばらく進むと、昔宿場町として栄えた宮口の町並みとなる。この辺りの地酒で有名な花の舞酒造の古い建物も見えてくる。


直進すると、遠江の庚申信仰の中心地であったと言う庚申寺の山門となる。


山門の四隅には猿がのっている。左が聞かざる、右が鬼門避けの猿。


左が言わざる、右が見ざるだ。


庚申寺からは、麁玉小学校横から天浜線の踏切を渡り、蛭沢池から明神池運動公園まで進む。


明神池運動公園の中に入り、野球場沿いの歩道を進む。野球場では、少年野球の練習が行なわれていた。


歩道の途中には、大屋敷5号窯跡がある。平安時代後期(11世紀)の灰釉陶器を焼成した窯跡である。階段を上がってちょっと見学した後、元に戻り明神池運動公園をぐるっと回る。


夜水沢池の看板のところで下におりて行くと、天浜線のガード下をくぐる。


ガードを抜けると、きれいに整備された沢が流れている。沢が流れ込む夜水沢池では釣りをしている人たちも見える。


細い道を先に進むと、こんもりとした藪が現れ八幡神社の裏手に出る。表に回ると、麁玉出身の防人若倭部身麻呂の万葉歌碑「わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず」が建つ。


再び、庚申寺前に出て線路沿いに天浜線の宮口駅に向かう。駅のホームには、庚申寺の山門の四匹の猿の絵が描かれている。


宮口駅前の曲がり角で「遠州山辺の道」の道標を初めて見つける。興覚寺の先が六所神社参道だ。常夜燈がずっと奥まで並んでいる。


参道の脇に入った奥には、鎌倉時代につくられたという「大屋敷墳墓」がある。藪の中にあり、なんとなく不気味な感じがする。そして、六所神社の前を通過する。


最近できた広い舗装道路にはいり、最初の交差点を左折する。ここにも「遠州山辺の道」の道標がある。目の前には、こんもりと盛り上がった形の高根山が見える。高根山では第二東名の工事に伴いたくさんの古墳群が発見されているそうだ。


高根神社参道から、薄暗い山道を登っていく。


ジグザグの参道を上がっていくと、蚕の神として信仰を集める蚕養神社があるが、うっかりすると見落としてしまいそうな小さい神社だ。さらに上にあがって行くと高根神社だ。本殿は巨岩上の小さな社で、巨岩を神が来訪する神聖な場所として祀った場所であったらしい。


高根神社からは、浜松市内の展望が素晴らしい。遠くにはアクトタワーも見える。神社の後ろには、急峻な岩場がありクサリにつかまりながら登ることにする。


岩場を登りきると平坦な尾根に出る。尾根上には高根山古墳があり、横穴式の石室が露出している。一旦高根神社まで戻り、金刀比羅神社に向かう。金刀比羅神社はこの地域の氏神で境内には芭蕉等の句碑や歌碑が建っている。


金刀比羅神社の長い参道石段を下る。両脇には常夜燈が配されており、大宝寺裏の鳥居に出る。


今回は、ここまでで帰ることにした。あとは、国道362号、軽便道を通り、宮口有燐北からは天上川沿いに走り梔池緑地に戻った。今回の全走行距離は「遠州山辺の道」を含めて11.7キロほどであった。もう一回行けば全コース走破できそうだが、今月は無理なので2月になってしまいそうだ。

大阪マラソン コース発表される

2011-01-26 00:10:59 | マラソン
今年10月30日に初めて開催される大規模市民マラソン「大阪マラソン」のコースが発表された。コースは大阪城公園前をスタートする。その後国立文楽劇場、御堂筋を通って大阪城近くで折り返し、再び御堂筋を通って京セラドーム、通天閣を経由して大阪南港の国際展示場「インテックス大阪」をゴールとするようだ。

種目は、一般と車いすランナーらが参加するフルマラソンと、距離の短いチャレンジラン(8・8キロ)の2種目になる。大阪府の橋下徹知事もチャレンジランに参加する予定だという。定員はマラソン2万8000人、チャレンジラン2000人の計3万人。申し込みは2月15日から、大阪マラソンのホームページか郵便振替で受け付けるとのことだ。

受付方法は、2月15日から1ヶ月間受け付け、定員を超えた場合は抽選になるようだ。これは東京マラソンと同じである。問題は、個人でエントリーすると11000円かかる(チャリティ含む)のだが、グループエントリー(7人まで)だと103500円(グループ全体で)もかかる。7人集まれば一人頭14800円弱である。チャリティだと思い奮発してグループ参加したほうが当選確率は高いのだろうか?個人だと仲間同士でいけない確率が高く、悩むところである。


