とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021幌尻岳登山ツアー:4日目支笏湖クリアカヤック

2021-07-22 19:02:31 | 観光
3日目に新冠町まで戻ってしまったので、4日目は丸々時間が出来た。前日の疲れがあるので朝はゆっくり起き、朝食も遅めにする。それでも、どこか観光をしていこうという事で、千歳から近い支笏湖まで行こうという事になった。ちょうど、支笏湖にはクリアカヤックというアクティビティがあり、面白そうなので、それをやる事にした。

新冠から車を走らせ、支笏湖には12時過ぎに到着する。支笏湖は、北海道千歳市にある淡水湖。支笏洞爺国立公園に属し、日本最北の不凍湖となっている。また、透明度の高さで有名な摩周湖やバイカル湖に匹敵する透明度を有し、環境省の湖沼水質調査では何度も日本一に認定されているそうだ。


支笏湖畔には、お土産屋や軽食処なども立ち並び、簡単な食事をしてから湖畔を散策する。

支笏湖畔からは、支笏三山と呼ばれる三つの山々が見える。ユニークな形の溶岩ドームが山頂に鎮座する左側の山が、二百名山の樽前山。右側手前に見えるのが、風不死岳(ふっぷしだけ)だ。山名は、アイヌ語で「トドマツのあるところ」を意味する「フㇷ゚・ウㇱ」「フップ・ウㇱ」「フプㇱ」が由来だという。


視線を少し右にずらすと見えるのが、恵庭岳(えにわだけ)である。山名はアイヌ語の「エエンイワ」(頭が・尖っている・山)に由来するという。


観光船の発着所。


支笏湖に流れ込んでいるのは千歳川。エメラルドグリーンの美しい流れの下に水草がゆらゆらとたなびいている。クリアカヤックの乗場も見える。


事前に予約しておいた「オーシャンデイズ」さんに13:30に集合する。ここのスタッフが、クリアカヤックのガイドをしてくれる。


店内でライフジャケットやパドルを受け取り、出発地点に移動する。乗船前に簡単なレクチャーを受け、クリアカヤックに乗船だ。


クリアカヤックとは、読んで字のごとくカヤックの底が透明になっているカヤックのことだ。クリアカヤック体験での醍醐味は、何と言っても普段見ることのできない『真上から水中を見る』という体験ができることである。水質がキレイであればあるほど、水の透明度が高ければ高いほど、足元に湖底や川底が広がるという滅多にできない体験を味わうことができるのだ。


樽前山と風不死岳をバックに記念撮影。


支笏湖から千歳川をさかのぼる。


支笏湖の水深が深いところは、ブルーだが、千歳川は水深も深くないのでエメラルドグリーンと色合いが変わって見える。


1時間ほどクリアカヤックを体験して、岸に戻る。暑い日だったが、水辺でのカヤック遊びで気持ちが涼しくなった。


支笏湖から千歳空港までは40分ほどとアクセスも良く、予定通りの便に乗ることができ帰宅する。まるまる4日間とも天気には恵まれ、いろんな景色を堪能できたが、北海道としては異常な暑さだったようだ。

2021幌尻岳登山ツアー:3日目新冠ポロシリ山荘~幌尻岳~イドンナップ山荘~ホテルヒルズ

2021-07-21 21:46:50 | 山登り
3日目の朝、4:40。早起きして幌尻岳山頂アタックに出発する。


途中小さな沢をいくつか越えるが、前半最後の少し大きな沢を渡渉する際、足を滑らせてしまい、その反動で、ペットボトルを1本、沢に落としてしまった。アッと思った時にはすでに遅く、一気に流されてしまった。おかげで、あとで大きなしっぺ返しをこうむることになった。

幌尻岳の前半は、藪漕ぎだ。背丈ほどの笹をかき分け、かき分け進む。


1時間半ほどで藪漕ぎを終え、しばらくすると大きな沢に出会う。


沢水をすくい、冷たい水を頭や顔にかけると気持ち良いが、飲む事だけはやめておく。


沢を渡り反対側の斜面を上る。


展望が開けた場所に出ると、前日通り過ぎた奥新冠ダムが見える。そして、山並みの奥には、日本二百名山のカムイエクウチカウシ山も見える。名称はアイヌ語の「熊(神)の転げ落ちる山」に由来し。通称カムエクと略して呼ばれる山だ。


