今回宿泊した宿坊は、高野山宿坊教会近くの高室院だ。30人くらいの団体と、10名くらいの個人客が宿泊していた。早朝6時からのお勤めに参加し、住職のお話が終わったのは7時15分前くらいだった。7時ちょっと前から朝食となり、食べ終わると早々に旅立ちの支度をして、高室院を後にする。
7:24。奥の院の入り口に到着する。まだ、参拝者は少なく鬱蒼とした木々の間を進んでいく。
参道を進んでいくと、司馬遼太郎の碑があった。司馬遼太郎は、空海の思想と生涯を描いた小説「空海の風景」など高野山ゆかりの著作があり、碑文には、高野山について「日本国のさまざまな都鄙(とひ)のなかで、唯一ともいえる異域ではないか」と刻まれている。
さて、この参道には様々な戦国武将たちの墓が立ち並んでいる。たくさんあって、全てを確認したわけではないが、名のある武将の墓があちらこちらに見られた。まず、こちらは薩摩島津家の墓所だ。
武田信玄と子である武田勝頼の墓所。
これは、弘法大師の腰掛け石。
木々の隙間から太陽の光が、石塔を照らす。
加賀前田家供養塔。
豊臣家墓所。豊臣秀吉とその母、弟秀長など豊臣一族の墓がある。
織田信長の墓所。他の武将と比べ、シンプルな墓所だ。
7:50。御廟橋まで来る。ここからは、弘法大師御廟の霊域に入るとされ、この橋を渡るとき弘法大師が迎えてくださり、帰りは見送ってくださると言われているそうだ。脱帽して、服装を正し一礼して橋を渡る。この先は、写真撮影が一切禁止となっているので、写真がない。
奥の院の弘法大師御廟に巡拝して、やっと最後の最後の御礼参りが終わった。納経所で、最後に残った高野山奥の院のページに、墨書と御朱印を貰い、二か月半がかりで御朱印帖が全て埋まった。これで、やっと一つの目的が終わったと、大きな達成感に包まれた。奥の院の納経所は、早い時間だったから良かったものの、昼間であれば1時間も待たされることもあるそうだ。朝早く行って全てが順調に済んだのである。
8:20。奥の院を出ると、気持ちがいい天気となり、朝の空気が心地よかった。
9:00。奥の院前から、バスで高野山ケーブルの高野山駅まで移動する。
バスを下りると、すぐにケーブルカーが上がってきたので乗車する。
この高野山ケーブルは、最急勾配562.8‰(29°22')、最緩勾配でも273.9‰(15°19')という日本有数の傾斜を持つという。海抜539mの極楽橋から867mの高野山まで高低差は約330m。830mの距離で、これだけの高低差があるのだから、その傾斜は相当キツイ。
9:14。ケーブルの終点極楽橋駅に到着する。駅に降り立って、周りを見てビックリ。降り立ったお客のうち日本人は、私を入れて3人しかいない。あとはみんな外国人ばかりだった。如何に高野山は、外国人観光客が多いかと実感させられた。
30分ほど電車に揺られ、九度山駅で降り、車を止めた道の駅へと向かう。その途中、真田庵があったので立ち寄ってみた。善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田昌幸、幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺だ。
真田地主大権現。このお寺で、怒った姿の昌幸の霊がたびたび見られるようになったので、大安上人が昌幸の霊をこの地の大権現の神様にして祀ったという。その後、穏やかな顔になった昌幸が現れ、祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束し、真田地主大権現となった。
帰り道のガードレールには、“平成28年度大河ドラマ「真田丸」制作決定”の幟が張られていた。来年は、この九度山も観光客で賑わうことは間違いない。
10:30。道の駅に無事戻り、早々に帰宅する。出だしは雨だったが、帰りは好天に恵まれ気持ちよくお遍路を打ち終えることが出来た。
7:24。奥の院の入り口に到着する。まだ、参拝者は少なく鬱蒼とした木々の間を進んでいく。
参道を進んでいくと、司馬遼太郎の碑があった。司馬遼太郎は、空海の思想と生涯を描いた小説「空海の風景」など高野山ゆかりの著作があり、碑文には、高野山について「日本国のさまざまな都鄙(とひ)のなかで、唯一ともいえる異域ではないか」と刻まれている。
さて、この参道には様々な戦国武将たちの墓が立ち並んでいる。たくさんあって、全てを確認したわけではないが、名のある武将の墓があちらこちらに見られた。まず、こちらは薩摩島津家の墓所だ。
武田信玄と子である武田勝頼の墓所。
これは、弘法大師の腰掛け石。
木々の隙間から太陽の光が、石塔を照らす。
加賀前田家供養塔。
豊臣家墓所。豊臣秀吉とその母、弟秀長など豊臣一族の墓がある。
織田信長の墓所。他の武将と比べ、シンプルな墓所だ。
7:50。御廟橋まで来る。ここからは、弘法大師御廟の霊域に入るとされ、この橋を渡るとき弘法大師が迎えてくださり、帰りは見送ってくださると言われているそうだ。脱帽して、服装を正し一礼して橋を渡る。この先は、写真撮影が一切禁止となっているので、写真がない。
奥の院の弘法大師御廟に巡拝して、やっと最後の最後の御礼参りが終わった。納経所で、最後に残った高野山奥の院のページに、墨書と御朱印を貰い、二か月半がかりで御朱印帖が全て埋まった。これで、やっと一つの目的が終わったと、大きな達成感に包まれた。奥の院の納経所は、早い時間だったから良かったものの、昼間であれば1時間も待たされることもあるそうだ。朝早く行って全てが順調に済んだのである。
8:20。奥の院を出ると、気持ちがいい天気となり、朝の空気が心地よかった。
9:00。奥の院前から、バスで高野山ケーブルの高野山駅まで移動する。
バスを下りると、すぐにケーブルカーが上がってきたので乗車する。
この高野山ケーブルは、最急勾配562.8‰(29°22')、最緩勾配でも273.9‰(15°19')という日本有数の傾斜を持つという。海抜539mの極楽橋から867mの高野山まで高低差は約330m。830mの距離で、これだけの高低差があるのだから、その傾斜は相当キツイ。
9:14。ケーブルの終点極楽橋駅に到着する。駅に降り立って、周りを見てビックリ。降り立ったお客のうち日本人は、私を入れて3人しかいない。あとはみんな外国人ばかりだった。如何に高野山は、外国人観光客が多いかと実感させられた。
30分ほど電車に揺られ、九度山駅で降り、車を止めた道の駅へと向かう。その途中、真田庵があったので立ち寄ってみた。善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田昌幸、幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺だ。
真田地主大権現。このお寺で、怒った姿の昌幸の霊がたびたび見られるようになったので、大安上人が昌幸の霊をこの地の大権現の神様にして祀ったという。その後、穏やかな顔になった昌幸が現れ、祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束し、真田地主大権現となった。
帰り道のガードレールには、“平成28年度大河ドラマ「真田丸」制作決定”の幟が張られていた。来年は、この九度山も観光客で賑わうことは間違いない。
10:30。道の駅に無事戻り、早々に帰宅する。出だしは雨だったが、帰りは好天に恵まれ気持ちよくお遍路を打ち終えることが出来た。