噛み付きサル「らっきー」無事捕獲

2011-01-25 23:25:09 | ニュース
昨日のニュースには驚いた。静岡県三島市で昨年118人に噛みつくなどお騒がせの噛み付きサルの「らっきー」が、係員が清掃するために檻の中へ入った際の僅かな隙に逃げ出したというのだった。サル自身は、この瞬間をまさにラッキーと思ったに違いない。

とはいえ、前科者のサルだけに、付近の住民たちの不安は倍増したに違いない。昨年捕獲されるまでには、相当の日数、人員、懸賞金をかけての捕獲劇だっただけに、今回の脱走は、管理者側の重大な失策である。逃げ出した原因は、鍵のかけ忘れという単純なミスだ。再び、逃げだしたサルが多数の人に噛み付くという事態が起きるのではないかと心配した。

幸い、今日のニュースでは、逃がしてしまった飼育担当者本人が「らっきー」を無事捕獲したということだったので安心した。長期にわたる脱走にはならず、住民たちも一安心だろう。今後は、飼育側もしっかりした管理体制をとってもらいたいものである。

ただ、捕獲はできたものの、サルの名前が「らっきー」というのは如何なものかと思う。捕獲されるまでのサルの行動が、いいことだったら納得もするが、人間にとってはアンラッキーな行動ばかりのサルだ。なぜこんな名前に決まったのか、未だに理解できない。

2011金剛山登山

2011-01-24 21:41:43 | 山登り
金剛山へは、土曜日の夜から出かけた。大阪府で唯一の村である千早赤坂村の道の駅で明け方まで仮眠する。エンジンを切って寝ていたが、明け方冷え込んできて我慢できずにエンジンをかけて暖まる。そこから登山口までは10キロほどだが、順調に進み7時半頃登山口の駐車場に到着する。人気の山らしく、有料駐車場がいたるところにある。車から降りて準備していると、登山者があっちこっちから現れてきた。

まずは、千早しいたけセンターのある表参道から登りだすことにする。トイレのある有料駐車場の横から歩き出した。駐車場の車のナンバープレートを見ると、全て大阪府内のナンバーである。


歩き出してしばらくは斜面に雪がみられるくらいでたいした雪ではなかった。アイゼンも着けずに進む。


やがて雪が増えてきた頃、道端を見たら、可愛いウルトラマンとバルタン星人の石像を見つける。面白いものを見つけて顔が緩む。


その先には、「夫婦」についての含蓄のある言葉が記されてもいた。
20代は愛で
30代は努力で
40代は我慢で
50代は諦めで
60代は信頼で
70代は感謝で
80代は一心同体
そしてそれからは空気のようなふれ愛

なるほどと納得する。

まだ、きつい斜面ではないので、まだ、アイゼンは着けずに進む。自分たちは、結構早い時間帯から登りだしたはずであったが、意外と下山してくる人が多いのが気になった。みんな軽装でアイゼンだけ着けて走るように下ってくる人が多い。それも年長者が多いのである。この辺りの人は健脚な中高年だらけなのだろうか。不思議な疑問を感じた。この謎は、山頂に行ってから解けた。


さて、次第に急坂になってきて、滑りやすくなりついにアイゼンを装着する。表参道は何合目という表示があり、どこまで来たかが判りやすい。8合目辺りからついに霧氷が現れた。日が射していたので霧氷がなくなってしまわないか気がかりであったが、まだ感激に値する霧氷の樹林帯となっていた。白い花で山が埋まっているような不思議な光景である。青空をバックに眺めると桜が開花したような雰囲気である。




霧氷をアップで撮った様子。日が当たりキラキラしてる様は美しい。



やがて、金剛山山頂前の売店のある広場に到着する。ここで、朝早くから下山者がやたらに多かった理由がわかった。広場には、金剛山に登拝した人の名前が、回数が多い順に張り出されていたのだ。最高は、何と1万回以上の人がいる。それより下は、5千回、2千回、千回とすごい数の人の名前が張り出されているのだ。山頂で、スタンプを押してくれるらしくみんな登拝の回数を競っているようなのである。恐るべし大阪人!中には一日何回も上り下りしている人もいるに違いない。


売店前を右に行くと葛城修験道総本山の転法輪寺となる。階段を上り参拝してくる。


金剛山山頂は、売店前を左に行った国見城址になる。ここからは南河内一帯が見渡せる展望がいい場所だ。1125mの山頂を示す看板の隣には時計があり、10時2分を示していた。


山頂からの霧氷の展望は、また格別に素晴らしかった。


山頂前の広場は特別広く、大勢の登山者が集まってきた。


金剛山は、関西では最もハイカーが多い山として知られているそうだ。関東で言えば、高尾山のようなものである。山頂で休憩を始めると、登山者がどんどん増えてきた。しかも、ユニークな人も多い。半袖で、勝手に歌を歌いだすおっちゃんや空手の雪中訓練を始めだすグループなど人を眺めるのも面白い。