展望を楽しんだ後は、お花畑の広がる急斜面を登っていく。




エゾフウロ


ミヤマキンバイ


お花畑を過ぎると、大きな岩が見えてきた。


近くまで寄ってみると、大岩と書かれている。そのものズバリの名称だ。


大岩を過ぎれば、15分ほどで日本百名山・幌尻岳山頂2052mに到着だ。ほぼコースタイム通り4時間ほどで登ることが出来た。ただ、残念ながら下の方からガスがどんどん湧いてきて、七つ沼カールなど、展望が全くなかった。前回来た時も展望がなかったのだが、今回も何も見えず、帰りの事も考えると、晴れるのを待つ時間もあまりなく、早々に下山とした。


下山も、元来た道をそのまま下っていく。しかし、下山は今までになくきつい下りとなった。上り初めに流してしまったペットボトルがないことで、飲み物が足らず、暑さもかいまって、水分不足に陥っていた。仲間にも分けてもらったが、あまり余裕もなく、熱中症に近い状態になっていた。歩みも遅くなり、最後尾を歩いていくが、途中で危うく滑落しそうにもなった。幸いロープを掴んでいたので、登山道に戻ることが出来たが、九死に一生といった状況だったかもしれない。

それでも何とか仲間についていき、12時半過ぎに新冠ポロシリ山荘に到着する。


山荘で、お湯を沸かしたあと、冷やして飲み水にしたり、軽い食事をしたりして1時間20分ほど休憩する。通常なら、もう1泊ポロシリ山荘で宿泊してもいいのだが、駐車場に一部の食料を置いてきてしまっていたので、どうしても駐車場に戻らなければならない。幌尻岳登山で一杯一杯の状況だったが、さらに頑張って林道を5時間かけて歩きとおした。もうフラフラの状態だったが、何とか日没前に到着する。

駐車場には、イドンナップ山荘という山小屋があったが、あまりにも荒れ果てていて、女性陣が泊まりたくないとのことで、さらに車で林道を2時間、舗装道路を30分ほど走り、1日目に泊まったホテルヒルズに電話を入れる。ホテルに着いたのは午後10時過ぎだったが、空き部屋があって、無事宿泊できた。夕食は、コンビニで調達し、風呂にも入ることが出来て、長い一日となった。

参考1.3日目のコースマップ


参考2.3日目の高低図&コースタイム


「2021幌尻岳登山ツアー:4日目支笏湖クリアカヤック」に続く。

2021幌尻岳登山ツアー:2日目イドンナップ山荘~新冠ポロシリ山荘

2021-07-20 19:08:04 | 山登り
4年ぶり2回目の北海道・幌尻岳に登ってきた。百名山登山達成を願う山友を連れて、百名山の中でも最難関と言われる幌尻岳に再挑戦である。

1日目は、登山口に近いホテルまでの移動だけだ。新千歳空港からレンタカーを借りて、新冠郡新冠町のホテルヒルズに宿泊する。新冠町は、日本有数のサラブレッド産地として栄えている。近年は、レコードと音楽による街づくりを進めていて、町内にある「新冠レ・コード館」には、60万枚を超えるレコードが所蔵されている。「新冠レ・コード館」で、好きな曲をリクエストして、大型スピーカーでレコードの音を楽しみ、ハイセイコーの像を見たりしてホテルに入った。

