とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024高塚山

2024-10-29 16:24:49 | 山登り
先週末は浜松市天竜区の高塚山1621mに登ってきた。高塚山は、日本三百名山の一つで南アルプス深南部の秘境の山でもある。ところが、登山口の山犬段までの林道が2019年の大規模なのり面崩落で一般車両は通行止めになり、通行再開のめどは立たなくなっていた。しかし、昨年から川根本町が、南アルプスがユネスコエコパークに登録されて10年となる記念事業の一環として、登山客やハイカーを乗り合いタクシーで送迎する事業を始めた。今回は、その事業に乗っかってタクシーで山犬段まで行くことが出来た。

川根本町役場に各自現地集合という事で、マイカーで集まり、7時出発の乗合タクシーに乗る。我々のグループは5人だが、他3人の登山者が同乗し、運転手とガイドの2人を加え、10人で山犬段へ向かう林道を走る。落石だらけの林道をゆっくり走り1時間半ほどで山犬段の駐車場に着く。


山犬段には、キレイな避難小屋がありトイレもある。


タクシーに同乗してくれたガイドの方が、周辺の山や植物の話などを説明してくれた。


ガイドの説明が終わり、8人の登山者で山犬段から登山開始だ。しばらくは、緩やかな道で短い丈の笹原の中を進む。この辺りはヒルがまだいるかもしれないとの話だったが、さいわい見かけることはなかった。


登山道の途中からは、南アルプス南部の光岳から、尾根通しに南下すると達する黒法師岳が見える。黒木に覆われた三角形の特徴ある山だ。昔、登ったことがあるが、一等三角点のマニアには特に注目されている山で、三角点に刻まれている「+」印が、「×」印になっている。こんなに近くに見えるとは何故かうれしい。


最初のピークである蕎麦粒山までは、ややきつい上りとなる。


山犬段からは30分ほどで蕎麦粒山1627mに到着する。蕎麦粒山までは、林道が通行可能な頃には一度来たことがある。


蕎麦粒山からは、富士山がくっきり見える。曇り空の日だったが、意外と周辺の山々の展望がいい。


蕎麦粒山からは、三ツ合山を経由して高塚山1621mに1時間半ちょっとで到着する。林道南赤石線が昭和51年に開通するまでは、秘境の山だった。黒法師岳の南西に派生する稜線の尾根上にあり、天竜川の支流、気田川の源流部にそびえ、山名は、高塚山の南麓にある京丸集落から眺めて高い山という意味で、山頂に二等三角点を埋設するときに呼ぶようになったといわれている。日本三百名山に選定されているので、タクシーが運行するようになり三百名山狙いの登山者が各地から来ている。我々以外の登山者は、神奈川や東京からだという。


高塚山山頂で昼食を済ませ、元来た道を下山する。


高塚山までは、二つのピークを乗り越えてきたので、帰りも急な上りが2回はある。


下山時は、紅葉をじっくり楽しみながら歩く。




心なしか、行く時よりも紅葉が進んだ気がする。


14時過ぎに山犬段に無事到着する。避難小屋の中を覗くと、結構広くてキレイに整理されている。


迎えのタクシーは15時頃なので、余裕がある時間に戻れてよかった。曇り空だったが、周辺の山々はくっきり見え、富士山はじめ黒法師岳、大無間岳など深南部の山々も遠望できた。また、紅葉も楽しめ、手つかずの自然と静かな山歩きが楽しめた1日だった。

参考1.高塚山の高低図&コースタイム


参考2.高塚山のコースマップ

2024袈裟丸山登山ツアー:2日目袈裟丸山登山

2024-10-24 18:34:52 | 山登り
宿を6:30に出発して40分ほどで袈裟丸山の折戸登山口に着く。途中から細い林道となり、カーブが多く落石もあったりしてパンクに注意しながら進むが、一応舗装路だったので未舗装道路よりはましだった。