時間は早かったが、日当たりがよく展望がいい場所なので早めのお昼にすることにした。今回のメニューは、チ-ズフォンデュ、焼き鳥、お汁粉など和洋折衷のメニューだ。


山頂でゆっくりしたあと、転法輪寺の本堂前を右に行き葛木神社参道を歩く。


五分ほどで、葛木神社に到着する。葛木神社の由来は、修験道の祖として知られる役行者が葛城山東麓の御所市茅原の生まれで16歳の時にこの山に登り長い修行の後、金剛山「転法輪寺」を建立、併せて自分の祖先である一言主神を祀るため「葛木神社」を建て、神仏混淆の霊峰としたということだ。


葛木神社の奥が、金剛山最高峰の葛木岳となるが、神域とされ一般の人は立入り禁止となっている。


葛木神社参道にも「男の一生」としてこんな言葉が記されていた。

20代は志を高く
30代は仕事に燃えて
40代は功を焦らず
50代は寛容を以って
60代は引き際よく
70代は時を遊び
80代は自由を楽しみ
そしてそれからはいぶし銀のように幽玄の境で

このような男の一生をおくれたら悔いが残らないのかもしれない。

その後、標高1112mの湧出岳を経て360度の大展望が楽しめる展望台に立ち寄る。展望台は冬場の霧氷展望ポイントとして人気がある場所である。だが、お昼を過ぎて霧氷がだいぶ溶け始めていた。やはり朝早いほうが、きれいな霧氷が見られたに違いない。このあたりは山上ちはや園地として整備されており、雪遊びを楽しむ家族連れで賑わっていた。


ちはや園地から伏見峠を経て、念仏坂を下る。ほとんど一直線に下るような急な坂道である。上ってくるのもつらそうな下り坂だ。


ながーい念仏坂を下りきると、車道に到着する。ここでやっとアイゼンを外すことができた。


本来なら、この先の車道を1時間かけて歩いて駐車場まで戻る予定であったが、アスファルトの道を1時間も歩きたくなくなった。近くのバス停の時間をみたらすぐにバスが来ることがわかったので少し待ってバスで駐車場に戻った。バスに乗るとあっという間に駐車場に到着である。早めに着いたことで、帰りの時間に余裕ができた。天気に恵まれ、楽しい雪山歩きが出来た。

金剛山の霧氷は素晴らしかった

2011-01-23 22:07:14 | 山登り
今年の冬山として選んだのは大阪の金剛山だった。金剛山は年間を通して大阪の人たちに愛されている山であるが、冬の時期は霧氷が有名だと聞いており今回はそれを見るのを楽しみに出かけてきた。

霧氷(むひょう)とは、氷点下の環境で、空気中の過冷却水滴もしくは水蒸気が、樹木その他の地物に衝突して凍結もしくは昇華することでできる、白色~無色透明の氷層の総称。いわば自然現象としての着氷現象である(wikipediaより)。

今日は、天気がよくて晴れ間の中、霧氷をしっかり見学できた。詳細については、後日アップする予定だ。

畑に防草シートを張る

2011-01-22 19:03:39 | 


今日は、朝からいい天気となり、この間からやり残していた畑仕事をすることにした。正月に植樹した果樹の周りに草が生えないよう防草シートを張るつもりだったのだ。シートとピンはずっと前に買っていあったのだが、なかなか出来なかった。朝一番で片付けてしまおうと思い急いで畑に向かった。

風があまりなかったので作業は順調に進み、1時間ちょっとで予定の場所に張りおえる事ができた。そのあと、パンジーやボタン、チューリップを植えてある辺りに水遣りして一通り終わる。

本当は、もっと水遣りもしっかりやりたかったのだが、この後、先日手首を骨折した妻が一泊入院手術をして退院することになっていたので、急いで病院に向かった。ブログを見て心配してくれた人たちもたくさんいたようで、経過報告する。結構複雑な折れ方をしたのでギブスだけで固定するのは治りが遅くなり、障害が残るかもしれないというので骨折した部分に金属をあてがい固定するという手術を施すことになった。手術は順調に終わり、その後家に帰ってきた。本人は元気であり、一週間後に抜糸の予定だ。

あとは食事の準備が大変である。スーパーで買い物をしてから、お昼の支度をして昼食を済ませた。とりあえず自分で食べることはできるので助かる。午後の時間は、久しぶりにランニングに出かける。コースは、先日走った「山辺の道」の続きを走ることにした。道が判らず、何度も行ったりきたりしながらだったが、3時間近くかけて全コースの1/3ほどを確認した。前回の分を入れると2/3は走った。詳細は、後日アップすることにする。

今日は、やることが一杯あって忙しい。