2日目の朝、朝食を食べてホテルを出る。雲一つない青空となり、天気には恵まれそうだが、かなり気温は高そうだった。


ホテルの前には、幌尻岳の説明板が設置されている。
「日高山脈の主峰幌尻岳は、標高2052mある山脈の最高峰となる。この山には、氷河時代に形成された圏谷(けんこく、またの名をカール)があり、このカールは、雨が降ると沼のようになり、沼が7つあることから、地域の人達は古くから「七つ沼カール」と親しみをこめて呼んでいる。数々の動植物が生息し、北海道の大自然を物語る豊かな自然を誇っている。そのため、「日本百名山」にも選ばれており、平取町側と新冠町、日高町、帯広市側の四方から登山を楽しむことができる。アイヌの人達の間では、幌尻岳を舞台にした様々な伝説があり、古来から神様がいる山として崇拝し、祈りを捧げていたといわれている。アイヌ語で、「ポロ・シリ(大きな・山)」と呼ばれ、日高路での霊山とされている。以上のことから、豊かな自然を有し、アイヌ文化や伝説が息づくところとして、名勝ピリカノカに選定された。(平成25年10月17日)」


幌尻岳の説明板の前で出発前の写真を撮って、幌尻岳の登山口へと向かう。ただ、登山口までは、ホテルから60キロ以上先だ。20数キロ舗装道路を走ってから、40キロほどの林道を砂埃を立てながら進む。


11:15。やっと、登山口となるイドンナップ山荘の駐車場に到着する。駐車場には、20台ほどの車が止まっていた。


イドンナップ山荘の裏手にある”幌尻岳新冠陽希コース”のモニュメントの前でまず写真を撮っていく。このモニュメントは、プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんによって、イドンナップ山荘ゲートから頂上までの約23㎞を完全人力登山してもらうことを目的に設置されたものだ。


最初のゲートを越えると、”幌尻岳新冠陽希コース”の始まりだ。これから先は、車は入ることが出来ない。


2.5キロほど先にある3番目のゲート。自転車やバイクが入ることができないようなゲートで、回転部分から人と荷物のみ通り抜ける事ができる。




ゲートから橋を渡る。


そこから延々と15キロほど林道を歩くと、奥新冠ダムだ。


ポロシリ山荘まで2キロの看板が見えると先が見えてきたとホッとする。


残り2キロがなかなかの急坂となり、30分以上かけて進むと、新冠ポロシリ山荘が見えてきた。


16:01。この日のゴールとなる新冠ポロシリ山荘に到着する。距離にして17キロほどを5時間近く歩いた。


山荘は、無人の避難小屋だが、既に15人ほどの登山者が入っていた。我々もさっそく、食事の支度をして夕食を食べ、翌日の山頂アタックに備えて早々に眠りに着く。

参考1.2日目のコースマップ


参考2.2日目の高低図&コースタイム


「2021幌尻岳登山ツアー:3日目新冠ポロシリ山荘~幌尻岳~イドンナップ山荘~ホテルヒルズ」に続く。

2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-4日目(十津川温泉~熊野本宮大社)

2021-07-16 19:22:55 | 熊野古道
最終日となり、宿の前で集合写真を撮ってから出発する。小辺路ルートの続きである柳本吊橋までは、宿の人に送ってもらう。


柳本吊り橋は、今までの吊橋とは違い、かなり揺れ緊張感に強いられる。一度に乗れるのは5人までとの事で、距離を取って渡っていく。




揺れながらも、吊橋の中ほどで川の流れを撮ってみる。


吊橋の先で、渡り切った仲間たちが迎えてくれた。


いよいよ、最後の峠である果無峠に向かって歩き出す。


10分ほど歩くと、果無峠の登山口だ。


急な上りの石畳道を進んで行く。




果無集落に入る。十津川村の中でも世界遺産が通る果無集落は果無山脈を見渡すその美しさから「天空の郷」と呼ばれている。果無集落は昔ながらの古き良き日本の生活が残っており、のどかな暮らしに旅人が「ほっ」とするスポットである。


集落の先から山を見上げながら、お花畑の中を進んで行く。


集落の出口には、世界遺産の石碑が建っている。熊野古道は、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に次ぎ、道として世界遺産に登録された2番目の事例となっている。