登山道に入ると、いきなりの急階段。


しばらく急坂を上る。


やがて開けた尾根道に入り、ススキの原に出る。


この日は、全国的に快晴になるとのことで、日差しが木々の間からこぼれてくる。


紅葉も予想通り始まっている。


笹原の中を進む。


開けたところには展望台があり、周囲の展望が出来るのだが、展望台の周りの木の枝が伸びてきていて思ったより展望が悪い。


少し下ったところまで行くと、賽の河原と呼ばれる場所に出る。岩がゴロゴロしていて小石があちこちに積み上げられている。




お地蔵さんのような石もある。


ルートから少し外れた場所に、機械のようなものが見えたので寄ってみると、雨量計が設置されていた。


さらに進むと、赤くきれいに色づいた木々が出てくる。


谷あいの紅葉もきれいだ。勝手に紅葉谷と名付ける。


小丸山1676mを通過。


こちらは白樺と青空が美しい。


白樺林の中には、黄色いドーム型の避難小屋とトイレがあった。


避難小屋を過ぎると最後の急坂となる。ロープを持って岩をよじ登る。


袈裟丸山(前袈裟丸山)1878mに到着する。


前袈裟丸山から後袈裟丸山へのルートは、風化が激しく危険という事で通行禁止となっている。


木々の間から、後袈裟丸山の姿だけを見ていく。


山頂で早いランチ休憩。


その後は、元来た道を下山。行くときに寄った雨量計のある場所の紅葉がキレイなので、写真を撮っていく。


この辺りを住処としているらしい鹿の親子に遭遇。


下山も藪漕ぎだ。


見晴らしのいい草原の斜面に戻ってきた。


紅葉の樹林帯をバックにいい景色の場所だ。


13:30頃、無事下山。この日はかなり冷え込むとの予報だったが、ほとんど寒いことはなく気持ちよい登山日和の一日だった。


その後、温泉に寄りながら足利市駅に戻り、帰路についた。

参考1.袈裟丸山の高低図&コースタイム


参考2.袈裟丸山のコースマップ

2024袈裟丸山登山ツアー:1日目足利市観光

2024-10-23 10:48:40 | 観光
今まで行ったことのない方面の山にも足を延ばそうと思い、栃木県と群馬県の境にある袈裟丸山に行くことにした。袈裟丸山(けさまるやま)は前袈裟丸山・中袈裟丸山・後袈裟丸山・奥袈裟丸山・法師岳の総称のことで、三百名山の一つに数えられている。一般的には前袈裟丸山がこう呼ばれる。ただ、前袈裟丸山と後袈裟丸山との間のルートは通行止めとなっているので、前袈裟丸山までのルートだけで良しとした。

まずは、JRと私鉄を乗り継ぎ足利市まで行く。1日目は半日ほど時間があったので、初めての足利市の観光をすることにした。

まず、向かったのは足利学校だ。下野国足利荘(現在の栃木県足利市)にあった、平安時代初期(もしくは鎌倉時代)に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関で、日本最古の学校と呼ばれている場所である。


足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され、「坂東の学校」と称されたという。


中に入ると、観光ボランティアの人がいて、施設の案内をしてくれるという事でガイドをお願いする。ガイドさんの説明によると、学校と呼ばれる場所は、ここの場所のことで日本には一つしかなかったという。それがいつの間にか、学問を学ぶところが日本中に広がり、それらと区別するために足利を付けるようになったというだ。


学校門の手前には、儒学の始祖である孔子の像が建っている。これは、ふるさと創生事業の1億円で足利市が中国の業者には発注してできたものだという。したがって、狛犬や龍のデザインも中国式で日本とはやや違うようだ。