果無集落から八木尾にかけての峠道には、大正末期に地元の人々の寄進によって西国三十三番札所を模した観音石仏が据えられており、以後、観音様を見つけながら進んで行く。




果無峠への長い坂を進んで行く。


山口茶屋跡。東西には石垣が残っており、東側には防風林と思われる杉の巨木が数本ある。


山口茶屋跡から約30分で「観音堂」に到着する。峠越えで唯一の水場となり、トイレもあって休憩を取るにはちょうどいい場所だ。


展望が開けた場所から下界を見下ろす。


第18番観音。いろんな観音様の表情を見るのが面白い。


果無峠1114mに到着する。それにしても果無(はてなし)という名前は、何か、遠い遠い場所を想起させ、この場所に着いたことがとても感慨深かった。この名前の起源を調べてみると、紀伊半島を東西に貫く山脈の尾根にあって、果てがないから果無という説(江戸幕府が作った地史にも『谷かすかにして峰遠し、よりて果無といわく』と書かれている)と、1331年に鎌倉幕府打倒を掲げて乱を起こすも、失敗して隠岐に流された後醍醐天皇の息子、護良親王が果無集落のあたりまで逃げてきた。その時に、逃げても逃げても、追われて「果てがない」ということで、名付けられたという説があるらしい。


長い下り坂が終わるころ、八木尾の集落が見えてきた。


石段を下ると、車道となる。


川沿いの歩道を歩き、道の駅「奥熊野古道ほんぐう」で昼食休憩とする。


平岩口の分岐から三軒茶屋跡まで歩く。ここは、中辺路との分岐点だ。入り口には、九鬼ヶ口関所跡の門があり懐かしい。


あとは、前回通った道を進むのだが、ちょっとより道コースがあり、展望台に寄っていく。展望台からは、大斎原の大鳥居が見える。


熊野本宮大社に到着する。もう何度も来た場所だ。


本宮大社前からは、バスで新宮まで向かい、JRで帰路についた。3泊4日で熊野古道の中でも一番ハードだと言われる小辺路を一気に走破できた。毎日大きな峠越があったが、誰も遅れることなく無事到着出来たことが何よりだった。

参考1.4日目の高低図&タイム


参考2.4日目のコースマップ

2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-3日目(三浦口~十津川温泉)

2021-07-15 19:19:55 | 熊野古道
2日目の夜は、農家民宿山本さんに宿泊した。自宅で取れた野菜や卵など、新鮮な食材をふんだんに出してもらい、静かな山の農家の雰囲気を充分味わうことが出来た。朝食の後、ご主人と一緒に写真を撮って出発する。


御主人と奥さんの運転する車2台に分乗して、前日の小辺路ルートのゴール地点だった三浦口バス停まで送ってもらう。再び三浦口にある吊橋から、3日目の小辺路ルートが始まる。


廃墟となった民家の横を登っていく。


石畳道が残っている。


さらに登っていくと、吉村家跡防風林という場所に着いた。ここは、旅籠を営んでいた吉村家の跡で、昭和23年ころまでは居住もされていたらしい。


そして、その一帯には、樹齢500年前後と推定される杉の巨木が立ち並んでいる。


垂直にまっすぐ伸びている若い杉とは別に、胴まわり4~8メートルにもなる大杉があり幹の太さとその迫力に圧倒される。うねうねと蠢く様に大空を目指す枝、それを支える幹には主幹と言えるものは無く、根元近くで何本にも別れ、まるで炎が燃えさかっているかのような異質の杉だ。


登山道から10mほど下ったところにある「三十丁の水」という水場。冷たい水を確保できる。


三浦峠を過ぎ、下っていくと古矢倉跡に着いた。看板には、以下のような説明がなされている。
『熊野めぐり』に、「下り道よし、三十六丁下れば茶店二軒有」、また『熊野道中記』には「当所一軒矢迄ツマ下リ計」と記されておりこの辺りの状況を記している。屋敷跡の西側に天保十年と記された地蔵菩薩座像があり、その前に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石柱がある。当時の戸数は一軒で、屋号を「古矢倉」といい茶屋兼旅籠があったが昭和10年には廃屋になった。古矢倉には恐ろしい伝説がある。昔、古矢倉坊主なる者がいたが、屋敷に釣天井を仕込み、旅人を殺害して軍資金を作り、大阪の陣に出たといわれている。


矢倉観音堂に到着。


案内板には、耳を患う人が願をかけ菩薩様の頭を撫でると治ると言われていると書かれている。みんな何を願って願掛けしたのだろうか。


観音堂の前で記念撮影。


途中から、道路崩落の為、迂回路を通り西中バス停方面に向かう。本来の下山口だったところは雑草が生い茂り、通行止めとなっていた。


お昼を回り、お腹が空いてきたので、どこか涼しい場所がないかと探していくと、水場とベンチがあるいい場所を見つけ、ランチ休憩する。


川合神社の前を通過。


3日目の後半は、十津川温泉まで舗装道路を9キロほど歩かなければならない。


無人販売で売っていたトマトを食べながら進む。


昴の里を過ぎ、トンネルを抜けると柳本の吊り橋前に出る。


この日も、ここで小辺路ルートから外れ、この日の宿となる十津川温泉静郷の宿・山水まで2キロほど歩く。

宿に行く間にあった「野猿(やえん)」。十津川村の「人力ロープウェイ」だ。両岸から川の上に張ったワイヤーロープで吊り下げられた「やかた」に乗り、自力で引き綱をたぐり寄せて進む。猿が木のつるを伝って行く様子に似ている事からこの名がつけられたそうだ。元気なメンバーが、野猿を楽しんでいた。




参考1.3日目の高低図&タイム


参考2.3日目のコースマップ


「2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-4日目(十津川温泉~熊野本宮大社)」に続く。

2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-2日目(大股~三浦口)

2021-07-14 22:24:44 | 熊野古道
2日目の朝、野迫川温泉・ホテルのせ川周辺は好天になっていた。


スタート前の集合写真を、ホテル前で撮る。


ホテルからは、マイクロバスに乗り、前日ゴールとした大股バス停にまで送ってもらう。


大股バス停から、すぐに集落内の急坂を上っていく。


少し上がって行くと、バス停の下を流れていた川原桶川が良く見える。


この先は伯母子岳登山口だ。


40分ほど歩くと小屋が見えてきた。


看板を見ると萱小屋跡と書いてあった。跡とはいえ、今もきれいな避難小屋が建てられている。いざとなれば、避難小屋として宿泊もできるようだ。


小屋の裏に水場があるというので、回ってみると、冷たい水の中にビールが冷やしてあった。こんなところにビールがあるとは思いもよらなかったが、小屋番の気持ちが嬉しくて、2本分のお金を箱に入れて、有難く、みんなで分け合って飲んで行く。


さらに進んで行くと、木が倒れ、道をふさいでいる場所がいくつもあった。


登り始めて約2時間。伯母子岳山頂が見えてきた。


伯母子岳山頂1344mに到着だ。伯母子岳は紀伊山地西部・奥高野の山であり、日本二百名山の一座でもある。熊野古道・小辺路を通るコースでもあり、名所旧跡など歴史的な側面があるにも関わらず、アクセスの悪さから訪れる人が少なく静かな山だった。当初、二百名山とは思ってもいなかったので、ちょっと得した気分になった。


山頂からの展望は奥高野随一だという。


伯母子峠を経ての小辺路ルートは、登山道が崩落しているらしく、伯母子峠を通らずに迂回ルートを進む。


上西家跡。明治頃まで街道宿を営んでいた上西家の遺構。明治の頃には間口9間・奥行6間の豪邸があり、最後の住人が昭和初めまで住んでいたそうだ。


水ヶ元(茶屋跡)。この場所には、山姥のような老女が一人で住んでいたという。


待平。屋敷跡のある平坦地だ。「熊野案内記」では寺、他の資料では茶店とあり、さらに古老の話では関所跡との伝承があるという。


反対側の伯母子岳登山口に到着して少し歩くときれいなトイレがあった。


腰抜田。案内板によると、「南北朝の頃、北朝方から逃れた大塔宮護良親王が五百瀬を通過しようとした際、荘司に行く手をさえぎられ、通過を認める代わりに錦旗を置いていくこととなった。その後、遅れてきた大塔宮の家来がそのことを知って大いに怒り、荘司の家来を水田に投げ飛ばした。そのとき投げ飛ばされた家来が腰を抜かしたため、その水田を腰抜田と呼ぶようになった。明治の大水害で埋没したため、現在は川底にねむっている」