狛犬は左右でオスメスの違いがあるのだが、メスは足で子供を踏みつけている?というのがポイントらしい。


そして、龍の指は日本式では3本だが、中国式では5本になっているという。


そこで、足の指が5本かどうか触って確かめてみる。


方丈と呼ばれる建物。この中で、学生が勉学に勤しんだといわれる。


玄関から中に入ると、竈などがあり、天井まで吹き抜けになっている。


孔子座像。


足利学校を出て鑁阿寺に向かう途中で、足利尊氏の立像があった。足利尊氏は、室町幕府を開いた初代征夷大将軍で、足利将軍家の祖として知られている。


その先にあるのが、鑁阿寺(ばんなじ)だ。鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山で、山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来が祀られている。


境内には国宝指定の本堂など貴重な建物が多い。また、約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。またこの事から「史跡足利氏宅跡」として、「日本の名城百選」にもなっている。


次に向かったのは、足利織姫神社だ。足利はその昔、機織りの街として栄えていた。1705年、機織りの神社がないことに気づいた戸田忠利により、織姫山の中腹に遷宮されたのが始まりだという。足利織姫神社のご祭神は、機織りの神様「天御鉾命(あめのみほこのみこと)」と、織女であった「天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)」である。足利織姫神社の鳥居をくぐると、総数229段の階段が見える。この階段を上ってから参拝すると願いが叶うとされているため、石段に挑戦してみる。


229段というので数えながら登ってみるが、そのうちキツクなってどうでもよくなったが、何とか登り終える。振り返ると足利市内が良く見え、遠くには富士山やスカイツリーも見えた。


ご祭神の二柱は、機を織って天照大神に献上していたといわれている。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を織りあわせてひとつの生地になることから、男女の結びつきを強める縁結びの神社として知られ、カップルも多い。


参拝を終えると、七色の鳥居をくぐって降りていく。この七色の鳥居は、足利織姫神社の「七つの御神徳」を表現している。神社からみて「人」との縁を結ぶ赤の鳥居から始まり、「健康」と縁を結ぶ黄色、「知恵」と縁を結ぶ緑、「人生」と縁を結ぶ青と続きます。「学業」と縁を結ぶ若草色に、「仕事」と縁を結ぶ朱色、「経営」と縁を結ぶ紫色と、鮮やかな鳥居をくぐっていく。




さて、足利市といえば自分の中では、渡良瀬橋のイメージが強い。大ファンである森高千里の「渡良瀬橋」という歌で頭にインスパイアされている。ここからは、「渡良瀬橋」の聖地巡礼に向かう。広い道路を歩いていくと、交差点の角に今ではなかなか見られない公衆電話ボックスがあった。ここだと思い、横断歩道を渡り反対側の道に出る。


やはり、「床屋の隣にポツンとある公衆電話」の歌詞通り、床屋さんもしっかりあった。出窓には、森高のポスターも貼ってある。


そしてその先にあるのが八雲神社だ。八雲神社はおよそ1100年ほど前の創建とされる歴史ある神社で、「渡良瀬橋」の中でも歌われている。


2012年12月に火災で焼失してしまったが、再建を求める声を受け、翌年2月には復興再建委員会が組織されて全国各地から支援金が寄せられた。森高千里も市内で開催したコンサートで支援を呼び掛けたことにより無事再建できたという。


そして、最後に向かったのは、渡良瀬橋の袂にある「渡良瀬橋」の歌碑だ。


近くのボタンを押すと、森高千里の歌が流れてくる。


歌碑の場所から渡良瀬橋を眺めてみる。


渡良瀬橋からは、きれいな夕焼けと赤城山が見える。


渡良瀬橋を渡り足利市駅に戻る。荷物を回収後、駅前のレンタカー屋さんで車を借りて、みどり市の宿に向かう。翌日に袈裟丸山に登る予定だ。

「2024袈裟丸山登山ツアー:2日目袈裟丸山登山」に続く。

2024東北紅葉登山ツアー:3日目栗駒山

2024-10-11 18:48:49 | 山登り
3日目の天気も今ひとつ。早朝からガスが立ち込め視界は少ない。とりあえず、須川高原温泉前でスタート前の記念撮影。


緑色の源泉が流れる須川高原温泉の露天風呂の横を通って登山口に向かう。


源泉の湯滝の上にあるのは、温泉神社だ。ここで登山の安全を祈願していく。


熱気の漂う湯滝にかかる木道を進む。


すぐに須川高原温泉の蒸し風呂を覗いていく。別名「おいらん風呂」とも呼ばれ、湯あみで硫黄臭がつくのを嫌がったおいらんが蒸し風呂を好んだところからついたともいわれる。


蒸気の噴出口が、煉瓦で塞がれているが、使用するときは煉瓦を外し、ござを敷いてその上に寝ころび蒸気を浴びるようになっている。


名残ヶ原の入り口で、コースマップを確認する。


ガスの中、名残ヶ原の湿原を通過する。


最初の渡渉が始まる。ここが三途の川だと思っていたが、まだ早かった。


2番目の渡渉地点が、三途の川だった。


産沼に到着する。


産沼を過ぎると、栗駒山の斜面が広がっている。ガスがいつの間にか取れ、紅葉が一面に広がっているのが見える。


期待していた通りの素晴らしい紅葉が広がっている。


上に進むにしたがって、雲が薄くなり晴れ間が広がってきていた。




みんな見渡す限りに広がる紅葉の絨毯に感動。写真を撮りまくり始める。




いつの間にか日が差してきた。




栗駒山山頂1627mに到着。


山頂周辺は風が出てきたので、風が当たらない木の陰で昼食休憩をする。やはり、紅葉シーズンは人気があって大勢の登山者が山頂周辺で行き交う。下山も、元来た道を戻っていくが、行く時とまた雰囲気が違い、日が当たった斜面の紅葉を楽しんで歩ける。






標高が下がると、赤から黄色が主となってくる。

須川高原温泉に戻ってくると雨が降り出したが、雨具を着るまでもなくギリギリセーフだった。その後、栗駒山荘の温泉に入って帰路についた。

参考1.栗駒山の高低図&コースタイム


参考2.栗駒山のコースマップ

2024東北紅葉登山ツアー:2日目焼石岳

2024-10-10 13:32:31 | 山登り
2日目の朝は、朝食を弁当にしてもらい5時半に宿を出発する。ただ、朝から雨が降り出し、1日曇りだという予報が外れていた。しかも、国道から林道に入ると未舗装道路が続き、車のスピードを出すことが出来ない。

駐車場に着くと、既に10数台の車が止まっており、悪天候にかかわらず大勢の登山者が登りだしていたようだ。

雨具を着てスタートの支度をしていると結構時間がかかり、6時半のスタートになってしまった。焼石岳の登山口はいくつかあるうちの最も早く登れる中沼登山口だ。


登山口で、スタート前の集合写真を駐車場整理の管理人に撮ってもらう。


雨の中、濡れた岩が多い登山道を進む。土のところは、ぬかるんで滑りやすい。


1時間ほどで、中沼に到着する。


中沼は、ガスに覆われうっすらとしか見えない。


中沼の周辺は湿地帯となっており、木道が濡れて滑りやすい。


2時間で銀明水に到着する。


岩の隙間から冷たい水が湧き出している。


更に先に進んでいくと、曇り空ながら美しい紅葉が見られるようになってきた。




平原のところに来ると、鮮やかな草紅葉の原が広がっている。




姥石平まで来た。ここまでこれば山頂までもうちょっとだ。


ガスがすこし晴れると、山の斜面は一面紅葉だ。


泉水沼からは、もう一のぼりだ。


焼石岳1547mに到着する。山頂まできてもガスで覆われほとんど展望はない。


山頂は風があって、寒いので泉水沼まで降りて昼食休憩とする。


この頃からガスが取れ始め、景色が広がってきた。




登るときは、あまり気付かなかったが、登山道の周りも鮮やかな紅葉が広がっている。焼石岳は、紅葉が素晴らしいと聞いていたが、期待通りの景色を見ることが出来大満足だった。