腰抜田から歩いてすぐに三浦口バス停がある。2日目のゴールは、三浦口バス停としていたが、時間が早すぎてまだ13時半だった。2日目の宿に電話をすれば迎えに来てくれるとの事だったが、早すぎて申し訳ないので、2キロほど先の宿まで吊り橋を渡って歩いていくことにした。


吊り橋を渡ると、小辺路ルートを外れる。


美しい沢が所々に流れていて、気持ち良い道が続いていた。


14時頃、農家民宿山本に到着する。歩行時間5時間50分。距離は15.2キロで、2日目もかなり速いペースだった。

参考1.2日目の高低図&タイム


参考2.2日目のコースマップ


「2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-3日目(三浦口~十津川温泉)」に続く。

2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-1日目(高野山~大股)

2021-07-13 23:46:00 | 熊野古道
第8回目の熊野古道は、高野山から本宮大社までの小辺路ルートだ。まずは、南海極楽橋駅から高野山ケーブルに乗って高野山に向かう。急勾配の線路だが、5分で高野山駅に到着する。


お昼近くになっていたので、千手院橋(東)バス停で昼食を済ませてからスタートする。


金剛三味院入口が小辺路ルートのスタート地点となる。


入口にある商店の壁にも小辺路入口と書かれている。


雨がポツポツ降り始めていたが、この時点では大した量ではなかった。


緩やかなアップダウンを繰り返しながら山道を進む。


熊野古道小辺路を辿り高野山を目指した参拝者は、ここ轆轤(ろくろ)峠で初めて堂塔伽藍を眼にした。木々の間に見え隠れする堂塔伽藍を、まるで「轆轤っ首」のように首を伸ばして眺めたと謂われており、これが名前の由来となった。高野七口のひとつ大滝口女人堂が置かれていた場所でもある。


その後、突然雷鳴が鳴り響き雷雨となった。風も雨も強くなり、急いで坂を下っていく。


赤い鉄橋を渡る。


車道と合流する場所まで下りてきたころ、雨が止み静かになった。雨具をぬいで一休みだ。


大滝集落の最後の民家の前を通り山道に入る。


高野龍神スカイラインをしばらく歩いていくと、青空となり好天に変わってきた。


水ヶ峰分岐から再び山道に入る。クマ出没の絵がシュールだ。


水ヶ峰集落跡。ほぼ和歌山との県境に位置し、すぐ北で高野町と接する。熊野古道・小辺路の旅籠として栄えた集落だが、現在は無人となり「消え去った集落」として挙げられている。


舗装道路を進む。


空を見上げると、青空にくっきりと飛行機雲が描かれていた。


回りの山々が良く見える。


平辻から一気に山を下ると、大股バス停だ。1日目は、ここがゴールだ。この日の宿となる野迫川温泉・ホテルのせ川に電話をして、お迎えに来てもらう。


1日目の距離は、16.7キロ。時間にして4時間12分とハイペースで到着する。宿は野迫村にある唯一のホテルだ。野迫川村は奈良県の南西部に位置し、紀伊山地西部の山塊に囲まれた山深い村である。気候は、夏は冷涼で避暑地に適しているが、冬は寒冷で降雪や積雪が多く、梅雨の時期や夏の降水量が多いという。そして、離島を除いて日本一人口が少ない自治体であり、まさに秘境中の秘境だ。

参考1.1日目の高低図&タイム


参考2.1日目のコースマップ


「2021第8回熊野古道ジャーニーマラニック:小辺路編-2日目(大股~三浦口)」に続く。