下山すると、駐車場には数台の車しかなく、我々がほぼ最後のグループだったようだ。その後、車を走らせ須川高原温泉に向かう。

参考1.焼石岳の高低図&コースタイム


参考2.焼石岳のコースマップ

「2024東北紅葉登山ツアー:3日目栗駒山」に続く。

2024東北紅葉登山ツアー:1日目猊鼻渓

2024-10-09 11:38:14 | 観光
10月に入って最初の登山は、東北方面の紅葉を見に行くことにした。まず一日目は、移動のみで東北新幹線の一ノ関駅で下車する。ホーム内には、なぜかピカチュウがお出迎えだ。


ちょうどお昼を過ぎていたので、一ノ関駅近くの「ふじせい」という店に寄っていく。ここは、一ノ関の郷土料理であるもち料理を気軽に食べられる店だ。箸休めの大根おろしに9種類のもち料理(あんこ餅・ずんだ餅・くるみ餅・ごま餅・じゅうね餅・納豆餅・ショウガ餅・ふすべ餅、引き菜のお雑煮)の入った「ひと口もち膳」をいただく。


昼を済ませると、駅前でレンタカーを借り、猊鼻渓まで移動する。猊鼻渓は、日本百景の一つにも数えられ、砂鉄川の浸食でできた高さ100メートルの絶壁に奇岩、洞窟、滝など迫力のある絶景が広がる景勝地だ。


猊鼻渓名物といえば、船頭が棹一本で操る「舟下り」だ。どの船も満員で、続々と観光客が乗船していく。


早速我々も乗船し、船下りに出発する。船頭さんは、この日がお客を乗せての初めての操船だという事で、ちょっと心配だったが、ベテランの船頭がもう一人付いていたので一安心する。


絶壁の木々は少し色づき始めており、紅葉シーズンはなかなか見ごたえがありそうだ。


船頭の案内を聞き、景色を見ているうちに船は進んでいく。


長さ約30mの鍾乳洞「毘沙門窟(びしゃもんくつ)」の内部には毘沙門天が祀られ、設置された賽銭箱にお賽銭を投げることができるというが、船が近づかないと賽銭箱に入れるのは難しい。


前の方には、折り返して戻ってきた船が見える。


川の流れはほとんどないので、船が揺れることもなく景色をゆっくり眺めていられる。


人の顔のように見える岩。


折り返し地点の船着き場から岸に上がり、散策する。


猊鼻渓一の大きさを誇る岩壁「大猊鼻岩(だいげいびがん)」をバックに記念撮影。


橋を渡り、「大猊鼻岩」の岩穴に粘土玉を投げ入れる「運玉投げ」場に向かう。縁や愛、寿、財など、約10種類の粘土玉の中から自分の願いにあったものを選び購入したら、岩穴に粘土玉を投げ入れる。穴に粘土玉が入ると、願いが叶うと言われているが、穴に入れるのはなかなか難しい。


散策が終わったら、ふたたび船に乗って帰路につく。後半のハイライトはベテラン船頭さんによる舟唄。舟を漕ぎながら、猊鼻追分を声高らかに披露してくれる。静寂に包まれた渓谷に響き渡る舟唄はなんとも心地よく、時間の流れがゆるやかに感じられる。


往復90分の船下りが終わり、駐車場に戻るとき、川の上に架かった線路の上を、ピカチュウがラッピングされた列車が通っていった。後で調べたら、一ノ関・気仙沼間を運行しているPOKÉMON with YOU トレインという観光列車だった。どうりで、大勢の人がカメラを構えていたわけだ。


猊鼻渓を出ると、焼石クアパーク「ひめかゆ」に向かう。「ひめかゆ」に宿泊して、早朝から焼石岳に登る予定だ。

「2024東北紅葉登山ツアー:2日目焼石岳」に続く。